あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

今年を振り返ってみると

2024-12-30 22:33:59 | いろいろ
 今年の漢字は「金」だそうですが、私の漢字は
 「壊」
 
 以下、本文には関係のない鳥の写真(豆粒みたいな)とともに「壊」の一年を振り返ります。
 
3月 
 知り合いの車屋さんに中古車を探してもらっていました。(もうちょっと安全技術の進んだ車が出るまでのつなぎのつもり)ようやくいい具合のというか、新品のようにきれいな車を見つけてもらいました。ところがひと月もたたないうちに左ドアをぶつけられまして、ドアをそっくり交換する羽目になりました。
 修理屋さんに「もう3度目はないと思うよ。」と慰めてもらったのに、それから半年もたたないうちにまたまた左ドアを傷つけられて(今度は隣に駐車していた車のドアが当たった)もう何回代車生活を送ったことやら。
 「いろいろある割には無事でいるでしょう?」 と友人に言われ、ああ!と気が付きました。入院するほどの大けがは今までしたことがないのです。人を傷つけたことも。私は案外強運の持ち主かもしれません。
 
 6月 
 以前折った歯のつなぎ部分がとれてしまいました。あいにく行きつけの歯医者が臨時休業、評判のいいその先生に診てもらうのは1週間も10日も後になるでしょう。仕方なく別の歯医者に電話して3日後には見てもらえることになりました。そこも若い先生が跡をついでから評判がいいのです。(友人の教え子でした。時の流れをじるわぁ)小さな虫歯も見逃さず、時には口の中で道路工事をしているような衝撃にも耐えつつ治療すること半年。まだ終わりません。
 この際悪化しそうな虫歯を全部やっつけて、後は数か月おきのメンテナンスに通って後期高齢期をむかえるつもりです。というのも90歳過ぎた父の歯の治療で苦労した思い出があるからです。まず口を開け続けていることが難しかったのですから。わたしは年取ってから治療しないで済むように頑張るつもりです。
 
 7月 サギの群れ。なぜか今年はアマサギを見なかった
 
 
 今年は暑かったですね。
 羽で扇いでるのかもしれない。なんて思ったアオサギ
 


 
 
 
 稲が短い間はサギがよく見えるのです。 
 
8月
 
 1 動作が遅く長い間使ってなかったパソコンを専門店に見てもらいました。大枚はたいて最適化してもらいサクサク動くようになりました。が、快適に動くようになるとパソコンで遊ぶ時間が増えて・・・良かったり悪かったり。
 2 壁の塗り替えのため取り外したエアコンが効かなくなりました。あまり使ってない部屋なのでそのままです。
 3 娘の指も壊れました。1週間程度の入院でしたが、孫たちがあまり手がかからなくなっていたので助かりました。
 
 9月 去っていくチュウサギ

 
  ダイサギは残っています。


 
 近くにもう一羽いて盛んに鳴きかわすホオジロ
 
 井戸のモーターが壊れました。 古い鉄の配管がさびていたようです。錆を取り除いても直らず買い替える羽目に。
 
 10月 
 
 壊れた納屋の近くでうろうろしていたキジ


 
 ここにも壊れた鳥の姿。 この羽の落ち方は何者かに襲われたのかもしれません。
 



 
 アオサギも残っています。愛媛県では留鳥です。
 
 
 11月 ジョウビタキ うちの近くでもよく見かけるようになりました。

 
 このころから破壊の加速度が増したような気がします。
 
 新しい掃除機を買ったとたん、今まで使っていたダ〇ソンの掃除機が動かなくなりました。 体格のいい西洋人に合わせてるから重いし取り外しにも力が要るし・・・なんて悪口言ってたので怒ったのかもしれない・・・
 わたしは軽いめまいが続き、 物忘れが多くなり、パズルを解く速度が遅くなり、失せ物は1週間も見つからないことが多くなって(記憶を頼りに探すと絶対出てこない)自覚してない意外な場所から出てくるのです。
 私の脳みそも壊れた?
 
 12月 冬鳥たち






 
 このため池には水上ソーラーができるのだそうです。ため池自体は壊すのではないそうですが、鳥たちはすみかを追われますね。
 
 寒そうなアオサギ
 
 葉っぱが少なくなると鳥がよく見えるようになりますが、何の鳥なんだか。尻尾が長いのでエナガかもしれないと思ったのですが確信はありません。

 


 こちらの鳥は揺れる木の枝でびよーん、びよーんと遊んでます。
 




 
 12月 あなたはコウノトリですか? なぜか電柱の上にとまったサギ



 1 嫁入り道具に持ってきたガラスのサラダボール、ついに最後の一枚を落としてしまいました。今年一年で全滅です。
 
 そして、最後の壊し治め
 2 一年ちょっと愛用したオカリナ
 
 
 吹き口が粉々になったものは直しようがなく買い換えました。
 友人に嘆いたら
 
「大ごとにならず良かったと思い年末を締めくくりましょう。」
 またもやポジティブなお言葉
 
 ただね、「壊」の先に待つものは「金」
 きんではありませんよ。カネ、カネ、マネーです。やはり今年は「金」の年でした。
 
新しい良い出会いもありました。
1 しまなみ海道のガイドをする傍ら自然と遊べる農園作りに取り組んでいるシクロ農園のKさん。そしてお隣の山のMさん(女性)。Mさんは80歳を過ぎても現役の果樹農家さん。ご主人をなくしてから一人で桃や梨を栽培しています。急な山の斜面に2mもの脚立を立てて剪定や収穫をしているのです。Mからおいしい梨を買って元気をもらいました。
 ババ友みんなでシクロ農園に訪問して 楽しい一日を過ごしたのですがブログに書く機会を逃しました。
2 大都会Y市から移住してきたMさん(男性)あちらではレザークラフトの作家さんで公募展でも素晴らしい成績を治めていたのにすべてを人に譲ってこちらへきたのだとか。ユニークな魅力的な絵を描いてらっしゃいます。
 
 ということで今年のブログを締めくくりたいと思います。
 
 タイミングよく娘から動画が送られてきました。どなたか、知り合いの知り合いが作ったとか。
 
 2024年駅から2025年駅行への列車が走るという設定で
 
2025年行きの列車には悲しい思い出や、嫌なことは持ち込み禁止、2024年駅に忘れ物として置いて行ってほしいー 2025年行の列車へは楽しかった思い出や心温まる出来事だけを持ちこむこと。次の年には新たな出会いや幸せが待っています。
 
