
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「戦前の嫁は、姑の死水をとった。枕もとで涙さえこぼした。二人は実の親子ではない。今は実の親子でも、同棲したがらない。死水なんかとろうとしない。老人ホームへはいってくれ。死ぬときはぽっくり死んでくれ。費用は自分の貯金で払ってくれ。その貯金はなるべく多く若夫婦に残してくれ。
昔の嫁が流した涙はウソだという。ウソだろう。けれども、ウソをあばくのは、そんなにいいことか。ウソとまことを並べて、まことの方にすぐ手を出すとき、気がつくまいが、功利的な気持が働いていはしないか。涙は自分のためにだけ流して、それ以外には流さぬと固く決心すると、この世は荒涼たるものになりはしないか。
〔『婦人公論』昭和47年7月号〕」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)
