あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

縮む野性動物との距離

2022-03-23 22:09:52 | 生き物
 いつものサイズで画像をアップロードしたら・・・・うわぁ
 さすがにトップ写真がこれではいかんだろう。ということでサイズを縮めてみましたが、
 



 やっぱり生々しいですね。ご覧の皆様、ごめんなさい。
 
 
 
 1枚目は、うちの前の畑、家から20メートルほどしか離れてない場所で、わざわざ捨てた葉っぱの上に置いてあったもの。
 2枚目は、運動公園の上のほうの階段にあったもの。
 いずれも土の上ではなく、平らな物の上にするという習性が、廃村で見たフンと似ています。それと、色や形も。ということは、うちのすぐそばにサルが来たということでしょうか。何年か前、迷い猿がこのあたりをうろうろしていたことはありましたが、あれ以来かな? 言っておきますが、うちは山からはかなり離れた場所にあります。
 
 この冬は野生動物のうわさをよく聞きました。
 そしてついにとあるおうちの裏の畑にこんなものが。
 
 
 イノシシが畑を荒らすんだそうです。イノシシは夏にも現れたようで、うちの畑にも。





  もうこのあたりに住み着いているのでしょうか。
  このあたりではほかにもシカやキツネの目撃情報もあります。
  そして、先日2日連続で見かけたこの動物は?
 


 猫にしては大きく、警戒心も強そうでした。野良犬? かもしれませんが、今までこのあたりで見かけたことはありません。キツネかも。
 この動物が消えた場所に行ってみました。ポチが興奮してぐいぐい引っ張りました。
 


 
 そのキツネは、道路を横切っているところを見たことがあります。それも2回も。そして消えていったのが住宅の立て込んだ方向だったのでびっくりしました。
 また、私の行きつけの美容院でも、前の田んぼを歩いているというのを聞きました。その美容院というのはうちよりずっと街中で、住んでいるらしい草むらも、とても身を隠すのに十分とは言えない小さなものでした。
 野生動物との距離はずいぶん近くなっているようです。本気で共存の在り方を考えなければならないのかもしれません。
 
 おまけです。
 動物ではないのですが、その辺の川にいたと聞けばとても珍しく思えましたので。
 
 弟が捕まえたスッポン。池に住んでいるイメージですが、子供のころから遊びなれた川にいたんですって。スッポンが生きていけるほど豊かな川だったとは。
 料理して食べないかと言われたのですがお断りしました。以前テレビでスッポンを捌いているところを見たことがあって、とても素人ができるような技ではないと感じていましたので。こんなに大きくなるまで川に住んでいたんだから逃がしてやったら?と言っておきました。
  
 


 
 で、結局逃がしたそうです。
 
 

 
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登山気分の山歩き5 消えていく痕跡   

2022-03-22 09:29:31 | 山登り・里山歩き
 杉の花粉をあびてアレルギーを引き起こしてしまったトラオ。
「もう、昭和人はぁー」ぷりぷり怒りながら山を下ります。
 おやおや、平成生まれにかかったら昭和以前は縄文人並みなんだねえ。
「こんなに木を植えるけん花粉が飛ぶんよ。」
 それはそうだけど・・・・終戦後、木材の需要を見込んでこぞって杉や檜を植えました。地域で部落山という山を共同所有していて、みんなの共有財産として木を植えたのです。自分たちのためではなく子供や孫の世代に収入を得られるようにと。木がある程度大きくなるまでは下草を刈って世話をしなければなりません。刈払い機などなかった時代、柄の長いエガマという鎌で急斜面のススキなどを刈っていくのです。弟が高校生のころ、アルバイトで下草刈に行ったりしていました。 相当な重労働だったと聞きました。 そんな話をトラオにしてやりました。トラオにとっては負の遺産としか思えないだろうけど、敗戦後、日本中が必死に平和で豊かな生活を築こうとしていた父母世代の苦労も願いも知っている私は、木を植えたことを全否定はできません。 
 
 そして、この道
 
 
 狭くて急な道だけど、なんと丁寧に造られていることか。
 山側に石を積み上げて土地を平らにし、そこに畑を作り家を建てていたらしいです。こ道は曽我部家からさらに上まで続いているそうです。
 ほどなく後から下りてきた者が追いつきました。。
 「トラオ、ばあちゃんを急かしたらいかんよ。」トラオパパはいつも気遣ってくれます。
 いやいや、あおり歩きなんかしてないよ。この道のおかげで楽々と歩けました。そしてトラオも下に降りたらかゆいのが楽になった、と機嫌がよくなりました。 
 
