あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

まんのう公園のイルミネーション

2025-01-17 00:58:16 | お出かけ
 香川県にある国営讃岐まんのう公園のイルミネーションを見てきました。
 
 まだ明るいうちに着きました。入り口の巨大な龍。前に来た時あったかなあ? というか前に来たのはいつだったのか? ブログ記事では2007年でした。ずいぶん長い間来てないのです。

 
 こちらの龍はどう夢くん。 まんのう公園のマスコットとして昔からいたような気がします。

 
 人口に作られた昇竜の滝
 


 
 
 
 
 明るいうちに遊ぼうと、遊具のあるエリアに急ぎましたが、すでに閉鎖されていました。仕方がないので小高い丘に登ってみました。
 なだらかな丘がいくつもあってそこかしこに人が集まっていました。

 駐車場は車で一杯です。




 この林の向こうに満濃池があるのかな?

 夕暮れが迫ってきました。
 地面にも豆球を連ねた電線が張り巡らされているのがわかります。これ、準備が大変だったろうなとみんなで話しました。



 カウントダウンとともに65万球のライトがともされましたが、まだ明るくてあまり感動はなかったです。暗くなるとともに明かりが美しくなってきました。
 
 


 昇竜の滝はピンクにライトアップ
 
 

 
 人の流れに沿って歩いていくと、なかなか立ち止まることも難しかったので、歩きながら写しました。なのでピンボケも多かったのですが、写真を並べてみます。

 
 


 滝の上あたりです。
 
 シャンパンタワーは色が変化していきます。







 
 


 何処を歩いても、向こうの月と星が目立ちました。



 黒い影は全部人。






 冬木立もすてき

 
 赤と緑のクリスマスカラーが鮮やかだったです。



 入り口のどう夢君のところまで帰ってきました。



 


 きれいな明かりを堪能したのですが、とにかく寒い。長時間はいられませんでした。
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中津万象園へ

2024-12-25 00:46:00 | お出かけ
  12月最初の日曜日の朝、義妹からラインがきました。
 午後から中津万象園に行くんだけど、行きませんか?
 丸亀の?
 すぐに丸亀だと分かった私はえらい。中津万象園は丸亀藩のお殿様の庭園、大名庭園です。香川県の大名庭園は栗林公園が有名だけどこちらはあまり知られてないかも。もう30年くらい前に4,5時間時間をつぶすために行ったっきりです。丸亀城と両方行ったはずですが寒くて何もなかった記憶しかない・・・・改めて行ってみたい気持ちになりました。
 
 午後、もう1時近くになって迎えに来てくれました。香川に行ったらまずはうどんを食べなくちゃ。
 


 
 もう2時過ぎだというのに長い行列ができていました。駐車場が広いこと。トイレが広くてきれいなこと。行列を作って待つお客さん思いですよね。

 
 うどんは本当に釜揚げうどんしかありませんでした。おはぎも稲荷ずしもすでに売り切れでした。
 
 そこから中津万象園までは車で15分くらいのところでした。

 
 美術館を素通りしてお庭の方へ

 多分イロハモミジだと思いますが、まだ色づきが半分

 
 池に出ました。左は多分絵画館です。
 この池、藩主京極氏の先祖の地、近江の琵琶湖をかたどったものだそうで、近江八景になぞらえて
   帆 雁 雪 雨 鐘 青嵐 月 夕映
と銘した八つの島を配し、その島々を橋で結んでいるそうですーと、帰ってからじっくりとパンフレットや地図を見てわかりました。しまった、こういうのは先に見ておかなくては。写真も撮ったり撮らなかったり、場所も名前もはっきりしなかったり、今となっては記憶すらあいまいです。
 
 最初の橋から向こうを見ています。
 手前の白い建物は絵画館(美術館)かな?
 
 
 
 橋を渡って向こう側へ
 渡り切って来た方を振り返る

 
 立派な松 そういえば栗林公園も松が多く植えられていました。その間にぽつぽつと植えられているモミジが色鮮やかで印象的だったことを覚えています。
 
 
 この木肌! 
 


 色づき始めたモミジがとてもきれいでした。



 百本鳥居。本当に百本?



 
 数えながら奥に行くと、行きついたところにはお稲荷さん。
 


 お稲荷さんから母屋へ出る道の鳥居まで数えると100本以上でした。
 
 大傘松 樹齢600年と言われています。
 
 


 向こうの屋根は母屋らしいです。
 
 母屋。背の低い松はわざと小さく仕立ててあるのだそうです。栗林公園もそうでした。
 


 
 左に観潮楼 現存最古の煎茶席と言われているそうです。

 
 建物の隅に蔭石。 母屋の方には陽石があるそうですが見落としました。
 


 回棹廊を渡って島へ 後から確認したところこの島は「鐘」のようです。
 

 
 奥に弁財天が祀られていました。京極氏祖先の地、近江の竹生島の弁財天をお祭りしたものだそうです。



 向こうの赤い橋は?この辺から位置の記憶が怪しいのですが、地図を見ながら思い出してみると、どうも鐘の島から月の島を見たらしい。そこから青嵐の島に渡る橋かもしれません。まあ、個々の島はどうでもいいか、きれいだったという記憶さえあれば。
 
 
 
  岸辺にカモのつがいがいまして、多分飼っているのでしょう。近づいて逃げもせずに遊んでおりました。



 弁財天のところから雪の島を渡った記憶はあります。その時はこれが何で雪?と思ったのです。予備知識があればもっと丁寧に見たものを。
 雪の島に渡る侵雪橋
 
 
 向こうに絵画館の屋根
 
 ここで前から気になっていた花の立て札を見つけました。
 

 
 ハマヒサカキだそうです。ハマと名がついていますが、公園の植え込みなどに使われているのです。花がヒサカキに似ているけど葉っぱが違うので何だろうと思っていたのです。これ、決して良い匂いとは言えない匂いがします。どちらかと言えば悪臭に近い。私は森の中でこのにおいをかぐと、どこかで動物が死んでいるのかしらと思ってしまいます。

 松帆邸



 6代藩主京極高朗が好んで詩作をした場所であろうと書かれていました。そのころはここから松原越しに瀬戸の海の景観が見られたのだそうです。
 
 私たちはとっくに別々に分かれて歩いていました。携帯があるとすぐ好き勝手に歩きだすのが私のくせ。そしてお手洗いを探していたら入り口近くまで帰ってきていました。新しい建物などは庭園の入り口周辺に集まっていました。陶器館もその一つ。
 真鍋利光前館長が集めた古代ペルシアの陶器が展示されています。これらを見ると、遠い昔の品々が日本の陶器に大きな影響を与えたことがよくわかりました。
 
