明日は模擬テストがあります。
ご苦労様です。
がんばってくださいね。
在校生諸君。
☆
このところ私事で多忙でした。
更新もできませんでした。
申し訳ありませぬ。
多忙でしたが、この間、吉田富三という医学者の事績を知りました。
たいしたものです。
ノートも見させていただきました。
A6のミニノートも愛用されていました。
外国語の勉強法など実に参考になります。
書斎の構成も参考になりました。
俳句もよくされた方です。
これまたいいものが多いのです。
わたくしにとっては全くの専門外の方です。
それでも何か惹き付けられるものがあったのです。
ずっと関心を持っておりました。
その生涯もまた魅力的です。
福島県には野口英世という医学者もおられた。
そのPowerがどこからくるのか。
どこかで触れさせていただきたいと思っています。
※参考までに
吉田富三博士年譜(吉田富三記念館によるもの)
1903年(明治36) 福島県石川郡浅川町本町に生まれる。
父・喜市郎、母・ナヲ。3子長男。
1923年(大正12) 20歳 東京帝国大学医学部医学科入学。
1927年(昭和 2) 24歳 同大学卒業。同大学医学部病理学教室副手。
1929年(昭和 4) 26歳 佐々木研究所に入所。
1932年(昭和 7) 29歳 アゾ化合物の経口投与による人工肝がんの生成に成功。
1935年(昭和10) 32歳 佐々木研究所退所。ドイツ留学。癌学会山極賞受賞。服部報公会賞受賞。
1936年(昭和11) 33歳 恩賜賞受賞(第1回)。肝臓癌成生の実験的研究。 第2回国際会議出席(ブリュッセル)。
1938年(昭和13) 35歳 長崎医科大学教授(病理学)。
1943年(昭和18) 40歳 ラット腹水肉腫を発見、「長崎系腹水肉腫」と呼ぶ(吉田肉腫)。
1944年(昭和19) 41歳 東北帝国大学教授(病理学)。
1951年(昭和26) 48歳 日本学術会議会員(第2期)。第13回日本医学会総会で「癌の本態観」の講演。吉田肉腫天覧を賜る。
1952年(昭和27) 49歳 朝日賞受賞(吉田肉腫の研究)。東京大学教授(病理学)がん化学療法薬ナイトロミンを開発。
1953年(昭和28) 50歳 財団法人佐々木研究所所長「吉田肉腫の病理学的研究」で恩賜賞受賞(第2回)。
1958年(昭和33) 55歳 東京大学医学部長・東京大学伝染病研究所教授併任。鉄門会頭。
1959年(昭和34) 56歳 文化勲章受章。科学技術会議専門委員。
1960年(昭和35) 57歳 日本学術会議会員。
1961年(昭和36) 58歳 第50回日本病理学会会長。ペルジア大学(イタリア)より名誉学位を授与。
医療制度に関する吉田メモ発表。国語審議会委員。
吉田肉腫移植1000代記念講演会(長崎大学)。 第1回日米科学協力委員会(東京)。
1962年(昭和37) 59歳 第9回国際癌会議組織委員会委員長。
1963年(昭和38) 60歳 財団法人癌研究会研究所長。日本学術会議会
員(第6期)副会長。国語審議会委員。
1965年(昭和40) 62歳 故郷の福島県石川郡浅川町より名誉町民の称号を授与される。
1968年(昭和43) 65歳 日本ユネスコ国内委員会副会長。
1971年(昭和46) 68歳 第18回日本医学会総会で特別講演(癌の成長)。
1973年(昭和48) 70歳 逝去。勲一等旭日大綬を授与される。
ご苦労様です。
がんばってくださいね。
在校生諸君。
☆
このところ私事で多忙でした。
更新もできませんでした。
申し訳ありませぬ。
多忙でしたが、この間、吉田富三という医学者の事績を知りました。
たいしたものです。
ノートも見させていただきました。
A6のミニノートも愛用されていました。
外国語の勉強法など実に参考になります。
書斎の構成も参考になりました。
俳句もよくされた方です。
これまたいいものが多いのです。
わたくしにとっては全くの専門外の方です。
それでも何か惹き付けられるものがあったのです。
ずっと関心を持っておりました。
その生涯もまた魅力的です。
福島県には野口英世という医学者もおられた。
そのPowerがどこからくるのか。
どこかで触れさせていただきたいと思っています。
※参考までに
吉田富三博士年譜(吉田富三記念館によるもの)
1903年(明治36) 福島県石川郡浅川町本町に生まれる。
父・喜市郎、母・ナヲ。3子長男。
1923年(大正12) 20歳 東京帝国大学医学部医学科入学。
1927年(昭和 2) 24歳 同大学卒業。同大学医学部病理学教室副手。
1929年(昭和 4) 26歳 佐々木研究所に入所。
1932年(昭和 7) 29歳 アゾ化合物の経口投与による人工肝がんの生成に成功。
1935年(昭和10) 32歳 佐々木研究所退所。ドイツ留学。癌学会山極賞受賞。服部報公会賞受賞。
1936年(昭和11) 33歳 恩賜賞受賞(第1回)。肝臓癌成生の実験的研究。 第2回国際会議出席(ブリュッセル)。
1938年(昭和13) 35歳 長崎医科大学教授(病理学)。
1943年(昭和18) 40歳 ラット腹水肉腫を発見、「長崎系腹水肉腫」と呼ぶ(吉田肉腫)。
1944年(昭和19) 41歳 東北帝国大学教授(病理学)。
1951年(昭和26) 48歳 日本学術会議会員(第2期)。第13回日本医学会総会で「癌の本態観」の講演。吉田肉腫天覧を賜る。
1952年(昭和27) 49歳 朝日賞受賞(吉田肉腫の研究)。東京大学教授(病理学)がん化学療法薬ナイトロミンを開発。
1953年(昭和28) 50歳 財団法人佐々木研究所所長「吉田肉腫の病理学的研究」で恩賜賞受賞(第2回)。
1958年(昭和33) 55歳 東京大学医学部長・東京大学伝染病研究所教授併任。鉄門会頭。
1959年(昭和34) 56歳 文化勲章受章。科学技術会議専門委員。
1960年(昭和35) 57歳 日本学術会議会員。
1961年(昭和36) 58歳 第50回日本病理学会会長。ペルジア大学(イタリア)より名誉学位を授与。
医療制度に関する吉田メモ発表。国語審議会委員。
吉田肉腫移植1000代記念講演会(長崎大学)。 第1回日米科学協力委員会(東京)。
1962年(昭和37) 59歳 第9回国際癌会議組織委員会委員長。
1963年(昭和38) 60歳 財団法人癌研究会研究所長。日本学術会議会
員(第6期)副会長。国語審議会委員。
1965年(昭和40) 62歳 故郷の福島県石川郡浅川町より名誉町民の称号を授与される。
1968年(昭和43) 65歳 日本ユネスコ国内委員会副会長。
1971年(昭和46) 68歳 第18回日本医学会総会で特別講演(癌の成長)。
1973年(昭和48) 70歳 逝去。勲一等旭日大綬を授与される。