なだらかな丘がいくつもあってそこかしこに人が集まっていました。
この林の向こうに満濃池があるのかな?
昇竜の滝はピンクにライトアップ
何処を歩いても、向こうの月と星が目立ちました。
冬木立もすてき
入り口のどう夢君のところまで帰ってきました。
ミュージカル鑑賞の翌日は、西条市新川沿いのアクアトピアでのイベントに行ってきました。今年3回行われる予定の2回目です。今回のテーマは「環境」
池の水全部抜くーで有名な加藤英明さんの講演もあるそうです。って、知らんがな。だって県内の主要テレビ局では放送しないもの。ただ、東予では、香川や岡山あたりの放送も見られるので全く知らないわけではないですが。。
ふれあい動物園はケイタが喜びそう。古着集めや、食品の寄付も募っているそうで、遅い時間に出かけて行きました。
長々とお読みくださってありがとうございました。不快に思われた方には申し訳ありません。が、これも一つの考えですのでこれはこれで受け止めていただいたら幸いです。
やれやれ、やっと11月の記録がおわりました。
当たっちゃいました。坊ちゃん劇場のミュージカル「KANO」ペアチケット
生協の貸し切り公演です。14倍以上の競争率だったそうです。座席数500ちょっとの小さな劇場です。毎年応募しているのにあたったのは初めて。うれしくてみんなにいいふらしました。今までは自前で行ってましたので。
開幕前の舞台
緞帳はなく、舞台装置がそのまま幕の役割を果たしていました。この中国風の扉のようなものが様々な場面転換に活躍していました。ただ、客席500と言えば舞台も非常に狭く、野球部員9人の、バットやトンボを持っての群舞は隣とぶつかりそうではらはらしました。広ければ手足ももっとのびのび動かせるのに。
史実を題材にしてはいますが、物語は創作です。単純に嘉義農校の生徒たちの野球にかける青春物語ではなく、日本人の統治によって生まれた、もとから島に住む民族への差別意識、野球に夢中の子と、少しでも農作業を手伝わせて暮らしを楽にしたい親との対立、災害の問題など、様々な問題提起を絡めながら話は進んでいきました。
ただ、兵太郎の掲げる「武士道野球」は超スパルタ指導で、今年の流行語「不適切にもほどがある」そのものでした。私には到底共感できるものではありません。家業の手伝いも許さず、連帯責任を強要し、ついに試合に負けて台北市から嘉義市まで歩いて帰れと言ったときには、もう腹が立って・・・
なぜなら私はもう30年も前、受け持ちの子どもたちがスポーツ少年団の試合に負けて、隣の隣の校区まで歩いて帰らされた経験を持っています。月曜日、いつになく授業に実が入らない子どもたちからそのことを聞いて、私は指導者に対して激しい憤りを感じたことをまだ覚えています。
私は舞台の少年たちに「君たち、なんでもかんでも大人のいうことを聞いたらだめだよ。自分で判断しなければ。」と言いたくなりました。この時点で私の気持ちはすっかり舞台に入り込んでいたということですけど。
念のため書き添えますが、実際の近藤兵太郎さんは、野球以外では生徒たちに非常に優しく親身になって世話をしていたそうです。何よりも、日本人だけの野球部こそが野球部、という差別がまかり通っていたあの時代に、三民族混成チームの監督を引き受け、野球のもとに民族はみな平等を唱え実践したそのことが彼のもっとも称えられるべき姿かと思います。
もう一つ、私がはっとさせられたこと、それは、台湾統治下で現地の人々がどのような感情を抱いていたかということです。当時日本はダム建設などのインフラ整備を進め、それに感謝する人は多いと聞いていました。旅行をしても親日的な人ばかりでしたし、戦前に台湾に住み日本に帰国してからも現地の人々と深い絆で結ばれていた人の話も聞いています。けれど、よくよく考えてみれば、一等国民(日本人)二等国民(漢人)蛮族(原住民族)と明らかな差別がまかり通る社会での人々の感情はそんなに単純なものではなかったはず。今までそのことに思い及ばなかった自分に愕然としたのです。
いきなり統治者が日本人になっても自分たちの暮らしが楽になるわけではないし、日々の暮らしに汲々としていれば未来への希望など抱けるはずもありません。ただ今を生きることで精いっぱいの親たちは、子どもたちが野球に夢中になることを理解できず無理やりやめさせようとします。今までの暮らしが続けばそれでよい、と変化も発展も望んでないように私には思えました。それとは反対に、遠い日本の甲子園で野球することを夢見る子どもたち、そこへ行けば何かがある、何かが変わると信じてひたむきに野球に取り組みます。
と、最後にはみんなで大応援の感動的な舞台でした。
さて、次の日のイベントも書こうと思ったのですが、長文になりすぎました。ここでいったん打ち切って後編の後編へと続けることにします。ここまで読んでくださってありがとうございました。 後編の後編へ続く
伊予の3湯 道後温泉 鈍川温泉 本谷温泉
もしかして本谷温泉て西山興隆寺と同じくらいの高さにある? だとしたらちょうど見ごろかもしれない、そう思ってでかけました。この時期ウォーキングを兼ねて紅葉巡りです。でも、歩く時間より車で行く時間のほうが長かった?
車道を歩いていると谷の向こうに鮮やかなモミジ
これは期待できそう。
あ~ ショック
11月のお出かけを2回にわたってーと書いていたのに消えてしまいました。今は書き直す気力がありません。たまにはタイムリーな話題を書きましょう。
ようやく紅葉の季節がやってきました。例年より10日ばかり遅れているようです。二日ほど前、2時間ほど中途半端な時間の空きができて、ふと思いついて西山興隆寺に行ってみました。西条市の西山興隆寺は紅葉寺と呼ばれる紅葉の名所です。
駐車場が近づいて、あたりが赤く染まっているのが見えました。あれ?あんなところに赤い屋根の建物があったかなあ?
行ってみるとそれは紅葉したカエデだったのです。ここにはカエデの仲間が何種類かあるそうですが、わたしには詳しいことはわかりませんのですべてモミジと書きます。
駐車場の周りは燃えるような木々で囲まれていました。
この木の色が素晴らしく鮮やかで、何人もがカメラを向けていました。と、どこからかトンボがやってきてあらら・・・
あとでこの写真をお見せしておきました。
ただ、駐車場がこんなに色づいているときは、本堂付近はもう散り始めているというのがこのお寺の特徴です。
というのも本堂までの標高差が大きく紅葉は上から下へと進んでくるのです。ああ、ちょっと遅かったかしら。
谷川にかかるみゆるぎ橋。ここから参道が始まると言ってもいいでしょう。
仁王門はまだまだ先。
ところどころ緑の中に燃えるような朱が輝いていました。
やっと仁王門
門を過ぎると、大きな石があります。このお寺は鎌倉時代に源頼朝公の発願によって再建された古い歴史を持っています。再建時資材を運んだ牛が途中で倒れ、牛によく似た石で葬ったのだそうです。白く見えるのは一円玉です。今も供養の草が差し込まれていました。
本堂はまだまだ。 あのモミジあたりに勅使門があって、そのわきをくぐると庫裏とおもてなし用の建物があります。本堂はそれより高いのです。
建物の庭からは扇面の景と呼ばれる景色が見えます。ここは見どころの一つ。二つの山の間から見えるのは道前平野。
次に宝物館の前あたり
さらに行くと石垣と紅葉とが美しいところ。
道はここで直角に曲がり、正面にイチョウの木が見えるようになります。トラオがまだ小さかったころ来たときは葉がはらはらと散っていて、「イチョウが降ってる。」と言ったことを覚えています。今年はまだ緑が残っていました。下の方があんなに紅葉しているのに?ちょっと不思議な感じがしました。
ここをさらに直角に曲がって石段を上るとやっと境内です。左手にはさらに高い石段の上に三重の塔があります。
と、ここまで来て、予想外にモミジがきれいなのに気が付きました。
塔に向かい合うように本堂が建っています。今年も会えたね、お寺犬の?ちゃん。おとなしい柴ちゃんですが、この日は犬連れの参拝者がいて気になるのかずっと吠えていました。でも撫でてあげるとおとなしくなります。
本堂の横に回ると
斜面の下から生えているので、目の前に枝が広がっています。
いつものように、本堂付近はもう散っているかと思ったけど、まだこの鮮やかさ。
良いお天気で一段と紅葉が映えていました。
宝物殿を見下すと、
雪柳も赤い。
石垣のところを見下ろすとみんな必ずここで写真をとっています。
ふと気が付くと、しまった!思わぬ長居をしていました。約束の時間に間に合うかしら。
いつもなら庫裏の横から山道に出てそちらを歩くのですが、急いでもと来た道を帰ることにしました。
たくさんの石段を下りるのはちょっと心配なので、境内にあった杖を借りました。
下りていると続々と人が登ってきました。皆さん息をハアハアさせて。
「あとどのくらいですか?」
上の方で聞かれたときは「もうちょっとですよ、がんばってください。」と言ったのだけど、下の方で聞かれると、 「まだまだ、先ですね。」とついつい本当のことを言ってしまいました。うそでも「もうちょっと」って言ってあげた方がよかったんだろうなと後で反省しました。皆さん結構しんどそうで、とっさに励みになる言葉が見つからなかったの。
こんな山登りみたいなお寺とは思わなかったのでしょうね。
階段途中ですれ違ったおじいさんが、振り向いたら転んでいたり、前を歩いていたおじいさんがつまづいてこけそうになっていたり、「わたし、もうここまででいい。」と弱音を吐くおばあさんがいたり・・・
私もおばあさんですが、私より若そうなおじいさん、おばあさんだったんですよ。
仁王門まで下りてくると門の土台に並んで座っているマダムたち 5,6人。ツアーのお仲間とお見受けしました。早くもギブアップのようでした。私が「杖を貸しましょうか」と言っても「もう、時間がないから」と、動こうとはしませんでした。わたしは心の中で、せっかくのツアー代金が・・・って思ってしまいました。今年のように上まできれいな年はめったにないと思うのです。しかもバッチリ見ごろのこの晴れた日に。あれを見ないなんてもったいない。
考えてみたらいつも別道を下りるので、階段を上ってくる人に会ったことがなかったのです。みんなけっこう苦労して上ってくるのだなあ、と思いました。杖をつかずに上まで上ったわたしって、結構やるじゃん。と自分をほめておきました。
講師は西条自然学校の山本先生。先生曰く、
高校の地学程度の内容をわかりやすく伝えたい。今まで知らなかったびっくりのこともたくさんあるはずです。
とのこと。