 今見ても新しい感じがします。




 そして弟たちと合流して、これまた入り口近くにあったうちわ館へ。
 丸亀と言えば渋団扇。柿渋で染めた丈夫な紙で作られています。地味なうちわです。あまり期待もせず入ったのですが、どうして! 中では色とりどりのうちわが展示販売されていました。子どもたちの作品も含めて、見るだけで楽しいうちわの数々。

 
 実演もしてくれました。
 竹の節のところまで包丁で細かく切り込みを入れます。




 
 機械で固定して等間隔に切っていくのですが、この技がすごい。フリーハンドなんです。
 


 手元がボケているのは、動かし方が早いから。

 これを手で捻じ曲げます。
 弟もやらせてもらいましたが全然曲がらず。相当力がいるそうです。
 


 
 ほら! うちわの骨組みが見えてきました。
 
 
 下の方に紐をくぐらせて両端を曲げた竹ひごにつなげて広げます。


 一つ出来上がるのに数分しかかかりませんでした。
 巧みな職人技に見とれているうちにいつの間にか時間が過ぎていました。大変、もう五時近くになっていました。まだ絵画館を見てないのに。入場受付に戻って閉館時間を確かめるとあと5分しかありません。でも、少しだけなら伸びてもいいですよ、とのお言葉に甘えて絵画館に飛び込みました。
 京極家に伝わる貴重な書画の数々でしたが、十分鑑賞する間はなく駆け足で見て回りました。
 
 外に出ると冬の日はずいぶん低いところにあって、車の中に差し込む夕日がまぶしいのにびっくりしました。それを言うと今度は弟がびっくりして
 そうか、そちら(東予)はこんなに低いところまで夕日が見えないんか、と言いました。
そう、うちでは夕日は山に沈むのですが、弟の住む中予では夕日は海に沈むのです。
 
 弟が香川に来たら骨付きどりを食べないと、と言いました。おいしいんだそうです。何言ってるの、鶏肉が苦手な人が二人もいるでしょうが、と義妹。なのでお土産に持ち帰ることにして丸亀市内に入りました。

 夕暮れの町は素敵な雰囲気でした。


 建物の間から一瞬丸亀城が見えました。石垣の高いかわいいお城でした。さっきの橋のある風景とお城とを見てふと思い出したことがあります。
 
 丸亀藩と言えば宮部みゆき作「狐宿の人」の舞台となった町。主人公の少女ほうがお城を望める橋だったか丘だったかとかで叫ぶ場面が印象的でした。帰ったらもう一度読んでみよう、そう思ったのにその本がなかったのです。残念。
 以下、おぼろげな記憶ですので間違いがあるかもしれません。
 
 江戸で阿呆の「呆」とさげすまれ丸亀の(小説では内海藩)の港に置き去りにされた少女が、お城で幕府の罪人加賀殿の雑用をするうちに心を閉ざした加賀殿の心を開き、字を教えてもらい、やがて「方」という名をつけてもらいます。最後に加賀殿は罪人となった理不尽を受け入れて刺客に打たれるのですが、その前にほうに新しい「宝」という名を与えます。
 毎朝、ほうは仕事に向かう途中、お城の見える場所で、亡くなった加賀殿や同じく大火のなかで死んだ女岡っ引きに向かって
「ほうは元気です。今日も一生懸命働きます。」
 と叫びます。
 ほうにとって生きる喜びとは生きることそのもの。空腹を満たせるだけの食事ができて元気で自分と誰かのために働くことができること。そのシンプルで純粋な生き方こそが宝。大人世界のたくさんの陰謀と悲劇の後の感動的な言葉でした。
 
 今度はもう一度丸亀城に登ってみたいなあ、そんなことを思いながら帰路につきました。
 
 
 
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イベント続き後編の後編

2024-12-18 08:36:30 | お出かけ

 ミュージカル鑑賞の翌日は、西条市新川沿いのアクアトピアでのイベントに行ってきました。今年3回行われる予定の2回目です。今回のテーマは「環境」

 池の水全部抜くーで有名な加藤英明さんの講演もあるそうです。って、知らんがな。だって県内の主要テレビ局では放送しないもの。ただ、東予では、香川や岡山あたりの放送も見られるので全く知らないわけではないですが。。

 ふれあい動物園はケイタが喜びそう。古着集めや、食品の寄付も募っているそうで、遅い時間に出かけて行きました。

45リットルのごみ袋いっぱいに古着を詰め込んで持っていきました。引き取ってくれるのはうれしいけど、ガソリン使って持って行ったんじゃエコにはならんのじゃなかろうか。


 ケイタはふれあい動物園に直行です。その間私は古着を持っていきその辺をぶらぶらしました。
 
 アクアトピアを流れる新川を橋の上から眺めました。右手の建物は図書館 

 
 橋の反対側は福祉センター
 


 あまり気乗りもせずに行ったのですがなかなか面白い展示などもありまして
 
 福祉センター内の一角でこんな展示をしていました。

 
 とても役立つ展示だと思うのですが、人はガラガラ。長浜高校の生徒さんが熱心に係の人と話していました。こちらが地元で、はるばる長浜高校に通っているのだとか。長浜高校は生徒たちが運営する水族館があるので有名です。魚好きの高校生は全国から集まっているそうです。
 
 県内で発見された外来生物
 
 ヌートリア




 
 ごく最近発見されたナガエツルノゲイトウについての情報



 係の人に場所を詳しく聞いてみました。生息場所は私が思っていたよりずっと上流でした。今度また確認に行ってみようと思います。



 特定外来生物に指定されているツヤハダゴマダラカミキリ(下)と一般的なゴマダラカミキリのちがい。
 
 
 世界の侵略的生物ワースト100に指定されているこのカミキリムシ、愛媛ではまだ見つかっていませんが、果樹園に広がったらたいへん。しばらく係の人とお話ししました。
 
 ケイタは小動物との触れ合い会場に入ったっきり出てきません。会場隣の水槽を眺めながら小さなスペースで動物たちを取り囲む子どもたちを見ていました。動物はゾウガメやインコやフクロウやモモンガ、ミーアキャットなど。外国の生き物ばかりですね。大変な込みようで、床に置かれゾウガメは大丈夫かしらと心配しました。
 
 その動物園の隣に新川に生息する魚や生き物の展示。こちらは無料です。水槽の中にちゃんといるのですが、写っているのかしら。ウナギはいましたが・・・
 
 
 どこにいるのかわかりません。



 これはカワムツ?
 