 優しい声で心温まるメッセージ。そのままお借りして皆さんにお伝えしたいと思います。この一年ご訪問ありがとうございました。ではよいお年をお迎えください。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷いのち焦り

2024-12-28 12:55:19 | レザークラフト

 いよいよ押し迫ってきた25日、県展が終わり作品搬出に行ってきました。一週間ぶりの美術館。駐車場から見える城山もだいぶ冬らしくなりました。

 


 
 12月に入って三回目の美術館行きです。往復2時間かかるのです。ついでにあれこれしていたら半日以上がつぶれます。年末だというのに。
 今年は会場の改修工事のため、例年より開会がひと月遅れ、その分締め切りもひと月遅れ・・・私の制作とりかかりも・・・例年なら制作のピークは9月で10月半ばには制作完了、だったのに。
   県展ーこれこそ11月の忙しさの元凶
 いや、自業自得? 他の人はそれなりに余裕をもって制作していたと思います。むしろ締め切りが1か月遅いということは制作時間がたっぷりあったということで。たっぷりあったはずの時間に私は何をしていたのかな?
 
 今回の作品は石鎚を描きました。 
 題して「山頂の夜明」 夜明けの石鎚ではないのです。そこのところ強調しておかなければ。
 
 
 
 昨年石鎚山頂で迎えた夜明けをいつかはーと思っていました。が、愛媛ではプロアマを問わず好んで題材にする石鎚山です。似たり寄ったりの個性のない作品になるのは承知の上で、やっぱり記念に染めておきたかったのです。
 
 そこで生じた迷いとドタバタの数々を端折って記録します。
 
 まずデザイン
 はじめ1メートル四角の衝立にしようと思いましたが・・・
 夜明の太陽と山頂の天狗岳とを描くと正方形では収まりません。で、F40号サイズの額にいれることにして
 それでもポイントになるもの二つが、離れているということが問題。
 それを解決するために、実際の景色をぎゅっと縮めました。
 その結果・・・実際の風景と比べると他の山々の位置がおかしい。
 まあいいか、これは写生ではないんだしーそう、石鎚によく似た山ということにしておこう。ということで周囲の人にはそう言っておきました。
 
 とはいうものの
 わたしって、最近写実志向ではない? 昔はもっと簡略化した図案だった。それはろうけつという手法にのっとったものだったと思うのですが、私の腕が上がるに(?)つれて、より細かい表現を目指すようになったということなんだろうか。絵を描くようには表現できないろうけつ染め、それをできるだけ絵画に近づけようとしたのがそもそも迷いのもとだったように思います。
 
 細かいところで
 岩のざらざらした感じー亀裂の手法を使ったらどうかしら。亀裂とは、ひび割れしやすいロウを置き、技と手でひび割れさせて割れたところに染料をしみこませる手法です。
 
 うまく割れないなあ。
 


 そこでロウの配合を変えてみました。今まで使ってきたロウの基本は木ロウ+蜜ロウ+パラフィン
 蜜ロウが多いと粘り気が強く革に密着しやすく、パラフィンが多いと固く割れやすくなります。
 
 パラフィンを増やして
 あら、ばらばらになりすぎ
 もうちょっと蜜ロウ入れようか
 とろうを溶かしては亀裂を入れ、を繰り返してー亡くなった大先生はグラム数を図って記録していたというけど、おおざっぱな弟子だもので。
 
 こんな感じでいいかな? 亀裂が滲んでる。

 
  染料が薄いのか? ひび割れが太すぎるのか?
 
  わかりにくいですが、このように亀裂ができたところで、これに使ったロウを採用決定



 木の葉の茂った感じをどうするか。
 点描で薄い色 ロウで点描 少し濃いいろ ロウで点描 もっと濃い色・・・を繰り返します。ロウの点々がはがれないように、こちらには伏せロウ(蜜ロウこれはちを多めに配合したもの)を使います。季節によって粘着具合が違うので少しずつ配合を変えています。ちょっと試しただけですが、丁寧にすればこれで葉っぱの茂った感じは出せるかもしれません。
 
 何とか出来そうと思えてやっと色付けに取り掛かりました。
 
 いい感じじゃない? これで完成だといいんだけど、これはロウで全体が覆われた状態。ロウ伏せと言います。ロウ伏せをするとなぜか色に深みがでできれいに見えるのです。しかも濡れているから乾いたときよりも色が鮮やかです。

 
 
 ロウを落として乾かすと白っちゃけた色になりがっかりすることもしばしば。それを防ぐには彩色しては革が乾くのを待ち、納得のいく色に染まってからロウを伏せ、また別の色を染め、乾かし、ロウを伏せる。の繰り返しです。この作業、わたしはあまり苦になりません。

 遠くの山脈はロウを置かず絵を描くように。 下の方は伏せたロウを少し落として出来具合を見たところです。最終的には広範囲のロウをすべて落とし、水洗いして、粉のようなロウまで取り除きます。
 
 
 
 
 
 革を染めるのと並行して
 作品を立体的にするために、紙粘土で山を作ります。革は伸びやすいので、芯があるとそれに沿って形作れるのです。
 
 ここからが自画自賛したいところ。
 
 1革を貼り付けるパネルに、カーボン紙で下図を写す。
 2パネルに透明のビニールをかぶせて、板の下図通りに粘土を置く。
 3乾いたらビニールから外して染めた革に貼り付ける
 
 やったあ、思惑通りにいきました。いつもは最後にこの作業をしていたので、革とずれた形になったり乾かなかったりとうまくいってなかったのです。しっかり乾いてすぐ貼り付けることができた、ちょっとだけ賢くなったなあ、と自分で自分をほめていたのですが・・・
 500グラム入りの紙粘土14個。
 お、重い!! 5キロ以上の紙粘土でしたが乾くと軽くなるはず、と思ったのが甘かった。
 


 持ち上げられないのです。これはだめだ、急きょ軽い紙粘土を買って作り直しました。 カラフルなのは、お店の紙粘土を買い占めたから。 
 乾燥が間に合いません! 浴室乾燥で乾かしました。
 
 
 
 下図通りに紙粘土を貼り付け、その上に染めた革をかぶせて貼り付けます。やれやれ、何とか間に合いそう。しかし、おかしい?なんで革と紙粘土がずれるんだろう。ボンドをつけずにおいてみた時はぴったりだったのに。
 結局、紙粘土を削り、革の輪郭と合わせたのですが、その結果は?
 
