あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

錦秋の京都へ 2 湯豆腐と実相院

2022-11-30 23:55:44 | 旅行

 紅葉のころに京都に来たのは10年ほど前。嵐山が最後です。そこまでの道は大渋滞で、足腰の弱った父にはハードな旅でした。早朝に出発しても着いたのは昼過ぎ、食事はバスの中でお弁当でした。ただただ人が多かったことを覚えています。そのころは、帰宅したら日付が変わっていたということもよくあったそうです。その後も京都の人気は高まるばかり。人のひしめき合う秋の京都へはもう一生行くことはないだろうとあきらめていました。

 しかし、今ならコロナ禍で人は少ない、少なくともあの頃くらいの込み具合ではないだろうかと予想してツアーに参加したのでした。ひと月に1回は会っていても、なかなかゆっくり話をすることのない友人とは、バスの中の5時間、小声でずっとしゃべり続けました(よくこれだけ話題があったこと!)それに今回はお弁当ではなくちゃんとした食事なんです。それがとても楽しみでした。

 南禅寺前の「順正」というお店。

 
 門をくぐると広い庭があって、ホトトギスが咲き乱れてここだけで素敵。
 
 
 ここも松の緑に紅葉が映えてきれいでした。
 
 
 ようやく入り口
 
 
 贅沢なお店の中でいただく湯豆腐は最高でした。


 右手前の茶わん蒸しに見えるのは豆乳です。
 
 
 後から豆腐の田楽と松茸ご飯も運ばれてきました。
 
 
 このお味噌がとてもおいしかったのです。ほのかにゆずの香りがしました。

 

 食事の時間は40分。ゆっくりと味わう間はありませんが、早食いは二人とも大得意です。たくさんのお料理を完食して余裕をもって集合場所に着きました。

 南禅寺にも入ってみたいねえ。南禅寺は人が多そうでした。


  
 しばらく周辺の写真などをとりながら待ちました。けれど、まだ大勢の人が集まらないのです。様子を見に行った添乗員さんまで帰ってきません。永観堂の拝観がこんなにも短くなったわけは、ここで集合時刻に15分遅れたグループがいたからなのでした。
 ここがわかりにくかったのかしら、集合時刻が徹底してなかったのかしらと心配していたほかのメンバーは、両手に大きな紙袋を下げたお年寄りの集団を見て、皆、腹が立つやらあきれるやら。あの15分があればもう少しゆっくりできたのにー 
 

 けれど、自分の発した言葉はブーメランとなって自分に帰ってくるものです。わたし石鎚登山の時、こう言ったのですよ。



 石鎚登山成就ルートより

 ツアー客の一人が男性が添乗員さんに向かって、やれ、歩くスピードが遅いだの、ちんたら下りていたらかえって疲れるだの、文句たらたら言っていました。それを聞いて私も疲れていたものだからちょっとイラっとしたんですわ。ついつい言ってしまいました。

 語録12 ツアーなんだから無理ですよ。自分のペースで登りたいなら一人で来なくては 

             


 そのとおりです。寄せ集めの団体ツアーを選んだのはわたしですから、自分の思い通りにはいかないということですよね。ちなみに弟の家族は、2週間前、オレンジフェリーで京都に来ています。まだそんなに人出も多くなかったとか。

 それにこの人たちー

 かつては婦人会、老人会、PTA 職場、いろいろな集団がこぞって旅行をしていました。たくさんのお菓子を持ち込み、近所や親せきのためにどっさりとお土産を買い・・・あのお年寄りの皆さんにしてみれば、コロナによって奪われた楽しみを再び味わえたということです。

 待っている間に私たちも見ず知らずの人たちともおしゃべりをしてのツアー仲間の連帯感が生まれましたしね。「少しくらい帰る時間が遅くなってもいいから、観光の時間を増やしてくれたらいいねえ。」そんな声が待っていた人の中から上がりました。そうよ、そうすればいいのよ。

 しかし「実相院は残念ながら30分くらいで出てほしいと言っています。」と添乗員さんから説明があって、時間延長はかないませんでした。

 実相院門跡 なんだかよくわからないけど天皇家ゆかりの方が住職を務めたお寺だそうです。漆を塗った床に写る庭の紅葉が「床紅葉」として有名です。ただし、室内の撮影は禁止、お庭のみ撮影が許されています。
 
 一回り15分ほどで見られる小さなお寺でしたが、そこかしこに畳表を張った四角い箱が置いてあり、座ってじっくり眺められるようになっていました。
 


 どっぷりと秋に浸りました。







 
 古いものかと思ったら、新しい枯山水の庭でした。
 
 
 落ち葉がまるで水に写る島影のように見えて、本当の海みたい。






 人はいましたが喧騒を忘れるひと時。

 白壁に紅葉の枝が絵画のようでした。

 人も永観堂ほど多くはなく、今度こそ私たちはゆっくりと見て回ることができました。そして靴箱のところに行ったら、残っているのは私たちの靴2足だけ。

 あらあ、最後なの? 集合時刻ぴったりに悠々とバスに乗り込んだらもう全員座っていて私たちを待っていました。バスツアーってたいていは5分前には集合して、遅刻したわけではないのになんとなく悪かったなあという気持ちになるものですよね。

