あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

今年の年末

2022-12-31 23:52:37 | くらし
 12月30日、今年最後の診療日、行きつけの内科へ行って診療費払ってきました。って、お医者さんに借金がある? つけで、診てくれるおいしゃさんって?と思ったでしょ?
  実はクリスマス前にコロナを発症しまして・・・・かかりつけの医院で検査を受けました。そのとき、「そろそろお薬が切れるころでしょ?」と血圧とコレステロールの薬も渡されて、お金は治ってからでいいから、と。
 
 感染源はトラオの一家です。毎日のように行き来している孫たちからまさかうつるとは・・・完全に油断していました。学校行事の後、発症者が爆発的に増えたということは聞いていたのに。あの、佐田岬行で一日中車で一緒にいたのが原因でした。
 うわさではあちこちの学校で学級閉鎖されているとか。だけど、インフルエンザだったら学級閉鎖の情報は公開されるのにコロナだと公開はされないのですね。もし情報が共有されていたらみんなもう少し用心し、対策もとるのではないかと思うのですが。初期のころの誹謗中傷があまりにもひどかったからね・・・
 
 でも、ここまで広がってしまえば隠すこともないと思います。あくまで個人の症状ですので参考にはならないとは思いますが、1週間の療養生活を記録しておきたいと思います。
 
 さて、コロナにかかる前、まだまだ元気だった夏野菜でしたが
 



  
 思い切って全部収穫したところスーパーの買い物かご(収穫用)満杯採れました。
 なのに、
 
 佐田岬へ行った次の日の日曜日、娘が、葛根湯をちょうだいとやってきました。
 月曜日には発熱したとラインが来て、咳の出ていたウマオと一緒に検査を受けたところ陽性。
 火曜日トラオが発熱、陽性。ウマオも発熱、二人とも40度近い熱だったそうです。私も調子悪いぞ、と思って受けた検査は陰性。
 しかし水曜日、朝から37度4分の体温で、かかりつけ医で検査を受けたところ陽性。
 なんとA48枚裏表に印刷した膨大なプリントとロキソニンを渡されました。そして65歳以上なので毎日保健所から健康観察の電話があると。
 私は料理は一切しないと宣言、部屋に引きこもりました。
 たまたま、この事態を予測したように本を2冊買ってきていましたので2冊を一気読み。そして何年も前に買って何度も挫折していた「応仁の乱」に再度挑戦しました。今度こそ読み切るぞ。
 大和地方と京都の勢力関係のややこしさ、兄弟主従入り乱れての争い、何度も行きつ戻りつしなければ訳が分からなくなってしまう、そんな本でした。やっと読み終えて
 もう、馬鹿たれが
 一握りの支配者の欲のために農民や女がどれだけ苦労したことか。歴史は繰り返すというけれど、この愚かしい争いが今も世界のあちこちで繰り返されていることに布団の中で腹を立てました。病床で読むにはふさわしくなかったね。
 
 収穫した茄子とピーマンは
 
 何にもしないまましなびてしまいました。
 
 二人の娘とはラインで連絡を取り合いましたが、私の部屋までWi-Fiが届かないので通信費が跳ね上がりました。
 ヨウコ母が何かと心配してくれました。
 「熱は?」
 「37度7分以上は出てない。」
 「よかった、軽症なんだね。」
 「食べ物はある?」
 「食料の備蓄ならくさるほどある。」よくなったら冷蔵庫整理しなくちゃ。
 「倦怠感は?」
 「ない、筋肉が減っている。」
 「それを倦怠感というんじゃない?」
 インフルエンザの時全身の倦怠感を感じたことがありますが、それとは違う、足の筋肉の衰えだと思いました。 だって、登山の下山の時のような足のしんどさを感じたからです。 
 
 発症から3日目には熱は平熱に戻りました。そこでポチの散歩に行ったんですね。もちろん、誰にも会わないことはわかっていますから。
 3日ぶりに見る瓶が森は雪で真っ白でした。 布団の中にいたら気づかなかったけど寒い日が続いていたのです。テレビのある部屋へは行かず、スマホのニュースを見て過ごしました。まさか世間ではあんなに雪の被害が大きかったとは。
 
 
 ポチは毎日夫が散歩に連れて行っていますが、私と行くのがとても楽しみなのです。2日ほど、「ごめんね、今日はもう行けんのよ。」と言い聞かせてポチも我慢していましたので、私が連れて行くとわかると狂喜しました。普段の三分の一程度の距離でしたが、それがいけなかった。その夜、鼻の奥の痛みを感じて、水洟がそれこそ雨だれのようにぽたぽたと落ちました。
 
 翌日は朝から36度9分の体温。私は普段から36度2分~36度4分であれば元気なんです。そして、なんだかおかしい・・・・ミカンも生姜湯も匂いがしない・・・ああ、ついに嗅覚障害というのがきたか。
 トラオ母に匂いがわからんとラインすると
 「コーヒー飲んでみ、この世のものとは思えん不味さじゃ。」
 娘は嗅覚障害も味覚障害も発症したみたいです。
「わははは・・・」笑い事じゃないのに笑ってしまった。
 