 みんなで厳しかったであろう山の暮らしをあれこれ想像しながら歩きました。
 学校へ通うのも、たまの買い物も、病気になったときも、この道を歩いていかなければならなかったのでしょう。 買い物に行ったら思い荷物を持って歩かなければなりません。
 郵便屋さんも運送屋さんもたいへんだねえ。歩いて家まで届けるんだろう? 今でも郵便配達員はいて、山の中に点在する民家などに歩いて届けています。
 最初にここに住み着いた人はなぜここを選んだんだろう? 解けない疑問です。
 
 下のほうに降りてくると、シキミやお茶を栽している畑がいくつもありました。この辺りでは、日本でここだけという独特の製法でお茶を作っていたそうです。それは石鎚黒茶と呼ばれ、今はふもとの地域の人々に受け継がれて産直市などでも売られています。大変体にいいお茶だそうです。

 
 そのお茶の木も放置されてつる植物に覆われているところが多くみられました。こうして徐々に徐々に人々の暮らしていた痕跡は自然の中に消えていくのでしょう。

 
 出発点まで降りてきました。そこで初めて気づいたのですが、すでに廃屋になっているこの建物は、

 
 山から下りてきた人をむかえるように立っていました。
 幅広い間口や大きな冷蔵庫から、おそらく村の暮らしを支えるお店だったのだろうと思われました。

 
 道の下を流れる川の水は透き通って



 大きな岩がごろごろ

 
 美しい渓谷の景色でした。
 
 
 記念碑が建っているのですが、字が読めません。



 
 渓谷の上に橋がかかっていて、向こうに神社が見えました。
 


 もしかして影が6つない?
 いえいえ、ちゃんと5人ですよ。
 
 
 参道に建てられた標柱。平成13年に改修工事か何かが行われたのでしょうか。
 
 すごい! ここで養蚕がされていたんだねえ。 

 
 組合があるほど養蚕が盛んだったなんて・・・・そんなに遠い昔ではないのに一度も聞いたことのない事実でした。
 
 その先にあるお宮までは行きませんでした。ただ、すがすがしく手入れされた参道に、人々が今も大切にしていることがうかがえました。途中にあった祠もそうですが、山を下りても、この村に心を残している人がいるのだろうなあと思いました。


 
 私の手元に一冊の本があります。西条市に住む写真館のご主人が、長年、消え去りつつある石鎚のふもとの集落を訪ね歩いて写真で記録した本です。
 
 


 
 
 その中に曽我部さんご夫婦のことも書かれています。ご夫婦で畑仕事をしていた時に写したというご夫婦は穏やかに笑っておられました。ブランド品だ、グルメだと次々と新しいものを追い求める現代人からすべての虚飾をはぎ取り、欲を削り取って、自然の一部として生きていたらこういういい笑顔になるのでしょうか。私はそんな生き方はとてもできないけれど、自然の中では、生きていくことそのことが尊い、こう思った日でした。
 ちなみに、その本によると、分散する集落にはモノレールが架設されていて重い荷物はそれを使って運んでいたようです。

 車に乗り込んで数分行くと石鎚小学校跡がありました。ちょっと寄ってみる?と車を止めて坂を降りようとしたら足元にまた例のものが。そして先に歩いていた娘が
 「あ! さる!」と叫びました。声に驚いたのか数匹の群れが茂みに逃げ込んでいきました。慌ててスマホを構えてようやく1匹の姿を捉えました。

 
 校舎はすでになく、運動場だったらしい広場があるだけでした。
 
 娘(今日の山歩きも)面白かったねえ。
 私 うん。だけど、あの道を登るのは、もういいかな。この辺に車で来るのはいいけど。
 娘 しんどかった?
 
