「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

人はあたりをうかがって大ぜいに従う存在である 2006・03・10

2006-03-10 07:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は 、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から 。

 「 さる大新聞の世論調査によると 、国民の祝祭日に必ず国旗をおあげる家は一割 、
  時々なら三割 、あげてもいいと思っているだけのひとなら 八割いるという 。」

 「『 君が代 』斉唱も似たようなものだという 。なぜ旗をたてないか 、なぜ歌を
  うたわないかと問われても困る 。十年前私は問われてそれなら以前はたてたのか
  うたったのかとこちらが聞きたいと答えた 。
   いかにも戦前は戸ごとに日の丸の旗をたてた 。三大節をはじめ国民の祝祭日には
  必ずたてたから 、俗に旗日といった 。」

 「 戦争中私たちは 玄米を食わされた 。大根の葉っぱ薯のつるを食わされた 。一升
  びんに玄米をいれ棒でつついて白米にしたことはまだ記憶に新しい 。それなら
  一升びんや葉っぱを見ると戦慄するかというとそんなことはない 。食うや食わ
  ずで大人になった者どもは 、いま米の飯を残している 。捨てている 。
   私はそれを非難しているのではない 。ノドもとすぎれば熱さを忘れるのが人間
  の常だといっているのである 。それなのに ひとり国旗と国歌に対する怨みだけ
  は忘れないというのは本当らしくない 、自然でないといっているのである 。
   以前 戸ごとに旗をたてたころは 、たてないと怪しまれた 。今はたてると怪し
  まれる 。人はあたりをうかがって大ぜいに従う存在 である 。隣近所がたてれば
  たてるし 、たてなければたてない 。故に 以前はたてない人をとがめた 。今は
  たてる人をとがめる 。たてる人も たてない人も 別人ではない 。全く同一の人
  物だと問われて 私は同じことしか言えないのである 。」


   (山本夏彦著「世はいかさま」新潮社刊 所収)
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