3月初め石鎚ハイウエイオアシスで開かれた「椿一輪展」父を連れて行ってきました。
地元小松町の名花「篤山椿」
いろいろな種類の椿が一輪ずつ竹の花器に入れられて展示されていました。これはうちのヨウコのイメージだね、とみんなが気に入った花
苗も格安で売られていたのですが、残念ながらこの椿の苗はありませんでした。どこかで見つけたら是非買いたいです。
椿のアレンジもたくさんありました。
和のイメージの椿がとってもモダンに見えました。
それから
一面の菜の花ー東温市見奈良の菜の花祭り
西条市内の鉄工所の寒桜
この時期だけ工場内が一般に開放されます。
私の大好きな白木蓮の大木
二,三日遅かったです。すでに花びらが茶色になりかけていてアップには耐えられません。
いつも花の時期には葉を忘れ、葉の時期には実を忘れて、春と秋しか名前を思い出せない木・・・サンシュユ
木蓮と同じおうちに咲いていました。なくなったおじいさんが大切に世話をされていたとかで、どの木ものびのびと枝を広げていました。
我が家の水仙も一斉に咲きました。
そしてソメイヨシノより一足早くさくらんぼの花が満開になります。
3月は花々が一斉に咲いて美しい季節。こんな季節に父と私とウマオは生まれました。例によって3人一緒の誕生会をしました。
お祝いに頂いたバラの花束
ケーキは松山市の評判のいいお店「ラ・ブランシェ・ドラエ」
ウマオの食べること食べること。大人と同じ量をそれこそ顔中クリームだらけにして夢中で食べていました。おいしかったよね。
父とウマオ、世代の違う二人に挟まれると、自分の来し方行く末を見るような思いでした。
ウマオは2歳。今はただ家族にひたすら愛されて、毎日が生きる喜びにあふれています。本人はきっと気づかないだろうけど、そして覚えていないだろうけど、一生のうちで一番幸せな時期かもしれません。
それをみているとばあちゃんは自分が老いたことを忘れてしまうのですが、ふと気がつけばペットボトルの蓋がなかなか開けられなかったり、テレビの音がちょっと聞こえにくかったり。老いの坂というのはこんなふうにゆるやかにだらだらと下っていくのでしょうね。そして突然段差が現れてどどっと老け込むのです。多分ね。
父は、訳のわからない言動がだんだん増えてきて私や施設の人を悩ませるようになりました。この日も自分は若い気になったらしく何杯もビールを飲みたがりました。もちろん食事は完食。92歳なのに。制限すると「糖尿病は治ったんだから」と怒ります。(ごちそうになってるんだからちっとは遠慮をせいよ)と心の中で悪態をつきながら、口では「歳をとって飲み過ぎると体に悪いからね。」と優しい声でノンアルコールをちびちびとついだりしてー。ああ、わたしは父と母とどっちの歳のとり方をするのかしら。
子どものころは4月生まれの同級生がお兄さんかお姉さんのようにしっかりして見えて子ども心にちょっぴり引け目も感じていたのです。
おまけに3月は先生たちも年度末で慌ただしかったのでしょう、毎月開いていた誕生会を3月だけしなかったり、2月と一緒にしたり・・・教員になって、あの頃の先生のばたばたは理解できるようになったとはいえ、なんだか損をした気がしていたことは忘れられません。
それに、学年末の自分自身の忙しさと言ったら・・・・自分の誕生日など思い出す間もないほどでした。
今は美しい花々やウグイスの声や、暖かな風や、明るい空や、目に見えるもの聞こえるものすべてが祝福してくれているような気がして、3月に生まれてよかったと思います。それに同じ学年の誰よりも遅く誕生日を迎えることで、ちょっとだけ人より若い気になれるし。
地元小松町の名花「篤山椿」
いろいろな種類の椿が一輪ずつ竹の花器に入れられて展示されていました。これはうちのヨウコのイメージだね、とみんなが気に入った花
苗も格安で売られていたのですが、残念ながらこの椿の苗はありませんでした。どこかで見つけたら是非買いたいです。
椿のアレンジもたくさんありました。
和のイメージの椿がとってもモダンに見えました。
それから
一面の菜の花ー東温市見奈良の菜の花祭り
西条市内の鉄工所の寒桜
この時期だけ工場内が一般に開放されます。
私の大好きな白木蓮の大木
二,三日遅かったです。すでに花びらが茶色になりかけていてアップには耐えられません。
いつも花の時期には葉を忘れ、葉の時期には実を忘れて、春と秋しか名前を思い出せない木・・・サンシュユ
木蓮と同じおうちに咲いていました。なくなったおじいさんが大切に世話をされていたとかで、どの木ものびのびと枝を広げていました。
我が家の水仙も一斉に咲きました。
そしてソメイヨシノより一足早くさくらんぼの花が満開になります。
3月は花々が一斉に咲いて美しい季節。こんな季節に父と私とウマオは生まれました。例によって3人一緒の誕生会をしました。
お祝いに頂いたバラの花束
ケーキは松山市の評判のいいお店「ラ・ブランシェ・ドラエ」
ウマオの食べること食べること。大人と同じ量をそれこそ顔中クリームだらけにして夢中で食べていました。おいしかったよね。
父とウマオ、世代の違う二人に挟まれると、自分の来し方行く末を見るような思いでした。
ウマオは2歳。今はただ家族にひたすら愛されて、毎日が生きる喜びにあふれています。本人はきっと気づかないだろうけど、そして覚えていないだろうけど、一生のうちで一番幸せな時期かもしれません。
それをみているとばあちゃんは自分が老いたことを忘れてしまうのですが、ふと気がつけばペットボトルの蓋がなかなか開けられなかったり、テレビの音がちょっと聞こえにくかったり。老いの坂というのはこんなふうにゆるやかにだらだらと下っていくのでしょうね。そして突然段差が現れてどどっと老け込むのです。多分ね。
父は、訳のわからない言動がだんだん増えてきて私や施設の人を悩ませるようになりました。この日も自分は若い気になったらしく何杯もビールを飲みたがりました。もちろん食事は完食。92歳なのに。制限すると「糖尿病は治ったんだから」と怒ります。(ごちそうになってるんだからちっとは遠慮をせいよ)と心の中で悪態をつきながら、口では「歳をとって飲み過ぎると体に悪いからね。」と優しい声でノンアルコールをちびちびとついだりしてー。ああ、わたしは父と母とどっちの歳のとり方をするのかしら。
子どものころは4月生まれの同級生がお兄さんかお姉さんのようにしっかりして見えて子ども心にちょっぴり引け目も感じていたのです。
おまけに3月は先生たちも年度末で慌ただしかったのでしょう、毎月開いていた誕生会を3月だけしなかったり、2月と一緒にしたり・・・教員になって、あの頃の先生のばたばたは理解できるようになったとはいえ、なんだか損をした気がしていたことは忘れられません。
それに、学年末の自分自身の忙しさと言ったら・・・・自分の誕生日など思い出す間もないほどでした。
今は美しい花々やウグイスの声や、暖かな風や、明るい空や、目に見えるもの聞こえるものすべてが祝福してくれているような気がして、3月に生まれてよかったと思います。それに同じ学年の誰よりも遅く誕生日を迎えることで、ちょっとだけ人より若い気になれるし。