   だって、サルのうんちだらけだろ?  
  そっちか~い
                                  登山気分の山歩きシリーズ 終わり
 
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登山気分の山歩き4 廃村へ

2022-03-20 01:21:23 | 山登り・里山歩き
   白猪の滝、唐岬の滝に行った2日後、娘たちがいきなり、今は住む人のいなくなった石鎚のふもとの村に行くので一緒に行くかと誘いに来ました。午前中は別の用事があったのだけど、このチャンス、逃してはもったいない。娘たちとは別々に石鎚ロープウエイへ続く道へ車を走らせました。
  高瀑の滝への分かれ道で合流、今は住む人のなくなった旧石鎚村へ。
  この村の最後の住人、曽我部さんの住んでいた家に行くそうです。トラオパパは以前トライして道を間違えたどり着けなかったのでリベンジというわけです。
 
 ここの広場に車を止め 
 
 
 おお~
 いきなりこの坂かい。



 
 山側にはきれいに石が積まれて

 
 細い道がジグザクに上に続いています。けっこう険しい・・・
 木々に包まれて壊れかけた家が。



 この石の上に落ちているのは?

 
 サルの落とし物ではないかと。キツネやタヌキはわざわざきれいな石の上にフンはしないだろうというのですが、どうなんでしょう。人間が通るための平らな石一つ一つにフンがおいてあったりするのでひたすら下を向いて歩かなければなりません。中にはトイレのようにたくさんのフンが集まったところもあって、なんとなく人間ぽいp習性がサルなのかなあ、と思ってしまいました。
 
 植林された木々ですが、間伐はあまりされてないようです。



 しばらく行くとまた壊れた家

 そこを過ぎるとまた細い道

 
 こうやって石を積んで平らにしたところには、昔はもっともっと家があったのでしょうが今は見当たりませんでした。
 
 小さな祠がありました。
 

 
 誰かがお正月を迎える準備をしたのでしょうか。しめ飾りにお餅が備えてありました。お茶の賞味期限を確かめたところ、今年の5月だったそうです。傍らに生けられたシキミもまだ青々としていました。
 村がなくなった今でも、ここまでわざわざお祀りしに来てるんだねえ。わたしは感動しました。
 
 道の傍らにそびえるのは石積みの常夜灯



 夜この道を歩く人もいたのだろうか、だれがこの常夜灯にろうそくをともしていたのだろう?この火がなければ真っ暗な山道だったことでしょう。目印もろくにない同じような道を歩いていたら、
 昔の人がよく、狐に騙されて同じところをぐるぐる回って家に帰れなかった、なんて話をしていたけど、さもありなん、と思ってしまいました。
 ここのおうちは生活用品もそのまま残っていました。
 


 
 娘が子供たちに言い聞かせていました。
 廃屋に来ても、壊さない、入らない、盗らない、つまり何もしてはいけないと。私たちはただ見せてもらうだけです。
 
 登山と違ってただ登るだけの道を1時間ほど歩いたころ、やっと目指す曽我部さんの家に着きました。
 きれいに手入れされたお庭もありました。

 
 長い縁側のある家。建てられたのは江戸時代だとか。

 
  わらぶきの屋根を手入れしながら住んでおられたのだとか。

 
 かなり大きな家でした。

 
 縁側に座ると美しい山々が見えたそうですが、曽我部さんが山を下りるとき畑に植えた杉の木が大きくなって、視界は遮られていました。

 
 でも少し畑のほうへ移動すると

 
 左後ろにちょこっと見えているのが石鎚だそうです。
 ここでちょっとした事件が。
 ちょうど目の高さのところで杉の花が開いていたのです。
 ああ~、花粉が見える! 向こうでみんなが叫んでいました。そして間もなくトラオが目がかゆいと騒ぎだしました。
 


 ここまででも相当高く登ってきたと思うにに、さらに上に集落があったそうです。親たちはこのあたりを探検するのに夢中でしたが、トラオは目のかゆさからイライラと怒り出し、花粉から逃げたいがために早く山を下りようとせかします。結局ここでばあちゃんの出番。一足先にトラオと降り始めました。
 
  主のいない家の庭にはボタンの芽が
 
 
 あまり荒れ果てた感じじゃないなあ、と思いながら登りと同じようにいやなものをふんづけないように、下ばかり見て歩きました。  ーつづくー
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桜も一気に

2022-03-17 23:49:17 | 植物
 さて、ここ数日の汗ばむ陽気で早咲きの桜が一気に開きました。
 
 いつも、「この看板をもう少し端っこに立ててくれていたらー」と思うんです。3月は県展出品作品を染めるため週に2回はここを通ります。桜三里の西条市側入り口に1本の早咲きの桜が生えています。
 
 3月4日
 
 まだつぼみのもありました。
 





 3月9日

 
 
