またまた南予です。 といっても、内子町へ出かけてから一週間後のこと、今度は、革ろうけつ染めの作品展を見に大洲の画廊へ行ってきました。
臥龍山荘のちかくにある山荘画廊。 以前行った覚えはあるのですが、何かの会のおりについでに連れて行ってもらっただけなので、どう行けばよいかわかりません。 街の駅に車を止めて、歩くことにしました。
地図を見たところ、この階段の上の道を行くのが近道らしい。
娘に、本当にこれが近道なのかと文句を言われながら、はあはあと上りました。 なのに、その近道は、下へ下る坂道でした。 しかも舗装もされてない、石ころゴロゴロの山道。 せっかく登った道をまた下まで降りてきて、なかなか雰囲気のよい路地を曲がると、ギャラリーはすぐ見つかりました。
おお~、なんだかいい雰囲気
と思ったら、そこは画廊ではなくて、臥龍山荘という県の文化財に指定されている建物でした。
画廊はこちら。 臥龍山荘のすぐ隣にあります。 一階は喫茶店とお土産物屋、2階がギャラリーになっています。 こちらで大洲のろうけつ染めグループの方たちが作品展を開いているのです。
ろうけつ染めといっても、こちらの皆さんの手法は、チャンチンという道具を使って、輪郭を細く蝋がきして防染し、白く浮き立たせるやり方。 ろうけつ染め特有の亀裂の入った染めが美しい作品が並んでいました。
わたしたちとはまた違った雰囲気の作品を見せていただき、とてもよい刺激になりました。今度はわたしもチャンチン染めに挑戦してみましょう。
ギャラリーを出た後、せっかくなので山荘の方を覗いてみることにしました。
この建物は大洲を流れる肱川の、臥龍淵のそばに建てられています。 蓬莱山の見えるこの場所を臥龍淵と名付けたのは3代大洲藩主加藤泰恒公だそうで、 蓬莱山が龍が臥した姿に似ているところから臥龍山と名付けたそうです。
その後明治時代になって、貿易商河内寅次郎が10年をかけてここに山荘を築きました。
玄関で観覧料を払い、一番大きな建物臥龍山庵から見て回りました。 室内は撮影禁止ですが、お庭はいいですよ、とのこと。
これは壱是(いっし)の間から庭園を見たところ。 左に見えるのは霞月の間です。
この廊下の釘は、千家十職の一人の何とかという人が作っただとか、霞月の間の幅一尺ほどの一枚板にわざわざ溝を掘って板を貼り合わせたような廊下にしただとか、隣の仏間の丸窓を月に見立て、霞がたなびくように棚を配置し、襖の引き手にコウモリの金具を用い、夕暮れの風情を表しているというふうに、とにかく意匠を凝らし贅を尽くした建物になっています。
だからといってきらびやかな造りかというとそうではなく、霞月の間などは壁の一部をくりぬいて中の竹の桟がむき出しにしてあり、農家のひなびた風情を表しているのだという・・・・
説明のテープを聴きながら思わず二人で大笑いしてしまいました。
お金持ちの考えることって・・・・・? うちなんかそんな細工しなくたってひなびたボロ家なのにねえ。
庭に出て茶室に向かいます。
これがまた、石一つとってみてもさりげないのにぜいたくなのですねえ。
どこやら産の手まり石とか、灘の酒屋で使われていた石臼だとかをわざわざ取り寄せてー
この茶室、もとは風呂場だったそうです。 建物はあくまでも侘び寂びに徹しています。
一番奥の建物不老庵は川の上にせり出して建てられています。
ここまできて、以前この建物を見たことがあるのを思い出しました。 それは一本の槙の木を見たときです。 建物の奥から真横に枝が突き出ています。
裏へ回ってみると、生きたまま柱として使われているのが分かります。
そうそう、この木ははっきりと覚えています。 そういえば仕事仲間と大勢でわいわいいいながら見たような・・・・・・
あのときはこの山荘にさほど興味も持たなかったように思います。 多分若かったんですねえ。 歳をとって、若い頃に見えなかったものが見え、感じることができなかったことが感じられるようになったと思うことがあります。 歳をとってからの感性というのも悪くない、そう思えるこのごろです。 記憶がぼやけてきたのは困りものですけど
しばしゆったりとした時間を過ごして駐車場へ引き返しました。 帰りはちゃんと広い道を通り、さらにちょっとだけ回り道して、こんな通りを歩きました。 小さな水路には魚が泳いでいるんですよ。
駐車場へ帰り着いてみると、何のことはない、近道も回り道もほんの100歩か200歩違うだけの距離でした。 娘には、こんなに雰囲気のいい通りがあるのに、何をわざわざしんどい目してあんな変な道を歩いたのかとまたまた文句を言われました
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