独自性を持つことが大切だと最近は痛感しています。
わたくしはWebブラウザをユーザーの非常に多いものを使わずに、少数派のものを使っています。言わばナンバー2のブラウザなのです。しかし、わたくしのようなコンピュータの素人にはちょうどいい。実に使い勝手がいい。
そこにいろいろアドインソフトを付け加えています。
ナンバー2としての独自性を持たせています。
最近では、文学作品もテキストファイルで入手可能です。青空文庫というHPで名作が手に入ります。著作権をクリアーした作品ばかりですが。
書籍では絶版になったものも、です。
これは本当にありがたいものです。
しかも、PDF出力可能にしていますので、これを全文検索してくれるソフトを使っています。便利になったものだなぁと思っています。共通する言葉を入力して、違った作品から関連の文章を拾ってくれるわけです。
それと文書も、いろいろ作った資料も、さらには教育法規まで。古い職員必携という教育関係者なら誰でも持っている教育法規集も。全部PDFにしてあります。
最近はICレコーダーというのが登場して、音声認識ソフトまであります。
残念なのは、わたくしのだみ声ではそのソフト、嫌がって変換を拒否してくれるのです。
(^0^)/
データベースが好きで、昔からいろいろ挑戦していたのですが、もうこれで一本とられたなと感じています。畳を三回たたいてしまったという感じです。
つまり、言いたいことは独自性なわけです。
他人と同じことをしていてもつまらんと思っています。
さて、月曜日の代休日に学校見学に行ってきました。
その学校でこの独自性を見させていただきました。
校長先生が高校の1年先輩ですし、部活で面倒みていただいたし、甘えて言いたいことを言わせていただき、ご指導も拝受しました。
そして、期せずして独自性についてまったく同じ考え方であったことがわかりました。
ただし、実態が違っていますから、同レベルで論じては失礼になります。進学成果もまったく違います。
その地域のナンバー1進学校の国公立合格数が170,学校訪問させていただいた学校が国公立大学合格50。同じ市内で、です。凄いことです。
ここにも独自性がありました。同じ方向を目指しているわけではなかった。方法も、伝統も違っています。教育課程も違う。
しかし、成果が出ている。これが何から来ているのかは、わかりました。先方の校長先生とも意見が一致しました。ここには絶対に書けないことですけれども。
うなってしまいます。
同じ市内の片一方の学校と同じ方向を目指しては、独自性を失うことになります。
面倒見のよい、進学も部活もできる学校、あらゆる進路にむけて親身に指導する学校でありたいものです。それが「独自性」になるわけです。ただし、実践を伴わない言葉だけの文武両道という名のじり貧だけは避けなければなりません。中途半端はよくない。じりじりと坂道を転げ落ちてはなりませぬ。めいっぱい頑張ったという達成感なしには、すべてが中途半端になります。その危険性だけは避けたいのです。
長男長女にも独自性があります。
次男次女にもあります。
ナンバー2としての独自性。
三男三女にも当然あるわけです。
そういうことです。
まったくそういうことです。
(なかなかはっきり書けないのですが)
また明日。
わたくしはWebブラウザをユーザーの非常に多いものを使わずに、少数派のものを使っています。言わばナンバー2のブラウザなのです。しかし、わたくしのようなコンピュータの素人にはちょうどいい。実に使い勝手がいい。
そこにいろいろアドインソフトを付け加えています。
ナンバー2としての独自性を持たせています。
最近では、文学作品もテキストファイルで入手可能です。青空文庫というHPで名作が手に入ります。著作権をクリアーした作品ばかりですが。
書籍では絶版になったものも、です。
これは本当にありがたいものです。
しかも、PDF出力可能にしていますので、これを全文検索してくれるソフトを使っています。便利になったものだなぁと思っています。共通する言葉を入力して、違った作品から関連の文章を拾ってくれるわけです。
それと文書も、いろいろ作った資料も、さらには教育法規まで。古い職員必携という教育関係者なら誰でも持っている教育法規集も。全部PDFにしてあります。
最近はICレコーダーというのが登場して、音声認識ソフトまであります。
残念なのは、わたくしのだみ声ではそのソフト、嫌がって変換を拒否してくれるのです。
(^0^)/
データベースが好きで、昔からいろいろ挑戦していたのですが、もうこれで一本とられたなと感じています。畳を三回たたいてしまったという感じです。
つまり、言いたいことは独自性なわけです。
他人と同じことをしていてもつまらんと思っています。
さて、月曜日の代休日に学校見学に行ってきました。
その学校でこの独自性を見させていただきました。
校長先生が高校の1年先輩ですし、部活で面倒みていただいたし、甘えて言いたいことを言わせていただき、ご指導も拝受しました。
そして、期せずして独自性についてまったく同じ考え方であったことがわかりました。
ただし、実態が違っていますから、同レベルで論じては失礼になります。進学成果もまったく違います。
その地域のナンバー1進学校の国公立合格数が170,学校訪問させていただいた学校が国公立大学合格50。同じ市内で、です。凄いことです。
ここにも独自性がありました。同じ方向を目指しているわけではなかった。方法も、伝統も違っています。教育課程も違う。
しかし、成果が出ている。これが何から来ているのかは、わかりました。先方の校長先生とも意見が一致しました。ここには絶対に書けないことですけれども。
うなってしまいます。
同じ市内の片一方の学校と同じ方向を目指しては、独自性を失うことになります。
面倒見のよい、進学も部活もできる学校、あらゆる進路にむけて親身に指導する学校でありたいものです。それが「独自性」になるわけです。ただし、実践を伴わない言葉だけの文武両道という名のじり貧だけは避けなければなりません。中途半端はよくない。じりじりと坂道を転げ落ちてはなりませぬ。めいっぱい頑張ったという達成感なしには、すべてが中途半端になります。その危険性だけは避けたいのです。
長男長女にも独自性があります。
次男次女にもあります。
ナンバー2としての独自性。
三男三女にも当然あるわけです。
そういうことです。
まったくそういうことです。
(なかなかはっきり書けないのですが)
また明日。