 ほぼ満開かな。
 これがなんという桜なのか、いまだにわかりません。 ツバキカンザクラとはちょっと印象が違うような気がします。



 
 そして3月16日にはすでに葉桜になりかけていました。 この桜は、ツバキカンザクラより少し早く咲くのです。



 ということは、そろそろツバキカンザクラが咲くころかな? この時期工場内を解放してくれる鉄工所のツバキカンザクラを見に行きました。
 
 
 あらあ~ はやピンクのじゅうたんが。
 
 この桜は花がてまりのように丸く固まって咲くようだと思います。

 
 花びらもちょっと内向きに、ぼってりした感じです。

 
 同じ工場内にあったサクランボ

 
 新しく河津桜を植えている一角があるのですが、そこはほぼ終わっていました。
 
 ツバキカンザクラも老木が多く、以前ほど花つきが賑やかではなくて心配です。



 けれど新しく伸びかけている枝もあって、まだまだがんばってほしいところ。
 
 3月16日、重信川の橋のたもとで満開になっているのを発見
 
 
 ヒヨドリがにぎやかにさえずっていました。

 
 花のつき方が、てまりのよう。これもツバキカンザクラなのかな? 

 花の感じもよく似ています。

 
 わたし、早咲きの桜は河津桜とツバキカンザクラと大島桜しか知りません。
 大島桜はまだまだといった感じ。だけどソメイヨシノよりはつぼみが大きかったです。
 
 
  同じ日、高岡紅葉園に1本だけ咲いていた桜。


 
 わたしはてっきり陽光桜が咲いているのだと思っていたのです。というのはここは、陽光桜を世界中に贈り続けた、故高岡正明さんの会社?なので。
 だけど、近くで見てみたら陽光桜ではなさそうでした。

 
 桜三里の東温市側からの登り口に陽光桜がたくさん植えられていますが、まだ色がついていませんでした。やっぱりこれは別の桜のようです。
 
 そして信号待ちの時真正面に見えるこの桜が、一気に花開きました。



 
 よそのおうちなので近くで見ることができませんが、これは何の桜なんでしょう。
 
 ソーラーパネルの下に植えられている桜に花が。 もしかしたらこれは陽光桜かもしれません。というのはこの陽光桜の葉を使ってお茶やお菓子が作られているのです。



 その桜を使ったスイーツは、東温市にある「さくらの湯」に売っています。回り道して買ってきました。3月16日はめちゃくちゃ寄り道やら回り道やらをしたのですよ。
 
 桜の葉をあんにまぜこんだとら巻き。 
 
 




 
 ほおばるとふわっと桜の香りがしました。 
 
 陽光桜について
 


 
 高岡正明さんは、教え子を戦場に送り出したという悔恨と贖罪の思いから、世界平和の願いを込めて陽光桜を世界各国に贈り続けたそうです。シベリアの寒さにも耐えられる丈夫な花ということですから、ロシアにも贈られているのではないでしょうか。
 
 平和を願わない人などいないと思うのに・・・高岡さんが生きていて今の情勢を見たらどう思ったか。戦時中に子供時代を過ごした母と、少年兵として出兵し飢餓の中を生き抜いて帰ってきた父と、そんな父母の話を聞いて育った私は、ネットの片隅ででも、戦争反対を言わずにはおれません。
 
 
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一気に春が

2022-03-15 00:56:27 | 植物
  山歩きのネタはもっとあるのですが、いったんお休みして、リアルタイムの話題を。うかうかしていたら季節に取り残されそうです。
 
 山の遅い春を楽しんでいたころは
 
 フキノトウも顔を出したばかり
 
 


 
 たった一つ開きかけた花がとてもかわいかったです。
 ユキワリイチゲもまだつぼみ。
 本物を見たことがなかったのでとてもうれしかったです。

 
 何の花かわからないけど、まだまだ固いつぼみでした。


 しかし、
 
 お蕎麦屋さんに入ったら「ふきのとうの天ぷら 三百円」と張り紙があって、
 
 


  一口かじると、独特の香りとほろ苦い味。
 
 里では一気に春が来ていました。
 
 別の日、山を下りて弟宅に寄ったら、早、つくしがいっぱい生えているとか。
「ばあちゃんがいっぱいとってきて、じいちゃんが袴をとってねえ・・・」思い出話に花が咲きました。
 実家の畑の端っこにはそれこそうじゃうじゃとつくしが生えるので、それを採っては茹でて冷凍し、私もよくもらいました。なかなか重宝していたのです。
 畑に行ってみれば、あるある・・・
 けれど、すでに頭が開いているのが多かったです。
 