 
イシヅチサンシヨウウオ
これは新川にはいません。水系を同じくする石鎚山中に住んでいます。





 この日は実際に川を探検して観察する会も開かれていたようです。予約してなかったので参加せず。
 福祉センターの2階では木のコースターづくりのワークショップもあったそうですが、こちらも要予約で参加しませんでした。
 
 結局その辺をぶらぶらしただけ。
 福祉センターのテラスでは、水辺のコンサートの準備が進んでいました。もうキッチンカーも店じまい始めている時刻です。わたしは用意された椅子に座ってリハーサルを聞かせてもらいました。サックスとピアノのアンサンブル、リハーサルとはいえ美しい音色にしばし聞きほれてボーっとしていたのですがー
 
 
 
 
 ここからは「柿畑日記」のコンセプトとはちょっとちがう”愚痴”を書きます。読んで不快に思われる方もいらっしゃると思いますので適当に読み飛ばしてください。
 
 美しくて立派な建物です。が、わたしは今日を含めて3回しか中に入ったことがありません。図書館もそう、県立図書館よりも外観は立派です。1回だけ中を見て回りましたがここで本を手に取ったことはありません。10万人都市として恥じない施設ではありますが、だからと言ってこれだけの大きいものが果たして必要なのか?
 旧3市町にもそれなりに施設はあり、そこを拠点として市民の生活なりコミュニティーを充実させることができていたのですから。20年前までは。今でも大人数の集まりには二つの文化会館が使われています。それでよくない?
 私はいつも行く運動公園のペンキのはがれた遊具を思い出しました。人工芝のはがれたテニスコート、水のひかないグランド・・・この間行った本谷温泉公園の閉鎖されたままのキャンプ場。老朽化のためだそうです。修理は?
 それに、行政のお金をかけたイベントがなぜ3回ともここで? ここでも11月初めの手作りイベント「もぎたて祭り」と比較したくなります。これくらいの人数を集める場所なら旧3市町のどこにでもある、工夫すればよい、と思うのです。
 昨日のミュージカルを見た後なので余計にその思いが強くなりました。一等国民 二等国民の区別がここにもあるような気がして。そして高齢化していく二等市民は未来を思わず今を生きているだけ。けれど救いは、若手が地域を盛り上げようと頑張っていることです。その人たちにあの野球に打ち込んでいた少年たちが重なって見えました。
 
 20周年のお祝いもいいけれど、本当に生活に根差した行政になっているかのシビアな総括も必要ではないかと。本来合併当時に我々がもっと真剣にち密に考えるべきだったとの反省もこめて。
 あ、一つよかったことを付け加えておきます。合併したことで、今まではよそ事だった旧西条市の催しや地域の自然に触れることができるようになったこと。特に石鎚山系の自然と歴史には大いに関心を持っています。
 

 長々とお読みくださってありがとうございました。不快に思われた方には申し訳ありません。が、これも一つの考えですのでこれはこれで受け止めていただいたら幸いです。

 やれやれ、やっと11月の記録がおわりました。

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イベント続き 後編の前編

2024-12-16 22:33:43 | お出かけ

 当たっちゃいました。坊ちゃん劇場のミュージカル「KANO」ペアチケット

 東温市にある坊ちゃん劇場はもともと秋田を拠点とするわらび座と共同出資して設立されたものです。日本で唯一の地域拠点型劇場だそうです。一年間を通して同じ演目のミュージカルが上演されています。
 

 生協の貸し切り公演です。14倍以上の競争率だったそうです。座席数500ちょっとの小さな劇場です。毎年応募しているのにあたったのは初めて。うれしくてみんなにいいふらしました。今までは自前で行ってましたので。

 入るとすぐ目の前にパンフレットの拡大版が。茂本ヒデキチさんの絵ですかね。
 
 
 
 イラストでもわかるように、今回は台湾が日本の統治下にあった戦前の高校野球のお話でした。
  物語は、台湾の嘉義市の創部間もない嘉義農林学校野球部に松山市から来た近藤兵太郎が監督に就任し、初出場で準優勝を果たしたという史実に基づいています。現在も嘉義市には顕彰モニュメントや銅像があるそうです。また松山市にも坊っちゃんスタジアムに銅像があります。
 

 開幕前の舞台

 緞帳はなく、舞台装置がそのまま幕の役割を果たしていました。この中国風の扉のようなものが様々な場面転換に活躍していました。ただ、客席500と言えば舞台も非常に狭く、野球部員9人の、バットやトンボを持っての群舞は隣とぶつかりそうではらはらしました。広ければ手足ももっとのびのび動かせるのに。

 史実を題材にしてはいますが、物語は創作です。単純に嘉義農校の生徒たちの野球にかける青春物語ではなく、日本人の統治によって生まれた、もとから島に住む民族への差別意識、野球に夢中の子と、少しでも農作業を手伝わせて暮らしを楽にしたい親との対立、災害の問題など、様々な問題提起を絡めながら話は進んでいきました。

 ただ、兵太郎の掲げる「武士道野球」は超スパルタ指導で、今年の流行語「不適切にもほどがある」そのものでした。私には到底共感できるものではありません。家業の手伝いも許さず、連帯責任を強要し、ついに試合に負けて台北市から嘉義市まで歩いて帰れと言ったときには、もう腹が立って・・・                

 なぜなら私はもう30年も前、受け持ちの子どもたちがスポーツ少年団の試合に負けて、隣の隣の校区まで歩いて帰らされた経験を持っています。月曜日、いつになく授業に実が入らない子どもたちからそのことを聞いて、私は指導者に対して激しい憤りを感じたことをまだ覚えています。

 私は舞台の少年たちに「君たち、なんでもかんでも大人のいうことを聞いたらだめだよ。自分で判断しなければ。」と言いたくなりました。この時点で私の気持ちはすっかり舞台に入り込んでいたということですけど。

 念のため書き添えますが、実際の近藤兵太郎さんは、野球以外では生徒たちに非常に優しく親身になって世話をしていたそうです。何よりも、日本人だけの野球部こそが野球部、という差別がまかり通っていたあの時代に、三民族混成チームの監督を引き受け、野球のもとに民族はみな平等を唱え実践したそのことが彼のもっとも称えられるべき姿かと思います。

 もう一つ、私がはっとさせられたこと、それは、台湾統治下で現地の人々がどのような感情を抱いていたかということです。当時日本はダム建設などのインフラ整備を進め、それに感謝する人は多いと聞いていました。旅行をしても親日的な人ばかりでしたし、戦前に台湾に住み日本に帰国してからも現地の人々と深い絆で結ばれていた人の話も聞いています。けれど、よくよく考えてみれば、一等国民(日本人)二等国民(漢人)蛮族(原住民族)と明らかな差別がまかり通る社会での人々の感情はそんなに単純なものではなかったはず。今までそのことに思い及ばなかった自分に愕然としたのです。

