夜7時頃、スポーツジムに行って帰り、ジムの出口で、年の頃は・・・・
小学三年生くらいの女子生徒に
「こんばんわ~」と声をかけていただきました。
「はい、こんばんわ」と返事をしました。
はて?
と思っていたら、
「校長先生、お久しぶりです」と。これもまた、「はい、お久しぶりです」と返しましたが。
は?
小学生でわたくしを知っている生徒がいるはずもありません。
さては、柔道教室の生徒だったかと思いましたが、思い当たりません。
あっと思いました。
確かにわたくしとHAIR STYLEの似ていてる小学校の校長先生が、同じジムでトレーニングをしていた・・・と思い出しました。彼は、わたくしよりもちょっと年長で定年で退職されました。
さすがだと思いました。
退職しても、挨拶をしてくれる生徒がいるということにです。
どれだけ徹底して、小学校の教育をしていたのでしょうか。
すぐれた教育実践には、それなりの裏打ちがあります。
今日は、亡母の教育実践集を読んでおりました。
旧制の師範学校卒の慈母でありました。
懐かしゅうて、暫し、じっと亡母の古ぼけた研究集録を、あるいはいくつかある写真を眺めておりました。
亡母もまた小学校教育に生涯を捧げました。
東北の寒村で分校教育に一生を費やしました。本当に猫の額ほどの土地を守って暮らしておられる村の方々とのふれあい、そして亡母の優秀な教え子たち。何度も遊びに行きましたっけ。その学校に。
あれは隠者のような精神を持っていないと、とてもわたくしのような凡人では耐えられない仕事でありました。雪が4メートルも積もる土地でした。とてもとても千葉のこの温暖なところからは想像も出来ません。
わたくしの家は代々家業のように教職をしておりました。しかし、亡母のような生き方はできませんでした。
未だに教員としても亡母には遠く及びません。
実践が違います。
旧制師範学校と、東京の女子医大に同時に旧制女学校から合格して、金銭的な面で国立系の進学をした一種の諦念から選んだ仕事だったと生前聞いたことがありました。それでも後悔はなかったと言っておりました。
わたくしも年齢を重ねてきました。
亡母の亡くなった年齢に近づいてきています。
しかし、わたくしにはなんの実績もない。
辿りきて、まだまだ山の麓にも達しておりませぬ。
内心の成長をこれからもまだまだして行かなくてはならんと、今日はかわいいお方からお声をかけていただいて、たとえ勘違いであっても、努力していかなくてはならないと感じたしだいです。
本当に。
小学三年生くらいの女子生徒に
「こんばんわ~」と声をかけていただきました。
「はい、こんばんわ」と返事をしました。
はて?
と思っていたら、
「校長先生、お久しぶりです」と。これもまた、「はい、お久しぶりです」と返しましたが。
は?
小学生でわたくしを知っている生徒がいるはずもありません。
さては、柔道教室の生徒だったかと思いましたが、思い当たりません。
あっと思いました。
確かにわたくしとHAIR STYLEの似ていてる小学校の校長先生が、同じジムでトレーニングをしていた・・・と思い出しました。彼は、わたくしよりもちょっと年長で定年で退職されました。
さすがだと思いました。
退職しても、挨拶をしてくれる生徒がいるということにです。
どれだけ徹底して、小学校の教育をしていたのでしょうか。
すぐれた教育実践には、それなりの裏打ちがあります。
今日は、亡母の教育実践集を読んでおりました。
旧制の師範学校卒の慈母でありました。
懐かしゅうて、暫し、じっと亡母の古ぼけた研究集録を、あるいはいくつかある写真を眺めておりました。
亡母もまた小学校教育に生涯を捧げました。
東北の寒村で分校教育に一生を費やしました。本当に猫の額ほどの土地を守って暮らしておられる村の方々とのふれあい、そして亡母の優秀な教え子たち。何度も遊びに行きましたっけ。その学校に。
あれは隠者のような精神を持っていないと、とてもわたくしのような凡人では耐えられない仕事でありました。雪が4メートルも積もる土地でした。とてもとても千葉のこの温暖なところからは想像も出来ません。
わたくしの家は代々家業のように教職をしておりました。しかし、亡母のような生き方はできませんでした。
未だに教員としても亡母には遠く及びません。
実践が違います。
旧制師範学校と、東京の女子医大に同時に旧制女学校から合格して、金銭的な面で国立系の進学をした一種の諦念から選んだ仕事だったと生前聞いたことがありました。それでも後悔はなかったと言っておりました。
わたくしも年齢を重ねてきました。
亡母の亡くなった年齢に近づいてきています。
しかし、わたくしにはなんの実績もない。
辿りきて、まだまだ山の麓にも達しておりませぬ。
内心の成長をこれからもまだまだして行かなくてはならんと、今日はかわいいお方からお声をかけていただいて、たとえ勘違いであっても、努力していかなくてはならないと感じたしだいです。
本当に。