 
 
 なるべく頭が開いてないのを選んで、自分で処理できるだけの量を採りました。もうだれも袴を取ってくれる人はいませんから。 
 
 家に帰ってすぐにハウスの建っている畑に行ってみました。わたし、毎日のようにつくしがないか見ていたのに・・・
 そこはホトケノザがいっぱい生えている場所で、2,3日前まで青々としていたのに一面が紫のじゅうたんのようになっていました。
 
 
 
 
 
 アップで見るととても面白い。庭に植えても十分かわいいと思うのですが、花と雑草の違いって何なのでしょうね。
 
 そしてつくしはというと?
 


 完全に開ききったのがぽつりぽつりと。かなり前に生えていたのにわたしが気づかなかっただけのようでした。
 
 
 ハウスの反対側に回ってびっくり
 
 
 サクランボの花が満開! 
 
 
 足元にはムスカリ

 
 ウマオはもう半袖で走り回っています。
 考えてみればお彼岸が近いので、春らしくなるのは当然なのですが、それでも昔に比べて春が来るのが早いような気がします。
 
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登山気分の山歩き 3 唐岬の滝

2022-03-13 09:20:00 | 山登り・里山歩き
 さあ、唐岬の滝に向かって下っていきます。
 これは道ではなく、水のない沢
 
 
 道は緩やかでした。 「白猪峠」への道しるべがありました。 白猪の滝の道にも「白猪峠」への道しるべがありました。白猪峠ってどんなところなんだろう。 この道をいけば白猪峠経由白猪の滝へいけるのかもしれません。

 
 私たちが行くのはこっちの道。あと500メートル。

 
 舗装はされていませんが車の通った後がありました。 歩きやすい道でした。

 
 後で考えれば、地図に「ひろば」とあったところがここだったんだなあと思いますが、その時は何も思わず。
 初めて見る看板をしみじみと眺めました。






 水源林造成って? 広葉樹の森にするって言うこと? 山の持ち主がそれをしているのではなく? 謎の多い看板でした。 後日、タイミングよく新聞に関係する記事がでて、謎が解けました。が、それについては最後に描きます。
 
 歩きやすかったのはここまで、
 道しるべにはあと250メートルとありましたが・・・


 
 今考えると、たった250メートルだったんだ。
 あたりは雑木だらけ、放置されたらしい車まであって

 
 苔むした切り株だけの森

 
 天に向かって立つ巨木。雷に打たれたのでしょうか、ぼろぼろの姿になってそそり立っていましたが、それでも枝には葉が茂っていました。あたりにこれほどの大きな木はなく、孤高の風格がありました。

 
 幹の中心部は空洞になっており、外皮だけで生きているらしいです。 穴から遠くの景色が見えました。
 


 素晴らしい生命力だと思いました。
 
 そして、このあたりからとてつもなく険しい道になったのです。
 けもの道のような道を登り
 
 ただ、木々の間から滝が見え始めたので、私たちは勇気百倍、元気をもらいました。
 
 
 
 やがて下り。
 手すりがあるのはありがたいです。が高低差はすごい。一気に下へと降りていきました。

 
 手すりがあっても足元はこんなの。

 
 傾斜はこんなの

 
 帰りにはここを登らなけらばならないのです。 友人のBさん
 「短い脚をどこに置くか考えんといかん。」
 そのくらい段差の大きいところもあって
 
 むき出しの根っこが足を引っかける罠のように交錯しているところも
 
 
 何十メートルもあろうかと思われる木が倒れているところを過ぎると

 ついに目の前に滝が現れました。


 
 まだつららが残っているところもありました。
 

 
 若者は下まで降りて滝近くで遊んでいましたが、私たちは上のほうでたっぷりと滝を眺めてから一足早く帰路につきました。険しいと言ってもわずか200メートルほどの距離ですから、さほどつらい山歩きではなかったのです。たまたまとはいえ、思い切って来てよかった。もしかしたら一生見ることもなかったかもしれない唐岬の滝を見ることができて、疲れよりも充実感でいっぱいでした。
 ここからは私達だけで、カフェ クロモリで濃厚なゴルゴンゾーラチーズケーキを食べ、2時間近くもおしゃべりして帰りました。
 