 いきなり統治者が日本人になっても自分たちの暮らしが楽になるわけではないし、日々の暮らしに汲々としていれば未来への希望など抱けるはずもありません。ただ今を生きることで精いっぱいの親たちは、子どもたちが野球に夢中になることを理解できず無理やりやめさせようとします。今までの暮らしが続けばそれでよい、と変化も発展も望んでないように私には思えました。それとは反対に、遠い日本の甲子園で野球することを夢見る子どもたち、そこへ行けば何かがある、何かが変わると信じてひたむきに野球に取り組みます。

 と、最後にはみんなで大応援の感動的な舞台でした。 

 さて、次の日のイベントも書こうと思ったのですが、長文になりすぎました。ここでいったん打ち切って後編の後編へと続けることにします。ここまで読んでくださってありがとうございました。  後編の後編へ続く

 

 

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イベント続き 前編

2024-12-09 22:59:56 | お出かけ
 いったん消えた記事を書き直しました。リアル投稿を優先した結果、すっかりネタが古くなり、自分の忘備録にしかなりませんが、おつきあいください。
 
 10月終わりから12月初めまで、なんとまあ忙しかったこと。
 芸術の秋は・・・音楽発表会、文化祭、学習発表会などなどありまして、孫の追っかけをしていました。自分自身のお稽古事のおさらい会も。ということは猛練習も必要でして・・・
 行楽の秋・・・紅葉も色づき始めたことだし、あちこちでイベントが開かれているし、周辺の市では一斉に市政20周年行事が(それぞれ特色があって面白そう)行われているし・・・
  きょうい(今日行く)
  きょうよう(今日用がある)
というのは大切なんだそうですが・・・いやいや、ありがたいことです。
 忙しさに輪をかけたのが県展出展のための制作。今年は例外的に開催が遅く、いつもなら搬入を済ませ悠々と遊べるはずの時期に制作に追われたのです。いや、これは自業自得。これについてはまた記事にします。
 
 
 連休1日目、旧東予市地区の文化祭でした。 雨のせいもありますが、訪れる人は少なく、コロナ禍前に比べると舞台発表も展示作品も少なく、寂しい限りでした。
 
 連休二日目はからりと晴れたので松山市で行われている植木まつりに行きました。かき入れ時の三連休一日目の松山市の雨はひどかったそうですが、植木市は開いていたそうです。お客も来ないけどテントで待機ーですって。警報が出たのに中止にはしなかったのねえ。植木市の開かれている城西の丘の連なるあたりからJR松山の駅あたり、浸水騒ぎで全国ニュースにもなりました。今年は松山城も雨で崩れましたから、街中と言えど危険はあります。何事もなくてよかったです。
 
 植木市で買ったもの。すべて地植えにしました。


 連休3日目は、市の西の端、旧丹原町で行われた体験イベントに孫と行ってきました。前にも行ったことがありますがここ2,3年雨で中止続き。久しぶりの晴れやかな日の開催でした。こちらは前に比べて一段と人が多くなり、活気がありました。
 
 会場は県道沿いにあるペンタファーム
 米粉のバウムクーヘンを製造販売している会社です。
 
 
 農業をテーマにしたイベントです。
 
  
 
 柿の皮むき? 柿の産地ですから。
 動物のえさやり?ここにはヤギやキジ、ウサギ、犬・・・ヤギに餌をやれるようでした。動物好きのケイタは大喜び。 
 農地体験? 草刈りカートに乗るとか、運搬車に乗るとか、果樹園の散策とか・・・
 
 大きなセンダンの木にツリーハウスがあります。松山市に行くとき時々ここで遊んでいる家族を見るのですが、この日は大賑わい
 
 
 車で通っただけではわからなかったのですが、奥にミニアスレチックがありました。人気がありすぎていつの間にか子どもたちの間で一方通行のルールができていたようです。

 
 体験ブースはどこも長蛇の列。田舎では珍しいです。どこから人がわいてきたかな?
 こちらは草刈りカートに乗る受付所

 
 選果用のレールのなが~い滑り台。

 
 農業で使われる車がずらっと並んでいます。男の子が載っているのは農薬散布機でしょう。

 
 物品販売のテントとキッチンカーも長蛇の列。お昼ご飯をゲットするのに30分くらいかかったかな? 親は一人ずつ子どもに付き添い、私は買い物に並ぶ係でした。
 ここで友人発見。娘さんとお孫さんを連れていました。まあ、りっぱなお母さんになって。娘さんに会ったのは30年ぶり? うれしい再開でした。

 
 そして売店のテラスではおやじバンド(今やじいじバンド)の皆さん。懐かしいフォークソングなどを次々と歌っていました。私と同年代だと思いますが、声もきれいで、延々と歌い続けるそのエネルギーに脱帽。
 


 フラワーアレンジメント体験は女の子に人気でした。
 
 

 
 多肉の寄せ植え体験は完売。
 隣で農業科の高校生が完成品を売っていました。高校生の頑張りにほだされて一つ買いました。
 
 高校生が作った寄せ植え。



 イベントには市内2校の農業科の高校生が参加していました。他に青年農業者会議の皆さんのおにぎりとか、石鎚黒茶の販売とか。
 お茶の販売店とで、この間うちに来てくれた移住者のMさん発見。なんと、黒茶の製造を手伝っているんですって。Mさんはもとレザークラフトの作家さんでした。
 
 石鎚黒茶は茶葉を枝ごと蒸しそのあと発酵させて作った珍しいお茶です。麦茶を飲むと喉に違和感を感じる私は、夏の間ずっとこの黒茶を飲んでいました。今ではいくつか製造団体があるのですが、使う茶葉、その時の気候、微妙な製造過程の違いによって味がかわるのだそうです。試飲させてもらいましたが、ここのお茶は酸味が少なく飲みやすいと思いました。
 
 
 
  お試しパックを買ってきました。
 
 手作り感満載のこのイベント、大盛況でペンタファームの社長が死にそうな顔でジュースを運んでいたのがおかしかったです。お疲れ様です。このイベントには西条市の西部を拠点に地域の活性化を目指している若い実業家集団(ネット販売などで成功を収めている人たち)も協力していたそうで、この盛況ぶりは頼もしかったです。
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紅葉三連発 3 本谷温泉

2024-12-07 08:21:03 | お出かけ

伊予の3湯 道後温泉 鈍川温泉 本谷温泉

 もしかして本谷温泉て西山興隆寺と同じくらいの高さにある? だとしたらちょうど見ごろかもしれない、そう思ってでかけました。この時期ウォーキングを兼ねて紅葉巡りです。でも、歩く時間より車で行く時間のほうが長かった?

