













あまり景色をみる 余裕もなかったのですが、



どれだかわかりますか?





手の中にもう一つ手?




寒い日が続いています。水曜日の朝
予約時間にかかりつけの病院へ行くと、知り合いに2人も会いました。マスクをしているからすぐにはわかりません。名前を呼ばれたのをきいて「ああ!」と思うありさまで、せっかく会っても隣り合って話すこともできず、離れてるからと大声を出すこともできず、「お元気?」とあいさつするだけで終わりました。注射を終えた人が上着を着ながら出てくるのを見たら、下に半袖を着ていました。ああ、それでよかったんだねえ。後から気が付くなんとやら。
昔、予防接種の後は激しい運動禁止、お風呂も禁止、学校で集団接種した後は必ず念を押していたものです。今はお風呂もいいですよ。15分は病院で様子を見てくださいね。と言われるだけですが、わたしは昔のように自主安静に努めます。ポチの散歩もショートカットで。ポチはかなり私の言うことが理解できるらしく、最近では飼い主の気分も察してくれるようになった気がします(ポチばか)
「今日はここで帰るよ。」というとくるっと引き返してくれるので助かります。
引き返し地点で見つけた杉ぼっくり。
翌日、寒さと大風とを言い訳に自主安静。さすがにぐうたらばかりもできないので、頼まれていたバッグづくりに精出し(四苦八苦)していました。この日外に出たのは、ポチのえさやりと散歩だけ。 なんだか体が重いので散歩はまたも短縮で。先週淡路が峠へ行ってからろくに運動してなかったので、体重が増えたからかな? 筋肉が減ってしまったのかな? ワクチンの副反応は? 注射痕は痛いですが高熱は出ませんでした。 しかし、散歩が終わるころには鼻の奥ものどの奥も異様に乾燥してきたのです。涙も出ます。
夕方昔からの友人から電話がありました。以前作ってあげたリュックを親の敵みたいに酷使していたら、肩ひもが切れたと。ええ~、そんな壊れやすいもの作ったっけ?
金曜日 朝少しの鼻血がでました。ティッシュを突っ込んだら、鼻の中が埃で真っ黒。ああ、昨日は有害物質が飛んでいたのかもしれません。 なんとなく調子が悪いので、今日も自主安静。昨日まで作業でいっぱいにしていたホールを片付けて、なんだか腰が痛いなあと思いました。そこへ壊れたバッグを持って友人がやってきました。
「さあ、どうぞ、上がって。」と案内する私に、遠慮なく
「お腰が曲がってるよ。」
「ああ、そうなんよ。」さぞかし年寄りに見えたんだろうなあ。もともと脊柱管狭窄症があって、長時間農作業をしたり、座っていたりすると痛くなるのですが、最近は上手に付き合っていたつもり。腰が曲がるほど痛むのは久しぶりなのです。半年ぶりくらいにシップを貼りました。意識して腰を伸ばさなければね。
早速見せてもらいました。
その時のブログにこう書いています。 (全文はこちら)
『この子牛たちはどうして命を落とすことになったのでしょう。 せっかく生まれてきたのに母さん牛のミルクもろくに飲まないままに。
やわらかい子牛の肉を食べるためでしょうか。
まさかこの薄い革をとるために殺したのではありますまい。 貴重な革だったら、こんな所にまでは出回らないはず。大きくなれば広い革がとれるのに。 お値段は成牛よりうんと安いです。 こんなに小さなうちから殺すような効率の悪いことをするでしょうか。
わたしは、牛皮は、食用に殺された牛の皮で、皮をとるために殺されたのではないと思っているのですが、どうなんでしょう。 ミンクのように毛皮をとるためだけに殺してしまうのはいやなのです。
うう~ん、この子牛、革をとるために死んだのではないと、そう思いたいです。』
この思いは今も変わりません。が、
人間の世界にも、大人になるまでに命を奪われたこども、自ら命を絶った子ども、貧困に苦しむ子ども、大人に利用され心身ともに傷ついた子ども(オリンピックでさえも)・・・大人に虐げられる子どものニュースが多すぎます。わたしは菜食主義者でもなんでもない、肉も食べるし魚も食べる矛盾だらけの人間ですけど、もう子牛肉のステーキは食べないかも。そしてその時コメントをいただいた皆さんのご意見のように、せめて残された革だけでも長く愛されるような作品を作りたいな、と思いました。
こんなに痛むまで使ってくれてありがとう。 何とか工夫してまた使えるようにするね。
そう言って彼女を見送ったのですが、
これからスイミングに行くという彼女、真っ赤な素敵な車に乗り込む後ろ姿が・・・
「ねえねえ、歩くの遅くない?」と言いたくなりました。お互いに、若いつもりでもはた目にはおばあさんなのよねえ、と実感したのでした。
その夕方、腰が痛くてゆっくりしか歩けないので「ポチ、歩いて」と声をかけながら相変わらずショートカットで散歩を済ませました。夜、テレビを見ながらうとうとして気が付いたら、不思議なことに腰の痛みが消えていました。そしてやっとわかりました。