 ここでクイズ
さて、下の三つの写真、よく似ていますがどこかが違っています。
 
 A  貼り付け前、出来上がり 予定通りの作品
 B 貼り付けを失敗した作品
 C 修正した作品
 
 どれがどの作品でしょう。 色合いの違いは光の塩梅ですので関係ありません。

写真1


写真2

 
写真3


 正解は
 A   こんな風に出来上がるはずだったのにー写真2
 B  貼ってみて気が付いた、右に大きく傾いている。ー写真1
 C  なんとか傾きを調整ー写真3 岩がお饅頭みたいになったけどこれは修復できません。あきらめるしかない。

展示場ではライトが左から当たる場所に飾ってくれていました。


 
ところでー
これを見たウマオパパ
 
 季節は5月ですか? 
 ブブー 8月終わりです。わたしね、太陽と天狗岳をぐっと近づけたのよ。
 そうか、5月だともっと緑がまばらなんですよ。
 さすが山男。そこまで分かってるのか。だからね、これは石鎚の写生じゃないの、石鎚に似た山の創作。
よかった、先に言い訳を考えていて 。
 
 今度は瓶が森からの石鎚を描いてください。ぼく、あの石鎚が一番好きなんです。 
 
 氷見2千石原から見たら笹と白骨林と石鎚が描けるねえ。誰もが写真にしたり絵にかいたりしているあの風景が脳裏に浮かびましたが・・・わたしまだ女山の頂上を極めてないのですよ。
 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中津万象園へ

2024-12-25 00:46:00 | お出かけ
  12月最初の日曜日の朝、義妹からラインがきました。
 午後から中津万象園に行くんだけど、行きませんか?
 丸亀の?
 すぐに丸亀だと分かった私はえらい。中津万象園は丸亀藩のお殿様の庭園、大名庭園です。香川県の大名庭園は栗林公園が有名だけどこちらはあまり知られてないかも。もう30年くらい前に4,5時間時間をつぶすために行ったっきりです。丸亀城と両方行ったはずですが寒くて何もなかった記憶しかない・・・・改めて行ってみたい気持ちになりました。
 
 午後、もう1時近くになって迎えに来てくれました。香川に行ったらまずはうどんを食べなくちゃ。
 


 
 もう2時過ぎだというのに長い行列ができていました。駐車場が広いこと。トイレが広くてきれいなこと。行列を作って待つお客さん思いですよね。

 
 うどんは本当に釜揚げうどんしかありませんでした。おはぎも稲荷ずしもすでに売り切れでした。
 
 そこから中津万象園までは車で15分くらいのところでした。

 
 美術館を素通りしてお庭の方へ

 多分イロハモミジだと思いますが、まだ色づきが半分

 
 池に出ました。左は多分絵画館です。
 この池、藩主京極氏の先祖の地、近江の琵琶湖をかたどったものだそうで、近江八景になぞらえて
   帆 雁 雪 雨 鐘 青嵐 月 夕映
と銘した八つの島を配し、その島々を橋で結んでいるそうですーと、帰ってからじっくりとパンフレットや地図を見てわかりました。しまった、こういうのは先に見ておかなくては。写真も撮ったり撮らなかったり、場所も名前もはっきりしなかったり、今となっては記憶すらあいまいです。
 
 最初の橋から向こうを見ています。
 手前の白い建物は絵画館(美術館)かな?
 
 
 
 橋を渡って向こう側へ
 渡り切って来た方を振り返る

 
 立派な松 そういえば栗林公園も松が多く植えられていました。その間にぽつぽつと植えられているモミジが色鮮やかで印象的だったことを覚えています。
 
 
 この木肌! 
 


 色づき始めたモミジがとてもきれいでした。



 百本鳥居。本当に百本?



 
 数えながら奥に行くと、行きついたところにはお稲荷さん。
 


 お稲荷さんから母屋へ出る道の鳥居まで数えると100本以上でした。
 
 大傘松 樹齢600年と言われています。
 
 


 向こうの屋根は母屋らしいです。
 
 母屋。背の低い松はわざと小さく仕立ててあるのだそうです。栗林公園もそうでした。
 


 
 左に観潮楼 現存最古の煎茶席と言われているそうです。

 
 建物の隅に蔭石。 母屋の方には陽石があるそうですが見落としました。
 


 回棹廊を渡って島へ 後から確認したところこの島は「鐘」のようです。
 

 
 奥に弁財天が祀られていました。京極氏祖先の地、近江の竹生島の弁財天をお祭りしたものだそうです。



 向こうの赤い橋は?この辺から位置の記憶が怪しいのですが、地図を見ながら思い出してみると、どうも鐘の島から月の島を見たらしい。そこから青嵐の島に渡る橋かもしれません。まあ、個々の島はどうでもいいか、きれいだったという記憶さえあれば。
 
 
 
  岸辺にカモのつがいがいまして、多分飼っているのでしょう。近づいて逃げもせずに遊んでおりました。



 弁財天のところから雪の島を渡った記憶はあります。その時はこれが何で雪?と思ったのです。予備知識があればもっと丁寧に見たものを。
 雪の島に渡る侵雪橋
 
 
 向こうに絵画館の屋根
 
 ここで前から気になっていた花の立て札を見つけました。
 

 
 ハマヒサカキだそうです。ハマと名がついていますが、公園の植え込みなどに使われているのです。花がヒサカキに似ているけど葉っぱが違うので何だろうと思っていたのです。これ、決して良い匂いとは言えない匂いがします。どちらかと言えば悪臭に近い。私は森の中でこのにおいをかぐと、どこかで動物が死んでいるのかしらと思ってしまいます。

 松帆邸



 6代藩主京極高朗が好んで詩作をした場所であろうと書かれていました。そのころはここから松原越しに瀬戸の海の景観が見られたのだそうです。
 
 私たちはとっくに別々に分かれて歩いていました。携帯があるとすぐ好き勝手に歩きだすのが私のくせ。そしてお手洗いを探していたら入り口近くまで帰ってきていました。新しい建物などは庭園の入り口周辺に集まっていました。陶器館もその一つ。
 真鍋利光前館長が集めた古代ペルシアの陶器が展示されています。これらを見ると、遠い昔の品々が日本の陶器に大きな影響を与えたことがよくわかりました。
 
 今見ても新しい感じがします。




 そして弟たちと合流して、これまた入り口近くにあったうちわ館へ。
 丸亀と言えば渋団扇。柿渋で染めた丈夫な紙で作られています。地味なうちわです。あまり期待もせず入ったのですが、どうして! 中では色とりどりのうちわが展示販売されていました。子どもたちの作品も含めて、見るだけで楽しいうちわの数々。