 保健所からは血中酸素飽和濃度を測る器具が送られてきました。数値はいつも98~99パーセントで問題なし。脈は速くて100近い日もあってそれは心配でしたけど。夜、布団の中でふと思いました。熱が高くないからと言って安心なわけではない、むしろ、高熱でも2日ほどで下がった娘一家に比べてわたしはいつまでもぐずぐずと尾を引いています。大丈夫か、私の白血球。ちゃんとウイルスと戦っているかい? 普段の風邪のように水洟から青洟へ、空咳から痰のからんだ咳、黄色い痰が出だしてやがて回復ーといった決まりのコースをたどらずにいつまでも水洟、透明な痰の咳というのはウイルスが体内にとどまっている証拠のように思えました。高齢者が次々に亡くなって、必ず重傷者ではなかったと注釈がついていますが、老人の場合高熱が出ないからと言って軽症ではない、むしろ熱を出してウイルスに対抗する、その力を持ってないと考えた方がいいのではないか。すると、途端に不安になるんですね。油断はだめよ、がんばれわたしの免疫力。 
 
 電話をくれる保健師さんは何人か交代でお話ししました。孫のような若い(そうな)人のかわいい声はそれだけで癒されましたし、ベテランの保健師さんの落ち着いた暖かい声は安心感が増しました。なにより、マニュアルを超えた対応は本当にありがたかったです。
 「しんどいのにいろいろ聞いてごめんなさいね。」・・・きっと症状の重い人は電話自体苦痛だったし、それを保健師さんにぶつける人もいるんだろうなと、想像できました。
 「ああ、今日は調子がよくなってきましたね。声に張りがあるのでわかります。」・・・機械的に観察項目を聞くだけでなく、声から答え方から、聞こえること全体で理解しようとしている姿勢が感じられました。
 
 こうやって無事療養解除の日を迎えました。 しかし咳はいつまでも残り、今も時折でます。本当に薄皮をはぐように少しずつ元の体に戻っていったという感じです。そして思わぬ後遺症。歩くと左股関節が痛い。それこそ数分歩くと痛みで歩けない、これって脊柱管狭窄症の間欠跛行じゃない? 私は背骨やひざの弱いところを筋肉で補ってなんとか普通に行動できているので、筋肉量の減少はたちまち外科的な不調となって現れるのではないかと思います。それも散歩の距離を少しずつ伸ばし、年末の買い物などで出歩くにしたがって楽にはなってきました。
 
 それとー柿がまだ残ってたんですよ。それもまだ柔らかくなってなかったので剥いて干し柿にしました。それも、ハウスの中で。暖かくて柿を剥くにはちょうど良かったのです。
 
 
 ハウスの中のポインセチア

 
 ポインセチアの花時ってクリスマスじゃないようなー少なくともうちのポインセチアは夏のほうがきれいです。
 ストレリチアは今から次々と咲いていくと思います。花の密集した株が1本ありました。これ、すごいです。

 
 年がら年中そびえているブーゲンビリア



 一度は「年末」という言葉を消し去った私ですが、仏壇と神棚の掃除、玄関まわりの掃除、見えるところの窓ふきなど、見かけ上の体裁はなんとか整いました。支払いはすべて終わりました。年賀状は・・・・今年は特に遅かった。パソコンの不調でずいぶん時間がかかりましたけど、いつも元日には間に合わないのでまあ、これはよいことにしましょう。
  
 そして年末も押し迫った昨日、義妹から「コロナ陽性でした。」弟にすべきことをしっかりと言っておきました。ちゃんとしてくれるかしら。
 2,3日前に行った美容師さんからもコロナの連絡。
 ああ~どこもかしこも
 予防接種をしているかいないかは関係なく感染しているみたいです。症状も予防接種しているから軽いとは限らないようです。ちなみに私は4回目の接種から4か月もたっていなかったので5回目の接種はしていませんでした。
 
 注文していた革を受け取りに行って
 「これが厄治めよ。」と言われ、本当にそうだ、いろいろあった今年だけど、悪いことはこれで終わり、と希望を持つことにしました。だけど・・・先先に延ばした懸案事項は来年に持ち越し、たくさんの宿題を抱えたまま新しい年を迎えます。
 今年1年柿畑にご訪問くださった皆様、ありがとうございました。いろいろ楽しませてもいただきましたし勉強にもなりました。ぼちぼちですが来年も心に残る小さな出来事をつづっていこうと思います。皆様よいお年をお迎えください。
 
 
 
 


 
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撮り溜めた写真から 秋の花など

2022-12-29 09:38:00 | 植物

 みなさんの植物ブログを読むたびに、かわいいなあ、珍しいなあと思っていた花が思いがけず身近にあったことを知った時のうれしさ。
 けれど、簡単に自慢してはいけないとも学びました。素人のわたしには、何が貴重で守るべき物なのかいまいち理解できておりません。そこで、この秋から、見つけた植物はなるべく場所を明かさないでおこうと決めました。行った場所から推測できるものもありますが重要秘密として、記事にしてないものもあります。
 
 
 愛媛県レッドデータブックに載っている植物がその辺にあつたりー

アカソ


ラセンソウ


 これがうちの畑にあったなんて。





 今年名前と実物が一致した花

 キアキギリ
 去年も見てたんでしょうけど、多分気に留めてなかったのでしょう。





 これはまだ自信ない。マツカゼソウ?


 アケボノソウ




 これらの花は去年から見ていました。だけどここにはもっとたくさんの花があったはず。
 シュウブンソウもウバユリもミズタマソウも、ゲンノシヨウコもー見当たりませんでした。かわりにポイ捨てのゴミが増えていくばかり。
 
 去年は何が分からなかったマメ。花が黄色でしたからヤブマメかな?




 秋が深まるにつれ、いろいろ実を見かけるようになりました。花のその後

 ながーい花だったフウトウカズラ


 くねくねの実が付いていました。


 ニセウルシ


とある訪問先で
「花の終わったんなんか撮ってどうするん?」と不思議がられましたが

 庭木のネムノキ 
 お坊さんの払子みたいでおもしろかつたんです。


 こんな実がなるの。初めて見ました。



 お庭に植えてあったからこそ観察できた実でした。

 それから、
見慣れた植物だけどやっぱりきれいと思うもの

 クサギの実。集めて冷凍しようと思った時にはほとんどありませんでした。クサギの実は一度に熟するのではないので小まめに集めて冷凍しなければいけないそうです。結局、草木染めにつかうほどはあつまりませんでした。




 コミカンソウの紅葉。


ミゾソバ
ピンク






ゲンノシヨウコ赤

 ゲンノシヨウコ白



美しい実といえば
ノブドウ


お茶の木を覆っていたのですが、ここにはいろいろなつるがからみついて

奥の方にビナンカズラ見えました。


 誰も実を取らなくなった柿に
 カラスウリとノブドウ 






 離れていても色合いがすてき。

 




カラスウリといえば、

キイウイかと思ったら





こにらはキカラスウリ







 ここのオーナーさんは、以前から 出来るだけ手をかけずに栽培したいと言っているそうです。邪魔にならなければカラスウリにも棚を貸してあげるって?

 こんなところに!と思ったもの

 桜三里の途中に白い花が目立ってきました。今年は特にたくさん咲いていたので、わざわざからを止めて見てきました。

ヒヨドリバナ

 毎週のようにここを通りましたが
アサギマダラは見ていません。そのうち、来てくれるといいなあ。すごく期待しています。


 
 散歩道で見つけたのですが、
 ヤブガラシ? カナムグラ? いやどれでもない

 特徴的な実がついていました。これつて

 アマチャヅル?名前だけは有名ですけど。








 散歩のたびに立ち止まり、目を凝らして探していたものがあります。昨日ようやく見つけました。
 
 ガガイモのサヤ


 なんだぁ、こんなとこにあったのか。それは、混沌とした草やぶの、いつもの道とは反対側にありました。
 弾けるにはもう少し時間がかかりそう。来年からはこちらも散歩コースに入れます。まだまだこの辺りではお宝が生えているかもしれません。



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撮り溜めた写真から1 広瀬邸

2022-12-26 21:01:41 | お出かけ

 一度はボツにしようとした写真ですが、こう寒いと、この赤が恋しくて、

 






 新居浜市にある広瀬公園。県展移動展の搬出のついでに行きました。そして去年入れなかった邸宅を中心に見てきました。
 広瀬邸の主、広瀬宰平
 幕末に住友銅山の支配人となり(38歳)明治10年住友家の総理事に。その時建てられた家を10年後ここに移築しました。
 
 別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅として国の重要文化財に指定され、庭園は「迎賓、祝祭、顕彰の場を兼ね備えた近代日本における地方の庭園文化発展を示す重要な事例」として国の名勝に指定されました(パンフレットより)
 
 豪商の贅を尽くした建物とは違います。当時珍しかった板ガラスらマントルピース、洋式便器、避雷針など西洋から輸入した物をそなえ、お金はかかっているのでしようが、わりと簡素なしつらえで、一回りした印象は、ーまるで広い官舎ーのようでした。
 
