あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

雪の降らないうちに

2025-02-24 10:19:39 | お出かけ
 最強寒波が居座っているという三連休の中日。天気予報では夜から雪になるということでした。では、桜三里を超えるのは今日しかないな。ということで、同じ革のろうけつ染めをしている友人の作品展に行ってきました。
 
 おでかけブログなんですけど、なんだか宣伝ブログみたいになつてしまいました。誰からも宣伝料いただいていませんけどね。
 


 手土産に最近売り出されたドーナッツを買っていくことにしました。秋にイベントが行われたペンタファームにいつの間にかかわいいキッチンカーが置かれていて、土、日、祝日限定でドーナツが売られているのです。自動車ではなく牽引されていく仕組み。
 
 
 このドーナッツ、揚げるのでも焼くのでもなくなんと蒸しているのです。注文を受けてから蒸してくれます。ほわほわとあったかくて柔らかいのにもっちりしていて、砂糖はかなり控えめ。その甘さがこの食感とぴったり。おいしかったです。2,3個パクパクと行けそうだけど一個で我慢。あとは持って行かなくちゃ。

 
 このギャラリー、入り口に長方形の部屋、奥に6角形の広い空間があって前方後円墳みたいな変則的な形をしています。どこから見ても作品が正面に見える素敵な部屋でした。壁は全面板張りです。
 
 
 
 スリッパも草履もクッションも全部ろうけつ染め。

 
 なんだか平面的に写してしまいましたが、ミニチェストに皮を張っています。

 
 
 過去の県展出品作品多数。
 この藤、苦労してたよねえ。思い出がよみがえります。でも苦労した分目を引きますね。

 
 衝立とか

 
 屏風とか、インテリアも多数。革の可能性を感じさせられます。普段家に飾っているの?と聞いたら、しまい込んでるそうです。私のうちの衝立は玄関に置いてあるのですが太陽が差し込んですっかり色あせてしまいました。もし作品展するとしたら大幅な修正が必要です。ああ、もう一度こんな作品展する元気はないかも。

 
 同じ時間に来ていた人が、こうした革の作品は初めてだと驚いていました。たしかにレザークラフトのイメージを覆す作品の数々です。そして革の可能性は大きい。
 
 久々に友人とお喋りして楽しい時間を過ごせました。
 まだ会期は残っていますので興味のある方は覗いてみてくださいね。 伊予郡砥部町宮内980 ミュゼ里山工房
 
 ところでここまで来てもう一か所寄るところができました。
 
 実は、6年ぶりに訪れたギャラリーで、入り口を少し通り過ぎてしまったのです。あ、と気が付いて近くのホームセンターの駐車場に入って方向を変えようとしたら駐車場が大混雑。慌てました。こんなに狭いところでどう動けばいいの? 仕方なく隙間を縫うようにして進んでいったら隣がスーパーらしくてそこに人が押し寄せていたのです。
 ちらっと看板が見えました。エキサイティングなんとか。
 あ! ここテレビで見たことがある。激安のお店だ! これはもう帰りに買い物するしかないでしょ。
 
 午後3時前、もう昼過ぎのような混雑はなかったのでゆっくり店内を見て回りました。 確かに、全体的に安いです。そして、飛びぬけて安いのもありました。
 
 一個68円
 
 
 1個で100円のキョロちゃんチョコボール シメジとえのきだけセットで100円
 
 
 そして3個0円。 ハンドジェル。大きさ比較のためにキョロちゃんも写しています。
 


 レジで「差し上げます」ってさらっとかごに入れてくれました。サプライズの嬉しさ。これ、車に積んでおこう。

 
 いちご398円、この間買ったのより100円も安い。しかも大粒だし甘い。(前のも甘かったけど)

 
 なんだか得した気分。今日は一日寒いけど良い日だったなあ、と気持ちよく帰っていたら桜三里に入ったころから予報通り雪になりました。
 
 そして今朝は雪が降っています。 昨日行ってよかったあ。
 
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ギャラリーのミニコンサート

2025-02-13 23:46:46 | お出かけ

 坂山憲史先生の版画展に行ってきました。

 坂山先生は版画家の肩書も持つ整形外科医。娘の主治医でもあります。今まで何回か個展にお邪魔しましたが今回は特別。というのも坂山先生のご縁でピアノと声楽のコンサートが開かれるのです。
 
 こちらは以前お二人がされたコンサートのチラシを写させていただきました。今回の曲とは関係ありません。 別姓ですがご夫妻です。ドイツでオペラ歌手として活躍されている斎藤さん。ピアニストの奥様。
 
 
 初めて知ったことですが、20年ほど前、斎藤さんご夫妻の息子さんが両足切断という大けがをしたとき手術で足をくっつけたという・・・このエピソードは、テレビの「世界仰天ニュース」でも取り上げられたんだとか。そんなにすごい人だったのかー

 
  住宅街の一角にあるギャラリー・アンフィール
 たどり着くまでに苦労しました。
 
 
 だって、ナビは次左折、次左折って言うだけなので。 左折しかしなかったら元に戻っちゃう。案の定さっき通った道に出てしまいましたが、そこから一筋違う道を左折、左折、左折したら、カタツムリの殻のように行き詰まるところまで行ってやっと着きました。看板に進出しているワイヤープランツがすごかった。
 これ、全部ワイヤープランツですよ。
 
 
 着いたら臨時駐車場までいっぱいで、かろうじて自分の車だけ停めることができました。後からくる娘はどこへ停めたらいいかしら。車の誘導をしていたおじいさん?(私くらいかな)に聞いたらもう一か所あるということなので安心して中に入りました。上り口で先生がお迎えしてくださいました。
 

 こぢんまりとしたアットホームな雰囲気のギャラリーでした。向こうの机には坂山先生の功績を記した読み物類。もちろん医学雑誌に載った立派な論論文もありました。
 こんなに忙しいのに患者さんとの交流も大切にしてらっしゃいます。だからこの日も予想を上回る来場者で、用意した椅子もスリッパも足りない状態でした。日々どんな時間の使い方をしてるんでしょうねえ。

 先生の作風は年々違っています。 2年前に三浦美術館で拝見したのは人物ばかりでした。それも何かに打ち込む人の心を写し取りたいと言わんばかりの激しい作品が多かったのです。

 
 色は赤か紺の一色刷り。ずっと前は鮮やかな色合いの多色刷りでしたね。
 
 正面に飾られていたのはち密な彫の松山城です。これは人物よりもう少し前の作品。
 レプリカを買ってきました。
 


 隣のスペースにはピアノがありました。ここがステージなのね。
 ピアノの上にかかっている版画が今年の作品らしいです。だいぶシンプルな作品でした。
 
 
 わたしは前から2番目に座っていたのですが、斎藤さんとの距離は2mほど。ちかい!
 
