「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2014・04・14

2014-04-14 08:15:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「言葉は売買されて久しく『われわれは商品でない言葉を読む機会をまったく持たない』というと、手紙がある、電話があると反駁するものがある。
 いかにも、ある。けれども、それらは私的な言論で、公的なものではない。そして、その私的な言葉さえこのごろは売買されるようになったどんな愚かな発言でも、この世は愚か者に満ちているから、その代表とみなし、テレビは招いて発言させ、厚くもてなすようになった
 マス・コミというものは、常によく売れることを欲する。テレビと新聞がその二大親玉で、テレビのごときは一%の視聴率を争う。一%は何十万人に当るそうで、それなら二〇%は何百万人に当るか見当がつかない。その途方もない大ぜいに、テレビも新聞も見て貰うことを欲すると、消極的には大衆の気にいらぬことならいわなくなる積極的には気にいることばかり、いうようになる
 媚びるのであるはじめは媚びると承知して、やがて忘れ、指摘されると、にが笑いしたり怒ったりするうちはまだしも、しまいには指摘するものの世間知らずを笑うようになる迎合している自覚をまったく失うのである
 かくてマス・コミは奇声を発する。スカートをまくる。乳房をあらわし、尻を丸出しにする。血を流し、なま首をぶらさげる。いわゆる『色と欲』で客を呼ぼうとする。あんまり大ぜいを客にしようとすると、こうなる。
                                          〔『朝日ソノラマ』昭和45年5月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする