今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「西條八十は少年のとき新体詩を学んでようやく一人前になったと思ったら、時代は口語自由詩の時代になってしまったと嘆いていた。佐藤春夫は最後まで文語を捨てなかった。永井荷風の文章がいまだに愛誦されるのはその骨格が文語だからである。
――先生がなくなって三年たった。今年の命日もまたすぎた。月日のたつのは何と早いことだろうと書けばただの日記である。先生逝きてすでに三年今年の忌日もまたすぎたり。駒光(くこう)何ぞ駛(は)するが如きやと書けば『荷風日乗』である。
これらを私は何度か書いた。『山月記』を残した中島敦は昭和十七年数え三十四で死んだ。現代人である。ただ中島の小説は文語文の殿(しんがり)をつとめた。ためにいまだに文庫本に残って中学高校生に読みつがれている。文語文は平安の昔の京都の言葉を洗練したものと漢文くずしである。中島は漢文くずしの最後の人で、共にながい歴史があるから年少の読者は血が騒ぐのである。
――次には、視(み)ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大の如く、微(び)を視ること著(ちょ)の如くなったならば、来(きた)って我に告げるがよい。(中島敦『名人伝』)
昨今の文脈の混乱は範を横文字にとるようになってから生じた。何らかの形で文語は回復されるだろう。」
(山本夏彦著「世はいかさま」 新潮社刊 所収)
「西條八十は少年のとき新体詩を学んでようやく一人前になったと思ったら、時代は口語自由詩の時代になってしまったと嘆いていた。佐藤春夫は最後まで文語を捨てなかった。永井荷風の文章がいまだに愛誦されるのはその骨格が文語だからである。
――先生がなくなって三年たった。今年の命日もまたすぎた。月日のたつのは何と早いことだろうと書けばただの日記である。先生逝きてすでに三年今年の忌日もまたすぎたり。駒光(くこう)何ぞ駛(は)するが如きやと書けば『荷風日乗』である。
これらを私は何度か書いた。『山月記』を残した中島敦は昭和十七年数え三十四で死んだ。現代人である。ただ中島の小説は文語文の殿(しんがり)をつとめた。ためにいまだに文庫本に残って中学高校生に読みつがれている。文語文は平安の昔の京都の言葉を洗練したものと漢文くずしである。中島は漢文くずしの最後の人で、共にながい歴史があるから年少の読者は血が騒ぐのである。
――次には、視(み)ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大の如く、微(び)を視ること著(ちょ)の如くなったならば、来(きた)って我に告げるがよい。(中島敦『名人伝』)
昨今の文脈の混乱は範を横文字にとるようになってから生じた。何らかの形で文語は回復されるだろう。」
(山本夏彦著「世はいかさま」 新潮社刊 所収)