 歌われたのはクラシックではなくて

1 ムーンリバー 映画「ティファニーで朝食を」のなかでオードリーヘップバーンが歌っていましたね。日本語訳の朗読とともにスタート。夢を追い続けるという意味かなあ。  
2 イエスタデイ ビートルズのポールマッカートニーの作った有名な曲。彼が14歳の時にお母さんと死別した体験が下敷きになっているそうです。
3 マイウエイ 誰もが歌っている有名な曲ですが、斎藤さんによると若いときと歳をとってからとでは受け止める意味が違うと言っていました。
 
 間近で聞く情感たっぷりの歌声と、間奏のピアノソロ、娘が言うには涙を流している人もいたとか。
 しかし、オペラ歌手としての本領発揮はアンコールにありました。クラシックを歌ってほしいという聴衆のリクエストに応えて「魔王を」お!シューベルトか? ちょっと期待したけど、でもそれは伴奏が縦型ピアノでは難しいということでカンツォーネに落ち着きました。それも2曲も。何とか(曲名わからず)と「オーソレミオ」 朗々とバリトンで歌い上げるカンツオーネは迫力満点。圧巻の歌声でした。
 
 演奏が終わるとなんだか知らない人の間に一体感が生まれてきたような気がしました。見ず知らずの人に写真を撮ってもらったり、感想を述べあったり。私も二人のご高齢の女性に話しかけられました。(わたしよりもずっと年配のようでしたけど)電車に乗って、駅から歩いてきたんですって。病院ではがきを見てなんだかわからないままに来たんだとか。相変わらず患者さんに慕われているのだなあと思いました。
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椿さん

2025-02-10 01:11:09 | お出かけ
 松山市にある椿神社  
 正式には伊予豆比古命神社と言いますがその神社の祭典を、伊予人は親しみを込めて椿さんあるいはお椿さんと言っています。この祭りは毎年旧暦の1月7,8,9日に行われますが、今年は2月3日の立春に近く3日間とも平日という年回り。
 大変な混雑なので今までわざわざ行くことはありませんでしたが、ちょうど松山市に出かける日だったので帰りに寄ってみることにしました。平日だしいつもよりは人も少ないでしょう。ただ、問題は駐車場です。
 伊予豆比古命は縁結びの神様、商売の神様といわれ義妹は毎年必ずお参りに行っているようです。そこで駐車場はどうしているかと聞いてみたら、「一緒に行こうかな」という返事。それは願ったりかなったり。待ち合わせ場所で待っていたら弟もくっついてきた(笑)3人になると漫才みたいな珍道中になるのです。
 
 毎年停めているという場所に車を停め約1キロの参道を歩きます。
 私が椿祭りに来るのは実に50年ぶり。ずいぶん様変わりした様子を楽しみながら歩きました。
 
 
 まず、人が少ない。
 50年前は満員電車の中のように人がびっしりで、手を放してもバッグが地面に落ちないほどでした。1時間歩いても10メートルほどしか進まず本殿にたどりつくのに2時間も3時間もかかったのです。その記憶があるのでわざわざお参りに出かける気にもならなかったのですが、この日は両側に並ぶ露店も眺めながら歩くことができました。
 
 露店の種類も様変わりしていました。福岡の明太子、大分のはしまき、長崎のベビーカステラ・・・県外からの露天商が結構いました。びっくりしたのはトルコのケバブまで売っていたこと。しかも2軒も。売っている人は外国人の風貌でした。
 その中で変わらないのは

 
 椿さん名物「おたやんあめ」金太郎あめのように切っても切ってもお多福の顔がでてくる飴です。この店は2軒しかありませんでした。しかも短く切った飴が多かったです。わたしは孫たちに見せるために長いのを買いました。ところが持って帰る途中ちょっと車にぶつけたら割れてしまったのです。こんなにもろいものだったかなあ、割るのにもっと苦労したような記憶があるのですけど。
 
 
 本殿に近づくと、ちょうちんで飾られた鳥居がありました。
 
 
 これも昔と変わらない縁起物を売るお店。
 
 
 お参り上級者の義妹について本殿脇の階段を登っていきました。

 
 左に見えるのが奏者社。
 えーと、義妹に説明されてもよくわからなかったけど、神社のホームページによると
 伊予豆比古命と伊予豆比売命を乗せた船を、神社左の船山にともづなを引いてお迎えした神様を祀っているそうです。故事に倣いお取次ぎの神様として本殿参拝の前にお参りするのだそうです。
 けれど、本殿を参拝してからこちらへ下りてくる人の方が多くて、正面からはよく見えませんでした。
 
 本殿には3か所の遥拝所が設けられていて、警備の人が中央に固まらないようにとマイクで誘導していました。昔は一か所だったかな?記憶があいまいです。とにかく人が多くて拝んでいると後ろの人が投げたお賽銭が襟元に入るのだとか、そんな話もあるくらいでした。が、この日そんな混雑は全くなくお参りを済ませて本殿の回廊へ。
 
 左の壁には、地元の高校生が奉納した干支の絵がずらっと飾られていました。

 
 右側はたくさんの燈篭、ちょうちん。夜はきれいでしょうね。
 ここでおみくじを買いました。 なんと、大吉。私大吉を引いたことってめったにありません。今年はよいことがあるかな?