 車道を歩いていると谷の向こうに鮮やかなモミジ

 これは期待できそう。



 谷にかかった橋を渡ったところにモミジが固まって植えられています。



 この橋、そろそろ塗り替えたほうがいいんじゃないかなあ。以前は橋の赤とモミジの赤とで一段と華やかだったのに。鉄にサビが出るのはこわい…なんて思いながら渡りました。
 
 サクラの木かしら。小鳥が何羽もいてさえずっていたのですが、何の鳥なんでしょう。頭に白いラインがあるようなないような。
 
 橋を渡り切ったらこんな感じ。ちょうどいいときに来たようです。人は誰もいなくて景色を独り占め。
 
 本谷温泉は毎年のように記事を書いていますので、今回は写真をメインで。



 この先を右に回ると池のほとりに出ます。

 池の周りにモミジが数本植えられています。それが年々大きくなって紅葉もにぎやかになるので楽しみです。

 
 先ほどの橋付近をこちら側から写しました。



 
 少し高いところから全体を見渡しました。
  
 
 右方向から来ましたので、そちらの景色を。
 幼木が並んでいます。

 ぐるっと回ってもと来た道へ
 今度は空を眺めてみる・・・

 
 ひくい枝も眺めてみる・・・

 黄色いのもあります。
 品種名まで分からないのでひっくるめてモミジと書いています。



 近くの山々も紅葉していました。

 
 人工林の合間にうねうねと

 
 初冬の風景になりました。



 予定の時間が迫ったので帰りましたが歩いた歩数はたった1500歩でした。

 

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紅葉3連発 1紅葉寺

2024-12-04 23:33:18 | お出かけ

 あ~ ショック

 11月のお出かけを2回にわたってーと書いていたのに消えてしまいました。今は書き直す気力がありません。たまにはタイムリーな話題を書きましょう。

 ようやく紅葉の季節がやってきました。例年より10日ばかり遅れているようです。二日ほど前、2時間ほど中途半端な時間の空きができて、ふと思いついて西山興隆寺に行ってみました。西条市の西山興隆寺は紅葉寺と呼ばれる紅葉の名所です。

 駐車場が近づいて、あたりが赤く染まっているのが見えました。あれ?あんなところに赤い屋根の建物があったかなあ?

 



 行ってみるとそれは紅葉したカエデだったのです。ここにはカエデの仲間が何種類かあるそうですが、わたしには詳しいことはわかりませんのですべてモミジと書きます。

 駐車場の周りは燃えるような木々で囲まれていました。

 この木の色が素晴らしく鮮やかで、何人もがカメラを向けていました。と、どこからかトンボがやってきてあらら・・・

 



 あとでこの写真をお見せしておきました。

 ただ、駐車場がこんなに色づいているときは、本堂付近はもう散り始めているというのがこのお寺の特徴です。

 



というのも本堂までの標高差が大きく紅葉は上から下へと進んでくるのです。ああ、ちょっと遅かったかしら。

 谷川にかかるみゆるぎ橋。ここから参道が始まると言ってもいいでしょう。

 



 

 仁王門はまだまだ先。

 



 

 ところどころ緑の中に燃えるような朱が輝いていました。

 やっと仁王門



 門を過ぎると、大きな石があります。このお寺は鎌倉時代に源頼朝公の発願によって再建された古い歴史を持っています。再建時資材を運んだ牛が途中で倒れ、牛によく似た石で葬ったのだそうです。白く見えるのは一円玉です。今も供養の草が差し込まれていました。

 本堂はまだまだ。 あのモミジあたりに勅使門があって、そのわきをくぐると庫裏とおもてなし用の建物があります。本堂はそれより高いのです。

 建物の庭からは扇面の景と呼ばれる景色が見えます。ここは見どころの一つ。二つの山の間から見えるのは道前平野。

 次に宝物館の前あたり

 さらに行くと石垣と紅葉とが美しいところ。

 



 道はここで直角に曲がり、正面にイチョウの木が見えるようになります。トラオがまだ小さかったころ来たときは葉がはらはらと散っていて、「イチョウが降ってる。」と言ったことを覚えています。今年はまだ緑が残っていました。下の方があんなに紅葉しているのに?ちょっと不思議な感じがしました。

 ここをさらに直角に曲がって石段を上るとやっと境内です。左手にはさらに高い石段の上に三重の塔があります。

 と、ここまで来て、予想外にモミジがきれいなのに気が付きました。

  塔に向かい合うように本堂が建っています。今年も会えたね、お寺犬の?ちゃん。おとなしい柴ちゃんですが、この日は犬連れの参拝者がいて気になるのかずっと吠えていました。でも撫でてあげるとおとなしくなります。

 

 本堂の横に回ると

 斜面の下から生えているので、目の前に枝が広がっています。

 いつものように、本堂付近はもう散っているかと思ったけど、まだこの鮮やかさ。

 良いお天気で一段と紅葉が映えていました。

 

 宝物殿を見下すと、

 雪柳も赤い。

 石垣のところを見下ろすとみんな必ずここで写真をとっています。

 ふと気が付くと、しまった!思わぬ長居をしていました。約束の時間に間に合うかしら。

 いつもなら庫裏の横から山道に出てそちらを歩くのですが、急いでもと来た道を帰ることにしました。

 たくさんの石段を下りるのはちょっと心配なので、境内にあった杖を借りました。

 下りていると続々と人が登ってきました。皆さん息をハアハアさせて。

「あとどのくらいですか?」

上の方で聞かれたときは「もうちょっとですよ、がんばってください。」と言ったのだけど、下の方で聞かれると、 「まだまだ、先ですね。」とついつい本当のことを言ってしまいました。うそでも「もうちょっと」って言ってあげた方がよかったんだろうなと後で反省しました。皆さん結構しんどそうで、とっさに励みになる言葉が見つからなかったの。

 こんな山登りみたいなお寺とは思わなかったのでしょうね。

 階段途中ですれ違ったおじいさんが、振り向いたら転んでいたり、前を歩いていたおじいさんがつまづいてこけそうになっていたり、「わたし、もうここまででいい。」と弱音を吐くおばあさんがいたり・・・

 私もおばあさんですが、私より若そうなおじいさん、おばあさんだったんですよ。

 仁王門まで下りてくると門の土台に並んで座っているマダムたち 5,6人。ツアーのお仲間とお見受けしました。早くもギブアップのようでした。私が「杖を貸しましょうか」と言っても「もう、時間がないから」と、動こうとはしませんでした。わたしは心の中で、せっかくのツアー代金が・・・って思ってしまいました。今年のように上まできれいな年はめったにないと思うのです。しかもバッチリ見ごろのこの晴れた日に。あれを見ないなんてもったいない。