 さて、水造りの森のことですが、
 
 広場の謎が多い看板のところまで帰ってくると、
 下にこんなものが立っていました。



 広葉樹の森にすることは想像がつきました。しかし植樹をした形跡はなく、低い雑木や草が茂っているだけ。Kちゃんが自然に還しているんだと言っていましたが、自然に還せばもう、山林としての収入はなくなります。山の持ち主さんはそれを承知しているんだろうか。

 その答えは数日後の新聞記事にありました。
 戦後植樹された桧や杉は、安い外材に押されて儲けにならず、間伐もされず放置された森がたくさんあります。密に木の茂った常緑の森は日が差さず、下草も生えず、落ち葉が少ないので土に水を湛えることもせず、災害を引き起こすおそれもあります。そこへ行政が税金を投入して間伐などを行う「森林経営管理制度」が県内で進んでいるのだとか。
  
 そういえば、黒森峠を走っていて小さな違和感を抱いた景色がありました。
 


 木を伐採された後がススキの原になっているのです。ということは、伐採されてから何年か経っているということ、すぐに新しい木を植えるつもりはないということです。こんな場所が何か所もあって、なんだか変な景色だなあと思いながら山道を走りました。水源林造成事業によって、やがてここにパイオニアプランツと呼ばれる低木が生え、長い年月を経て広葉樹の森を作るー長い長い取り組みだったようです。
 一方西条市の西条自然学校の理事長、山本さんを中心とするボランティア団体「西条伐倒団」は、手入れのできなくなった山林の持ち主の依頼を受けて木を伐採し、自然に還す試みがされているんだとか。けれど、急峻な山に作られた人工林を自然に還すのは容易ではないそうです。
 私たちが見た森も、十年以上たってやっと雑木が茂りだしたところでした。
 山歩きをしながら大きな勉強をさせてもらいました。
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登山気分の山歩き 2 白猪の滝

2022-03-08 22:19:03 | 山登り・里山歩き
 
 滝道を登り切り、そこからはいつもの遊歩道を歩いて滝を目指しました。
 氷瀑を見に来た時にもあったミツマタのつぼみは、前に見た時と同じ状態。寒波の到来で花を開くのが遅れているようでした。
 
 
 
 
 前にこんな看板あったかなあ? よく読むと面白いエピソードです。



 その小滝というのはこれのことでしょう。

 
 段差は小さいけれど写真で見たら確かに滝に見えます。
 先日の雨のせいか、それとも雪解け水なのか、水量が多いと思いました。

 
 道に大きな石がごろごろ。 こわっ! 前にはなかったのに。しかし、これは雨のせいで落ちたのではなく、岩が氷の力で割れたのだとか。春先によくある現象だそうです。

 
 漱石、子規が白猪の滝を読んだ句。 二人は友人でしたが一緒に来たわけではなさそうです。



 まもなく大滝が見えてきました。
  二月半ほど前にはすべて凍っていた滝はすっかり融けて、今までにないくらいたくさんの水が流れ落ちていました。

 
 滝つぼにはまだ雪が残っています。



 ここまで登ると滝の全容が見えます。


 
 けど、結構な傾斜なんです。道はがれきの道。滝に気を取られていると石につまづくし、下ばかり見ているとせっかくの滝がみえない・・・そう、以前わたしが、滝を見ながら歩いていて転んだところです。
 一番高いところから下を見ると、道がよく見えました。
 ほんのちょっとの距離ですが、なんだか本格的に登山をしたような気分。 
 
 

 道をぐるっと回ったところで駐車場に帰ります。帰りは歩きやすい遊歩道から帰りました。
 山藤のさやが散らばっていました。
 
 途中に、唐岬(からかい)の滝への林道へと分かれるところがあります。

 
 聞いていた計画では、若者たちは唐岬の滝に行くというので、てっきりこの林道を歩いていくのだと思っていました。さすがに体力的についていけないので、私たちは白猪の滝だけ見たら帰ろうと言っていました。ところが、車で滝近くの駐車場まで行ってそこから歩くのだとか。それならば私たちも行けるんじゃないかということで、3人は私の車で行くことにしました。
 