 
 これは多分お多福の絵馬

 
 本殿右わきに出て来て下を見たところ。
 昔の記憶に残っている人出と比べると信じられないくらい人が少なくて寂しいくらいでした。
 



 おみくじを結ぶところがありましたが、義妹は一年間持っていて翌年ここへ結ぶのだそう、そういえば去年のおみくじらしい色の違うのが結んでありました。なので私も参拝の先輩に倣って持っていることにしました。
 
 わらで作った宝船かな?これ、多分手作りです。昔大きいのは1万円を超えると言っていましたが、今は?

 
 お参りを済ませて、楼門脇のお店で椿饅頭を買いました。
 
 タルトで有名な一六本舗が、椿祭り限定で売っているのだそうです。とにかく買い物も先輩に倣って・・・
 
 




 
 桜餅と同じ道明寺粉を使ったお餅でした。下に椿の葉が敷いてあります。要するに葉っぱを変えただけの桜餅。見た目には椿よりもおっ〇いに見えましたけど。味はもちろんおいしいです。
 露店の間に広々とテントを張った野外食堂のようなところがあって、うどんとか焼き牡蠣とかおでんとかを食べられるようになっていました。こういう所、一人だと絶対入らないと思うけど3人だと「面白そうだな」となるのです。三津浜焼を食べることにしました。私が帰りを急いでいたからでもあります。目の前で次々と焼けるのをぱっぱっと皿に入れてくれました。大きさがずいぶん違っていたんです。そんなこと気にしてはいられないくらい忙しそうでした。
 
 お皿が汚れているのはそのぱっぱっぱのせいですからね。弟に上げたのは全体がお皿からはみ出していました。中にキャベツがたっぷり入っていました。キャベツ高いのにねえ。広島焼とは焼き方と具材が違うそうですが、ふつうにおいしいお好み焼きでした。
 
 
 
 
 テントを出たころから大風が吹き出しました。お土産にチョコバナナを買っていたら突風が吹いて小さなテントは吹き飛ばされそうでした。慌ててテントの柱を捉まえましたけど、ほかのテントも張り紙が吹き飛ばされ、商売どころではない状況になってしまいました。 
 
 
 椿さんの頃はもっとも寒くそれが過ぎると春が来るとの言い伝え通り、椿さんの期間中、今冬最大の寒波が来るということで、愛媛県にさえ大雪注意報が発令されるような天候の日でした。人出は少ないし(売り上げも少ない)寒いし、風でテントは吹き飛ばされそうになるし、露天商の皆さんには何ともお気の毒な日ではありました。
 
 寒さで震えた私たち、やっぱりコーヒーも飲みたいねえというわけで参道のそばにあるカフェに入りました。なんだか厨房が忙しいらしくコーヒーがでてくるまでなかなか時間がかかりました。が、その間、久しぶりの3人でおしゃべりができて楽しかったです。私が早く帰らなけらばならないのでゆっくりできなかったのが残念でした。
 
 
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まんのう公園のイルミネーション

2025-01-17 00:58:16 | お出かけ
 香川県にある国営讃岐まんのう公園のイルミネーションを見てきました。
 
 まだ明るいうちに着きました。入り口の巨大な龍。前に来た時あったかなあ? というか前に来たのはいつだったのか? ブログ記事では2007年でした。ずいぶん長い間来てないのです。

 
 こちらの龍はどう夢くん。 まんのう公園のマスコットとして昔からいたような気がします。

 
 人口に作られた昇竜の滝
 


 
 
 
 
 明るいうちに遊ぼうと、遊具のあるエリアに急ぎましたが、すでに閉鎖されていました。仕方がないので小高い丘に登ってみました。
 なだらかな丘がいくつもあってそこかしこに人が集まっていました。

 駐車場は車で一杯です。




 この林の向こうに満濃池があるのかな?

 夕暮れが迫ってきました。
 地面にも豆球を連ねた電線が張り巡らされているのがわかります。これ、準備が大変だったろうなとみんなで話しました。



 カウントダウンとともに65万球のライトがともされましたが、まだ明るくてあまり感動はなかったです。暗くなるとともに明かりが美しくなってきました。
 
 


 昇竜の滝はピンクにライトアップ
 
 

 
 人の流れに沿って歩いていくと、なかなか立ち止まることも難しかったので、歩きながら写しました。なのでピンボケも多かったのですが、写真を並べてみます。

 
 


 滝の上あたりです。
 
 シャンパンタワーは色が変化していきます。







 
 


 何処を歩いても、向こうの月と星が目立ちました。



 黒い影は全部人。






 冬木立もすてき

 
 赤と緑のクリスマスカラーが鮮やかだったです。



 入り口のどう夢君のところまで帰ってきました。



 


 きれいな明かりを堪能したのですが、とにかく寒い。長時間はいられませんでした。
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中津万象園へ

2024-12-25 00:46:00 | お出かけ
  12月最初の日曜日の朝、義妹からラインがきました。
 午後から中津万象園に行くんだけど、行きませんか?
 丸亀の?
 すぐに丸亀だと分かった私はえらい。中津万象園は丸亀藩のお殿様の庭園、大名庭園です。香川県の大名庭園は栗林公園が有名だけどこちらはあまり知られてないかも。もう30年くらい前に4,5時間時間をつぶすために行ったっきりです。丸亀城と両方行ったはずですが寒くて何もなかった記憶しかない・・・・改めて行ってみたい気持ちになりました。
 
 午後、もう1時近くになって迎えに来てくれました。香川に行ったらまずはうどんを食べなくちゃ。
 


 
 もう2時過ぎだというのに長い行列ができていました。駐車場が広いこと。トイレが広くてきれいなこと。行列を作って待つお客さん思いですよね。

 
 うどんは本当に釜揚げうどんしかありませんでした。おはぎも稲荷ずしもすでに売り切れでした。
 
 そこから中津万象園までは車で15分くらいのところでした。

 
 美術館を素通りしてお庭の方へ

 多分イロハモミジだと思いますが、まだ色づきが半分

 
 池に出ました。左は多分絵画館です。
 この池、藩主京極氏の先祖の地、近江の琵琶湖をかたどったものだそうで、近江八景になぞらえて
   帆 雁 雪 雨 鐘 青嵐 月 夕映
と銘した八つの島を配し、その島々を橋で結んでいるそうですーと、帰ってからじっくりとパンフレットや地図を見てわかりました。しまった、こういうのは先に見ておかなくては。写真も撮ったり撮らなかったり、場所も名前もはっきりしなかったり、今となっては記憶すらあいまいです。
 
 最初の橋から向こうを見ています。
 手前の白い建物は絵画館(美術館)かな?
 