 考えてみたらいつも別道を下りるので、階段を上ってくる人に会ったことがなかったのです。みんなけっこう苦労して上ってくるのだなあ、と思いました。杖をつかずに上まで上ったわたしって、結構やるじゃん。と自分をほめておきました。

 

 

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ロープウェイに乗って成就社へ

2024-11-24 23:47:37 | お出かけ
 まだ下界の紅葉が始まったばかりのころ、ロープウエイに乗って石鎚神社の中宮社のある成就へ行きました。
 
 成就は石鎚山の中腹(7合目)にあります。
 
 ロープウエイはなかなか混んでいました。ゴンドラから見る下の紅葉はいまいち。もうおそいのかもしれません。
 


 ロープウエイを下りてすぐの広場の周辺がドウダンツツジで囲まれていて、ここはきれいになっているんじゃないのかなと思ったのですけど。
 
 う~ん きれいだったけど真っ赤っかではありませんでした。

 


 


 
 

 
 この黄色いのが何なのか? 色が混ざってなかなかきれいでした。
 
 
 この広場から五分ほど山道を歩いていくと奥前神寺があります。あたりの木々は  これから色づくのか終わりかけなのかわかりません。例年石鎚山頂上付近は9月に紅葉を始めます。



 
 早くも息切れがー
 夏とは違って花もろくになく紅葉は枯れかけて、写真を撮るために立ち止まることもなくひたすら歩きました。
 ここは冬に来た時、樹氷がきれいだったブナの木

 山道が狭くなり

 向こうに成就の旅館や売店が見えてきました。
 それを何か新鮮な気持ちで建物を眺めました。こんな景色今まで見たことがあったかしら。考えてみたら、いつもはまだ葉の多い季節に来ていたのですね。多分茂った葉に隠れて見えなかったのだと思います。
 それにしても人が少ない。ロープウエイのゴンドラの中は結構乗客がいたのです。恰好からしてお参りの人たちだったのだと思います。あの人たち、どこへ行ったのかしら? 先に行ってしまったの?だとしたら私たちはずいぶんと遅かったということですが。



 
 鳥居が近くなると、木を敷き詰めた道になりました。何か始めて歩くような気がしました。今までは多分周りの景色にばかり気を取られて、足元など目に入っていなかったのだと思います。



 石鎚神社中宮社遥拝殿。これが立つこの場所を成就と呼んでいます。





 昔、役小角が石鎚山頂上を極めようとして何度登っても到達せずあきらめようとしたとき、ここで斧を砥ぐ老人に会いました。聞けばこれを細い針になるまで砥ぐのだと言います。それを聞いて役小角は奮い立ち、ついに頂上を極めることができました。下りて来て石鎚を振り返り「わが願い、成就せり」と言ったとか。それからここは成就と呼ばれるようになり、中宮社を成就社と呼んでいるそうです。石鎚神社は、石鎚山の山そのものをご神体としています。
 神社前の広場にはずいぶん人が増えていました。どこから来たの? そして遥拝殿前のベンチでお弁当を食べているご夫婦を見てショックを受けました。一緒のゴンドラに乗っていた人です。女性の方は見るからに私より足腰が弱そうでした。わたしは立っていましたがその方は開いている席を見つけて急いで座っていましたもの。
 なのに私たちと同じくらいに着くってどういうこと?
 
 こちらは見返遥拝殿。役小角の言葉にちなんで石鎚山が拝めるようになっています。
 
 
 ごつごつと険しい山。霊峰とあがめる山です。
 今まで何度か来ましたが、こんなに鮮明に姿が見えたのは初めて。お山が歓迎してくれているように感じました。

 
 頂上には石鎚神社頂上社があります。わかりますか? 山の上、御幣の右側に小さく建物が見えます。元気な人はここから2時間ほどであそこまで登るのです。
 
 白石旅館の看板猫たまちゃん。座布団4枚の上に鎮座していました。自由人です。だから玉ちゃんに会えるのはラッキーなんだそうです。

 
 せっかくなのでちょっとだけ登山道を見てみました。 正式にはここは参道なんです。


 
 下り坂がだらだらと続いたあとはひたすら登り道です。去年はこの道を歩いて行ったのですが・・・この日はちょっと先まで行ってみようという気にもなりませんでした。大分体がなまってました。
 もう一度旅館の前を通ったら、たまちゃんはまだ、微動だにせず座っていました。
 
  ロープウエイ駅への帰り道も登ってくる人は少なかったです。でもドウダンツツジの広場には人が多い。
 


 分かれ道のところで (⇒リフト)という小さな立て札を見つけてやっと訳がわかりました。そうか!みんなリフトで登ってきたんだ。後で知人にこの話をしたら、歩いて行ったの?とびっくりされました。
「成就と言えばロープウエイとリフトはセットだと思ってた」そうです。
 
 帰りにカフェでお茶して帰りました。
 ウインナーコーヒーにサツマイモとリンゴのワッフルと、栗のワッフル二皿を三人で分け合って
 
 
 おいしくて完食。でもせっかく歩いて消費したカロリーは帳消し、いや、オーバーしたかも。
 
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おもしろ地形学という名のツアー2

2024-10-25 23:45:00 | お出かけ
 昼食後、バスは世田山(世田薬師)のふもとを抜け、山沿いの道を西へ向かいました。そして愛の山の手前、何にもないところで停まりました。
 
 バスは路駐です。 下りると道前平野が見渡せました。
 
 手前は水田、その向こうに集落があります。 右手のこんもりした丘は「おしぶの森」。わかりにくいかもしれませんが、手前に小さな「すくも山」が重なって見えます。
 
 集落のあるあたりが扇端部分で、その向こうはまた水田。山のふもとにうっすらと白く見えるのが高速道路のようです。それと並行して低い位置に国道11号線、さらに低い位置に中山川が流れています。



 説明によると、これが典型的な土地利用なのだそうです。山のふもとの水のあるところ(扇のかなめ部分)に集落ができ、いったん水は山から運ばれた土砂の下を潜って流れ(扇央)、その水が再び湧き出るところ(扇端)に集落ができました。
 
 弘法大師さんがここを掘れと杖を突くと水が湧き出たーそんな伝説がいろいろなところに残っていますが、案外お大師様はそうした地形の仕組みをわかっていたのかも。だとしたら昔のお坊さんは地理学や土木に長けていたのかも。
 
 集落の向こうに見える山々が石鎚山系の山です。そして自分たちが立っているところは今治から続く高縄山系の端っこ。その間を中央構造線が通っており、向こうは変成岩、こちらは花崗岩の土地というわけです。その境目が、この辺に限って言えば中山川のようです。この後その一端を見に行きます。
 
 
 ここで、山の三角断面というのを模型を使って説明してもらったのですが…
 
  理屈はわかるものの、どこのことを言っているんだろう?向こうの山並みは細長く伸びています。あれを横断するように切ってずらせば断面は三角形ではありますが?
 