 実は・・・・わたしは、車で唐岬の滝に行くことはできないかと考えまして、ひそかに偵察していたのです。
 唐岬の滝は、白猪の滝と同じ道をさらに10キロほど行きます。久万高原町の面河に通じる道で、黒森峠と呼ばれています。昨年の春、トラオパパの運転で面河ダムへ行ったし、私が運転して母と紅葉見物にも行ったことがあるし、全く知らない道ではありません。ただ、細い曲がりくねった道で離合の難しい場所もたくさんあるし、難所ではあります。
 
 松山市からの帰り道、3時頃に走ったのですが、たった一人で走ってみると、植林された針葉樹の森は暗いというよりも陰気臭く、さすが「黒森」というだけあるわ、と妙に納得しながら不安が募ってきました。唐岬の滝ってこんなに暗い道にあったっけ? 私の記憶では、開けた道に大きな目立つ看板があったと思います。けど、行けども行けども暗い森。
 ふいに山頭火の「分け入っても 分け入っても 青い山」という句を思い出しました。山道を、答えのない問いを背負って歩く乞食僧姿の山頭火。彼の深い深い孤独が今になって分かるような気がしました。半世紀もたってからね。
 「走っても 走っても 暗い山」 ついに私は孤独に負けて引き返しました。だって、スマホの電波は届かず、自分の位置さえわからなかったのです。やっと電波の通るところまで来て確認したらあと12分くらいのところまで来てはいました。
 
 けど、3人がひたすらしゃべり続けた今日のドライブは・・・・ 暗い森も陰気ではなく、長かった道のりも案外短く、思っていたよりもずいぶん早く目的地までつきました。

 
 そうそう、ここよ。立派な看板があるので、わりと誰でも行ける場所なんじゃないかなあ。いつも通るたびに思っていましたが、トラオパパはなんとなく簡単ではなさそうな口ぶりでしたっけ。



 事前に調べたところでは、駐車場から滝までは徒歩で15分ほど。地図で見てもわりと大きな道のように見えました。
 
  ーつづくー
 

 






 
 
 
 
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登山気分の山歩き 1 漱石と子規の歩いた道

2022-03-06 22:34:49 | 山登り・里山歩き

 7か月振りに山ばーば3人集結しました。ひざを痛めて半年ばかり病院に通っていたAさん、ひどく痛まなければそれでよし、もう付き合っていくしかないと決めたそうです。

 今年最初の3人山歩きは、明治時代夏目漱石や正岡子規も歩いたという、白猪の滝までの「滝道」。今は駐車場から滝まで遊歩道が整備され、それこそビーチサンダルやパンプスで行く人もいるくらいですが、昔は棚田の中を通る細い道が滝への道だったそうです。

 白猪の滝駐車場近くにある「白猪や」さんというお店。土日にはおでんが売られていて大人気なのですが、夏にお店の横に看板を見つけて尋ねたことがあります。山道だけど草は刈ってあるということでした。「行ってみます?」と聞かれて、「いえいえ、一人では行きません。」と答えたのを覚えています。私、ふらっと一人で滝へ来たりしますが、それは公園として整備されて、だれかかれか歩いている人がいるから。いつかは歩きたいと思っていたのです。

 


 最近この滝道が人気があるとかで、娘とお友達が行ってみるといいます。わたしは迷わず便乗しました。

 遊歩道だと30分ほどで着く距離です。久しぶりの膝慣らしにもいいのではなかろうかと誘ったわけです。



 さあ、出発。民家を抜け、棚田の間の細い道を行くと広い道に出ました。

 どっちの道かしら、先に行く若者たち(とはいうもののおばさん)が考えています。あれ?誰も道を知らないの?でも山を歩きなれているKちゃんがリーダーだから心配はないよね。

 ああ、この道だ。 やっと見つけたのはおおきな道から垂直に山に向かう細い細い道。 看板ちっちゃ。見落とすところでした。 さあ、ここからちょっとした冒険気分になってわくわく。

 道端に竜のひげが群生していて、ばーばたちはひとしきり思い出話を。

 これをいっぱい集めて竹の筒に詰め込んだっけ。子供のころはどこにでもあったのに、近頃道端で見ることないよね。そうよねえ。

 里では消えてしまった風景がここではまだ残っていたのです。



 細い道はまた大きな道と合流しました。そこにあったもの。

 鳥か獣を追い払うのでしょうか。ちょっと写真を撮るのを失敗して、映ってないのですが、ガードレールの端っこにフライパンがぶら下げてあって、どうもそれでドラム缶をたたくらしいです。のどかだけではない山里のくらし。



 
 けれどこの辺りはまだまだ住む人の努力のおかげか、美しい棚田が保たれています。


 大きい道を行かず細い道の続きを歩いていくと、植林された山に入りました。

 

 

 まるで檻みたい。等間隔に木が生えていて、横を通っているのはパイプのようです。下に水が見えました。



 それからがこんな道でー

 一番細いところは肩幅もないくらいでした。慎重に、慎重に

 

 

 堤防が見えました。滝は多分向こう側にあるのですが、どこから渡るのかな?