 
 
 橋を渡って向こう側へ
 渡り切って来た方を振り返る

 
 立派な松 そういえば栗林公園も松が多く植えられていました。その間にぽつぽつと植えられているモミジが色鮮やかで印象的だったことを覚えています。
 
 
 この木肌! 
 


 色づき始めたモミジがとてもきれいでした。



 百本鳥居。本当に百本?



 
 数えながら奥に行くと、行きついたところにはお稲荷さん。
 


 お稲荷さんから母屋へ出る道の鳥居まで数えると100本以上でした。
 
 大傘松 樹齢600年と言われています。
 
 


 向こうの屋根は母屋らしいです。
 
 母屋。背の低い松はわざと小さく仕立ててあるのだそうです。栗林公園もそうでした。
 


 
 左に観潮楼 現存最古の煎茶席と言われているそうです。

 
 建物の隅に蔭石。 母屋の方には陽石があるそうですが見落としました。
 


 回棹廊を渡って島へ 後から確認したところこの島は「鐘」のようです。
 

 
 奥に弁財天が祀られていました。京極氏祖先の地、近江の竹生島の弁財天をお祭りしたものだそうです。



 向こうの赤い橋は?この辺から位置の記憶が怪しいのですが、地図を見ながら思い出してみると、どうも鐘の島から月の島を見たらしい。そこから青嵐の島に渡る橋かもしれません。まあ、個々の島はどうでもいいか、きれいだったという記憶さえあれば。
 
 
 
  岸辺にカモのつがいがいまして、多分飼っているのでしょう。近づいて逃げもせずに遊んでおりました。



 弁財天のところから雪の島を渡った記憶はあります。その時はこれが何で雪?と思ったのです。予備知識があればもっと丁寧に見たものを。
 雪の島に渡る侵雪橋
 
 
 向こうに絵画館の屋根
 
 ここで前から気になっていた花の立て札を見つけました。
 

 
 ハマヒサカキだそうです。ハマと名がついていますが、公園の植え込みなどに使われているのです。花がヒサカキに似ているけど葉っぱが違うので何だろうと思っていたのです。これ、決して良い匂いとは言えない匂いがします。どちらかと言えば悪臭に近い。私は森の中でこのにおいをかぐと、どこかで動物が死んでいるのかしらと思ってしまいます。

 松帆邸



 6代藩主京極高朗が好んで詩作をした場所であろうと書かれていました。そのころはここから松原越しに瀬戸の海の景観が見られたのだそうです。
 
 私たちはとっくに別々に分かれて歩いていました。携帯があるとすぐ好き勝手に歩きだすのが私のくせ。そしてお手洗いを探していたら入り口近くまで帰ってきていました。新しい建物などは庭園の入り口周辺に集まっていました。陶器館もその一つ。
 真鍋利光前館長が集めた古代ペルシアの陶器が展示されています。これらを見ると、遠い昔の品々が日本の陶器に大きな影響を与えたことがよくわかりました。
 
 今見ても新しい感じがします。




 そして弟たちと合流して、これまた入り口近くにあったうちわ館へ。
 丸亀と言えば渋団扇。柿渋で染めた丈夫な紙で作られています。地味なうちわです。あまり期待もせず入ったのですが、どうして! 中では色とりどりのうちわが展示販売されていました。子どもたちの作品も含めて、見るだけで楽しいうちわの数々。

 
 実演もしてくれました。
 竹の節のところまで包丁で細かく切り込みを入れます。




 
 機械で固定して等間隔に切っていくのですが、この技がすごい。フリーハンドなんです。
 


 手元がボケているのは、動かし方が早いから。

 これを手で捻じ曲げます。
 弟もやらせてもらいましたが全然曲がらず。相当力がいるそうです。
 


 
 ほら! うちわの骨組みが見えてきました。
 
 
 下の方に紐をくぐらせて両端を曲げた竹ひごにつなげて広げます。


 一つ出来上がるのに数分しかかかりませんでした。
 巧みな職人技に見とれているうちにいつの間にか時間が過ぎていました。大変、もう五時近くになっていました。まだ絵画館を見てないのに。入場受付に戻って閉館時間を確かめるとあと5分しかありません。でも、少しだけなら伸びてもいいですよ、とのお言葉に甘えて絵画館に飛び込みました。
 京極家に伝わる貴重な書画の数々でしたが、十分鑑賞する間はなく駆け足で見て回りました。
 
 外に出ると冬の日はずいぶん低いところにあって、車の中に差し込む夕日がまぶしいのにびっくりしました。それを言うと今度は弟がびっくりして
 そうか、そちら(東予)はこんなに低いところまで夕日が見えないんか、と言いました。
そう、うちでは夕日は山に沈むのですが、弟の住む中予では夕日は海に沈むのです。
 
 弟が香川に来たら骨付きどりを食べないと、と言いました。おいしいんだそうです。何言ってるの、鶏肉が苦手な人が二人もいるでしょうが、と義妹。なのでお土産に持ち帰ることにして丸亀市内に入りました。

 夕暮れの町は素敵な雰囲気でした。


 建物の間から一瞬丸亀城が見えました。石垣の高いかわいいお城でした。さっきの橋のある風景とお城とを見てふと思い出したことがあります。
 
 丸亀藩と言えば宮部みゆき作「狐宿の人」の舞台となった町。主人公の少女ほうがお城を望める橋だったか丘だったかとかで叫ぶ場面が印象的でした。帰ったらもう一度読んでみよう、そう思ったのにその本がなかったのです。残念。
 以下、おぼろげな記憶ですので間違いがあるかもしれません。
 