  今回のバス旅行はー

 朝5時半に家を出て、帰宅したのは夜の11時。16時間半の旅行中、滞在時間は3時間半、そのうち待ち時間40分。実質的な観光は2時間足らずー こうして計算してみるとなんだかひどい旅行だったように見えますが・・・・

 5時間ものバスの旅が少しも長いとは思わないほど友人とたっぷり話すことができ、もう見ることはないと思っていた京都の紅葉をまた見ることができたし。

 地方の小さなバス会社にとっても、コロナ禍の3年間をなんとか耐えて、こうしてほぼ満席のバスを走らせることができたし。

 お弁当ではなく地元のお料理をいただくことで、京都にもお金を落とすこともできたし。

 それに加えてよい天気、ベストタイミングの紅葉、観光客は多かったけど近年のような込み具合ではなく、広い境内で比較的ゆったりと歩けたこと、振り返ってみれば誰にとっても良い旅行だったと思いました。

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撮り溜めた写真から 広瀬邸

2022-11-28 16:48:00 | お出かけ
 いったんはボツにしようとしかけたのですが、こう寒いと、この赤が懐かしくて。








 11月の下旬、県展移動展の作品搬出に新居浜市へ。ついでに広瀬公園へ行きました。そして去年入れなかった邸宅の中を見学しました。


 母屋入り口
 奥がずっと続いています。外から見ると
ずいぶん細長い家です。


 この家の主人だった広瀬宰平は、慶応元年(なんと江戸時代)別子銅山支配人に就任しています。38歳。そして50歳の時住友家総理代人(総理事)に就任。この家はその頃に新居浜市の別の場所に建てられ、後にこの地に移築したものだそうです。
 西洋の文化を取り入れた和風建築として国の重要文化財に指定されています。あまりにも普通の作りでなんとも思わなかったけど、マントルピースとか洋式便器とか、ガラス窓とか、避雷針とかを西洋から輸入し、当時としては珍しいしつらえだったみたいです。
 お金はかけてるんだろうけど贅を尽くしたようには見えず、一回りした印象としては、広々とした官舎という感じでした。

 母屋の居間。


 そこを抜け廊下を行くと、新座敷があります。こちらは接待用として建てられたものです。

 広い座敷の隣には茶室、水屋もあり、











客人専用の風呂、トイレもあります。










 さりげなく手の込んだ障子がはめてあります。
 


 広い座敷

 縁側からはこぢんまりとした内庭を見ることができます。





 座敷を下りて庭を散策することもできます。
 住友家の総理事として、客人のもてなしは重要だったことでしょう。

 庭に下りてみました。
 手前は東屋、向こうの建物は茶室指月庵




 内庭から外れても敷地は広く、一角には神社もあります。
 広瀬家と、宰平の実家、山𦚰家の神社だそうです。



 それから広瀬家の持仏堂。


 つまり、普通の家にある神棚と仏壇が一個の建物として存在!

 さらには、図書館まで。

 しかもこの肇原文庫は宰平の長男が地方人士の知識向上のために建てたのだとか。その前は地元の子供達とのための広瀬家の私設小学校だつたそうです。

 この奥には資料館があるのですが、この日は時間がないのでパス。



 再び建物に戻って、母屋の奥にいきました。


 食事場所




奥が台所


 乾蔵 江戸末期の建物をこちらに移築したそうです。今は製茶の機械がおいてありました。広瀬満正は、この地で製茶業を起こし、地場産業として発展させました。


 単なる財閥の重役ではない、この地で、地域のために貢献しながら生きようとしたのかな、と思いました。
 2階に上がると、新居浜市が一望できる部屋があり、





 望遠楼と名づけて、単に景色を愛でるだけでなく銅山への感謝をこめて眺めるようにとの漢詩か飾ってあります。

 邸宅を出て、昔からため池だったという池を回って帰りました。





 いざ書きかけたものの文章にまとめるとなると分からないことだらけ。ああ、めんどくさ、と思いながらパンフレットと写真と記憶を突き合わせてやっと書き上げました。こうしてまとめてみると、近隣の町の歴史なのになんて知らないことだらけなんでしょう。
 けれど幕末から明治にかけての日本の産業の近代化という大きな歴史の中で、埋もれがちな一人の人間の生き様をほんのちょっとだけ垣間見たようで小さな感動を覚えています。
 



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錦秋の京都へ 1 永観堂

2022-11-27 23:01:16 | 旅行
 京都を訪れるのにこれ以上の良い日があるでしょうか。
 
 前日の雨はやみ、日差しが戻ってきた空に紅葉があざやかです。そして平日の永観堂は観光客も込み合うほどではなく
 


 
 紅葉はグラデーションの色合いが美しい、まさに紅葉真っただ中




 南禅寺横の駐車場を出発したのが1時15分。7,8分歩いて紅葉の名所永観堂へやってきましたが、1歩歩くたびに出会う紅葉の美しい光景にシャッターを押さずにいられませんでした。以下、スマホで撮影し多少のトリミングや角度の修正はしていますが、色に関しては全く手を加えていません。
 
