今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 前回私は子供は何でも知っているというほどのことを述べた。純真無垢どころか大人が持っている
『悪』の萌芽ならみんな子供は持っている。したがって作文が書きたくないと、なぜ書かなければ
いけないの?口で言えばすむものをなどという。
作文の時間である、書けと命じれば足りる、子供の相手になってはいけないと言ったが、まじめ
に相手になる先生がふえた。それをとりあげるマスコミがふえた。
なぜいけないかというと、これをとりあげるとこの文句に理があると客観的に認められたことに
なって、子供はそれに力を得てこのたぐいのなぜを連発してそのまま大人になるからである。
だから新聞の投書欄は昔はこのたぐいの投書は没書にした。失笑して載せない暗黙の規則があっ
たが、それがこのごろくずれた。なぜを連発して育った子がレポーターになり記者になったからで
ある。
私は新卒の社員が速達郵便の切手を右に左に上に下に貼るのに驚いて、左側一列に貼れと教えて
『なぜ』と問われたことがある。すでに十余年の昔である。官製はがきを見よ、左の肩に貼ってあ
るではないかと一蹴したがなお不服である。
はがきの切手は一枚だが速達や書留は五、六枚貼ることがある。左右の余白に貼ってどこが悪い
と言いたげだから左側通行と同じだ、郵便局員のスタンプを押す手が宙に迷うから左ときめただけ
で、ひとえに能率のためだと言ったが、それは偶然私が郵便に詳しいから言えたのでそんなこと尋
常のひとには言えやしない。
この世は九分九厘まで習慣で動いているところである。一々なぜと聞かれて答えられる者はいな
い。習慣重んずべしと小学中学で教えよと言っても教えないのは何か魂胆があるからで、それはす
でにお察し通りである。」
(山本夏彦著「世はいかさま」新潮社刊 所収)