 江戸で阿呆の「呆」とさげすまれ丸亀の(小説では内海藩)の港に置き去りにされた少女が、お城で幕府の罪人加賀殿の雑用をするうちに心を閉ざした加賀殿の心を開き、字を教えてもらい、やがて「方」という名をつけてもらいます。最後に加賀殿は罪人となった理不尽を受け入れて刺客に打たれるのですが、その前にほうに新しい「宝」という名を与えます。
 毎朝、ほうは仕事に向かう途中、お城の見える場所で、亡くなった加賀殿や同じく大火のなかで死んだ女岡っ引きに向かって
「ほうは元気です。今日も一生懸命働きます。」
 と叫びます。
 ほうにとって生きる喜びとは生きることそのもの。空腹を満たせるだけの食事ができて元気で自分と誰かのために働くことができること。そのシンプルで純粋な生き方こそが宝。大人世界のたくさんの陰謀と悲劇の後の感動的な言葉でした。
 
 今度はもう一度丸亀城に登ってみたいなあ、そんなことを思いながら帰路につきました。
 
 
 
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イベント続き後編の後編

2024-12-18 08:36:30 | お出かけ

 ミュージカル鑑賞の翌日は、西条市新川沿いのアクアトピアでのイベントに行ってきました。今年3回行われる予定の2回目です。今回のテーマは「環境」

 池の水全部抜くーで有名な加藤英明さんの講演もあるそうです。って、知らんがな。だって県内の主要テレビ局では放送しないもの。ただ、東予では、香川や岡山あたりの放送も見られるので全く知らないわけではないですが。。

 ふれあい動物園はケイタが喜びそう。古着集めや、食品の寄付も募っているそうで、遅い時間に出かけて行きました。

45リットルのごみ袋いっぱいに古着を詰め込んで持っていきました。引き取ってくれるのはうれしいけど、ガソリン使って持って行ったんじゃエコにはならんのじゃなかろうか。


 ケイタはふれあい動物園に直行です。その間私は古着を持っていきその辺をぶらぶらしました。
 
 アクアトピアを流れる新川を橋の上から眺めました。右手の建物は図書館 

 
 橋の反対側は福祉センター
 


 あまり気乗りもせずに行ったのですがなかなか面白い展示などもありまして
 
 福祉センター内の一角でこんな展示をしていました。

 
 とても役立つ展示だと思うのですが、人はガラガラ。長浜高校の生徒さんが熱心に係の人と話していました。こちらが地元で、はるばる長浜高校に通っているのだとか。長浜高校は生徒たちが運営する水族館があるので有名です。魚好きの高校生は全国から集まっているそうです。
 
 県内で発見された外来生物
 
 ヌートリア




 
 ごく最近発見されたナガエツルノゲイトウについての情報



 係の人に場所を詳しく聞いてみました。生息場所は私が思っていたよりずっと上流でした。今度また確認に行ってみようと思います。



 特定外来生物に指定されているツヤハダゴマダラカミキリ(下)と一般的なゴマダラカミキリのちがい。
 
 
 世界の侵略的生物ワースト100に指定されているこのカミキリムシ、愛媛ではまだ見つかっていませんが、果樹園に広がったらたいへん。しばらく係の人とお話ししました。
 
 ケイタは小動物との触れ合い会場に入ったっきり出てきません。会場隣の水槽を眺めながら小さなスペースで動物たちを取り囲む子どもたちを見ていました。動物はゾウガメやインコやフクロウやモモンガ、ミーアキャットなど。外国の生き物ばかりですね。大変な込みようで、床に置かれゾウガメは大丈夫かしらと心配しました。
 
 その動物園の隣に新川に生息する魚や生き物の展示。こちらは無料です。水槽の中にちゃんといるのですが、写っているのかしら。ウナギはいましたが・・・
 
 
 どこにいるのかわかりません。



 これはカワムツ?
 
 
イシヅチサンシヨウウオ
これは新川にはいません。水系を同じくする石鎚山中に住んでいます。





 この日は実際に川を探検して観察する会も開かれていたようです。予約してなかったので参加せず。
 福祉センターの2階では木のコースターづくりのワークショップもあったそうですが、こちらも要予約で参加しませんでした。
 
 結局その辺をぶらぶらしただけ。
 福祉センターのテラスでは、水辺のコンサートの準備が進んでいました。もうキッチンカーも店じまい始めている時刻です。わたしは用意された椅子に座ってリハーサルを聞かせてもらいました。サックスとピアノのアンサンブル、リハーサルとはいえ美しい音色にしばし聞きほれてボーっとしていたのですがー
 
 
 
 
 ここからは「柿畑日記」のコンセプトとはちょっとちがう”愚痴”を書きます。読んで不快に思われる方もいらっしゃると思いますので適当に読み飛ばしてください。
 
 美しくて立派な建物です。が、わたしは今日を含めて3回しか中に入ったことがありません。図書館もそう、県立図書館よりも外観は立派です。1回だけ中を見て回りましたがここで本を手に取ったことはありません。10万人都市として恥じない施設ではありますが、だからと言ってこれだけの大きいものが果たして必要なのか?
 旧3市町にもそれなりに施設はあり、そこを拠点として市民の生活なりコミュニティーを充実させることができていたのですから。20年前までは。今でも大人数の集まりには二つの文化会館が使われています。それでよくない?
 私はいつも行く運動公園のペンキのはがれた遊具を思い出しました。人工芝のはがれたテニスコート、水のひかないグランド・・・この間行った本谷温泉公園の閉鎖されたままのキャンプ場。老朽化のためだそうです。修理は?
 それに、行政のお金をかけたイベントがなぜ3回ともここで? ここでも11月初めの手作りイベント「もぎたて祭り」と比較したくなります。これくらいの人数を集める場所なら旧3市町のどこにでもある、工夫すればよい、と思うのです。
 昨日のミュージカルを見た後なので余計にその思いが強くなりました。一等国民 二等国民の区別がここにもあるような気がして。そして高齢化していく二等市民は未来を思わず今を生きているだけ。けれど救いは、若手が地域を盛り上げようと頑張っていることです。その人たちにあの野球に打ち込んでいた少年たちが重なって見えました。
 