 
 
 広い林をぐるっと回って

 
 出口専用の門を過ぎ

 
  白壁と紅葉と常緑の檜? との対比をめでながら

 
 総門へ来ました。
 検温所が設けられていました。私たち団体はそこへ並ばず案内のお坊さんに連れられて別の入り口から境内に入りました。

 
 ここには3000本のモミジが植えられているそうです。

 
 まずは釈迦堂へ

 
  中庭を見ながら人の動きに従って歩いていきました。





 




 回廊を通って向こうの建物に行きます(多分)
 
 天皇の使者を迎え入れる勅使門
 勅使は手前の白砂を踏んで身を清めてから入るのだそうです。と、パンフレットを読み返しながらこの記事を書いています。



 扉の向繊細な透かし模様とむこうに透けて見える紅葉

 
 右手に多宝塔があります。ここへ登ると京都市内を一望できるのだそうです。登るのに5分、と言われましたが、行列ができていましたので多分10分以上はかかると思われました。

 
 ここは、多分、御影堂への渡り廊下の上。右下が多宝塔への通路のようでした。


 
  御影堂正面から
 
 
 ええとー
 このあたりから、写真を見てもパンフレットの地図を見ても、自分の場所がどこだったのかわかりません。



 お寺では今秋の特別展が開かれており、貴重な襖絵や仏像などが歩きながら見られました。参拝客も多すぎるわけではなく(実はこれがねらい目。今なら以前の京都ほど人が多くないだろうと予想してのツアー参加でした)じっくり見ようと思えば見られたのですが、なんせ時間が・・・・私たちに与えられた時間は実質30分足らずだったのです。
 10年ぶりに里帰りしたという山越え阿弥陀様とご本尊のみかえり阿弥陀様だけは立ち止まって拝みましたが、障壁画などは横目でみて素通りしました。
 
 外に出ました。このあたりで集合10分前のアラームがなりました。
 え! もうそんな時間?

 
 急いで帰らなければ
 


 
 池の周りをまわって
 



 あれ?
 出口がわからない。このまま行っていいものか、迷った末に引き返しました。後で境内の地図をみたら、そのまま池の前の売店を横切っていけば先ほどの出口専用の門に出られたのではないかと思います。
 ついに集合時刻のアラームが鳴りました。放生池にかかるきれいな橋も見ず、広い林の中も通らず、最初に来た入り口の柵をまたいで人波を逆走(本当に走ったんです)しつつ添乗員さんに遅れる旨を電話しようとしましたが何度電話しても話し中です。
 こりゃ、みんな遅れるって電話してるよね、と友人と話しながら、もう写真も撮らず一目散にバスに帰りました。
 ただでさえ時間がないのに遠回りしてしまった私たちは当然遅刻です。しかしバスにはまだ10人以上の人が帰っていませんでした。先に帰っていた人達はみんな大汗を拭き、なんと扇子で仰ぐ人も2,3人。旅行に行くとき、傘は必ず持っていきますが、秋でも冬でも扇子は要るのか、とその時初めて思いました。
 やっと全員が乗り込んだときは、集合時刻から22分過ぎていました。
 
 
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カメムシめ

2022-11-26 01:41:59 | 生き物
友人にブロッコリーを持っていったらどっさりお返しをもらいました。


 太りすぎた大根、アブラムシのついた白菜(もちろんきれいに洗って)そしてカメムシに食われたパプリカ。
「ごめんよ、わかっている人じゃないと上げれんのよ。もらってくれてありがとう」
いえいえ、たくさんの野菜は大歓迎です。わたしは少々虫に食われていたって平気なの。
 
 以前「迷惑な虫」として取り上げたカメムシですが、収穫の秋を迎えてからは迷惑どころではないことがわかってきました。今年はカメムシの被害が大きいそうなのです。
 
  弟宅で見つけた、真っ赤なパプリカに鮮やかな緑のカメムシ。
 
 
 目立つことこの上なし。野菜の中でもパプリカはカメムシの大好物らしいです。
 
 果物の被害はもっと大きく
 
 
 でこぼこになったところがカメムシに吸われたところ。
 皮をむくと
 
 
 
 こういう柿は産直市や無人販売所では格安で売られていて、わたしはたくさん食べたいので質より量を選んで買いますが、さすがにこれほどの傷物は、ほとんどの農家は捨ててしまっているはず。売っても、無傷の正品の5分の1くらいの値段にしかならず、被害は農家の収入に直結します。今年は米も被害が大きく、カメムシに食われた米は等級が下がって値段が安くなるのだとか。 
 
 さらにはこんなものまで
 
 


