「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2014・04・17

2014-04-17 07:35:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「昔から小説はその義務を負っている。フィクションで客を喜ばせ、本音はかくしている。読者はフィクションを喜んで、本音に気がつかない気がつかないのは縁がないからで、あれば気がつく
 詩人、絵師、役者も似たようなもので、戦前は王侯貴族というパトロンにかかえられていたから、その機嫌をとった。ぼんくらは終始機嫌をとったが、胸にいちもつある芸人はほめると見せて悪くちをいって、それが当人にはわからぬようにした。当の王様また大名だけでなく、家来にもわからぬようにした。家来というものは、主人に媚びていいつけたがるものだからである。
 面従腹背は言論の常である言論の自由はなかった今はあると思うなら早合点である。昔はパトロンは一人だった。その一人および取巻きの気にいればよかった。
 今はパトロンは大ぜいである一人の王は殿様は、分散して無数になってしまったその無数に気にいられなければならなくなった
 王や諸侯は、まれに学芸が好きで、優雅であり得るが、テレビの見物はあり得るだろうか。してみれば、大ぜいがこぞって悪くちをいうとき、遅ればせながら共に言う自由はあっても、率先して言う自由は、昔もなかったし今もない言論の自由とはそういうものだと、かねて私は思っている
                                            〔『朝日ソノラマ』昭和45年5月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

 
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