 
 実演もしてくれました。
 竹の節のところまで包丁で細かく切り込みを入れます。




 
 機械で固定して等間隔に切っていくのですが、この技がすごい。フリーハンドなんです。
 


 手元がボケているのは、動かし方が早いから。

 これを手で捻じ曲げます。
 弟もやらせてもらいましたが全然曲がらず。相当力がいるそうです。
 


 
 ほら! うちわの骨組みが見えてきました。
 
 
 下の方に紐をくぐらせて両端を曲げた竹ひごにつなげて広げます。


 一つ出来上がるのに数分しかかかりませんでした。
 巧みな職人技に見とれているうちにいつの間にか時間が過ぎていました。大変、もう五時近くになっていました。まだ絵画館を見てないのに。入場受付に戻って閉館時間を確かめるとあと5分しかありません。でも、少しだけなら伸びてもいいですよ、とのお言葉に甘えて絵画館に飛び込みました。
 京極家に伝わる貴重な書画の数々でしたが、十分鑑賞する間はなく駆け足で見て回りました。
 
 外に出ると冬の日はずいぶん低いところにあって、車の中に差し込む夕日がまぶしいのにびっくりしました。それを言うと今度は弟がびっくりして
 そうか、そちら(東予)はこんなに低いところまで夕日が見えないんか、と言いました。
そう、うちでは夕日は山に沈むのですが、弟の住む中予では夕日は海に沈むのです。
 
 弟が香川に来たら骨付きどりを食べないと、と言いました。おいしいんだそうです。何言ってるの、鶏肉が苦手な人が二人もいるでしょうが、と義妹。なのでお土産に持ち帰ることにして丸亀市内に入りました。

 夕暮れの町は素敵な雰囲気でした。


 建物の間から一瞬丸亀城が見えました。石垣の高いかわいいお城でした。さっきの橋のある風景とお城とを見てふと思い出したことがあります。
 
 丸亀藩と言えば宮部みゆき作「狐宿の人」の舞台となった町。主人公の少女ほうがお城を望める橋だったか丘だったかとかで叫ぶ場面が印象的でした。帰ったらもう一度読んでみよう、そう思ったのにその本がなかったのです。残念。
 以下、おぼろげな記憶ですので間違いがあるかもしれません。
 
 江戸で阿呆の「呆」とさげすまれ丸亀の(小説では内海藩)の港に置き去りにされた少女が、お城で幕府の罪人加賀殿の雑用をするうちに心を閉ざした加賀殿の心を開き、字を教えてもらい、やがて「方」という名をつけてもらいます。最後に加賀殿は罪人となった理不尽を受け入れて刺客に打たれるのですが、その前にほうに新しい「宝」という名を与えます。
 毎朝、ほうは仕事に向かう途中、お城の見える場所で、亡くなった加賀殿や同じく大火のなかで死んだ女岡っ引きに向かって
「ほうは元気です。今日も一生懸命働きます。」
 と叫びます。
 ほうにとって生きる喜びとは生きることそのもの。空腹を満たせるだけの食事ができて元気で自分と誰かのために働くことができること。そのシンプルで純粋な生き方こそが宝。大人世界のたくさんの陰謀と悲劇の後の感動的な言葉でした。
 
 今度はもう一度丸亀城に登ってみたいなあ、そんなことを思いながら帰路につきました。
 
 
 
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダムカードを求めてスタンプラリー

2024-12-20 11:22:15 | ダム巡り
 12月半ばだというのに年末スイッチが入りません。ウマオが早明浦ダムの辰年限定カードをもらいに行くというのでついていきました。もうこれは現実逃避かもしれない。
 
 限定カードをもらうには早明浦ダム周辺の施設5か所に設置してあるスタンプを4個押さなければなりません。
 行きは高速道路を使いました。途中の山々の黄葉がきれいで、ますます年末が近いことを忘れてしまいそうでした。
 
 まず、本山町にあるモンベルアウトドアヴィレッジ本山へ。ここでスタンプ用紙をもらって一つ目のスタンプを押しました。ちょこっとお買い物をしたら別のスタンプラリーの台紙もくれましたが、こちらも年末まで。最低3つ集めればよかったのですが県外者にはどうも無理みたいでした。
 
 さて、次のところ目指して走り出した途端 
「何処へ行きよん!」ウマオが怒りました。
「バレたあ? こっそり行こうと思ったのに。」と娘。
 どうも近くの神社に行こうとしたらしいのです。
「どうして道が違うってわかったん?」
相変わらずウマオの方向感覚の良さに驚かされます。
 
 これは・・・神社とは違うようです。「兼山廟」どなたかの墓所でしょうか。
 
 野中兼山公。この方の墓所らしいです。



 
 鳥居の奥の方に昔の学校みたいな建物がありました。これが霊廟かな?扉に白いものが見えますが、お賽銭の投げ入れ口でした。神社式のご挨拶をしておきましたが、はて?それでよかったのかな?

 
 黒い実がブドウのようにぶら下がった木がありました。これ、何だっけ?どなたかのブログで見たような気がするのですが、名前が思い出せません。

 
 次の早明浦レイクサイドホテルに行く途中、ダムの堂々とした姿が見えましたが、ダムには寄りませんでした。ウマオはすでに工事限定のカードも持っているのです。いったい何度ここに来ているのかしら。かくいう私と娘も9月にこちらに来たばかり。その時はせっかくだからとダムに寄りました。
 そのことは記事にしておりません。山道を来たら道に迷って、倍以上遠回りしてやっとここに着いたのです。目的地はまだ先。帰りは高速で帰ったものの、家に着いたら日が暮れていました。
 
  写真はその時写したもの


 
 ダム湖に沿って走ります。
 あいにくのお天気で景色が墨絵のように見えました。そして時々みぞれがフロントガラスにへばりつきました。

 
 3番目、さめうらレイクサイドホテルに着きました。宿泊施設と、カヌー体験施設がありました。
  カヌー体験受付所。さすがにこんな日には、まず海に繰り出す人はいないのじゃないかな?
 