 冬瓜です。
 かたい皮でも平気なんですねえ。
 
 そしてカメムシのもう一つの問題は、今までいなかった種類のカメムシが見られだしたこと。
 今年の夏、松山市の公園で見つけたキマダラカメムシ。
 
 
 それがうちでも、娘の家でも見つかりました。
 
 
 すでに死んでいましたが、どこにいたのかしら。柿の木などにも発生するそうですからこんなのが増えてくると、さらにさらに果樹園の被害は大きくなるでしょう。
 
 そして、先日の草木染教室で聞いた話では、めったに虫のつかないクスノキにもカメムシがいるのだそうです。クスベニヒラタカスミカメムシは2015年に初めて国内で見つかった新しい外来種で、その生息範囲を広げているとか。クスノキの葉に赤い点々がついていたらこの虫の存在が疑われるそうです。
 
 本題とは逸れますがおまけの画像
 
 こんな変なパプリカが見つかりました。
 
 
 パプリカの中にもうひとつパプリカ? 緑のを元通りくっつけてみると
 
 
 ボケてしまいましたが、小さなパプリカの形になりました。
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紅葉が降りて来た

2022-11-23 10:11:24 | 山登り・里山歩き
 草木染が終わって、いつものようにサワグルミの木を見に行きました。
ところが、木が見当たりません。あわてて
「先生、サワグルミの木がないです!」って言いに行ったら誰か切ったかなあと言いながら来てくれて
「ああ、あれですね。」
 
 
 何たる変わりよう。葉が落ちてしまい、まだまだ若い貧相な枝ぶりがあらわになっていました。
 
 
 干からびた実がたった一か所ついているだけでした。他の実は?
 
 向こう岸のモミジが色づいているのが見えました。
 ここは石鎚山のふもと。10月中旬頃石鎚山頂から始まった紅葉はここまで下りてきました。
 

 そうだ、今日はもう少し山奥へ行ってみよう。来るときにめぼしいものは見当たらず、紅葉ももう少し、という段階で下から。気になっていたヤクシソウの黄色も見当たりませんでした。
 
 教室の開かれている「ふれあいの里」からさらに川の上流を 石鎚ロープウエイの乗り場があります。そこへ行くまでの途中に旧石鎚村へ行く分かれ道があります。まずはまっすぐロープウエイ乗り場まで。
 
 山の上の方まで赤くなっていました。
 


 
 
 ロープウエイ近くの川
 この辺が一番きれいでした。
 
 
 
 
 落ち葉が岩にたまって赤い縞模様に
 
 
 上の方も
 
 
 このむき出しの岩山が石鎚連峰の山々だなあと思います。
 
 この日まだ時間があったので旧石鎚村へ寄ってみることにしました。
 が、
 道が狭い! こんなに狭かったぁ?
 今まで乗せてもらうばかりで自分で運転してきたことがないので、初めて通る道のような気がして不安でした。でも、廃校になった小中学校まで来てやっと安心しました。 そう思うんなら引き返したらって思うでしょ? 車を回転する場所がなかったのです。道が行き止まりになったところに車を止める場所があります。そこの橋を渡ると先日行った諏訪神社に行くことができます。
 
 橋の手前に鳥居があって、そばに1本のイチョウの木があるのですが
 
 
 地面が見えないほどの落ち葉。誰も踏まないからふかふかできれい。
 
 狛犬が一枚だけ落ち葉をかぶっていたのがかわいい。頭の苔がたてがみのようにも見えます。
 
 
 今日はここまで。橋は渡りませんでした。だって、さびしいから。
 
 また狭い道を引き返して、来るとききれいだなあと思った木のそばで停車しました。 引き返すならここで引き返すべきだったんです。まあ無事に行けたからよかったけど。
 
 
 この先、道は橋を渡って対岸を通るようになっています。左側には古い家と車が数台停められるスペースがありました。車が一台停まっ。ていて、この家の人のなのかなあと思いましたが、そんなはずはないです。ここは廃村ですから。左の奥に低いけれど急峻な山がそびえているので、もしかしたらそこへ登る入り口なのかもしれません。
 
 

 木は川から生えて橋を越えてきていました。
 


 
 
 たった1本だけどだからこそ周りの景色に映えます。
 
 川を背景に
 
 白い岩と一緒に
 
 
 存在感のある大岩がごろごろ。昔は「伊予の青石」と呼ばれ庭石に珍重されたようですが、今はもちろん採ってはいけません。
 
 


 
 
 青空にも映えます。
 
 
 暗い森から浮かび出ているように
 
 
 下が見えないほど枝枝は重なっていました。
 
 
 この木を先に見ていたら、大満足してロープウエイのほうへは行かなかったと思います。
 
 今日は勤労感謝の日。紅葉はほぼ平地まで下りてきました。毎年この日は西山広隆寺か慈眼寺か、どこかモミジの名所に出かけていたのですがきょうはあいにくの雨。家の中でぐーたらしています。
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ビワの草木染め

2022-11-22 01:03:19 | 植物
11月の草木染教室
 
 


 
 