 20周年のお祝いもいいけれど、本当に生活に根差した行政になっているかのシビアな総括も必要ではないかと。本来合併当時に我々がもっと真剣にち密に考えるべきだったとの反省もこめて。
 あ、一つよかったことを付け加えておきます。合併したことで、今まではよそ事だった旧西条市の催しや地域の自然に触れることができるようになったこと。特に石鎚山系の自然と歴史には大いに関心を持っています。
 

 長々とお読みくださってありがとうございました。不快に思われた方には申し訳ありません。が、これも一つの考えですのでこれはこれで受け止めていただいたら幸いです。

 やれやれ、やっと11月の記録がおわりました。

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イベント続き 後編の前編

2024-12-16 22:33:43 | お出かけ

 当たっちゃいました。坊ちゃん劇場のミュージカル「KANO」ペアチケット

 東温市にある坊ちゃん劇場はもともと秋田を拠点とするわらび座と共同出資して設立されたものです。日本で唯一の地域拠点型劇場だそうです。一年間を通して同じ演目のミュージカルが上演されています。
 

 生協の貸し切り公演です。14倍以上の競争率だったそうです。座席数500ちょっとの小さな劇場です。毎年応募しているのにあたったのは初めて。うれしくてみんなにいいふらしました。今までは自前で行ってましたので。

 入るとすぐ目の前にパンフレットの拡大版が。茂本ヒデキチさんの絵ですかね。
 
 
 
 イラストでもわかるように、今回は台湾が日本の統治下にあった戦前の高校野球のお話でした。
  物語は、台湾の嘉義市の創部間もない嘉義農林学校野球部に松山市から来た近藤兵太郎が監督に就任し、初出場で準優勝を果たしたという史実に基づいています。現在も嘉義市には顕彰モニュメントや銅像があるそうです。また松山市にも坊っちゃんスタジアムに銅像があります。
 

 開幕前の舞台

 緞帳はなく、舞台装置がそのまま幕の役割を果たしていました。この中国風の扉のようなものが様々な場面転換に活躍していました。ただ、客席500と言えば舞台も非常に狭く、野球部員9人の、バットやトンボを持っての群舞は隣とぶつかりそうではらはらしました。広ければ手足ももっとのびのび動かせるのに。

 史実を題材にしてはいますが、物語は創作です。単純に嘉義農校の生徒たちの野球にかける青春物語ではなく、日本人の統治によって生まれた、もとから島に住む民族への差別意識、野球に夢中の子と、少しでも農作業を手伝わせて暮らしを楽にしたい親との対立、災害の問題など、様々な問題提起を絡めながら話は進んでいきました。

 ただ、兵太郎の掲げる「武士道野球」は超スパルタ指導で、今年の流行語「不適切にもほどがある」そのものでした。私には到底共感できるものではありません。家業の手伝いも許さず、連帯責任を強要し、ついに試合に負けて台北市から嘉義市まで歩いて帰れと言ったときには、もう腹が立って・・・                

 なぜなら私はもう30年も前、受け持ちの子どもたちがスポーツ少年団の試合に負けて、隣の隣の校区まで歩いて帰らされた経験を持っています。月曜日、いつになく授業に実が入らない子どもたちからそのことを聞いて、私は指導者に対して激しい憤りを感じたことをまだ覚えています。

 私は舞台の少年たちに「君たち、なんでもかんでも大人のいうことを聞いたらだめだよ。自分で判断しなければ。」と言いたくなりました。この時点で私の気持ちはすっかり舞台に入り込んでいたということですけど。

 念のため書き添えますが、実際の近藤兵太郎さんは、野球以外では生徒たちに非常に優しく親身になって世話をしていたそうです。何よりも、日本人だけの野球部こそが野球部、という差別がまかり通っていたあの時代に、三民族混成チームの監督を引き受け、野球のもとに民族はみな平等を唱え実践したそのことが彼のもっとも称えられるべき姿かと思います。

 もう一つ、私がはっとさせられたこと、それは、台湾統治下で現地の人々がどのような感情を抱いていたかということです。当時日本はダム建設などのインフラ整備を進め、それに感謝する人は多いと聞いていました。旅行をしても親日的な人ばかりでしたし、戦前に台湾に住み日本に帰国してからも現地の人々と深い絆で結ばれていた人の話も聞いています。けれど、よくよく考えてみれば、一等国民(日本人)二等国民(漢人)蛮族(原住民族)と明らかな差別がまかり通る社会での人々の感情はそんなに単純なものではなかったはず。今までそのことに思い及ばなかった自分に愕然としたのです。

 いきなり統治者が日本人になっても自分たちの暮らしが楽になるわけではないし、日々の暮らしに汲々としていれば未来への希望など抱けるはずもありません。ただ今を生きることで精いっぱいの親たちは、子どもたちが野球に夢中になることを理解できず無理やりやめさせようとします。今までの暮らしが続けばそれでよい、と変化も発展も望んでないように私には思えました。それとは反対に、遠い日本の甲子園で野球することを夢見る子どもたち、そこへ行けば何かがある、何かが変わると信じてひたむきに野球に取り組みます。

 と、最後にはみんなで大応援の感動的な舞台でした。 

 さて、次の日のイベントも書こうと思ったのですが、長文になりすぎました。ここでいったん打ち切って後編の後編へと続けることにします。ここまで読んでくださってありがとうございました。  後編の後編へ続く

 

 

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イベント続き 前編

2024-12-09 22:59:56 | お出かけ
 いったん消えた記事を書き直しました。リアル投稿を優先した結果、すっかりネタが古くなり、自分の忘備録にしかなりませんが、おつきあいください。
 