 
 
 レストランで食事ができるというのでここでお昼を食べることにしました。窓からは湖が見えて(残念ながら外へは出られませんでした)いい雰囲気。数組の客もいましたよ。
 
 木を輪切りにして並べたディスプレイがすてき
 
 
 植木鉢も木でした。木口を並べています。



 ここでは赤毛和牛を使ったメニューがわりとお手頃な値段で提供されていましたが、わたしはダムカレーにしました。
 
 しまった、真上から写したので形がいまいちわかりにくいです。指さしているのはシャベル型のスプーン。ウマオの家にはそれもあるらしい。

 
 ごはんのてっぺんに早明浦ダムの写真の旗が立っています。

 
 堤体を崩さないように放流成功。
 ご飯にはゴマと何かが入っていてぷつぷつした食感でした。添えられたフライは、牛肉の薄切りを丸めてフライにしたもの。これがなかなかおいしかったです。今度うちでもやってみよう。
 
 
 レストランを出たところでいきなり娘が走っていきました。行く先にまた鳥居がありました。近頃娘は神社巡りにはまっているものですから。
 これはどこの神社なの?
 


 水の塔の説明。それによると神社の建物があるわけではないようです。
 
 その水の塔というのは、中之島にあるこれでしょうか。
 早明浦ダム湖は上から見ると龍のような形をしています。そして中之島がちょうど目のように見えます。ふうん、守神みたいね。




 
 3番目に行ったのは道の駅「土佐さめうら」。ここ、9月にも来たところです。
 入り口の大きな木が紅葉していました。落ち葉を見るとタイワンフウかなと思ったのですが、鮮やかな色ではありませんでした。


 
 そういえば高知に入ってから、紅葉がきれいだと思うところがあまりないのよね。
 前買っておいしかったお菓子を買って次のところへ。
 
 4か所目、村の駅「結の里」
 ここも9月に来たところ。なんだか人がいなくて寂しかった記憶が・・・
 
 入り口付近にあった木彫りの龍。 素晴らしかったです。
 
 
 でもやっぱり人はいなくて、お休みかと思ったほどです。が、営業していました。
ここは商業施設というよりは村のコミュニティセンターのようなところでした。奥に小さな売店があってそこでスタンプを押し、ダムカードをもらいました。
 ここで軽いショック。
 あちこち回らなくても、ここで2000円以上のお買い物をすればカードがもらえたんですって!

 いつものとどう違うかというと


 右隅に龍が描かれているのです。
 
 
 さて、目的達成したら一路家に帰りたいウマオ、折角来たんだからもう少し高知を堪能したい大人たち、結局ウマオに負けてまっすぐ帰ることにしました。途中きれいな滝を見つけて写真を撮っただけです。
 
 
 
 9月の反省を踏まえて、目的地へは高速で行き、帰りは山の中の道を走りました。娘と二人で来て迷ったときはとんでもなく時間がかかったのですが、今回はナビとウマオのおかげで迷わず帰れました。前回もナビ通りに行ったつもりだつたんだけどなあ。
 
 「ウマちゃんて、頭の中にGPSが入ってない?それで空の衛星と交信してたりして。」
 
 しかし、順調だったのは道の駅木の香のところまで。全長5㎞以上ある寒風山トンネルの手前でストップがかかりました。どうもトンネル内が片側通行になっているようでした。5㎞片側通行となると待つ時間も長くて長くて。何分待っても対向車の先頭がやってきません。
 その間に雪が降り出しました。
 

 これを撮って8分後、早くも木々が白くなっていました。そしてようやく向こうから車が来ました。


 
 車が来たと言っても、最後の車が通り過ぎるまで待たなくては行けないのです。最後尾の車は工事関係の車で、これで終わりだよ、という合図のようでした。
 
 どうも点検をしていたようです。



 前の車、高速道路並みのスピードで走って行きました。

 トンネルを抜けると外は晴れ。愛媛県西条市になります。
 
 
 写真の色はくすんでいますが実際は広葉樹の黄葉はもっときれいでした。
 
 さっさと帰ったおかげで私は一仕事することができました。ようやく畑にチューリップを植えたのです。
 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント続き後編の後編

2024-12-18 08:36:30 | お出かけ

 ミュージカル鑑賞の翌日は、西条市新川沿いのアクアトピアでのイベントに行ってきました。今年3回行われる予定の2回目です。今回のテーマは「環境」

 池の水全部抜くーで有名な加藤英明さんの講演もあるそうです。って、知らんがな。だって県内の主要テレビ局では放送しないもの。ただ、東予では、香川や岡山あたりの放送も見られるので全く知らないわけではないですが。。

 ふれあい動物園はケイタが喜びそう。古着集めや、食品の寄付も募っているそうで、遅い時間に出かけて行きました。

45リットルのごみ袋いっぱいに古着を詰め込んで持っていきました。引き取ってくれるのはうれしいけど、ガソリン使って持って行ったんじゃエコにはならんのじゃなかろうか。


 ケイタはふれあい動物園に直行です。その間私は古着を持っていきその辺をぶらぶらしました。
 
 アクアトピアを流れる新川を橋の上から眺めました。右手の建物は図書館 

 
 橋の反対側は福祉センター
 


 あまり気乗りもせずに行ったのですがなかなか面白い展示などもありまして
 
 福祉センター内の一角でこんな展示をしていました。

 
 とても役立つ展示だと思うのですが、人はガラガラ。長浜高校の生徒さんが熱心に係の人と話していました。こちらが地元で、はるばる長浜高校に通っているのだとか。長浜高校は生徒たちが運営する水族館があるので有名です。魚好きの高校生は全国から集まっているそうです。
 
 県内で発見された外来生物
 
 ヌートリア




 
 ごく最近発見されたナガエツルノゲイトウについての情報



 係の人に場所を詳しく聞いてみました。生息場所は私が思っていたよりずっと上流でした。今度また確認に行ってみようと思います。



 特定外来生物に指定されているツヤハダゴマダラカミキリ(下)と一般的なゴマダラカミキリのちがい。
 
 
 世界の侵略的生物ワースト100に指定されているこのカミキリムシ、愛媛ではまだ見つかっていませんが、果樹園に広がったらたいへん。しばらく係の人とお話ししました。
 
 ケイタは小動物との触れ合い会場に入ったっきり出てきません。会場隣の水槽を眺めながら小さなスペースで動物たちを取り囲む子どもたちを見ていました。動物はゾウガメやインコやフクロウやモモンガ、ミーアキャットなど。外国の生き物ばかりですね。大変な込みようで、床に置かれゾウガメは大丈夫かしらと心配しました。
 
 その動物園の隣に新川に生息する魚や生き物の展示。こちらは無料です。水槽の中にちゃんといるのですが、写っているのかしら。ウナギはいましたが・・・
 
 
 どこにいるのかわかりません。



 これはカワムツ?
 