 今回も興味深いお話が聞けました。
 
 産業管理外来種
 
 初めて聞く言葉でした。農業のために導入され、本来きちんと管理して栽培されなければならない植物が今野生化しているそうです。ビワもそうですが他に、ハリエンジュー養蜂 孟宗竹ーたけのこ栽培 キーウィー果樹栽培。 たしかにビワは種から簡単に芽が出ます。うちの周りでも栽培をされてないビワがたわわに実っているのを見ます。キーウィも実はたくましい植物で、子供たちが小さいとき植えたキーウィが30年以上たってまた伸びて来て、先日根こそぎ掘り起こしたところです。
 ハリエンジュはすでに自然の中に溶け込んで大昔からある木のようになっていますし、孟宗竹などは対策に苦慮しているくらいです。孟宗竹も大きなたけのこがとれるというので導入された作物だったんですね。ちゃんと管理されている竹林というのは傘をさして通れるくらい間隔をあけて切っているそうです。しかし管理をやめるとその繁殖勢いはものすごく、うちの方でもその勢いは止まりません。放置竹林の伐採活動なども行われているくらいです。でも、7年間出てきたたけのこを退治し続けると根絶させることができるそうです。
 
 さて、ビワの草木染ですが、葉ではなく木の皮を使います。
 短く切った枝をぐつぐつ茹でて皮だけをはぎ取ります。

 
 茹でると簡単に皮がはげるそうです。今回はその作業はすでに先生のほうでやってくれていました。

 
 最初に煮出した1液、2番液は色素が強すぎるので3回~5回煮だすことを繰り返して、最後にそれを全部合わせて布を染める液を作ったそうです。しかも、その液は空気に触れると赤みが増します。最初は黄色が強く、教室最終日に参加の私たちはかなり赤い染め上がりになりました。

 1回目染めて水洗いしたもの

 
 ほかの参加者が1回目染液につけた木綿のストール
 
 
 2回目液につけるとき私は持ってきた2枚のストールも一緒に入れました。
 黄色っぽいのは春に染めたカラスノエンドウの1枚。これは2枚のストールを合わせていたので1枚を違う色にしたかったのです。
 
 
 右のほうは昔アカネで染めたもの。色が薄れてきたので染め直しました。
 下のほうが今回染めようと早々と用意していたもの。とても繊細なストールで出来上がりが楽しみです。
 
 たった一人の男性参加者は鉄媒染で染めていました。この方、1回目ミョウバン媒染で染め、今日は2回目の参加だそうです。木綿の手ぬぐいを染まりやすいように薬品処理し、ところどころ縛って染めていました。

 
 ミョウバン(アルミ)媒染と鉄媒染ではこんなにも違う色に染まります。

 
 どんなに染まっているか見たいねえと言ったら、その場で糸をほどいてくれました。
 
 すばらしい!
 


 ちゃんと物差しで図って縛ったそうです。「私だったらこの辺でいいかあ、って適当に縛るのに。」と言ったらほかの人も「そうよねえ。」どんな模様にするか計算しなければこうはいきませんよねえ。
 
 帰って染めたものを陰干しして出来上がりです。
 
 カラスノエンドウで染めたスカーフの半分をビワで染め直したもの。元通り縫い合わせるとこんな感じになりました。こちらはポリエステル混紡のためシルクほど色が入りません。実際の色はもっと淡いベージュです。予想よりうんと薄い色で物足りません。鉄媒染で染まる色にしたかったんですけどね。



 
 メインのストール。華やかな色と繊細な織。予想通りの出来で大満足です。
 

 だけど、これを巻くときってあるかしら。最近の私は、田舎に住んでいるくせにさらに寂しい場所にばかり出かけています。おしゃれして出かける機会はすっかり少なくなりました。

 

 









 
 




 
 
 
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アートな一日

2022-11-20 01:02:20 | お出かけ
 芸術の秋です。
小学校の音楽発表会に行ってきました。 これは市内の全小学校の児童が一堂に会して日ごろの音楽学習の成果を発表する会で、私がこちらへ結婚してきたころにはすでに行われていた伝統の発表会です。しかしコロナ禍の去年、今年は鑑賞するには事前に登録して、入場券には健康状態を記入しなければなりません。それでも去年は自分の子どもが通う学校の発表しか鑑賞できなかったのですが、今年は1ブロック4校の発表を聞くことができました。
 旧東予市、周桑郡の学校は丹原文化会館で、旧西条市の学校は西条市総合文化会館で行われました。
 
 丹原文化会館の舞台。
 
 
 座席数800ほどの小さなホールですが、合併前はプロの音楽家の演奏会もたくさん開かれていました。合併後はもっと大きな西条市総合文化会館のほうにしか演奏家も来ません。それがとても残念です。音響効果でいえばこちらの方が優れているのに、と私は思います。
 
 ここで音楽発表会が開かれ、ほかの学校の子どもの演奏を聴きあえるというのはとても大切だと思っています。こういう機会がなければ一生舞台に上がることもない子もたくさんいるでしょう。また、昔と違って、音楽の授業時数も減り、大きな声で歌うこともできず、限られた時間の中でそれでもひたすら音楽に打ち込む時間があるというのは得難い経験だと思うのです。合唱が少ないのは残念ですが、どの学校もよく頑張ったなと思いました。
 
 午後は娘とミウラートビレッジへ。ここは三浦のボイラーで有名な三浦工業の創始者三浦保氏が建設し、氏のコレクションを所蔵する美術館です。
 体育館に貼られた大きな陶板は三浦保氏自身の作品。
 
 
 ここに来たわけは
 


 外科医でもある坂山憲史先生は以前娘の指を手術していただいたことがあり、以来ずっと娘のメル友です。この日は坂山先生がいらっしゃるということで、数年ぶりにお会いできることになりました。
 
 約束の時間まで、メインの展示である三浦コレクションを鑑賞。これが予想以上にすごかったのです。横山大観、川合玉堂、安藤広重の浮世絵、川端龍子、東郷青児、等々教科書でしか見たことのなかった画家の作品が展示されており圧倒されました。また、印籠コレクションの美しさにはびっくり。あの小さな入れ物に施された精巧な彫刻や浮き彫りには本当にすごいとしか言えません。
 さて、坂山先生の作品を見に2階へ。
 
 先生の作風がガラッと変わっていました。ほとんどが人物、それも先生と親交のある方をモデルにしていました。それぞれの人の人生を映し出すような迫力ある作品が並んでいました。
 
 先に来られていた方とお話をしながら待ちましたが、なかなか来られないので館外を散歩しました。
 
 小さな美術館ですが庭もアートな空間です。
 
 これ、滑り台
 


 愛媛県の彫刻家、阿部誠一さんの「見つめる女の子」 

 
 
 
 ため池のほとりの桜の木は葉が色づいていました。
 
 

 クスノキには黒い実
 
 マツには大きな松ぼっくり。
 
 


 
 秋ですねえ。
 残念なことに先生は急に来られなくなりました。仕方がないですね。今は南松山病院の副院長先生ですからお忙しいのかなあと話してたところでした。
 
 まさに芸術の1日だったのですが、音楽も写真抜きの絵画や版画も感動は伝えにくいです。だけど食べ物なら・・・・
 
 ここに来るまでにお昼を食べたのですが、そのお店はー
 
 なんとスーパーの奥にあるカフェ。カフェたかすか。お野菜が並ぶ店内を進んでいくと、いきなりおしゃれな空間が。
 
 
 
 マイクの設備もあって、ミニ演奏会ができそうです。
 
 片隅には古い家具。
 
 


 
 絵本がずらっと並んで(子供たちに読み聞かせた本がたくさん)
 


 
 
 リースの材料がおかれたテーブルは多分足場用の板をリメイクしたもの。壁やテーブルには出来上がったリースが飾られていました。
 
 
 
 手作り品の販売も
 
 
 キッズスペース
 


 
 実はこの日は定休日だったのです。
 しかたない、車の中でどこへ行こうかと調べていたら、中から優し気な女性が出て来て、「折角来られたんだからお作りしますよ。ちょうどパンも焼けたし」

 私たち、迷わずお言葉に甘えました。

 お休みなのでメニューはたくさんはありませんが
 アボカドとベーコンのサンドイッチ
 
 写真は半人前。大きいので娘と半分こしました。そういうとちゃんと半分に切ったのを出してくれました。
 
 
 このトマトがフルーツのように甘くておいしい。
 
 パフェも半分こ
 
 秋のこってりパフェ(焼き芋メイン)とさっぱりパフェ(フルーツメイン)をミックスしたたかすかパフェ
 
 焼き芋がドーンと乗っています。ブドウも3種類。ほかにナシ、リンゴ、イチゴ
 
 
 裏側にはシフォンケーキ。柿


 アイスもキャラメルクリームとパインシャーベットの2種。中にはチーズケーキ。ひと匙救うたびに違った味が味わえました。
 
 もうこれでおなか一杯。
 
 帰りがけにお野菜も買いました。
 ショウガ一盛50円 安っ!
 ほうれん草一把 100円 安っ!
 トマト3個250円 安っ! しかも甘くておいしかったです。
 
 充実した1日でした。
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休暇村の秋

2022-11-17 01:06:32 | 山登り・里山歩き

 7年目の車検に行ってきました。走行距離は10万キロを超えていました。受付で「次の車検の時もご案内していいですか?」と聞かれ、一瞬ためらいました。
「もしまだこの車に乗っていたらね。」
「そうですね。」と受付のお嬢さんがにっこり。
 この先、何回もは車を買い替えることはできませんから、大切に乗らなければ。
 行く道道、山のハゼの紅葉がきれいでしたので、瀬戸内東予休暇村に寄ってみることにしました。 
 海と山と二つの自然が楽しめる休暇村にはハゼの木がたくさんあります。
 
 本館横の駐車場に車を止めて、春に歩けなかった山の尾根の道を歩いてみることにしました。
 
 
 登り初めは木の階段。

 
 その柵の下にヤクシソウが咲いていました。
 あら~、こんなところにもあったんだ。

 しばらく行くと海が見えました。

 
 海岸のほうの木が色づいています。

 足元には小さな紅葉

 道はさらに上に向かいます。

 高いところに来ると別の黄色い花が目立ちだしました。





 ええとー 多分アキノキリンソウだと思うのですが、 この二つの花は同じものかしら、違うものかしら。
 
 あまり歩かないうちに展望台に着きました。
 
 
 ずっと見えていたあの島
 残念ながら海の地理には疎くて。


 山 空 海 改めてきれいな景色だとながめました。
 
 西条市から新居浜市にかけての工場地帯でしょうか。
 



 
 
 反対側は今治市、しまなみ海道



  とてもいいお天気でくっきりと見えました。
 
 ここから下ります。
 この黒い実は? 


