田口線廃線跡地を巡るサイクリングで田口線の遺構の数々を目にしてきました。
詳しいことは「田口線」でネット検索していただければ沢山の情報が集まります。
ネットでも紹介されているように比較的多くの遺構があり一部のマニアだけでなく、散策ツアーが企画されたりしていることもあり本当に情報量が豊富であったことが出かけるきっかけにもなりました。
さて、今回のサイクリングで見ることができるものは全部写真におさめてやろうと思って出かけました。
ですが、出発して間もなくのことですが県道に掛かる橋脚の写真は道路工事の片側交互通行規制中の区間と重なってしまい交通誘導員の仕事の邪魔になってしまうため自転車を止め写真を撮るのを断念しました。
また、生活圏内での遺構は見落としたりといった具合でしたので詳細レポ―トを書けるほど写真は撮れませんでした・・
ただ、遺構を探しながら自転車で走るのは楽しく、また走ってみたいと思いました。
さて田口線のことを調べていて、ふと気になったことがあります。
それは、もともと田口線は三河の木材を輸送するために作られたということ。
今では国内の木材輸送はトラックですが、昔は鉄道主力で森林鉄道でした。
田口線に限らず、他地域でもみられ、私の住む岐阜県ですと森林鉄道で集めてきた木材を中津川市付知町で北恵那交通に乗せて運搬したり、下呂市小坂町では森林鉄道で小坂町の町まで森林鉄道で運び、高山線に積み替えて運んだという事例以外にも沢山あります。
田口線のある愛知県、岐阜県に限らず、木材の鉄道輸送の事例は全国各地にあり、それぞれに歴史あり丹念に調べていくと楽しいだろうと思っています。
さて話を本題に戻してみてみると田口線は戦前の御料林の木材を運ぶ目的があったので御料局から出資を受け設立されていいたと記されています。
そして太平洋戦争後は林野庁からの出資に切り替わっています。
今の時代でいう第三セクターだったことを知り興味深いと思いました。
木材の市場価値が高く潤沢な資金をつぎ込むことができなれば、作られることがなかった鉄道だったと思います。
昔は山間部にも多くの人が住んでいましたが、実際に使われていた車両の大きさと記録が残るダイヤから考えると、人員輸送だけでは利益はでなかったと思います。
ですから、林野庁が森林鉄道を昭和38年に廃止した5年後の昭和42年に廃線となっています。
過疎で人が減ったことが廃線の理由であることに間違いは無いのでは?と思います。
しかし、直接的な原因は、木材の市場価値が下がり価格が下がったことにより鉄道が維持できなくなったこと、これが主たる理由なのでしょう。
これによって過疎に拍車がかかり人口が急激に減ったということなのだろうと私は思います。(管理人)
本長篠駅近くの河津桜並木。軌道敷跡地に植えられました
桜並木を越えるとトンネルが
三河大草駅跡。ここの写真を見て行ってみたいと思ったことが今回のサイクリングのきっかけ
三河大草駅近くの軌道敷あと。勾配に弱い鉄道はトンネル、盛土、鉄橋が数多く必要です。
そのうちの車社会にも摘要できる部分は廃線後活用されています
鳳来寺駅の跡地。最近まで駅舎を活用した施設があったそうです。
今は、鳳来寺を訪れる人のための駐車場となっています
軌道敷の跡を活用した道は勾配が緩く自転車で走ると快適です
所々にトンネルが出現
双瀬トンネル。ここまでの区間の鉄道遺構を訪ねました
「道の駅 したら」には田口線で使われた車両が展示されています。
車両の中にはいると歴史も展示されていました。
田口線遺構を巡った後だったこともあり展示を見ていて楽しかったです。
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詳しいことは「田口線」でネット検索していただければ沢山の情報が集まります。
ネットでも紹介されているように比較的多くの遺構があり一部のマニアだけでなく、散策ツアーが企画されたりしていることもあり本当に情報量が豊富であったことが出かけるきっかけにもなりました。
さて、今回のサイクリングで見ることができるものは全部写真におさめてやろうと思って出かけました。
ですが、出発して間もなくのことですが県道に掛かる橋脚の写真は道路工事の片側交互通行規制中の区間と重なってしまい交通誘導員の仕事の邪魔になってしまうため自転車を止め写真を撮るのを断念しました。
また、生活圏内での遺構は見落としたりといった具合でしたので詳細レポ―トを書けるほど写真は撮れませんでした・・
ただ、遺構を探しながら自転車で走るのは楽しく、また走ってみたいと思いました。
さて田口線のことを調べていて、ふと気になったことがあります。
それは、もともと田口線は三河の木材を輸送するために作られたということ。
今では国内の木材輸送はトラックですが、昔は鉄道主力で森林鉄道でした。
田口線に限らず、他地域でもみられ、私の住む岐阜県ですと森林鉄道で集めてきた木材を中津川市付知町で北恵那交通に乗せて運搬したり、下呂市小坂町では森林鉄道で小坂町の町まで森林鉄道で運び、高山線に積み替えて運んだという事例以外にも沢山あります。
田口線のある愛知県、岐阜県に限らず、木材の鉄道輸送の事例は全国各地にあり、それぞれに歴史あり丹念に調べていくと楽しいだろうと思っています。
さて話を本題に戻してみてみると田口線は戦前の御料林の木材を運ぶ目的があったので御料局から出資を受け設立されていいたと記されています。
そして太平洋戦争後は林野庁からの出資に切り替わっています。
今の時代でいう第三セクターだったことを知り興味深いと思いました。
木材の市場価値が高く潤沢な資金をつぎ込むことができなれば、作られることがなかった鉄道だったと思います。
昔は山間部にも多くの人が住んでいましたが、実際に使われていた車両の大きさと記録が残るダイヤから考えると、人員輸送だけでは利益はでなかったと思います。
ですから、林野庁が森林鉄道を昭和38年に廃止した5年後の昭和42年に廃線となっています。
過疎で人が減ったことが廃線の理由であることに間違いは無いのでは?と思います。
しかし、直接的な原因は、木材の市場価値が下がり価格が下がったことにより鉄道が維持できなくなったこと、これが主たる理由なのでしょう。
これによって過疎に拍車がかかり人口が急激に減ったということなのだろうと私は思います。(管理人)
本長篠駅近くの河津桜並木。軌道敷跡地に植えられました
桜並木を越えるとトンネルが
三河大草駅跡。ここの写真を見て行ってみたいと思ったことが今回のサイクリングのきっかけ
三河大草駅近くの軌道敷あと。勾配に弱い鉄道はトンネル、盛土、鉄橋が数多く必要です。
そのうちの車社会にも摘要できる部分は廃線後活用されています
鳳来寺駅の跡地。最近まで駅舎を活用した施設があったそうです。
今は、鳳来寺を訪れる人のための駐車場となっています
軌道敷の跡を活用した道は勾配が緩く自転車で走ると快適です
所々にトンネルが出現
双瀬トンネル。ここまでの区間の鉄道遺構を訪ねました
「道の駅 したら」には田口線で使われた車両が展示されています。
車両の中にはいると歴史も展示されていました。
田口線遺構を巡った後だったこともあり展示を見ていて楽しかったです。
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