 後日、もう一度ここを通ってみて、これのことか?と思ったのは
 
 後日撮影


 私たちが立っているすぐ後ろの山が三角形でした。かまぼこを切って少しずらせばこんな風に見えますよね。
 
 バスは愛の山と三角形の山の間を走って行って、また路駐、いや数分間停止しました。何のことかわからないままバスを降りると、講師の先生がペットボトルを持って立っていました。
 そして道の真ん中に水を流しました。
 ますます?の私たち。
 


 先生曰く、この辺りにおそらく日本で二番目に低い分水界があるのだと。
 分水嶺はよく聞く言葉です。山頂に降った雨が別々に流れていく堺のことですが、この谷でもそれが見られるというのです。
 それらしい所はなんとかわかりました。
 用水路の水も、大きな石の下で左右に別れて流れていました。
 
 
左へ
 
 

 右へ
 





 ううん、なんとなく分かった気はしましたが、雨が降っている時に見てみたいものだと思いました。
 
 さて、バスは山沿いの道をずんずん行って川(関谷川)に突き当り、川沿いの道を下って中山川の河川敷にやって来ました。
 説明によると、ここまで走って来た道が、関谷川によって作られた扇状地の周辺だということです。この扇状地も、扇のかなめにあたる場所に集落があり、中ほどに果樹園地帯が広がっています。そして扇端部分にまた集落が広がっています。関谷川が運んだのは肥沃な土と大きな瓦礫だったようです。そのために水はけがよく(別の言い方をすれば水持ちが悪い)果樹栽培に向いているのだとか(別の言い方をすれば水田には向いてない)。
 
 河川敷にはキッチンカーが待っていてくれました。人気のララジュースさん。
 イベントで何度かお会いしましたが、こんな車だったとは気づかなかった。



 いちごのラッシー
 

 濃厚でおいしかったです。ホッと一息つきました。ここまで結構真剣にお勉強しましたから。
 それぞれが好きなものを飲みながら最後のお話を聞きました。さすがにみんな疲れて、そのあたりに座り込んで聞く人も。私も座りたかったけど、我慢して立っていました。この河川敷は、私のブログにもしばしば登場する、新たな桜の名所です。写っている木々はすべて桜。
 
 模型を使って、断層の説明です。

 
 ここにわずかに川上断層の地層が露出している場所があるというのです。

 
 向こう岸の左の方、黒い石の部分がそれのようです。わかりにくっ。
 西条市に走る断層は、一番大きなのが中央構造線。説明パンフレットを見たところ、中央構造線の付近をしわのようにいくつかの断層が走っていました。中でも一番危険なのが川上断層なのだそうです。
 
 バスはここから湯谷口温泉を通って国道11号線に出ました。国道は、旧周桑郡小松町あたりまでほぼ中山川と並行に走っています。最後に石鎚神社の駐車場にやってきました。
 
 ここで見たのは、加茂川が作った扇状地、最初に見た観音水につながる、旧西条市の全体像でした。
 
 新居浜市方面
 連なる橋は加茂川にかかる橋かと思います。こんな風に見たことがなかったので、違っているかもしれません。
 
 
 正面

 
 左方向、旧周桑郡は山に隠れて見えませんでした。
 
 驚いたことに、目の前の水田も干拓されてできた土地だそうで(禎瑞はさらに向こう)。目の前の木々の下あたりまで海岸だったというのです。干拓事業は一度だけではなかったのですね。

こうして、西条市中心部を出発して、海沿い山沿いを走り西条市の西部を一巡してツアーは終わりました。
 
 以下、長文ですので適当に読み飛ばしてください。
 
 このツアー、主催者も驚く反響で、一緒に行くはずだった友人一人はキャンセル待ちになってしまいました。そしてついにキャンセル者は出ず、参加できなかったのです。
 ただ、平日のツアーということで参加者のほぼ全員が高齢者。若い人たちが参加できる形はないのかしら。それはそれでも残念ではありましたが、わが地域を知ろうと思う高齢者が多いということはどういうことか?
 私に限って言えば、若いときは職場と家とを往復するだけ。いつまでも自分の住む町に愛着を持てなかったというのが正直なところです。保護者の中に、私の出身高校の2年後輩がいて、彼女が「私はいまだにこの土地に馴染めなくて・・・」と言った人がいます。共感しました。家庭訪問では、子供のことではなく高校時代の思い出話で盛り上がりました。彼女、子供さんの受験を機に松山へ引っ越したと聞きましたが、その後どうしているかしら。
 
 それから・・・
 
 退職して、時間に追われることも無く犬を連れて散歩して、気ままに花畑の手入れをして、たまに農作業もして、身の回りの草の小さな花にまで目を止めるようになり、草にとまっている虫をしげしげと眺めるようになり・・・・そこに生きている草木も生き物もすべてをひっくるめて愛するようになって郷土への愛着は生まれるものだと、今はしみじみと思います。
 そして地球の動きから始まる土地の歴史に目を向けたら、ここに住んだ祖先への思いが加わりました。
 
 後日、娘から聞いたことです。
 
 関谷川扇状地ではところどころにお地蔵さんが立っているのを見かけます。娘曰く
「お地蔵さんのあるあたりは、昔どざえもんが溜まる場所だったんだって。」
不謹慎な言い方ですみません。地域の古老にこのように言われたらしいです。わたしはそれを聞いてこんなことを考えました。
 
 過去に何度も土石流が流れたに違いありません。そのたびに扇のかなめの部分は被害を受け、扇端部分の流れが緩やかになった場所に犠牲になった人が行きついたのでしょう。それがあのお地蔵さん付近だったのではないかと思いました。私の知っている限りお地蔵さんの建っている場所は全部水路のそば、そして集落のそばです。土石流は中山川に向かって流れて行ったことが想像できます。
 講師の先生の
「何もかも自然の現象にすぎないけれど、そこに人がいれば災害になる。」
 大昔から、人は水を求めて住み、災害の危険と隣り合わせて暮らしてきたのですね。到底人力では歯が立たない、強力な自然を相手に少しでも手を加えて安全を得ようとしたり、暮らしを豊かにしようとしたり、犠牲者を後世にわかる形で悼んだり・・・そうした人々の思いの上に自分たちの暮らしがあるーとても大切なことを学んだツアーでした。
 