 サカキ? ヒサカキ?
 
 上を見上げると大きなシダが生い茂っていました。
 
 
 
 これって、お正月にしめ縄につけるウラジロじゃないのかなあ。でもお正月に使うのよりうんと大きく、2倍はありそうです。
 
 ヒヨドリバナがかろうじて残っていました。



 
 車道まで下りて来てさらに下に下ります。

 下に来るとまたヤクシソウばかりになりました。

 期待していたアメリカフウはまだまだ。

 横の斜面にはオキザリスが植えられていました。

  アメリカ風よりも早くモミジが色づき始めていました。が、ほかの枝は青々としているのに、1本の枝だけが色鮮やかでした。

 
 釣り鐘ニンジン・・・かな?

 本館に続く道を歩きます。


 奥の方にちらっと赤い色がみえますが、近寄ってみる角度を変えてみると




 ここの赤がいちばんきれいだったでしょうか。 ハゼはなぜか近寄るときれいではなかったのです。
 
 ブルーに見える苔?地衣類?
 
 
 このあたりが一番紅葉が進んでいたところ。





 休暇村の山は松の木もありますから、山全体が赤く染まるということはありません。
 
 ハゼの実。この実から私が染色に使う木蝋がとれます。



 
 再び本館の前の道に出ました。
 道端の崖はヤクシソウでいっぱいでした。


 
 先月石鎚ロープウエイにつながる道ではたった二株しか見当たらなかったので珍しい花かと思いましたが、そうでもなかったみたい。あちらの方は時期が早くて咲いていなかったのかもしれません。もうすぐ11月の草木染教室なので、ここと同じようにたくさん咲いているかどうか確かめておきましょう。
 
 
 
 
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不遇な柿の木

2022-11-15 00:00:24 | 野菜・果物・料理など
  前々から気になっていた柿
 
 
 全然摘果されてなくて実の重さで枝が折れているくらいです。



 
 くっつきあって実の形が崩れるんじゃないかと思うくらい。

 
 この形は富有柿なのかなあ。だとしたら早く取り入れなければ。ひとつ拾ってかじってみました。
 
 ぺっ
 
 渋柿でした。昔は細長くとがったのが渋柿、丸いのが甘柿と決まっていたものですが、最近はいろいろな品種が植えられて、見かけだけでは甘いか渋いかわからなくなっています。最近まで主流だった横乃柿だったのでしょうか。渋抜きをすると愛宕柿よりずっと甘く歯触りがやわらかく私は好きでした。ただこの柿は病気に弱いとかで今では巨大な太秋とか大天とかいう品種が多くなっています。
 
 その柿が、実のついたまま切り倒され、というよりめちゃくちゃに引き裂かれ、根こそぎ掘り起こされてしまいました。散歩で通りがかったとき作業をしていた人に聞いてみたら、去年から切ることは決まっていたそうなのです。この後この畑をどうするのかと聞いてみたけど、はっきりとは答えてくれませんでした。

 
 野菜畑とかに生まれ変わるのならいいのですけど・・・・
 
 昔は、このあたりで栽培されていた愛宕柿は大変人気があって関西方面に出荷されていました。ちょうど忘年会シーズンに収穫期を迎え、年末年始の宴会の席ではそのさっぱりとした甘さが人気だったのだそうです。 私は渋柿と言えば小ぶりの西条柿しか知らず、食べ方も干し柿か熟した柿をゼリーのように生で食べるしか知りませんでした。愛宕柿は西条柿の倍くらい大きく、初めて見た時はびっくりしました。
 しかし、今は昔ほど売れ行きは伸びず、知り合いの農家さんは、柿では子供を大学に行かせることもできない、とぼやいていました。しかも柿は重くて収穫は重労働です。昔植えられた木は背が高く、高い脚立に登るか高所収穫車を使って収穫します。その機械がまた高額で、農家さんも高齢化が進んでーそして次々と新しい品種に切り替えて柿も高級化してきました。また、ほかの作物を植える農家も増えています。
 それにつけ込むように某外国企業が土地を買いあさり、表向きはキーウィのプランテーションをつくるということで園地が整えられていますが、トラブルも発生しているとか。
 
 うちにも西村早生という柿がありました。ついこの間まで。
 ほったらかしで例のごとく蔓に覆われていましたのでなんとか取り除いたのですが、たった1個実が成っていました。それがこれ。
 