 母屋の玄関から入ると
 奥がふかそう。


 駕籠。当主が乗ったのでしょうか。大名駕籠などと比べると、ほんとうに簡素です。


居間


 ここから廊下を渡ると新座敷につながっています。
 ここからは、来客をもてなすスペース。これも大切な仕事だったのでしょう。
 
 茶室や


 水屋を備え


 突き当たりには手の込んだ障子


 来客専用の風呂、トイレ






 広々とした座敷と続きの間



 座敷からは庭に出られるようになっています。
 


 心字池のこちらに東屋
 
 向こうに茶室指月庵があります。

 
 内庭をまわって木立の中を行くと神社があつて

 
 広瀬家と宰平の実家山𦚰家の神社だそうです。
 それから広瀬家の持仏堂



 神棚と仏壇が独立した建物に!
 さらに、図書館まで。それも、これは地域の住民の知識向上のために建てられた書庫だそうです。


 この先には歴史記念館がありますが、時間がないので、今回はパス。


 もう一度邸宅に戻って、母屋へ。


 台所と食事の間




 
 台所の奥に旧場所にあった乾蔵が移築されていました。江戸時代の建物だそうです。その倉に今は製茶機械が展示されていました。
 




 宰平の長男満正はこのあたりの茶栽培に力を注ぎ地場産業の発展に力を尽くしたそうです。製茶工場は広瀬邸の隣にある高齢者生きがい創造館の場所にありました。
 
 二階にも上がってみました。
 
 
 新居浜市内を見渡せる部屋は望煙楼と名付けられていました。
 
 
 邸宅を出てもとはため池だったという亀池の周囲を歩いて車に帰りました。
 
 
 パンフレットや写真を見ながら記憶をたどってやっとここまでまとめましたが・・・
あ~あ、めんどうくさ!
 
 けれど、こうして振り返ってみると、幕末明治にかけて近代日本の産業の発展に尽くした一人の経済人の生き様が浮かんでくるようで、小さな感動を覚えています。
 
 
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 柿の渋抜き

2022-12-22 21:12:00 | 野菜・果物・料理など
 去年に続き、 失敗しない柿の渋抜きを模索しています。今年のやり方はー

 その前に、
  秋にたった一個なっていた大きな柿を、捨てるのももったいなくてホワイトリカーで渋抜きしてみました。
 こんなに大きな柿だったんです。





 干し柿にするには大きすぎてなかなか乾かすのに時間かかりそうだしー

 へたに果実酒用のホワイトリカーを染み込ませたキッチンペーパーを貼り付けて、ジッパー付きのポリ袋にいれました。袋の口にストローをさしこみ、ジッパーをギリギリまで閉めました。ストローで空気を吸い出してジッパーを最後まで閉めました。






 これで10日ほどおいて

 大成功。ドライアイスなしでもきれいに抜けました。へたの部分をきつちり覆ったのが良かったのかもしれません。

 今年はこの方法でやってみます。




 消毒の何もしてない柿なので、少々傷や汚れはあります。けど大丈夫なんじゃないかな。売り物ではないんだし。

 柿は一袋に5キロずつ。約20個です。一袋に目だけきちんと計りましたが、あとは20個で統一。多少の誤差は問題ありません。多分。わたし、結構大雑把なので。

 キッチンペーパーにホワイトリカーを染み込ませ、へたにかぶせます。ちなみに、アルコールは35度以上のもの、というので梅酒の残りのホワイトリカーを使っています。


 これだけしたら、ドライアイスなしでも大丈夫だとは思うけど

 失敗は嫌なので、念のためにドライアイスを買ってきて入れ、
 袋を半分縛って掃除機で脱気、しつかりと縛り直してできあがり。



 ぜんぶで6袋、約30キロ。個数にして120個、渋抜きをしました。それでも干し柿に比べれば、勝負が早い。





 10日経ったので食べてみました。
うん、大成功。去年は一週間で口を開けたところ少し渋が残っていました。今年、3日遅らせたのは正解でした。ただ、気温によって抜け方に時間差はあるようですね。その年の気温を考慮したほうが良さそうです。

 取り入れの時期も去年より遅かったので、甘みが増していました。



 しゃりしゃりの、甘みの少ない固い柿を好きな人もいるようですが、わたしは、甘い柿が好きなの。


 追記
今年分かったことをまとめておきます。
1 ヘタから確実にアルコールが染み込むようにする。これにつきます。
 アルコールは35度以上のものを。高濃度の渋抜き専用も売っているようです。
 へたの軸はできるだけ短く切る
 小さく切ってアルコールで湿らせたキッチンペーパーなどでへたが乾かないようにふたをしておく。
 柿は上向に並べるとよい。
2 脱気は可能な限り真空に近づける。
 掃除機の操作、袋を縛る、ふたりでするとやり易い。
3 ドライアイスは柿10キロに対して100グラム。柿に直接当たらないように新聞紙にくるむ。
 ドライアイス無しでもいけるかどうか今実験中
4 保管は室温で。
 15度から20度くらいがいいと思います。さむいとしぶが抜けにくく、暖かいと、柔らかくなりやすい。
 一週間から10日くらいおく。
 いったん袋を開けると柔らかくなり易いので、冷蔵庫で保管。
5 余ったアルコールは、柿にかぶせた新聞紙のうえから振りかけておきました。とにかく一番はアルコール頼みです。




