マイントピア別子端出場ゾーンにある第4通洞跡。 例の冷気と臭気とがただよってきた所です。 多分奥深く掘られたトンネルのせいですね。 銅山の大動脈とも言える重要な坑道だそうです。
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端出場というところは、昭和になってから採掘本部が置かれた場所で、大正時代から昭和の初めにかけてはここから車で20分ほど行った東平地区に本部が置かれていたそうです。 その東平地区とこの端出場地区とが鉱山鉄道でつながっていたらしいのです。
東平地区には資料館などもあって、より古い銅山の歴史が見られるかもしれません。 時刻は4時をまわっていましたが、そちらへも行ってみることにしました。
東平へ行くのは、これも15年ぶりくらいでしょうか。 子どもたちを引率して自然の家に行って以来です。 道はとても狭く、うねうねと曲がりくねって、カーブを曲がったと思ったらまたすぐカーブ、運転していても目が回りそうです。対向車が来れば離合はできません。 どちらかが待避所までバックするのみ。 どうか車に会いませんように。
急な上りで車が苦しそうなのでクーラーも切ってしまいました。 たった3キロほどの道のりなのになかなか着かない、 こんな所に人がいるとは思えない、とぶじこたちは大騒ぎ。 いえ、立派な施設があるんです。
やっと着いて駐車場から見た景色。 遠くに見えるのは新居浜市か、四国中央市か。
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駐車場から見下ろすと、貯鉱庫跡や索道停車場跡が見えました。 ここへはインクラインと呼ばれる斜面に作られた軌道跡(今は階段)を通って下りることができます。
が、
なにしろものすごい風。
風に背を向けると押されて独りでに歩き出すほどの強さなのです。 夕方近くでもあるし、上から眺めるだけにしました。 なんだか風に吹き飛ばされそう。
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小マンブと呼ばれるトンネルの中には、銅山で使われた機械が保存されていました。
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これは? 地図を見てもよくわかりません。
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半ば野生化したデージーの花が、風に激しく揺らいでいました。
資料館は閉館時刻でした。
駐車場の昔の東平地区の地図を見て帰ることにしました。
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駐車場あたりが地区の中心部だと思われます。 そこだけを拡大してみましたが、わかるでしょうか。
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これを見ますと、現在自然の家になっているところが小中学校跡、右端写真からはみ出たところには運動場があり、左下にはプールがあります。 病院はもちろんのこと、娯楽場や接待館、保育園、気象観測所まで備えられた町がつくられていたようなのです。 社宅は何軒もの家がまとまって、何カ所かに点在していました。
これらの貴重な産業遺跡も今では緑に飲み込まれようとしています。
再びくねくねと曲がった道を引き返して、端出場ゾーンに帰ってくると、木々に埋もれた民家を見つけました。 わざわざ車を停めて二人が斜面に残された階段を上っていきました。 やれやれ。 わたしはもう、写真を撮る気にもなりません。 車の中で待っていました。 あまりにもカーブを走ったので、まだ頭がぐるぐるしてるみたいだしー。
ぶじこは、「お風呂が別にあった~」などと、大興奮して帰ってきました。 これは別の場所(マイントピア別子の端出場ゾーン敷地内) で撮った写真ですが、 二人が見てきたのもきっとこんなふうだったのだと思います。
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おそらく社員住宅の跡。 これもまた大切に保存すれば資料的価値があると思うのですが、荒れるにまかせています。
「別子銅山を世界遺産に」との運動も行われているようですが、点在する遺跡に手を加えすぎず、かつ誰もが気軽に見て回れるように整備できたら、本当に世界遺産的価値があるのではないかと思いました。 残念ながらすでに整備しすぎて公園化していたり、ある部分は破壊しすぎたりしているのではないかとも思いました。
子どもたちと見学してまわったときは、子どもの安全だの規律だのに気を取られて深く考えてもみなかった別子銅山の価値に、改めて気づかされました。
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