 でかい。

 上がうちの柿、下は買ってきた富有柿。 たった1個だとこんなにも大きくなるものか。
 いや、正確には3個でした。それは、すでに熟しすぎて下に落ちていました。
 

 残念、太秋柿のようにとてつもなく大きい熟し柿がそこに。これでは食べることはできません。ただ、もっと気を付けてお世話をすればよい実がなることはわかりました。来年こそは早めに蔓を切って大事にしよう、と思っていた矢先、夫が根こそぎ木をおがしてしまったのです。
 
 もう! 自分が植えた木なのに・・・・ 愛宕柿は2本残っているのですが、甘みが少ないので私にはちょっと物足りない。ただ、愛宕柿のほうが形が干し柿向きですね。
 たった3個の柿のうちまだ木になっていた柿はへたに焼酎をしみこませて、ジップつきの袋に入れてストローで空気を抜いて密封しました。それが上の写真です。約2週間後に食べてみます。さて、うまくいくかしら。
 
 そして一部柔らかくなりかけていたもう1個は、皮を剥いて薄く切り干してみました。
 

 
 干物用のネットも売ってはいますが、うちにはないので、網にのせ、それをざるの上に置いて、どこからも風が通るように軒下に置いておきました。
 
 良いお天気が続いたので4,5日もすれば表面が乾いて透き通ってきました。なかなかいい感じ。あんぽ柿みたい。
 
 表面は乾いたけど中がまだ柔らかさが残るうちに食べてみました。



 甘さが凝縮されてめちゃくちゃおいしい。 柔らかいけれど熟しガキのようにぐじゅっとしているのではない、ザクっとした歯ごたえも残っていて、これはいいんじゃないかと思いました。
 だけど、この柿の木はもうありません。本当に惜しいこと。畑の隅で邪魔にもならなかったのに。まだ恨めしく思っているわたしです。
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穴だらけ

2022-11-12 01:14:55 | いろいろ

ケイタとお留守番していた時、退屈するケイタに

「落ち葉拾いしようか。」

「うん。」

ケイタは大きな桜の木の下に走っていきました。 
 
ところが、落ち葉はどれも穴だらけ。
 
 
「穴だらけだねえ。」
 
上を見上げて驚きました。



 あなが開いてない、完全な姿のって・・・・右上にたった1枚



青空に映えて、もう、アートだわ。
いったい何がこんなに穴だらけにしたんでしよう。
 
みきには、イラガのサナギがいっぱいついていました。古いのもありますが、今年できたようなのも。

 穴を開けたのはイラガの幼虫でしょうか。

 一方、畑に行けば
 キャベツの葉も。

 
裏返してみると、

 
 ボケていますがわかるかしら。最高20匹ついたのがいました。
 ハスモンヨトウです。これは放っておくと大損害。キャベツが玉になる前に駆除しておかなくてはなりません。
 
 けれど、野草はだれも助けてくれませんから食われ放題です。
 
 アサガオの仲間にも穴




 
 カラムシソウにも穴。



 この葉っぱは何だったかな。 虫のほうは、以前、himesijimiさんにヨツモンカメノコハムシと教えていただきました。
 
 
 
 穴を開けた犯人も植物によって様々です。
 
 もうだいぶ前のことですが、実家の壁に

穴あきどころか原形をとどめない食われよう。
作物の害はないので抜きもせず放っておいたのだそうです。
 
元の植物は
マルバルコウソウ。
 
 
 根元のほうはまだ葉が残っていましたが、見事に穴だらけ。 いかに実害がないとはいえこうも広がるまで放っておくとは!



 こんなに食べ尽くすのは、スズメガの仲間にちがいない、それも1匹や2匹ではないはず。ということで探してみました。いました。あちらにもこちらにも。 だけど名前がわかりません。ああでもない、こうでもないと検索して、アサガオ系の植物を食べるならエビガラスズメではなかろうかと予想しました。
 
 
 
 ただ、ふつうにみられる緑系とも褐色系とも違う、真っ黒な幼虫なんです。

 
 
 イモムシ大好きな娘に聞いてみると、黒いエビガラスズメは珍しいそうです。どんなガに変身するのか興味深くて2匹連れて帰りました。 食べていたマルバルコウソウも少々。

 帰ってから大急ぎでペットボトルに突っ込んでおきました。そのあと急ぎの用があったのでそのまま次の日まで放っておいたのですが、その時は確かにいたのです。改めてきちんと蔓を整理して差し、土にもぐりたくなった時のために土を入れた植木鉢の上に置いておきました。

 翌々日
 
 
 ルコウソウの葉は一枚もなく、
 
 フンだけを残して幼虫は消えていました。



 上の大きなフンと下の小さなフン。けれどまだ終齢虫には程遠い大きさです。どこかへ餌を求めて歩いて行ったのか。唯一うちに植えてあるアサガオの葉を見てみましたが、いる気配はありませんでした。
ああ~ 大食漢のスズメガには餌が足りなかったのです。悪かったなあ、あのまま置いておけばよかったと後悔しました。1週間後また実家によってマルバルコウソウのところを見てみましたが、あれほどたくさんいた幼虫は1匹もいませんでした。こちらの幼虫はさなぎになるために土にもぐったのかもしれません。
 
 
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