 
イシヅチサンシヨウウオ
これは新川にはいません。水系を同じくする石鎚山中に住んでいます。





 この日は実際に川を探検して観察する会も開かれていたようです。予約してなかったので参加せず。
 福祉センターの2階では木のコースターづくりのワークショップもあったそうですが、こちらも要予約で参加しませんでした。
 
 結局その辺をぶらぶらしただけ。
 福祉センターのテラスでは、水辺のコンサートの準備が進んでいました。もうキッチンカーも店じまい始めている時刻です。わたしは用意された椅子に座ってリハーサルを聞かせてもらいました。サックスとピアノのアンサンブル、リハーサルとはいえ美しい音色にしばし聞きほれてボーっとしていたのですがー
 
 
 
 
 ここからは「柿畑日記」のコンセプトとはちょっとちがう”愚痴”を書きます。読んで不快に思われる方もいらっしゃると思いますので適当に読み飛ばしてください。
 
 美しくて立派な建物です。が、わたしは今日を含めて3回しか中に入ったことがありません。図書館もそう、県立図書館よりも外観は立派です。1回だけ中を見て回りましたがここで本を手に取ったことはありません。10万人都市として恥じない施設ではありますが、だからと言ってこれだけの大きいものが果たして必要なのか?
 旧3市町にもそれなりに施設はあり、そこを拠点として市民の生活なりコミュニティーを充実させることができていたのですから。20年前までは。今でも大人数の集まりには二つの文化会館が使われています。それでよくない?
 私はいつも行く運動公園のペンキのはがれた遊具を思い出しました。人工芝のはがれたテニスコート、水のひかないグランド・・・この間行った本谷温泉公園の閉鎖されたままのキャンプ場。老朽化のためだそうです。修理は?
 それに、行政のお金をかけたイベントがなぜ3回ともここで? ここでも11月初めの手作りイベント「もぎたて祭り」と比較したくなります。これくらいの人数を集める場所なら旧3市町のどこにでもある、工夫すればよい、と思うのです。
 昨日のミュージカルを見た後なので余計にその思いが強くなりました。一等国民 二等国民の区別がここにもあるような気がして。そして高齢化していく二等市民は未来を思わず今を生きているだけ。けれど救いは、若手が地域を盛り上げようと頑張っていることです。その人たちにあの野球に打ち込んでいた少年たちが重なって見えました。
 
 20周年のお祝いもいいけれど、本当に生活に根差した行政になっているかのシビアな総括も必要ではないかと。本来合併当時に我々がもっと真剣にち密に考えるべきだったとの反省もこめて。
 あ、一つよかったことを付け加えておきます。合併したことで、今まではよそ事だった旧西条市の催しや地域の自然に触れることができるようになったこと。特に石鎚山系の自然と歴史には大いに関心を持っています。
 

 長々とお読みくださってありがとうございました。不快に思われた方には申し訳ありません。が、これも一つの考えですのでこれはこれで受け止めていただいたら幸いです。

 やれやれ、やっと11月の記録がおわりました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント続き 後編の前編

2024-12-16 22:33:43 | お出かけ

 当たっちゃいました。坊ちゃん劇場のミュージカル「KANO」ペアチケット

 東温市にある坊ちゃん劇場はもともと秋田を拠点とするわらび座と共同出資して設立されたものです。日本で唯一の地域拠点型劇場だそうです。一年間を通して同じ演目のミュージカルが上演されています。
 

 生協の貸し切り公演です。14倍以上の競争率だったそうです。座席数500ちょっとの小さな劇場です。毎年応募しているのにあたったのは初めて。うれしくてみんなにいいふらしました。今までは自前で行ってましたので。

 入るとすぐ目の前にパンフレットの拡大版が。茂本ヒデキチさんの絵ですかね。
 
 
 
 イラストでもわかるように、今回は台湾が日本の統治下にあった戦前の高校野球のお話でした。
  物語は、台湾の嘉義市の創部間もない嘉義農林学校野球部に松山市から来た近藤兵太郎が監督に就任し、初出場で準優勝を果たしたという史実に基づいています。現在も嘉義市には顕彰モニュメントや銅像があるそうです。また松山市にも坊っちゃんスタジアムに銅像があります。
 

 開幕前の舞台

 緞帳はなく、舞台装置がそのまま幕の役割を果たしていました。この中国風の扉のようなものが様々な場面転換に活躍していました。ただ、客席500と言えば舞台も非常に狭く、野球部員9人の、バットやトンボを持っての群舞は隣とぶつかりそうではらはらしました。広ければ手足ももっとのびのび動かせるのに。

 史実を題材にしてはいますが、物語は創作です。単純に嘉義農校の生徒たちの野球にかける青春物語ではなく、日本人の統治によって生まれた、もとから島に住む民族への差別意識、野球に夢中の子と、少しでも農作業を手伝わせて暮らしを楽にしたい親との対立、災害の問題など、様々な問題提起を絡めながら話は進んでいきました。

 ただ、兵太郎の掲げる「武士道野球」は超スパルタ指導で、今年の流行語「不適切にもほどがある」そのものでした。私には到底共感できるものではありません。家業の手伝いも許さず、連帯責任を強要し、ついに試合に負けて台北市から嘉義市まで歩いて帰れと言ったときには、もう腹が立って・・・                

 なぜなら私はもう30年も前、受け持ちの子どもたちがスポーツ少年団の試合に負けて、隣の隣の校区まで歩いて帰らされた経験を持っています。月曜日、いつになく授業に実が入らない子どもたちからそのことを聞いて、私は指導者に対して激しい憤りを感じたことをまだ覚えています。

 私は舞台の少年たちに「君たち、なんでもかんでも大人のいうことを聞いたらだめだよ。自分で判断しなければ。」と言いたくなりました。この時点で私の気持ちはすっかり舞台に入り込んでいたということですけど。

 念のため書き添えますが、実際の近藤兵太郎さんは、野球以外では生徒たちに非常に優しく親身になって世話をしていたそうです。何よりも、日本人だけの野球部こそが野球部、という差別がまかり通っていたあの時代に、三民族混成チームの監督を引き受け、野球のもとに民族はみな平等を唱え実践したそのことが彼のもっとも称えられるべき姿かと思います。