 それにしても
「すべては自然現象。人がいればそれが災害になる。」
 昨今の災害を思うとなんだか切ない言葉です。
 
 
 
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おもしろ地形学という名のツアー 1

2024-10-20 10:03:00 | お出かけ
 ようやく9月の内容になりました。
 
 面白地形学という名の、ちょっと変わった募集ツアー。主催は市の観光物産協会です。西条市の地理に詳しくない皆様にはなんのこっちゃ、の内容ですが、とても充実した一日でしたので自分のために記録します。相変わらず長い文章ですがお許しを。
 

 講師は西条自然学校の山本先生。先生曰く、

 高校の地学程度の内容をわかりやすく伝えたい。今まで知らなかったびっくりのこともたくさんあるはずです。

とのこと。

 スタートは、市の文化会館のそばの観音水から。
 このあたりは、加茂川が運んだ土砂でできた扇状地の扇端部分にあたります。扇状地の水はいったん地下にもぐり、先端部分でわいてくるのだそうです。打ち抜きと呼ばれるこの水は、日本の名水100選にも選ばれています。
 西条市内には、こうした泉が90か所以上あるそうです。観音水は誰でも水を汲むことのできる水場です。
 
 

 この川のように見える水路が、実は川ではなく、湧出水の連続だったとは。



 ドブ川だったここをアクアトピアとして整備したのだそうです。今では素敵な憩いの場所になっています。



 西条市の中心部は、昔は田園地帯だったのですが、そのうち、豊かな水を利用して製紙業が起こり、やがて染め物業が盛んになったそうです。
 そういえばこの近くに「紺屋町」という通りがあったっけ。それって、染め物に関係のある町だったのかもしれません。
 
 ここから一行は大型バスに乗り込み、加茂川の土手を下って海近くまで出ました。そこから海沿いの防波堤に沿って作られた細い道を行きました。本当にバスがギリギリ通れる広さで、教習所のクランク練習場みたいなところを通り抜けた時は、車内から拍手が沸き起こったほどです。
 着いたのは海辺に立つ龍神社。晴れた日にはここから真正面に石鎚山が見られます。この日はあいにくというか、幸いというか(しのぎやすかった)、曇って見えませんでした。
 


 波堤沿いの道から行くにはこんな急な階段を降りなければなりません。



 防波堤より遥か低いところに田園と集落が広がっているのでした。



 江戸時代、龍神社の場所は、中山川と加茂川の2つの河口に挟まれた砂州の端っこでそまわりは海でした。その海を干拓してできた土地です。この先もずっと遠浅の海が続いているのだそうです。河口干潟としては全国で6番目の規模、四国最大の大きさだそうです(干拓した残りこの広さ。もとはどれだけ広い干潟だったのか!)干拓地は約300町、5年の歳月をかけのべ57万人の人の手によって完成しました。



 この地域は、干拓を指揮したお坊さんの何をとって禎瑞と呼ばれています。
 と、このことは地域の教材にもなっており、わたしもおおよそのことは知っていました。
  
 次にバスは国道196号線に出て、高須海岸近くから左折、大明神川の土手道を行きました。ここはダンプも通る道です。いうのも、川の砂を定期的に取り除かなければ、川底がすぐに上がってしまうという、天井川なのです。堤防上の標高21.7m、駅付近の集落は標高8mという差があります。
 水は大雨の時以外滅多に流れていません。きれいな、砂が水の流れのように続いていました。
 

 おや?何かの足跡が
 
 
 足跡がほぼ一直線に続くのはキツネかもしれないということです。キツネはモデル歩きなんですって。その下のやや乱れた足跡は?

 説明が終わりバスに乗り込もうとしたとき、あと数分で電車が来るという情報が。せっかくなので電車が川の下のトンネルを通るところを見ようということになりました。
 
 トンネルの見える場所まで坂を下りて、にわか撮り鉄になって電車を待ちます。
 トンネルの上に車道があります。撮ることのできる場所が限られているので、うまくは収められませんが



 やった! トンネルに入っていく姿を写せました。
 
 
 大満足でバスに乗り込み、再び196号線へ出て、今治方面に向かいます。海岸沿いの道です。次の目的地は瀬戸内東予休暇村です。

 まずは海岸まで下りて渚の端までいきました。
 潮が満ちていて先まで行けませんでしたが、この先には越智郡(今治市)と周桑郡(旧東予市・周桑郡)との境の石柱が立っています。
 
 
 ここで見たのは縦に割れている岩と海蝕洞。






 
 ここは以前ウマオの付き添いで来たことがありました。その時は入ることができなかったのですが、今回は入れます。ワクワク。人ひとりやっと通れる隙間を行けるところまで行きました。何もなかったですけど。
 
 この場所は高縄半島から続く地形で、花崗岩でできています。風化して崩れやすい岩です。一方、石鎚山系のふもとは変成岩でできた土地です。伊予の青石と呼ばれる青みを帯びた石は庭石として人気があると聞いたことがあります。
 つまり、西条市は2つの異なった成り立ちの土地があるということなのです。
 
 海岸の砂。
  透明な石英 白い長石 茶色のはなんだっけ? キラキラ光る雲母も混じっています。

 
 
 花崗岩は墓石に使われています。但し、大島石と呼ばれる、島から切り出された灰色の花崗岩です。そして、運動場の砂も花崗岩、稲の苗を育てる真砂土も花崗岩です。
 
 浜辺の植物
  

 たしかハマゴウ とネナシカズラ
 
 
 
 初めて見た花









 
 
 
 この後は国民宿舎で昼食です。
 
 瀬戸内御膳
 
 
  ご飯はもちろん鯛めし。おいしくいただきました。
 
 テラスから改めて海を眺めました。
 
 
 手前に見える白浜には「天然記念物カブトガニの生息地」と看板が立っています。この天然記念物、じつはカブトガニではなく、生息する海そのものが天然記念物なんだそうです。
 
 遠く向こうには埋立地が広がっています。工業用として埋め立てられたこの土地、思うように企業誘致は進まなかったようです。かといって農業用地にするには塩分が含まれていて不向きだったとか。
 
 
 ここからさらに今治に向かっていくと、織田が浜という美しい海岸がありますが、そこも大反対運動にも関わらず大半を埋め立てられて狭い範囲しか残っていません。
 
 高度成長期に、経済優先の施策だったのでしょうが・・・一度壊された白砂青松の海岸は、もとには戻せませんものね。

続く
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