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キイーウイも奇形果

2022-12-21 09:53:00 | 野菜・果物・料理など
 さつまいもに続いて、ヘンテコなキイーウイ。
 今年も散歩道の端っこに並べてありました。


 去年より多くない? というより、いびつさがひどい。







 今年は柿も奇形果が多かったそうです。これも夏の極端な雨と晴れの天候のせい?それとも受粉時期の蜂さんの働きに異変があった?いや、キイーウイは人工受粉だったかな?
 いずれにせよ、奇形果が多いというのはいいことではなさそうです。市場には形のいいのしか出せませんから。
 そしてキイーウイ狩りの人のために、いろいろな種類のキイーウイも並べてくれています。






うれしい。お初にお目にかかります。左下の青い実。

サルナシ

これは野山に自生するキイーウイの仲間で、美味しいそうなんですよ。知識だけで知っていましたが見るのは初めて。食べてみたいー

こちらも気になる。



 ひみつのキイーウイだって!?
 持ち主さんに聞きたいなあ。

 まだ取り入の済んでない畑では、強風で転げ落ちたままのキイーウイが食べごろになったらしく、ポチが毎日拾って食べています。「拾い食いをしてはいけない」なんてしつけはしてないものですから。ちなみにポチはきゅうりの干物も好きです。

 今年わたしはたくさんのキイーウイをいただいたので思いっきり食べました。
こちらは格安で買った赤いキイーウイ。今年は豊作だったのか、作付けが増えたのか。




 安いからと言って手放しで喜べないのは、田舎に住んで農家の事情もわかるからなんです。

 

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芋泥棒の犯人は?

2022-12-19 19:48:00 | 野菜・果物・料理など
 12月も10日余り、
 今年中に、今までに後回しにして機会を逃してしまった記事を紹介して行こうと思います。
 かなり前の話題ですが、ちょっとした事件だったので、記録しておきたいと思います。
 今年弟は、うちの方の畑にさつまいもを植えました。わざわざここまで来て、とも思いましたが、まあ、さつまいもは植えてしまえばほとんど手間入らずですからそれはそれでよかったのですが...
 10月終わり頃、ポチを連れて様子を見に行ったところ、何ヶ所か芋を掘った形跡がありました。それが、掘った箇所が目立たないように巧妙に掘られていたため、わたしは、だれか、自宅で食べる為に取って行ったのかなと思ったのです。うーん、これは時々見に来なくては。
 それから雨が降ってしばらく行けませんでした。そして
 大事件が



 相当広い範囲、掘り起こされていたのです。




 これは、動物の仕業?それとも人間?
動物だという証拠がありました。

かじった跡


けど、何でもかんでもかじるというわけではなく、

こんな細くて不味そうなのや


傷物には手をつけてないのです。

 そして、ちょうどいい、食べごろの芋がまったくありません。芋をどこかに持っていったの? わたしには動物だけとは思えませんでした。

 ぽちは、この草むらに入りたがっています。


 細いけものみちがあちこちに。
もしかしたら、人間と動物と両方かもしれない。
 わたしは散歩以外にも様子を見に行くことにしました。
 人間なら、多分日没前後、あるいは暗くなってから。きっと灯りが見えるはず。
 猿ならば、早朝。
しかし、わかりませんでした。少しずつ被害は広がっているみたいでした。


 弟はわざと掘った芋を置いておきました。ハクビシンなどは、こうしておくと自分では掘らずにこちらを食べるというのです。楽だから。

 けれどこの細い不味そうな芋は何時迄も残っていました。ハクビシンではなさそうです。マルチに爪痕も残ってなさそうでしたし。



 こんなに端から順番に掘っていくのは、やはり人間か?人家もないところですから、それもありかとも思うしー。
 けれどわたしは、犯人探しよりもこれ以上被害を増やさない事が大事だと考えました。そこで
 掘られた場所全てに棒を立てました。被害の大きい畝は、無傷な所との境目に立てました。ーちゃんと気づいてますよ、というメッセージのつもり。
 毎日、ポチと芋の周りや中を歩きました。動物なら犬の匂いに警戒するはず。以前それで成功したことがあります。
 それから、出会った人に、サルの目撃情報を聞くとともに、被害の状況を伝えました。顔の広い人ですから、きっと噂が広がるはず。それでやめてくれればいいのです。
 それ以来、目に見える大きな被害はなくなりました。
 やっぱり、この辺の人だったのかな?それはそれで悲しいことではありました。いや、今は、窃盗団が橋を渡って来るそうですからそうとも言い切れません。

 弟は、これ以上掘られないために、早めに掘り上げました。まだ小さいので勿体なかったのではありましたが。
 そして、結局、猿のしわざだろうと結論しました。小さな手形があったそうです。

 猿は、なかなかひどいいたずらをするそうで、草木染めの時聞いた話では、玉ねぎなと、まだ球ができてないうちに、端っこからきれいに抜いてしまうそうです。
 そういえばあの人も、夏に芋の苗を全部抜かれたと言っていました。
「僕、なんか人に恨まれることしたじゃろうか?情けのうて。」仕方なく植え直したそうです。それも猿だったかも。

 この辺りでは、まだ野生動物に対する知識もあまりなく、備えができていません。さあ、来年は?
 
 おまけ
 気分を変えて、こちらの写真を見て笑ってやってください。
 あるところで孫たちが育てて収穫したさつまいもです。

 いくつ手がある? 一人では手に負えません。


やっと顔を出したけどまだまだ掘らなくては。


掘り上げた芋の大きいこと!


 コンテナに入れました。


 こちらも、カボチャより大きな芋


 今年は、暑さで苗がたくさん枯れたそうです。生き残った蔓は、枯れた芋のぶんまで栄養をたくわえて、どれも超巨大。
 
 おまけに、こんな変なかたちばかり。わたしの考えですが、今年の天候不順で、成長が一時止まったのではないかと思うのです。枯れたのも、暑さではなく、長雨のせいではないかと。



 これなんかも。幾多の困難に耐えて育ってきたと言わんばかりのいびつさでした。


 

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八幡浜市美術館

2022-12-17 08:00:00 | お出かけ
 午後四時前、ようやくわたしの行きたかったところに到着。



 閉館が五時かもしれないと焦っていたのですが、六時閉館で、ゆっくり見ることができました。

 土門拳(1909-1990)
 戦前、戦中、戦後、復興、高度成長と、日本社会全体が目まぐるしく変化していく中、強烈な個性とこだわりを持って、一貫してそこに生きる日本人や現実社会を撮り続けました。(パンフレットより)

 けど紹介できる資料がなにもありません。手元にあるのは入館時にもらったパンフレットと目録のみ。図録はすでに売り切れていました。なにしろ、明日が最終日という日に来たのですから。
 
 宣伝でたびたび目にしたこの写真。


 実物はF40号の大きさでしようか。縦90センチの大作です。そこまでの引き伸ばしに耐えられる撮影技術にも感嘆しますがー
 目深にナース帽をかぶり、粗末なマスクをし、目元しか見えないその少女は観音様と同じ顔をしているなと思いました。その眼差しの清らかさ、美しさ。
 それが従軍看護婦として出征する前の写真だと、ここへ来て解説を読んで初めて知りました。
 知ってから、彼女の眼差しはわたしの中で、今も戦争の最中にあるウクライナへ、コロナ禍の最前線にいる医療関係者の姿にと重なりました。一昔前の写真ではない、普遍の価値を持つ写真だと思いました。
 孫たちには少々難しかったかもしれませんが。
 
 帰り道、朝少々の事でゴネて出発を1時間も遅らせてしまつたトラオが、反省したように「出発が遅れんかったら、もつと早く帰れた?」と聞いてきました。
 遅くないよ。夏だったらまだ明るい。

 そう、帰りが1時間遅れたおかげで、わたしたちは素晴らしい景色をみることができたのです。

 本当なら山の中の高速道路を行くはずでしたが、食事時間優先で目的地を変更した結果、ナビは海沿いの国道378号線を案内してくれました。
 ずっと西に海を眺めながらのドライブは快適で、帰りもこの道から帰ろうと決めていました。大洲市長浜町から伊予市双海町あたりまでのこの道は、夕焼けこやけラインと呼ばれています。時間もちょうど日没前。



 佐田岬の先端に夕日が沈んでいくところでした。




 佐田岬に並ぶ風力発電機がうっすらとみえました。



 しばらく走ってもう一度車を止め







 すっかり日が沈んで残照の双海シーサイド公園駐車場からまた眺めて



 ここから少し走って高速道路に乗り、伊予サービスエリアでお買い物。

 すっかり日が暮れて、サービスエリアからは松山市の夜景がきれいにみえました。



 ね、トラちゃん、来てよかっただろ?
 うーん
 
 反抗期って言葉知らんの?ってわめいていた朝の不機嫌が嘘みたいでした。
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佐田岬へ

2022-12-15 19:07:00 | お出かけ
 携帯から投稿してみます。
 トラオたちと佐田岬に行ってきました。今頃、なんのために?
 うーん、目的は別にあったのですけど、ついでに、というか、例によって行き当たりばったりというか。
 昼ご飯にしらす丼を食べられるようにまずは佐田岬を目指したのです。ウマオが風力発電所を見るのをとっても楽しみにしていました。

 佐田岬は四国最西端の細長い岬です。その根っこの部分に伊方原子力発電所があって、道の駅があります。
 そこのトイレの手洗い場が


 オーシャンビューで


 開放的でよかったのですよ。
 せっかく来たのだから展望台に上がってみました。
 ウマオの見たかった、 何基もの風力発電機が。


 下には伊方原子力発電所。
 いわゆるクリーンなエネルギーというのが二つも見られる場所なんですが、


 このことについてはここては触れないでおきます。
 展望台へはもちろん階段をのぼりましたよ。そこに貼ってあったこのポスター、

 愛媛の柑橘勢揃いです。これ、欲しいなあ。

 私たち、風力発電機が間近でみられる「瀬戸風の丘パーク」を目指していたのですが、昼をかなり過ぎていたので、先にシラスパークに行くことにしました。
 ところが、検索しても見つからないのです。娘のスマホにはある、というのに?果たして辿り着けるのかどうか不安なままにナビが案内してくれたのが、ここ。



 道の駅、「はなはな」でした。はなとは岬のことだそうです。今年できた施設なんですつて。おしやれな建物の中に、売店やカフェなどがありました。
 なんだー。シラス食堂はこちらに移転したんですね。
 九州へのフェリーが出る港のそばです。

 以前、弟夫婦とここからフェリーに乗ったとき、早朝の港には食べる所が何もなくて、ジョイフルで食べた事を思い出しました。あの時も行き当たりばったりのとんでもない旅行だったなあ。

 

 海の見える二階の食堂で
 わたしは、釜揚げシラスと生シラスの2色丼


 トラオは3色丼



 娘は念願の生シラス丼。新鮮でなければ食べられないどんぶりで、みんな大満足でした。ただ一人ウマオはお子さまメニューを選んだのだけどほとんど食べなくてーお菓子の食べすぎ? 今思えばそうではなかったのかも。

 以前、灯台まで来たことのあるわたしの話を聞いて、孫たちは灯台まで行きたくなったようですが、なんとかあきらめてもらいました。だって本当の目的地に間に合いません。最初の予定通り、瀬戸風の丘パークに寄って八幡浜市へ向かいます。

 「ウマちゃんの行きたい所はいつも難しい。」むすめが運転しながらこぼしました。そして、迷いながらやつとたどり着きました。

 ウマオは巨大な風車に大興奮。


 パークといっても記念碑と、岐阜県でダム湖に沈むはずだった荘川サクラの子孫と




 実際に使われている風力発電機の羽があるだけ。


 おおきいです。ウマオは怖がって近寄ろうともしませんでした。
 丘のてっぺんに行ってみました。


 クワガタの発電機がありました。


 ここって映えスポットなんだそうです。強風のなか、乱れる髪を気にしながら自撮りしている女性がいました。

下に見える海も

 遥か向こうまで続く発電機の列も




 たしかにねぇ。




 美しいです。

 だけど長居はできません。さほど音量はないものの、発電機の唸りは不快でしたし、長く聴いていれば多分健康被害をもたらすでしょう。
 ダムにしろ、風力発電にしろ自然破壊の問題も、そこに住む人の故郷や暮らしを犠牲にしていることも、色々な負の問題があることは分かった上で、それでもねえ、自然の中に人間の作った巨大建造物があるってすごい。娘が言いました。
 地球温暖化という大きな宿題を次の世代に残して先に死ぬ、年寄りのわたしは複雑な思いです。

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冬のオタマジャクシ

2022-12-12 14:20:35 | 生き物
 娘が教えてくれました。 畑の貯水タンクにウシガエルのオタマジャクシがいっぱいいるんですと。
 二人で覗いてみると
 
 
 いるいる。12月だというのに。どうも牛ガエルはオタマジャクシで越冬するらしいです。こんなにたくさんウシガエルが増えたらどうなるんでしょう。
 
 
 私がブログを始めたころから鳴いていたカエル。そのころはたった1匹で鳴いていて、孤独なまま一生を終えるんだろうかと、同情した時期もありました。けれど、いつの間にかあっちでもこっちでも鳴いている声が聞こえだし、今年の夏は水の上に目玉だけ出した姿を2匹以上見かけました。これが素早くて、すぐに潜ってしまうものだから写真を撮れずじまいだったのです。ついに子孫を残しだしたか・・・
 しかし、特定外来生物のこのカエル、飼育も移動も禁止されているそうです。
 それはしってるけど、だったらどうすればいいのよ、ってことですね。
「このタンクの持ち主さんに、捕まえてもらう?」
「それからどうするの?」
「その辺に放り出して駆除する。」
 
「こんなところ、子供には見せれんよね。頭から落ちたら大ごとじゃ。」と言いながら大人二人でしばらく覗き込んでいました。
 もう40年近く前、幼い子供がタンクに落ちてなくなったことがあります。たかが2メートル四方のコンクリートとはいえそこは深く、壁が垂直なので這い上がることはできません。それに子供は頭が重たいから。
 
