講話の効用ということについて以下に書かせていただきます。
通称江戸取といわれる進学校が隣の県にあります。進学校として飛躍的に伸びた高校であります。
その学校を理解するキーワードがあります。
それは全校集会で校長先生が講話をした内容を全文復元してレポートにして提出させるということです。
当然その作業の過程で発展学習が発生するわけです。
昨日の山岡鉄舟のことでも学習のきっかけになります。またそれくらいでないと、教養としての基礎学力は身につきません。単なる受験勉強だけでは、大学に進学したときには、同級生と会話をすることすらできなくなります。
わたくしは意図的にそういう学習のきっかけになることをこのBLOGにちりばめてあります。たぶんこれは知らないだろうなという親心からであります。それはそれででたらめに歳をとっているわけでもありませんから出来るわけです。
幼い子どもたちに、あるきかっけをさしあげたいというお節介でもあります。柔道でもそうです。単発の技だけを教えているようでは素人であります。同じ大外刈りでも、入り方は無限にあります。先週、それを小学校の4年生に教えましたら、さすがでありました。察しがいいことかぎりなし。「外山先生、かかる、かかる」と喜んでいました。うれしかったです。かわいかったです。こんなわたくでもお役にたてたわけです。
そんなことしかわたくしにはできないわけですからね。
県銚の全校集会では、必ずわたくしの講話は、内容を印刷して学級単位に配布します。残念ながら、印刷用紙を倹約する世間の風潮です。全校生徒に配布するまでいきません。もっともそれだけの内容もないと批判されればそのとおりですから、首肯せざるを得ませんですが。
江戸取のやっていることは、道徳教育だと当事者たちはおっしゃっておられます。
中学校教員時代にそのことに取り組ませていただいて、なんども研究発表をさせていただいて、まったく同感だと思いました。
それで進学率が向上したらこんないいことはありません。
そのためにも、わたくし自身の勉強が大事になります。
これで上がりの仕事ではなりませぬ。
どこまでも、どこまでも自己教育をするしかないと思っております。
でないと、真っ白な在校生諸君にもうしわけないですから。
通称江戸取といわれる進学校が隣の県にあります。進学校として飛躍的に伸びた高校であります。
その学校を理解するキーワードがあります。
それは全校集会で校長先生が講話をした内容を全文復元してレポートにして提出させるということです。
当然その作業の過程で発展学習が発生するわけです。
昨日の山岡鉄舟のことでも学習のきっかけになります。またそれくらいでないと、教養としての基礎学力は身につきません。単なる受験勉強だけでは、大学に進学したときには、同級生と会話をすることすらできなくなります。
わたくしは意図的にそういう学習のきっかけになることをこのBLOGにちりばめてあります。たぶんこれは知らないだろうなという親心からであります。それはそれででたらめに歳をとっているわけでもありませんから出来るわけです。
幼い子どもたちに、あるきかっけをさしあげたいというお節介でもあります。柔道でもそうです。単発の技だけを教えているようでは素人であります。同じ大外刈りでも、入り方は無限にあります。先週、それを小学校の4年生に教えましたら、さすがでありました。察しがいいことかぎりなし。「外山先生、かかる、かかる」と喜んでいました。うれしかったです。かわいかったです。こんなわたくでもお役にたてたわけです。
そんなことしかわたくしにはできないわけですからね。
県銚の全校集会では、必ずわたくしの講話は、内容を印刷して学級単位に配布します。残念ながら、印刷用紙を倹約する世間の風潮です。全校生徒に配布するまでいきません。もっともそれだけの内容もないと批判されればそのとおりですから、首肯せざるを得ませんですが。
江戸取のやっていることは、道徳教育だと当事者たちはおっしゃっておられます。
中学校教員時代にそのことに取り組ませていただいて、なんども研究発表をさせていただいて、まったく同感だと思いました。
それで進学率が向上したらこんないいことはありません。
そのためにも、わたくし自身の勉強が大事になります。
これで上がりの仕事ではなりませぬ。
どこまでも、どこまでも自己教育をするしかないと思っております。
でないと、真っ白な在校生諸君にもうしわけないですから。