今日の「お気に入り」は 、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から 。
「 子供も中学生くらいになると理屈を言う 。挨拶しないのをとがめると『 なぜしなければならないか、
尊敬もしてない人に 』くらいのことを言う 。
文明国では客には必ず挨拶する 。ボンジュールあるいはグッドモーニングと言って 、内心に敬意の
有無を問わない 。問えば挨拶は失われるから 、ボンジュールと言えと幼いときから命じて言うくせを
つける 。『 なぜ作文を書かなければならないのか 、口で言えばすむものを 』と言って書くまいとした
例なら紹介したことがある 。昨日の運動会を一分で二分で三分で 、言えるものなら言ってみよ 。朝起
きて顔を洗ってごはんを食べて弁当を持って学校へ行きましたと言っているうちに三分は過ぎてしま
う 。かいつまんで言う訓練のための八百字の作文だと答える義務は教師にはない 。作文の時間である 、
書けと命じれば足りる 。
未熟な子供のなぜはなぜではない 。作文を書くのは自分と格闘することだからいやなのである 、ほ
とんど苦痛なのである 。だからこんな屁理屈を考えだす 。それにつきあってはいられないと言うより
つきあってはいけないのである 。
いまの政治いまの世の中のしくみを疑うのはいいことだ 、何事もなぜと疑えと教えるから 、こんな
なぜを持ちだされて教師は窮地におちいるのである 。凡百のなぜを承知した上でのなぜが真のなぜな
のである 。承知しないもののなぜはなぜではないから 、したがって問答は無用なのである 。」
( 山本夏彦著「 世はいかさま 」新潮社刊 所収 )
