今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、再録。
「親は子に教えるか、または命じるかのどちらかで相談してはならない。子供も中学生くらいになると理屈を言う。挨拶をしないのをとがめると『なぜしなければならないか、尊敬もしてない人に』くらいのことを言う。
文明国では客には必ず挨拶する。ボンジュールあるいはグッドモーニングと言って、内心に敬意の有無を問わない。問えば挨拶は失われるから、ボンジュールと言えと幼いときから命じて言うくせをつける。(略)
未熟な子供のなぜはなぜではない。作文を書くのは自分と格闘することだからいやなのである、ほとんど苦痛なのである。だからこんな屁理屈を考えだす。それにつきあってはいられないと言うよりつきあってはいけないのである。
いまの政治いまの世の中のしくみを疑うのはいいことだ、何事もなぜと疑えと教えるから、こんななぜを持ちだされて教師は窮地におちいるのである。凡百のなぜを承知した上でのなぜが真のなぜなのである。承知しないもののなぜはなぜではないから、したがって問答は無用なのである。
〔Ⅳ『本もののなぜ偽のなぜ』昭60・10・17〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)