わたし少し熱があったのかもしれない。熱があるといつも腰が痛むので。やっぱり予防接種の副反応はあったかーと思いました。
気分を変えるために先週今治の直販所で買ったアネモネを生けなおしました。小さな花束だったのですが、花が開いて窮屈そうにみえたので。
今年3回目のウグイスの鳴き声を聞きました。2日前は
ホイショ ホイショ
と、鳴いていましたが、ホ~~~ホイショ と鳴けるようになっていましたよ。
淡路が峠の標高は275メートル。あべのハルカスより低い。山登りとは言えない高さでした。けれど、この展望テラスに立ってみると、ここに砦が作られたわけがよくわかりました。いい天気で遠くの海まで見渡せました。
以下、正確に写真を説明しているわけではありませんが、ざっくりとこんな感じということで・・・
瀬戸内海に浮かぶ中島や興居島。あの島々の中には、テレビに出てくるダッシュ島もあるはずです。永納山城址もそうでしたが、海を見渡せる場所って大切な要塞だったんですね。正面の勝山に松山城ができたのはもっと後の時代です。
左手奥、南に石鎚連峰と久万高原町を経由して高知へ通じる土佐街道(国道33号)があるはず。
北には高縄連山と続く山並み。山の向こうの海岸沿いには今治へ通じる国道96号線が走っています。
勝山の山頂に松山城。周囲にはオフィス街。高いビルが多いです。城下町の名残で、徒歩町 番町などの地名が付く地域です。
素晴らしい景色を堪能して山を下りることにしました。
次は別のルートから登ってみたいね、と言いながら。
8合目の道しるべまで下りたところで、来た道ではなく多分これが一般的な道であろうと思える道を下りることにしました。すると、すぐに7合目の道しるべ。
この道で間違いないようです。
やっぱりこちらのほうが歩きやすかったなあ、と快調に降りていくと、鉄塔につきました。
さらに6合目を過ぎてまた鉄塔、
5合目も過ぎて、地図のある場所へ
もうだいぶ下に降りているようですが、そこからの道というのが
これってねえ、この道は明るくて苔もないから違うように見えるけど、険しさは笹倉湿原へ行く道と変わらんのじゃない? 登ってきた階段の道のほうが歩きやすかったよねえ。
ただ、低い山だけに長くは続かなかったので助かりました。
普通のハイキングコースのような道になって、すぐに車の通れる道になりました。ここでまた分かれ道。
多分登るときに迷った分かれ道がここで合流する場所だったのでしょう。 ここで二手に分かれて、私とトラオは山道らしい細い道を、娘とウマオは車道を行くことにしました。
そこもほんの数分で通り抜け、登るときに迷った場所で合流しました。振り返ってみると
展望台が見えている! 登るときどうして気づかなかったのでしょう。あのゴールが見えていたらもっと楽しく登れたのに。いや、結構楽しかったですけど。
そして何本も立つ鉄塔のほとんどを回ってきたのだということに気づきました。どこからでも登れるといういくつかの道は、鉄塔を巡回するための道だったんですね。この山はルートを変えて何度でも歩いてみたい山でした。
そして再びお寺の池に帰ってきたら、カモたちに餌を撒いている人がいました。やっぱりー人懐っこい鳥だと思いました。
生きているのか死んでいるのかよくわからないのが冬の虫。
せっかく立春らしいお天気だったのに、翌日は小雪がちらつきました。
洗濯物を取り込んだら、
え?どうして汚れが取れてない?
何のことはない、ガの鱗粉がついているだけでした。
チャンスなので裏も見てみます。
足をピンとのばして硬直しているようにも見えますが・・・
洗濯物の中から虫が出てくるーうちではよくあることです。多分寒さを避けてやってくるのだろうけど、袖の中に潜り込んでいるとか。それもミツバチが多いのでちょっとだけ困る。というのも、寒さで仮死状態になっているだけで、温まると動き出します。刺されたことはないけれど、アブナイアブナイ~ ということはこのガも生きているのかな?
鱗粉をぱっぱっと払ってしまおうかと思ったけど、写真で拡大された鱗粉は結構汚れて見えたのでもう一度洗濯機へ。
神社の石段の真ん中でアオカメムシ
初詣頃ならとっくに踏まれてぺちゃんこだけど、お参りする人もいない今だから、完全な姿でいました。動かないけど、なんとなく生きているような・・・艶とか体つきとかね。
レモンを取りに行って
こんな虫や
こんな虫
アブラムシなのか
これは生きていないほうがうれしいのですが、多分生きているでしょうね。
それから、カマキリの卵なんですけど、なんだか異様な姿です。この羽は何だろう?
ややこしい姿ですが、多分生きているのでしょう。
そうだ、ハチの巣はどうなったかな?
もぬけの殻といえば
これも