 もう一つ、私がはっとさせられたこと、それは、台湾統治下で現地の人々がどのような感情を抱いていたかということです。当時日本はダム建設などのインフラ整備を進め、それに感謝する人は多いと聞いていました。旅行をしても親日的な人ばかりでしたし、戦前に台湾に住み日本に帰国してからも現地の人々と深い絆で結ばれていた人の話も聞いています。けれど、よくよく考えてみれば、一等国民(日本人)二等国民(漢人)蛮族(原住民族)と明らかな差別がまかり通る社会での人々の感情はそんなに単純なものではなかったはず。今までそのことに思い及ばなかった自分に愕然としたのです。

 いきなり統治者が日本人になっても自分たちの暮らしが楽になるわけではないし、日々の暮らしに汲々としていれば未来への希望など抱けるはずもありません。ただ今を生きることで精いっぱいの親たちは、子どもたちが野球に夢中になることを理解できず無理やりやめさせようとします。今までの暮らしが続けばそれでよい、と変化も発展も望んでないように私には思えました。それとは反対に、遠い日本の甲子園で野球することを夢見る子どもたち、そこへ行けば何かがある、何かが変わると信じてひたむきに野球に取り組みます。

 と、最後にはみんなで大応援の感動的な舞台でした。 

 さて、次の日のイベントも書こうと思ったのですが、長文になりすぎました。ここでいったん打ち切って後編の後編へと続けることにします。ここまで読んでくださってありがとうございました。  後編の後編へ続く

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋から冬へー空の色

2024-12-13 12:43:00 | くらし
 多忙につき長文の記事が書き上がりません。今日は簡単に写真中心で
 
9月11日
まだまだ夏の空
 
 
9月12日
 
 異形の生き物の世界で、激しい戦いが繰り広げられているようです。



9月14日
秋の夕焼け鎌を研げと言いますが…あまり良い天気の予感がしません。

 
 
同じ日



同じ日
虹の夕焼け?
 


 
9月30日 虹の始まりと終わりとを追いかけて

電柱が邪魔


 今頃になって消す機能がついていることに気がつきました。



 10月10日 道端に車を止めて、車中から
 
 ずぼらをしたら車体の一部が写ってしまいました。 同じ景色を撮ている男性がいました。もちろん車の外で、です。いい写真が撮れたでしょうね。
 

 
10月23日 秋らしい雲
 
 
 
 
 
11月9日 さらに雄大なうろこ雲

 
 
 11月19日 日が短くなりました。とある事情により日没頃に外に出られなくなって、壮大な夕焼けを見られなくなりました。はなこの散歩も懐中電灯を持って。
(昼間ちゃんと夫が行ってるんですよ。でも、はなこは日暮の散歩がそれはそれは楽しみのようで、わたしが帰ると地団駄踏んで迎えてくれます。)
 





11月22日 帰宅途中、太陽が隠れているところが金色に輝いていました。
 






 山火事!?
 

 12月11日 まあるいイチョウがかわいくて撮ってみたら、上はどんよりと重たい雲が。



 この日の朝、桜三里の温度計は0度。ちなみに先週の同じ時間は2度、先々週は4度でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉三連発 2 街中の紅葉

2024-12-10 19:04:19 | 植物
 わたし、なんとボケているんでしょう! 公開したつもりが下書きのままでした。紅葉3連発の2番目の記事です。今更なんですがせっかく書き上げていたのでアップします。
 
    週1回の松山市通い。
 あたりの景色は毎週変わっています。 街路樹のアメリカフウも山際はすでに散りかけ、平地では紅葉のピークを迎えていました。この色が並ぶと、街が秋めいて見えます。

 
 松山市の中を流れる石手川の緑地帯の木々も黄色っぽくなってきました。

 
 紅葉ではなく黄葉という印象です。 それは何本かのイチョウの木のせいでしょう。



 
 
 緑地帯にはモミジは少なく、赤い葉が目立つのはサクラの木でした。
 
 
 
 まだ小さい木のほうが紅葉が残っていて、大きな木は葉がありません。
 
 葉が紅葉する木がもう一つありました。
 
 
 ナンキンハゼでした。まだ紅葉は始まったばかり。
 
 これはケヤキかな?
 
 緑地にはあえて種々様々な木を植えているようなのです。

 大きな葉のこの木はプラタナスでしょう。アメリカフウやタイワンフウとよく似ていますがこちらは黄色くなるみたいです。




 いっぱい実がなっていました。



 大きな木の実ってなんだかうれしい。
 
 対岸の景色
 
 どうもまっかっかにはなりそうもないです。このまま冬になっていくのでしょうね。
 むしろはっとするほど色鮮やかなイロハモミジは個人のおうちに小ぢんまりとまとめられて植えられていることが多いです。秋は楽しいドライブですけど危ない危ない。よそ見をしないようにしなければ。
 
 
 ここからは郊外の木です。
 
 東温市の運動公園
 常緑樹と交互に植えられているカエデが互いに引き立てあって目を引きました。あいにく風があって池の水が波立っていましたが、静かだともっときれいだったと思います。

 
 手前にはメタセコイアがあります。
 


 池のほとりには
 




 
 
 サクラの名所、重信川の土手
 朝ちらっと見た時はきれいだと思ったのですが、そうでもなかった。近くで見るとくすんでいました。ただ、割とたくさん葉っぱが残っていました。
 
 





 近くにある水天宮には大きなイチョウがあります。桜並木場所から見ると一塊の黄葉に見えました。
 
 




 
 おまけ
 3週間ほど前、石手川緑地で見つけたタヌキ
 


 
 朝、車道のすぐ傍に倒れていたのです。帰りにまだいましたので見に行きました。傷もなく眠っているような死骸でした。私の想像では、車道を歩いていて車に跳ね飛ばされたのではないかと。
道を挟んで反対側はマンションが立ち並んでいます。こんな街中にもタヌキが住んでいることにびっくりしました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント続き 前編

2024-12-09 22:59:56 | お出かけ
 いったん消えた記事を書き直しました。リアル投稿を優先した結果、すっかりネタが古くなり、自分の忘備録にしかなりませんが、おつきあいください。
 
 10月終わりから12月初めまで、なんとまあ忙しかったこと。
 芸術の秋は・・・音楽発表会、文化祭、学習発表会などなどありまして、孫の追っかけをしていました。自分自身のお稽古事のおさらい会も。ということは猛練習も必要でして・・・
 行楽の秋・・・紅葉も色づき始めたことだし、あちこちでイベントが開かれているし、周辺の市では一斉に市政20周年行事が(それぞれ特色があって面白そう)行われているし・・・
  きょうい(今日行く)
  きょうよう(今日用がある)
というのは大切なんだそうですが・・・いやいや、ありがたいことです。
 忙しさに輪をかけたのが県展出展のための制作。今年は例外的に開催が遅く、いつもなら搬入を済ませ悠々と遊べるはずの時期に制作に追われたのです。いや、これは自業自得。これについてはまた記事にします。
 
