12月30日、今年最後の診療日、行きつけの内科へ行って診療費払ってきました。って、お医者さんに借金がある? つけで、診てくれるおいしゃさんって?と思ったでしょ?
実はクリスマス前にコロナを発症しまして・・・・かかりつけの医院で検査を受けました。そのとき、「そろそろお薬が切れるころでしょ?」と血圧とコレステロールの薬も渡されて、お金は治ってからでいいから、と。
感染源はトラオの一家です。毎日のように行き来している孫たちからまさかうつるとは・・・完全に油断していました。学校行事の後、発症者が爆発的に増えたということは聞いていたのに。あの、佐田岬行で一日中車で一緒にいたのが原因でした。
うわさではあちこちの学校で学級閉鎖されているとか。だけど、インフルエンザだったら学級閉鎖の情報は公開されるのにコロナだと公開はされないのですね。もし情報が共有されていたらみんなもう少し用心し、対策もとるのではないかと思うのですが。初期のころの誹謗中傷があまりにもひどかったからね・・・
でも、ここまで広がってしまえば隠すこともないと思います。あくまで個人の症状ですので参考にはならないとは思いますが、1週間の療養生活を記録しておきたいと思います。
さて、コロナにかかる前、まだまだ元気だった夏野菜でしたが
思い切って全部収穫したところスーパーの買い物かご(収穫用)満杯採れました。
なのに、
佐田岬へ行った次の日の日曜日、娘が、葛根湯をちょうだいとやってきました。
月曜日には発熱したとラインが来て、咳の出ていたウマオと一緒に検査を受けたところ陽性。
火曜日トラオが発熱、陽性。ウマオも発熱、二人とも40度近い熱だったそうです。私も調子悪いぞ、と思って受けた検査は陰性。
しかし水曜日、朝から37度4分の体温で、かかりつけ医で検査を受けたところ陽性。
なんとA48枚裏表に印刷した膨大なプリントとロキソニンを渡されました。そして65歳以上なので毎日保健所から健康観察の電話があると。
私は料理は一切しないと宣言、部屋に引きこもりました。
たまたま、この事態を予測したように本を2冊買ってきていましたので2冊を一気読み。そして何年も前に買って何度も挫折していた「応仁の乱」に再度挑戦しました。今度こそ読み切るぞ。
大和地方と京都の勢力関係のややこしさ、兄弟主従入り乱れての争い、何度も行きつ戻りつしなければ訳が分からなくなってしまう、そんな本でした。やっと読み終えて
もう、馬鹿たれが
一握りの支配者の欲のために農民や女がどれだけ苦労したことか。歴史は繰り返すというけれど、この愚かしい争いが今も世界のあちこちで繰り返されていることに布団の中で腹を立てました。病床で読むにはふさわしくなかったね。
収穫した茄子とピーマンは
何にもしないまましなびてしまいました。
二人の娘とはラインで連絡を取り合いましたが、私の部屋までWi-Fiが届かないので通信費が跳ね上がりました。
ヨウコ母が何かと心配してくれました。
「熱は?」
「37度7分以上は出てない。」
「よかった、軽症なんだね。」
「食べ物はある?」
「食料の備蓄ならくさるほどある。」よくなったら冷蔵庫整理しなくちゃ。
「倦怠感は?」
「ない、筋肉が減っている。」
「それを倦怠感というんじゃない?」
インフルエンザの時全身の倦怠感を感じたことがありますが、それとは違う、足の筋肉の衰えだと思いました。 だって、登山の下山の時のような足のしんどさを感じたからです。
発症から3日目には熱は平熱に戻りました。そこでポチの散歩に行ったんですね。もちろん、誰にも会わないことはわかっていますから。
3日ぶりに見る瓶が森は雪で真っ白でした。 布団の中にいたら気づかなかったけど寒い日が続いていたのです。テレビのある部屋へは行かず、スマホのニュースを見て過ごしました。まさか世間ではあんなに雪の被害が大きかったとは。
ポチは毎日夫が散歩に連れて行っていますが、私と行くのがとても楽しみなのです。2日ほど、「ごめんね、今日はもう行けんのよ。」と言い聞かせてポチも我慢していましたので、私が連れて行くとわかると狂喜しました。普段の三分の一程度の距離でしたが、それがいけなかった。その夜、鼻の奥の痛みを感じて、水洟がそれこそ雨だれのようにぽたぽたと落ちました。
翌日は朝から36度9分の体温。私は普段から36度2分~36度4分であれば元気なんです。そして、なんだかおかしい・・・・ミカンも生姜湯も匂いがしない・・・ああ、ついに嗅覚障害というのがきたか。
トラオ母に匂いがわからんとラインすると
「コーヒー飲んでみ、この世のものとは思えん不味さじゃ。」
娘は嗅覚障害も味覚障害も発症したみたいです。
「わははは・・・」笑い事じゃないのに笑ってしまった。
保健所からは血中酸素飽和濃度を測る器具が送られてきました。数値はいつも98~99パーセントで問題なし。脈は速くて100近い日もあってそれは心配でしたけど。夜、布団の中でふと思いました。熱が高くないからと言って安心なわけではない、むしろ、高熱でも2日ほどで下がった娘一家に比べてわたしはいつまでもぐずぐずと尾を引いています。大丈夫か、私の白血球。ちゃんとウイルスと戦っているかい? 普段の風邪のように水洟から青洟へ、空咳から痰のからんだ咳、黄色い痰が出だしてやがて回復ーといった決まりのコースをたどらずにいつまでも水洟、透明な痰の咳というのはウイルスが体内にとどまっている証拠のように思えました。高齢者が次々に亡くなって、必ず重傷者ではなかったと注釈がついていますが、老人の場合高熱が出ないからと言って軽症ではない、むしろ熱を出してウイルスに対抗する、その力を持ってないと考えた方がいいのではないか。すると、途端に不安になるんですね。油断はだめよ、がんばれわたしの免疫力。
電話をくれる保健師さんは何人か交代でお話ししました。孫のような若い(そうな)人のかわいい声はそれだけで癒されましたし、ベテランの保健師さんの落ち着いた暖かい声は安心感が増しました。なにより、マニュアルを超えた対応は本当にありがたかったです。
「しんどいのにいろいろ聞いてごめんなさいね。」・・・きっと症状の重い人は電話自体苦痛だったし、それを保健師さんにぶつける人もいるんだろうなと、想像できました。
「ああ、今日は調子がよくなってきましたね。声に張りがあるのでわかります。」・・・機械的に観察項目を聞くだけでなく、声から答え方から、聞こえること全体で理解しようとしている姿勢が感じられました。
こうやって無事療養解除の日を迎えました。 しかし咳はいつまでも残り、今も時折でます。本当に薄皮をはぐように少しずつ元の体に戻っていったという感じです。そして思わぬ後遺症。歩くと左股関節が痛い。それこそ数分歩くと痛みで歩けない、これって脊柱管狭窄症の間欠跛行じゃない? 私は背骨やひざの弱いところを筋肉で補ってなんとか普通に行動できているので、筋肉量の減少はたちまち外科的な不調となって現れるのではないかと思います。それも散歩の距離を少しずつ伸ばし、年末の買い物などで出歩くにしたがって楽にはなってきました。
それとー柿がまだ残ってたんですよ。それもまだ柔らかくなってなかったので剥いて干し柿にしました。それも、ハウスの中で。暖かくて柿を剥くにはちょうど良かったのです。
ハウスの中のポインセチア
ポインセチアの花時ってクリスマスじゃないようなー少なくともうちのポインセチアは夏のほうがきれいです。
ストレリチアは今から次々と咲いていくと思います。花の密集した株が1本ありました。これ、すごいです。
年がら年中そびえているブーゲンビリア
一度は「年末」という言葉を消し去った私ですが、仏壇と神棚の掃除、玄関まわりの掃除、見えるところの窓ふきなど、見かけ上の体裁はなんとか整いました。支払いはすべて終わりました。年賀状は・・・・今年は特に遅かった。パソコンの不調でずいぶん時間がかかりましたけど、いつも元日には間に合わないのでまあ、これはよいことにしましょう。
そして年末も押し迫った昨日、義妹から「コロナ陽性でした。」弟にすべきことをしっかりと言っておきました。ちゃんとしてくれるかしら。
2,3日前に行った美容師さんからもコロナの連絡。
ああ~どこもかしこも
予防接種をしているかいないかは関係なく感染しているみたいです。症状も予防接種しているから軽いとは限らないようです。ちなみに私は4回目の接種から4か月もたっていなかったので5回目の接種はしていませんでした。
注文していた革を受け取りに行って
「これが厄治めよ。」と言われ、本当にそうだ、いろいろあった今年だけど、悪いことはこれで終わり、と希望を持つことにしました。だけど・・・先先に延ばした懸案事項は来年に持ち越し、たくさんの宿題を抱えたまま新しい年を迎えます。
今年1年柿畑にご訪問くださった皆様、ありがとうございました。いろいろ楽しませてもいただきましたし勉強にもなりました。ぼちぼちですが来年も心に残る小さな出来事をつづっていこうと思います。皆様よいお年をお迎えください。