 その壁には  

  小さな貝がたくさんへばりついていました。

 
 こちらもますます繁殖しそうな気配です。
 
 
 ときおり、マツモムシとか、ミズスマシとかが息を吸いに浮かび上がっては素早くもぐっていきました。
 これこれ、

 そしてなんだか幽霊のようにボヤっと見えるのは




 ミズカマキリ



 ミズカマキリはオタマジャクシを食べるそうです。近くにいるオタマジャクシを狙っているかも。
 「もうミズカマキリにお願いするしかないね。」
 「こんなにたくさん食べるかなあ。」
 それからしばらく行ってなかったのですが、今日覗いてみたら
 
 オタマジャクシが見えませんでした。本当にミズカマキリのえさになったのならいいのですけど。
コメント (6)
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柿採り

2022-12-09 08:52:45 | 野菜・果物・料理など
 柿の収穫を終えた柿畑は冬の景色になりました。
 
 
 たった一つ残されているのは木守りの柿。この畑は1本の木に1個の実、きちんと残してありました。
 
 
 
 
 柿の葉はどれもが紅葉するわけではなく、品種によるようです。



 愛宕柿は紅葉しません。青い葉っぱのまま落ちていきます。これはうちの畑に1本ある愛宕柿。色褪せてきますが赤くなりません。写ってないですが、木守りの実は残してありますよ。




 うちには別の場所にももう1本愛宕柿があって、日曜日、ウマオとトラオを動員して2本とも実を全部収穫しました。この木は、散歩の途中にぼつぼつ摘果していましたからわりと実が大きくきれいでした。しかし、手の届かない上の方は鈴なりで
 
 大きな枝ごと切ったらどさっと落ちてきました。
 
  
 


 高いところの実を採るのはトラオの役目。それをわたしがかごで受けていたのですが、衝撃でついつい手を放してしまうんです。
「ばあちゃん、去年みたいにエプロン広げて受けるんがいいんじゃない?」
そこで家に帰って割烹着に着替えて、後ろのひもをほどいて精いっぱい広く持って受け止めることにしました。
「もうちょっと右・・・行き過ぎ・・・うん、その辺。」
「大成功!」 かごよりも布のほうが衝撃が少なく、うまくキャッチできました。だけど時にはこんなことも
 
 
 うぉ~、。
 頭の上でなくてよかった


 
 受け止め損ねて脚立にあたった柿が真っ二つ。
 
「自転車のヘルメットかぶろうか。」なんてわいわい楽しく採っていたら、夫が
 まだ慣れてないウマオに「そんな入れ方したら傷がつく。」とかいろいろ指導をしようとするので(昔の農家の子は、親に怒鳴られながら手伝いをするうちに農作業の仕方を覚えていったものと思われますそんなこと今の子に通用しません)
「おととしまで採りもせずに放っておいたんだから採るだけましだろ? 売るわけでもないのに少々傷がついたっていいんよ。まだ小さい子にいろいろ言わんといて。」
 わたしは夫を追い返し帰ってもらいました。小さな傷でも焼酎抜きには使えませんから、ないほうがいいのですが、去年は、早々にリタイアしたウマオが今年は頑張ってくれてるのがうれしかったのです。
 
 大きく枝を切って、次に根元の枝をT字型に残してコンテナに入れました。
 なんと7杯分
 そのうちの4杯分はトラオ、2、5杯分はウマオ、私は二人のサポートをしていましたから0,5杯分くらいかな? ウマオも脚立で収穫することができてうれしかったみたいです。
 
 さあ、これからが大変。柿の産地で渋柿をもらってくれる人などめったにいません。
 けれどコンテナ2杯弱は干し柿をしてみようかという友人たちに、やり方を伝授して持って帰ってもらいました。
 夫が知り合いにあげたのもあるみたいです。残ったのは干し柿と焼酎抜きにします。
 
 干し柿は去年同様トラオとウマオが手伝ってくれます。
 孫たちが邪魔になるへたをもぎとって
 その周囲だけ私が包丁で皮をむいて
 


 
 あとはピーラーで剥きます。こうすると小さい子でもできるので助かるのです。ウマオやヨウコと同じ年頃の孫がいる友人が
 「なるほど~、自分で剥いたら手が痛くなるんよね。孫にやってもらおう」と言って大目に持って帰ってくれました。
 
 後は焼酎抜きにするつもり。友人たちにはうまくできたらあげるからねと言ってあります。これは丈夫な袋やホワイトリカーやドライアイスなどの用意がいりますし、説明もややこしいので。そしてこれには傷がない方がいいので、いいのをより出してへたの先の枝は切ってしまいます。
 
 
 こんな小さな傷は多分ほかの実の枝が当たったものですね。これは干し柿行。



 
 とりあえず20キロ、個数にして約80個 より出しました。後、数日後に10キロ作れば親戚一同に配っても多分余ります。
 先週とても忙しくてできなかったので今日、明日が柿日和です。 がんばろう。
 
コメント (2)
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