 10月終わりから12月初めまで、なんとまあ忙しかったこと。
 芸術の秋は・・・音楽発表会、文化祭、学習発表会などなどありまして、孫の追っかけをしていました。自分自身のお稽古事のおさらい会も。ということは猛練習も必要でして・・・
 行楽の秋・・・紅葉も色づき始めたことだし、あちこちでイベントが開かれているし、周辺の市では一斉に市政20周年行事が(それぞれ特色があって面白そう)行われているし・・・
  きょうい(今日行く)
  きょうよう(今日用がある)
というのは大切なんだそうですが・・・いやいや、ありがたいことです。
 忙しさに輪をかけたのが県展出展のための制作。今年は例外的に開催が遅く、いつもなら搬入を済ませ悠々と遊べるはずの時期に制作に追われたのです。いや、これは自業自得。これについてはまた記事にします。
 
 
 連休1日目、旧東予市地区の文化祭でした。 雨のせいもありますが、訪れる人は少なく、コロナ禍前に比べると舞台発表も展示作品も少なく、寂しい限りでした。
 
 連休二日目はからりと晴れたので松山市で行われている植木まつりに行きました。かき入れ時の三連休一日目の松山市の雨はひどかったそうですが、植木市は開いていたそうです。お客も来ないけどテントで待機ーですって。警報が出たのに中止にはしなかったのねえ。植木市の開かれている城西の丘の連なるあたりからJR松山の駅あたり、浸水騒ぎで全国ニュースにもなりました。今年は松山城も雨で崩れましたから、街中と言えど危険はあります。何事もなくてよかったです。
 
 植木市で買ったもの。すべて地植えにしました。


 連休3日目は、市の西の端、旧丹原町で行われた体験イベントに孫と行ってきました。前にも行ったことがありますがここ2,3年雨で中止続き。久しぶりの晴れやかな日の開催でした。こちらは前に比べて一段と人が多くなり、活気がありました。
 
 会場は県道沿いにあるペンタファーム
 米粉のバウムクーヘンを製造販売している会社です。
 
 
 農業をテーマにしたイベントです。
 
  
 
 柿の皮むき? 柿の産地ですから。
 動物のえさやり?ここにはヤギやキジ、ウサギ、犬・・・ヤギに餌をやれるようでした。動物好きのケイタは大喜び。 
 農地体験? 草刈りカートに乗るとか、運搬車に乗るとか、果樹園の散策とか・・・
 
 大きなセンダンの木にツリーハウスがあります。松山市に行くとき時々ここで遊んでいる家族を見るのですが、この日は大賑わい
 
 
 車で通っただけではわからなかったのですが、奥にミニアスレチックがありました。人気がありすぎていつの間にか子どもたちの間で一方通行のルールができていたようです。

 
 体験ブースはどこも長蛇の列。田舎では珍しいです。どこから人がわいてきたかな?
 こちらは草刈りカートに乗る受付所

 
 選果用のレールのなが~い滑り台。

 
 農業で使われる車がずらっと並んでいます。男の子が載っているのは農薬散布機でしょう。

 
 物品販売のテントとキッチンカーも長蛇の列。お昼ご飯をゲットするのに30分くらいかかったかな? 親は一人ずつ子どもに付き添い、私は買い物に並ぶ係でした。
 ここで友人発見。娘さんとお孫さんを連れていました。まあ、りっぱなお母さんになって。娘さんに会ったのは30年ぶり? うれしい再開でした。

 
 そして売店のテラスではおやじバンド(今やじいじバンド)の皆さん。懐かしいフォークソングなどを次々と歌っていました。私と同年代だと思いますが、声もきれいで、延々と歌い続けるそのエネルギーに脱帽。
 


 フラワーアレンジメント体験は女の子に人気でした。
 
 

 
 多肉の寄せ植え体験は完売。
 隣で農業科の高校生が完成品を売っていました。高校生の頑張りにほだされて一つ買いました。
 
 高校生が作った寄せ植え。



 イベントには市内2校の農業科の高校生が参加していました。他に青年農業者会議の皆さんのおにぎりとか、石鎚黒茶の販売とか。
 お茶の販売店とで、この間うちに来てくれた移住者のMさん発見。なんと、黒茶の製造を手伝っているんですって。Mさんはもとレザークラフトの作家さんでした。
 
 石鎚黒茶は茶葉を枝ごと蒸しそのあと発酵させて作った珍しいお茶です。麦茶を飲むと喉に違和感を感じる私は、夏の間ずっとこの黒茶を飲んでいました。今ではいくつか製造団体があるのですが、使う茶葉、その時の気候、微妙な製造過程の違いによって味がかわるのだそうです。試飲させてもらいましたが、ここのお茶は酸味が少なく飲みやすいと思いました。
 
 
 
  お試しパックを買ってきました。
 
 手作り感満載のこのイベント、大盛況でペンタファームの社長が死にそうな顔でジュースを運んでいたのがおかしかったです。お疲れ様です。このイベントには西条市の西部を拠点に地域の活性化を目指している若い実業家集団(ネット販売などで成功を収めている人たち)も協力していたそうで、この盛況ぶりは頼もしかったです。
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紅葉三連発 3 本谷温泉

2024-12-07 08:21:03 | お出かけ

伊予の3湯 道後温泉 鈍川温泉 本谷温泉

 もしかして本谷温泉て西山興隆寺と同じくらいの高さにある? だとしたらちょうど見ごろかもしれない、そう思ってでかけました。この時期ウォーキングを兼ねて紅葉巡りです。でも、歩く時間より車で行く時間のほうが長かった?

