
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 所得税の確定申告は二月十六日に始まって、三月十五日に終る。どうせとられる税金なら、
さっさと払って私は忘れることにしている。
たぶん皆さんそうだろう。一年十二ヶ月、月給日ごとに重税だと不平を鳴らす同僚がいたら、
その男は爪はじきされるだろう。いやなことは忘れたいからである。それに彼のみ高い税率
ではないからである。
けれども今年は家に病人が出たので、医師や看護婦への礼、通院一時間の病院までの自動車
代、薬代(但漢方)を申告したらはたして認められなかった。
医師に礼金は包まなくていいと税吏は言うが、包むのが慣例である。名高い甲先生ならいく
ら、乙先生ならいくらと相場がきまっているのがその証拠である。
それを包まなければ病院の医師は月給だけで衣食することになって、『腕』はタダになる。
町の開業医と収入に大差が生じ、病院から名医また凡医まで総退場する恐れがある。患家が礼
することによって、両者のバランスは微妙にとれていると私はみている。
むろん税吏はこれを認めない。大手術をした病人に、往復二時間の道を電車とバスで行けと
いうのである。それなら税吏自身ガンになってみよ。医師に礼をしないでいられるか。
税吏は血も涙もないものだと承知しているから、私は認められまいと知りながら、試みに申
告したのである。私は人を奪う者と奪われる者、さげすまれる者とさげすむ者にひそかに分け
ている。税吏と金貸は奪うもので、その代りさげすまれる者と昔からきまっている。
彼らは町でうしろ指さされ、その娘なら嫁にもらい手がないという社会的な制裁を以前はうけた
のである。ところがこの百年金貸は銀行員に化けて、その制裁をまぬかれ、税吏もまたまぬかれ
そうだから、諸君爪はじきすることを忘れ玉うなと云爾(しかいう)。」
「 みつぎとりはみつぎとり、金貸は金貸として堅気にうしろ指さされるなら、私はこんなことを
言いはしない。並の人として遇されているから言うのである。」
(山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
