と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

効用

2009年10月29日 00時03分04秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 講話の効用ということについて以下に書かせていただきます。

 通称江戸取といわれる進学校が隣の県にあります。進学校として飛躍的に伸びた高校であります。

 その学校を理解するキーワードがあります。

 それは全校集会で校長先生が講話をした内容を全文復元してレポートにして提出させるということです。

 当然その作業の過程で発展学習が発生するわけです。

 昨日の山岡鉄舟のことでも学習のきっかけになります。またそれくらいでないと、教養としての基礎学力は身につきません。単なる受験勉強だけでは、大学に進学したときには、同級生と会話をすることすらできなくなります。

 わたくしは意図的にそういう学習のきっかけになることをこのBLOGにちりばめてあります。たぶんこれは知らないだろうなという親心からであります。それはそれででたらめに歳をとっているわけでもありませんから出来るわけです。

 幼い子どもたちに、あるきかっけをさしあげたいというお節介でもあります。柔道でもそうです。単発の技だけを教えているようでは素人であります。同じ大外刈りでも、入り方は無限にあります。先週、それを小学校の4年生に教えましたら、さすがでありました。察しがいいことかぎりなし。「外山先生、かかる、かかる」と喜んでいました。うれしかったです。かわいかったです。こんなわたくでもお役にたてたわけです。

 そんなことしかわたくしにはできないわけですからね。
 
 県銚の全校集会では、必ずわたくしの講話は、内容を印刷して学級単位に配布します。残念ながら、印刷用紙を倹約する世間の風潮です。全校生徒に配布するまでいきません。もっともそれだけの内容もないと批判されればそのとおりですから、首肯せざるを得ませんですが。

 江戸取のやっていることは、道徳教育だと当事者たちはおっしゃっておられます。

 中学校教員時代にそのことに取り組ませていただいて、なんども研究発表をさせていただいて、まったく同感だと思いました。

 それで進学率が向上したらこんないいことはありません。

 

 そのためにも、わたくし自身の勉強が大事になります。
 これで上がりの仕事ではなりませぬ。
 どこまでも、どこまでも自己教育をするしかないと思っております。

 でないと、真っ白な在校生諸君にもうしわけないですから。
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余裕で勉強なさいませ

2009年10月29日 00時01分41秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 保護者の方が、家事で大変忙しいのに、悠然と知らんぷりをして勉強をする。あるいは保護者の方が、忙しい時に限ってわざと勉強をする、しているフリをする。

 許容範囲なのでしょうか?

 そうではありませぬ。そうであってはいかんと思います。そういう在校生諸君はいないと思いつつ書いておりますが。

 わたくしは、亡母にそういうときはこっぴどく叱られました。ありがたい限りであります。もう、叱ってくれる親もなし。なにか考え違いをしていたのです。勉強優先。勉強だけしていれば、すべて許していただけると大きな勘違いをしておりました。

 これは大人になっても同様でした。
 
 仕事が忙しいと言っていれば、なんでも優先されるという考え方と一緒であります。

 忙しいから、親の葬式にも行かない、友人・知人・恩人の見舞いにも行かない、すべてのつきあいを絶ってまで忙しいを連発する。

 そんなことでいいのかなぁと思うからであります。

 進学校にはそういう生徒が多いと経験上思います。
 しかしながら、勉強オンリー、家事もやらんし、部活もやらん、机にかじりついて少しでも単語をというのはそれはそれでいいのですが、なんか違うと思います。だいいち余裕がない。それに、かすかながら勉強恐怖症にかかっておるのではないかと思います。自分で自分をかんじがらめにしている。

 本当の秀才というのは、勉強もむろんやりますが、部活もやれる。家事もやれる。わたくしは鈍才でありましたからとてもとても出来ませんでしたが。

 下記にいくつか秀才の例をあげましょう。

 わたくしの一年先輩にある公立大病院の院長先生がおります。H先生といいます。亡母の教え子でもありました。小中高と先輩で、家も近かった。農家の生まれで、農業も、牛の世話も全部引き受けてやっておられた。さらに陸上部で県のチャンピオンでもありました。まさにスーパーマン。なんども先輩の爪の垢をいただいて煎じて飲ませていただきましたが、わたくしはとてもとてもまねすらできませんでした。国立大学医学部に悠然と現役で進学していきました。

 これは余裕という問題であり、資質の関係することであったとしみじみ思うのであります。

 同級生にもおりました。
 バスケットの選手で、ほんとうに熱心に練習をしていました。さりながら、勉強ももの凄い。いつ寝ているのだろうと思っていました。やはり小中高と一緒でしたので、あるとき聞いてみたことがありました。何時まで勉強しているんだい?と。
そしたら、2時までという答えが返ってきたのです。練習のない日曜日に寝だめしているとまで言っていました。もの凄い男がいたものです。彼もまた竹中平蔵前蔵相と同じ国立大学に進学していきました。

 また応援団を一緒にやったS君は、柔道の達人でもあったのです。彼もまったく人前では勉強しているふりはしなかった。いつやっているのだろうと思っていました。しかしながら、仙台の旧制帝大医学部に現役で進学していきました。大秀才はなべて共通するものがあるようです。
 
 神経症になるくらいに勉強して恐怖感だけ持ってしまうのはいかがなものかと思うからです。

 昨日のNHK「ためしてガッテン」という番組で記憶のことを扱っておりました。イメージで記憶するというようなことを言っていたように思います。わたくしの解釈では。

 それなら余裕でできるのかもしれないと思った次第です。
 一種の思い上がりかもしれませんが。


 在校生諸君もがんばりなさいませ。
 特に3年生の諸君。



 また明日!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/