今日はなかなかの良い天候であります。
実に過ごしやすい。
生徒たちの勉強もはかどっています。
中間テストがもうすぐ始まります。
あと何時間後でしょうか。
回りくどい言い方はやめましょう。
要するに明日からであります。
頭の中を整理して、準備万端整えて、試合に臨む古武士のように、こころ静めて何が出てきてもすらすらと解けるようにしてくださりませ。
昨日の高校生プロゴルファーのI君のような冷静さで。もっともゴルフのことはまったく天地がひっくりかえっても何もわからぬ凡人校長では、何が凄いのかもよくわかってはいないのですが。スポーツはなんでも苦手でありますが故に。
ところで、学校とは何か一言で説明せい!と、言われてもこれは難物であります。
自分とはなにかを説明するにも、不肖わたくしには不可能であります。何年生きてきても、自分とは何か、肉体とは何か、精神とは・・・などと説明できません。昔の学者の受け売りならできます。それもかなり不確かな情報で。それはしかし説明したことにはなりません。
そもそも学校とは、人それぞれによって違った意味を持っていますし、知ったかぶりを決め込んで何か言ったらそれは一面を言っているだけです。主観と客観でも違ってきます。学校に求めるものが違っていますからね。
県銚は授業を大事にしていると日頃から言っていますが、絶対の真理か?と問われると絶対はあり得ませんとお答えするしかありません。工夫しながら、修正しながら日々努力していますというしかありません。
先日、外部の方とちょっとした会議で、読書は勉強か否かということに話題が及びました。相手の方は、読書は勉強に非ず(あらず)と仰る。わたくしは苦笑してしまいました。じゃぁ、勉強とは何か?と瞬時に思ったからです。受験勉強以外にも勉強はあり得るのではないかと。(漫画は別ですよ)
ここにも主観と客観があります。
そうだという方もおられるし、そうではないという方もおられる。
発達とは何かということでも、学者によって違っています。
カウンセリングでもそうです。
学説によって違っています。
そういう違いを見つける楽しさを味わうのも、学校というものの持つ魅力でありましょうか。時間を共有しながらです。同級生たちと。
今日も家で勉強三昧を。
では、また明日!
実に過ごしやすい。
生徒たちの勉強もはかどっています。
中間テストがもうすぐ始まります。
あと何時間後でしょうか。
回りくどい言い方はやめましょう。
要するに明日からであります。
頭の中を整理して、準備万端整えて、試合に臨む古武士のように、こころ静めて何が出てきてもすらすらと解けるようにしてくださりませ。
昨日の高校生プロゴルファーのI君のような冷静さで。もっともゴルフのことはまったく天地がひっくりかえっても何もわからぬ凡人校長では、何が凄いのかもよくわかってはいないのですが。スポーツはなんでも苦手でありますが故に。
ところで、学校とは何か一言で説明せい!と、言われてもこれは難物であります。
自分とはなにかを説明するにも、不肖わたくしには不可能であります。何年生きてきても、自分とは何か、肉体とは何か、精神とは・・・などと説明できません。昔の学者の受け売りならできます。それもかなり不確かな情報で。それはしかし説明したことにはなりません。
そもそも学校とは、人それぞれによって違った意味を持っていますし、知ったかぶりを決め込んで何か言ったらそれは一面を言っているだけです。主観と客観でも違ってきます。学校に求めるものが違っていますからね。
県銚は授業を大事にしていると日頃から言っていますが、絶対の真理か?と問われると絶対はあり得ませんとお答えするしかありません。工夫しながら、修正しながら日々努力していますというしかありません。
先日、外部の方とちょっとした会議で、読書は勉強か否かということに話題が及びました。相手の方は、読書は勉強に非ず(あらず)と仰る。わたくしは苦笑してしまいました。じゃぁ、勉強とは何か?と瞬時に思ったからです。受験勉強以外にも勉強はあり得るのではないかと。(漫画は別ですよ)
ここにも主観と客観があります。
そうだという方もおられるし、そうではないという方もおられる。
発達とは何かということでも、学者によって違っています。
カウンセリングでもそうです。
学説によって違っています。
そういう違いを見つける楽しさを味わうのも、学校というものの持つ魅力でありましょうか。時間を共有しながらです。同級生たちと。
今日も家で勉強三昧を。
では、また明日!