 車道を歩いていると谷の向こうに鮮やかなモミジ

 これは期待できそう。



 谷にかかった橋を渡ったところにモミジが固まって植えられています。



 この橋、そろそろ塗り替えたほうがいいんじゃないかなあ。以前は橋の赤とモミジの赤とで一段と華やかだったのに。鉄にサビが出るのはこわい…なんて思いながら渡りました。
 
 サクラの木かしら。小鳥が何羽もいてさえずっていたのですが、何の鳥なんでしょう。頭に白いラインがあるようなないような。
 
 橋を渡り切ったらこんな感じ。ちょうどいいときに来たようです。人は誰もいなくて景色を独り占め。
 
 本谷温泉は毎年のように記事を書いていますので、今回は写真をメインで。



 この先を右に回ると池のほとりに出ます。

 池の周りにモミジが数本植えられています。それが年々大きくなって紅葉もにぎやかになるので楽しみです。

 
 先ほどの橋付近をこちら側から写しました。



 
 少し高いところから全体を見渡しました。
  
 
 右方向から来ましたので、そちらの景色を。
 幼木が並んでいます。

 ぐるっと回ってもと来た道へ
 今度は空を眺めてみる・・・

 
 ひくい枝も眺めてみる・・・

 黄色いのもあります。
 品種名まで分からないのでひっくるめてモミジと書いています。



 近くの山々も紅葉していました。

 
 人工林の合間にうねうねと

 
 初冬の風景になりました。



 予定の時間が迫ったので帰りましたが歩いた歩数はたった1500歩でした。

 

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紅葉3連発 1紅葉寺

2024-12-04 23:33:18 | お出かけ

 あ~ ショック

 11月のお出かけを2回にわたってーと書いていたのに消えてしまいました。今は書き直す気力がありません。たまにはタイムリーな話題を書きましょう。

 ようやく紅葉の季節がやってきました。例年より10日ばかり遅れているようです。二日ほど前、2時間ほど中途半端な時間の空きができて、ふと思いついて西山興隆寺に行ってみました。西条市の西山興隆寺は紅葉寺と呼ばれる紅葉の名所です。

 駐車場が近づいて、あたりが赤く染まっているのが見えました。あれ?あんなところに赤い屋根の建物があったかなあ?

 



 行ってみるとそれは紅葉したカエデだったのです。ここにはカエデの仲間が何種類かあるそうですが、わたしには詳しいことはわかりませんのですべてモミジと書きます。

 駐車場の周りは燃えるような木々で囲まれていました。

 この木の色が素晴らしく鮮やかで、何人もがカメラを向けていました。と、どこからかトンボがやってきてあらら・・・

 



 あとでこの写真をお見せしておきました。

 ただ、駐車場がこんなに色づいているときは、本堂付近はもう散り始めているというのがこのお寺の特徴です。

 



というのも本堂までの標高差が大きく紅葉は上から下へと進んでくるのです。ああ、ちょっと遅かったかしら。

 谷川にかかるみゆるぎ橋。ここから参道が始まると言ってもいいでしょう。

 



 

 仁王門はまだまだ先。

 



 

 ところどころ緑の中に燃えるような朱が輝いていました。

 やっと仁王門



 門を過ぎると、大きな石があります。このお寺は鎌倉時代に源頼朝公の発願によって再建された古い歴史を持っています。再建時資材を運んだ牛が途中で倒れ、牛によく似た石で葬ったのだそうです。白く見えるのは一円玉です。今も供養の草が差し込まれていました。

 本堂はまだまだ。 あのモミジあたりに勅使門があって、そのわきをくぐると庫裏とおもてなし用の建物があります。本堂はそれより高いのです。

 建物の庭からは扇面の景と呼ばれる景色が見えます。ここは見どころの一つ。二つの山の間から見えるのは道前平野。

 次に宝物館の前あたり

 さらに行くと石垣と紅葉とが美しいところ。

 



 道はここで直角に曲がり、正面にイチョウの木が見えるようになります。トラオがまだ小さかったころ来たときは葉がはらはらと散っていて、「イチョウが降ってる。」と言ったことを覚えています。今年はまだ緑が残っていました。下の方があんなに紅葉しているのに?ちょっと不思議な感じがしました。

 ここをさらに直角に曲がって石段を上るとやっと境内です。左手にはさらに高い石段の上に三重の塔があります。

 と、ここまで来て、予想外にモミジがきれいなのに気が付きました。

  塔に向かい合うように本堂が建っています。今年も会えたね、お寺犬の?ちゃん。おとなしい柴ちゃんですが、この日は犬連れの参拝者がいて気になるのかずっと吠えていました。でも撫でてあげるとおとなしくなります。

 

 本堂の横に回ると

 斜面の下から生えているので、目の前に枝が広がっています。

 いつものように、本堂付近はもう散っているかと思ったけど、まだこの鮮やかさ。

 良いお天気で一段と紅葉が映えていました。

 

 宝物殿を見下すと、

 雪柳も赤い。

 石垣のところを見下ろすとみんな必ずここで写真をとっています。

 ふと気が付くと、しまった!思わぬ長居をしていました。約束の時間に間に合うかしら。

 いつもなら庫裏の横から山道に出てそちらを歩くのですが、急いでもと来た道を帰ることにしました。

 たくさんの石段を下りるのはちょっと心配なので、境内にあった杖を借りました。

 下りていると続々と人が登ってきました。皆さん息をハアハアさせて。

「あとどのくらいですか?」

上の方で聞かれたときは「もうちょっとですよ、がんばってください。」と言ったのだけど、下の方で聞かれると、 「まだまだ、先ですね。」とついつい本当のことを言ってしまいました。うそでも「もうちょっと」って言ってあげた方がよかったんだろうなと後で反省しました。皆さん結構しんどそうで、とっさに励みになる言葉が見つからなかったの。

 こんな山登りみたいなお寺とは思わなかったのでしょうね。

 階段途中ですれ違ったおじいさんが、振り向いたら転んでいたり、前を歩いていたおじいさんがつまづいてこけそうになっていたり、「わたし、もうここまででいい。」と弱音を吐くおばあさんがいたり・・・

 私もおばあさんですが、私より若そうなおじいさん、おばあさんだったんですよ。

 仁王門まで下りてくると門の土台に並んで座っているマダムたち 5,6人。ツアーのお仲間とお見受けしました。早くもギブアップのようでした。私が「杖を貸しましょうか」と言っても「もう、時間がないから」と、動こうとはしませんでした。わたしは心の中で、せっかくのツアー代金が・・・って思ってしまいました。今年のように上まできれいな年はめったにないと思うのです。しかもバッチリ見ごろのこの晴れた日に。あれを見ないなんてもったいない。

 考えてみたらいつも別道を下りるので、階段を上ってくる人に会ったことがなかったのです。みんなけっこう苦労して上ってくるのだなあ、と思いました。杖をつかずに上まで上ったわたしって、結構やるじゃん。と自分をほめておきました。

 

 

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