と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

リルケ

2009年07月03日 01時55分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日はインターネットで注文したリルケの詩集数冊を入手して一人で喜んでおりました。スポーツジムの帰りに、コンビニで代金を支払って便利な時代になったものだと思った次第です。

 なぜリルケか。
 イメージにあわないと言われそうです。
 在校生諸君には。
 (^0^)/

 これには古い話があって、実はわたくしは10代から遠藤周作先生のファンなのです。沈黙という名作に打撃を受け、最近では(つまり年をとってからは)深い河というインダス川の流れとともにある人間の哀しさ、運命といったものにしみじみとした感動を味わっておりました。齢を重ねたせいもあります。年をとらんとわからない世界でしょう。また、愉快なエッセーもたくさんあって、こちらもなかなか楽しい作家です。

 リルケについて、堀辰雄の風立ちぬとの対比をした遠藤周作先生若かりし頃の評論があって、不勉強なわたくしは最近この評論の存在を知りました。古書店チェーンで入手したのです。しかも東北の米沢で。今週の月曜日に。学校訪問の帰りでした。105円でした。得した、得したと最高に喜んで帰ってきました。
 
 東洋的な受け身の自然観。
 それが堀辰雄の主人公の生き方。
 胸を病み、サナトリウムでの静寂な生活。
 
 高校時代に文芸部にも所属していましたので、堀辰雄について勉強している人もたくさんいて、なんとなくひかれておりました。
 
 同時に柔道部にも応援団にも所属していました。
 ですから、こっちの方の硬派のおっかない同級生には笑われておりました。
 似合わん! 軟弱である! 
 なんていうことを言うのでしょうか。
 (^0^)/

 そうではなくて、リルケ。
 東洋的な諦観と違って、西洋的な文学の根本にあるものは戦いであると言われていたのです。これには、はっとなりました。哲学、宗教、思想がまるで違いますから。それを堀辰雄と比較されたのでは、なるほどなるほど。目から鱗。

 リルケの繊細な生の不安を扱ったように見える詩の展開は、もっと別の次元での戦いであったわけです。これは思ってもみなかった指摘でした。



 それにつけても知らないことが多すぎます。
 生涯学習とはよくも言ったり。
 やればやるほど、深い。
 なんでもそうです。
 完成した、全部わかったと言っているようでは、まだまだ洟垂れ**です。
 
 柔道については毎年パワーが無くなっています。
 もう段位相応の実力がない。
 それは高校柔道部顧問時代の生徒だった方々の保証付きです。柔道教室の幼児たちの先生方になっていますから。
 幼児たちは、わたくしがなんでころころちびっ子たちに投げられてばかりいるのに、いつも来るんだろうと不思議がっていますがね。時々、思い切りわたくしを投げ飛ばしておきながら「痛くなかった?」とかわゆい目で聞いてくれます。ちっとも痛くないのです。孫みたいですもの。
 (^0^)/


 最後に、いつもいつも勉強するしかないのですよと申し上げたい。
 大学に進学しても、就職しても。
 どのような人生を送ろうとも。
 たとえジャンバルジャンのような生涯であろうとも、です。

 勉強なさいませ。



 ではまた来週。

 



コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/