今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「言葉は売買されて久しく『われわれは商品でない言葉を読む機会をまったく持たない』というと、手紙がある、電話があると反駁するものがある。
いかにも、ある。けれども、それらは私的な言論で、公的なものではない。そして、その私的な言葉さえこのごろは売買されるようになった。どんな愚かな発言でも、この世は愚か者に満ちているから、その代表とみなし、テレビは招いて発言させ、厚くもてなすようになった。
マス・コミというものは、常によく売れることを欲する。テレビと新聞がその二大親玉で、テレビのごときは一%の視聴率を争う。一%は何十万人に当るそうで、それなら二〇%は何百万人に当るか見当がつかない。その途方もない大ぜいに、テレビも新聞も見て貰うことを欲すると、消極的には大衆の気にいらぬことならいわなくなる。積極的には気にいることばかり、いうようになる。
媚びるのである。はじめは媚びると承知して、やがて忘れ、指摘されると、にが笑いしたり怒ったりするうちはまだしも、しまいには指摘するものの世間知らずを笑うようになる。迎合している自覚をまったく失うのである。
かくてマス・コミは奇声を発する。スカートをまくる。乳房をあらわし、尻を丸出しにする。血を流し、なま首をぶらさげる。いわゆる『色と欲』で客を呼ぼうとする。あんまり大ぜいを客にしようとすると、こうなる。
〔『朝日ソノラマ』昭和45年5月号〕」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)