 
 連休1日目、旧東予市地区の文化祭でした。 雨のせいもありますが、訪れる人は少なく、コロナ禍前に比べると舞台発表も展示作品も少なく、寂しい限りでした。
 
 連休二日目はからりと晴れたので松山市で行われている植木まつりに行きました。かき入れ時の三連休一日目の松山市の雨はひどかったそうですが、植木市は開いていたそうです。お客も来ないけどテントで待機ーですって。警報が出たのに中止にはしなかったのねえ。植木市の開かれている城西の丘の連なるあたりからJR松山の駅あたり、浸水騒ぎで全国ニュースにもなりました。今年は松山城も雨で崩れましたから、街中と言えど危険はあります。何事もなくてよかったです。
 
 植木市で買ったもの。すべて地植えにしました。


 連休3日目は、市の西の端、旧丹原町で行われた体験イベントに孫と行ってきました。前にも行ったことがありますがここ2,3年雨で中止続き。久しぶりの晴れやかな日の開催でした。こちらは前に比べて一段と人が多くなり、活気がありました。
 
 会場は県道沿いにあるペンタファーム
 米粉のバウムクーヘンを製造販売している会社です。
 
 
 農業をテーマにしたイベントです。
 
  
 
 柿の皮むき? 柿の産地ですから。
 動物のえさやり?ここにはヤギやキジ、ウサギ、犬・・・ヤギに餌をやれるようでした。動物好きのケイタは大喜び。 
 農地体験? 草刈りカートに乗るとか、運搬車に乗るとか、果樹園の散策とか・・・
 
 大きなセンダンの木にツリーハウスがあります。松山市に行くとき時々ここで遊んでいる家族を見るのですが、この日は大賑わい
 
 
 車で通っただけではわからなかったのですが、奥にミニアスレチックがありました。人気がありすぎていつの間にか子どもたちの間で一方通行のルールができていたようです。

 
 体験ブースはどこも長蛇の列。田舎では珍しいです。どこから人がわいてきたかな?
 こちらは草刈りカートに乗る受付所

 
 選果用のレールのなが~い滑り台。

 
 農業で使われる車がずらっと並んでいます。男の子が載っているのは農薬散布機でしょう。

 
 物品販売のテントとキッチンカーも長蛇の列。お昼ご飯をゲットするのに30分くらいかかったかな? 親は一人ずつ子どもに付き添い、私は買い物に並ぶ係でした。
 ここで友人発見。娘さんとお孫さんを連れていました。まあ、りっぱなお母さんになって。娘さんに会ったのは30年ぶり? うれしい再開でした。

 
 そして売店のテラスではおやじバンド(今やじいじバンド)の皆さん。懐かしいフォークソングなどを次々と歌っていました。私と同年代だと思いますが、声もきれいで、延々と歌い続けるそのエネルギーに脱帽。
 


 フラワーアレンジメント体験は女の子に人気でした。
 
 

 
 多肉の寄せ植え体験は完売。
 隣で農業科の高校生が完成品を売っていました。高校生の頑張りにほだされて一つ買いました。
 
 高校生が作った寄せ植え。



 イベントには市内2校の農業科の高校生が参加していました。他に青年農業者会議の皆さんのおにぎりとか、石鎚黒茶の販売とか。
 お茶の販売店とで、この間うちに来てくれた移住者のMさん発見。なんと、黒茶の製造を手伝っているんですって。Mさんはもとレザークラフトの作家さんでした。
 
 石鎚黒茶は茶葉を枝ごと蒸しそのあと発酵させて作った珍しいお茶です。麦茶を飲むと喉に違和感を感じる私は、夏の間ずっとこの黒茶を飲んでいました。今ではいくつか製造団体があるのですが、使う茶葉、その時の気候、微妙な製造過程の違いによって味がかわるのだそうです。試飲させてもらいましたが、ここのお茶は酸味が少なく飲みやすいと思いました。
 
 
 
  お試しパックを買ってきました。
 
 手作り感満載のこのイベント、大盛況でペンタファームの社長が死にそうな顔でジュースを運んでいたのがおかしかったです。お疲れ様です。このイベントには西条市の西部を拠点に地域の活性化を目指している若い実業家集団(ネット販売などで成功を収めている人たち)も協力していたそうで、この盛況ぶりは頼もしかったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉三連発 3 本谷温泉

2024-12-07 08:21:03 | お出かけ

伊予の3湯 道後温泉 鈍川温泉 本谷温泉

 もしかして本谷温泉て西山興隆寺と同じくらいの高さにある? だとしたらちょうど見ごろかもしれない、そう思ってでかけました。この時期ウォーキングを兼ねて紅葉巡りです。でも、歩く時間より車で行く時間のほうが長かった?

 車道を歩いていると谷の向こうに鮮やかなモミジ

 これは期待できそう。



 谷にかかった橋を渡ったところにモミジが固まって植えられています。



 この橋、そろそろ塗り替えたほうがいいんじゃないかなあ。以前は橋の赤とモミジの赤とで一段と華やかだったのに。鉄にサビが出るのはこわい…なんて思いながら渡りました。
 
 サクラの木かしら。小鳥が何羽もいてさえずっていたのですが、何の鳥なんでしょう。頭に白いラインがあるようなないような。
 
 橋を渡り切ったらこんな感じ。ちょうどいいときに来たようです。人は誰もいなくて景色を独り占め。
 
 本谷温泉は毎年のように記事を書いていますので、今回は写真をメインで。



 この先を右に回ると池のほとりに出ます。

 池の周りにモミジが数本植えられています。それが年々大きくなって紅葉もにぎやかになるので楽しみです。

 
 先ほどの橋付近をこちら側から写しました。



 
 少し高いところから全体を見渡しました。
  
 
 右方向から来ましたので、そちらの景色を。
 幼木が並んでいます。

 ぐるっと回ってもと来た道へ
 今度は空を眺めてみる・・・

 
 ひくい枝も眺めてみる・・・

 黄色いのもあります。
 品種名まで分からないのでひっくるめてモミジと書いています。



 近くの山々も紅葉していました。

 
 人工林の合間にうねうねと

 
 初冬の風景になりました。



 予定の時間が迫ったので帰りましたが歩いた歩数はたった1500歩でした。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする