今日の「お気に入り」は、佐藤愛子さんの「最後の修業」と題した文章の中から「私の
死に支度」と題した一節です。
「 どんなに頑張っても人はやがて老いて枯れるのである。それが生きとし生けるものの自然である。それが
太古よりの自然であるとすれば、その自然に自分を委ねるのが一番よい。私はそう考えている。
そこで今、私が直面している問題は、いかに自然に老い、自然にさからわずに死んでいけるか、という
ことだ。いかに孤独に耐え、いかに上手に枯れていくか。長命がめでたいのは、心も肉体も枯れきって死
ねるからめでたいのだと私は考えている。肉体にエネルギーが残っている間は死ぬのは容易ではない。心
に執着や欲望を燃やしたまま死ぬと、死後の魂は安らかでない。
今、多くの老人は老後を楽しく送りたいという願いの一方で、人に迷惑をかけずに死んでいきたいもの
だと心から念じている。家族主義の中で老人が大切にされ、うやまわれていた時代は老いて病むことも子
や孫に預けておけばよかった。しかし犠牲を悪徳のように考える今は、身内の者が平和に楽しく暮す権利
を認めなければならないから、老人はひたすら迷惑をかけることを怖れている。六十歳も半ばを過ぎて、
私は漸く自分の死について考えるようになった。私も遠からず老い衰えて死を迎えるのである。そのため
には私なりに準備をしておかなければならないと思っている。
これからの老人は老いの孤独に耐え、肉体の衰えや病の苦痛に耐え、死にたくてもなかなか死なせてく
れない現代医学にも耐え、人に迷惑をかけていることの情けなさ、申しわけなさにも耐え、そのすべてを
恨まず悲しまず受け入れる心構えを作っておかなければならないのである。どういう事態になろうとも悪
あがきせずに死を迎えることが出来るように、これからが人生最後の修業の時である。いかに上手に枯れ
て、ありのままに運命を受け入れるか。楽しい老後など追及している暇は私にはない。」
(山田太一編「生きるかなしみ」 ちくま文庫 筑摩書房刊 所収)