 





 

 橋がありました。「人道橋」1996の数字が読めました。今のご時世、「人道」という言葉は、胸に刺さりますね。

 こうなると道なき道、と言ってもいいくらい。

 



 消えかけた文字で「クロタキ」と看板が立っていたところでちょっと道をそれ、岩を伝って行ってみると

 



 たしかにここだけ黒い。岩石も変わった形をしていました。 残念ながら説明の文字が消えかかっていてよくわからなかったのです。

 このあたりで見つけたケンポナシの実。秋には食べられたんだそうですが、さすがにくさりかけていました。

 ここが最大の難所なのかな?

 
 こんな手書きの素朴な看板はあちこちにあって、「この、一言添えられた言葉に励まされれるよねえ」、と言いながら鎖にすがってみました。ちょっと石鎚山の鎖場の気分で。
 鎖とともにロープもありました。難所はほんの数分、というか数歩で終わりー


 その続きの階段を登りきると、いつもの遊歩道にでました。下に見えているのはトイレです。ここからは行きなれた道を行きます。30分ほどの小さな冒険でした。

 ー続くー

 

 

 

 

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春霞?

2022-03-03 23:02:38 | 植物
先週火曜日、
 
 寒さで石鎚連山が雪に包まれていたころ
 
 
 
 
 夕方淡いピンクに染まった山々がとてもきれいだったんです。みんなで滑川に行った次の日にはぽかぽか陽気で、私たちが行った日が見事なつららがみられた最後の日ではなかったのでしょうか。
 3月1日は一日中雨、つららも融けてしまったことでしょう。
 早3月なんですねえ。
 太極拳、1か月振りに再開しました。松山へ行く途中、いつになく景色がかすんで春霞かな? 不思議なことに、窓を閉め切った車の中で涙か出てきました。もしかしてこれは・・・ ふと昨日の天気予報を思い出して、外から空気を取り込んでいたのを、車内循環に変えてみました。そしたら・・・止まった。
天気予報では、pm2.5が大変多く飛来すると言っていました。おまけに雨の翌日で、花粉も爆発するんですって。市内に入ると正面に見える松山城が濁った空気にかすんでいました。
 ありがたくない春の到来でしたが、そろそろ私も冬眠から覚めなければ。冬の間見て見ぬふりだった庭や畑をなんとかしようという気持ちになってきました。
 
 改めて見れば、ピンクの椿がいっぱい咲いています。
 
 
 
 
 
 庭にも春の気配ですね。
 
 ここへ移植してから一向に大きくならなかったクリスマスローズにようやく花が付きました。
 


 そして

 
 開きました。
 クリスマスローズが自撮りー なわけないけど、便利になりましたね。真下から撮ってみました。
 
 
 カメラが優秀で、なんとか私を入れようとするので、自分が映らないように苦労したんですよ。
 
 赤い花も
 
 もうすぐ開きます。
 
 
 ガーデンシクラメンんは寒さには強いはずですが、だいぶダメージを受けました。 鉢植えにして軒下においておけば多分大丈夫だったのでしょうが、極力鉢植えはしないと決めています。 
 
 
 黄色い花、発見。

 
 もう少し見えるようにしようと枯葉をのぞいてみたら
 


 もう一輪ありました。そして次に咲こうとしている花芽が寒そうに見えました。なので、また葉っぱをかぶせておきました。 クロッカスは毎年ここで咲いてくれます。これが我が家のスプリングエフェメラル。春を告げる花です。

 こちらは散歩の途中で見つけたのですが

 

 寒あやめでしょう。このあたりのおうちで寒あやめを植えているの、初めて見ました。去年はどうして花に気が付かなかったんでしょうね。 まだまだ花が少ない時期ですから、元気よく咲いているのを見ると嬉しくなりました。

 
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