今日、ある先生と校長室で効果的な教育課程ということでいろいろとお話をさせていただいたり、アドバイスをいただいたりしておりました。一時間ほど。
県銚の先生方は、本当にこころから感謝しているのですが、まさにイノベーションのかたまりのような情熱家が多いのです。明日の県銚をいかにするかということを真剣に考えておられる。これは心底頭の下がる思いです。誰だって、過去の繰り返しをしていれば安逸であります。しかし、そこには発展はない。むしろ堕落しかない。これだけは真実です。つまらん自己満足で生涯を過ごしてはならんのです。
県銚にはいませんが、授業で一冊の古ぼけたノートを読み上げるだけでは最低です。
工夫と、技術がそこになければとても教育とは言えません。
不断の自己教育があってこそ、教えることができるわけです。
絶えざる自己研鑽と、向上を図っていってこそ教員であります。
それほど厳しい道であります。
7月下旬からわたくしはヘアスタイルを一新いたしました。もっともずっと以前から素質的にあまり変わらないものではありましたが。友人たちは、変えたこと自体に気が付きませんでしたから。3ヶ月もたってから、「あれ?なんだその頭」と言われました。笑い話のようです。それだけ存在感が薄いのでしょうね。(髪の毛も)
いろいろ理由はあるのですが、それについては書きません。しかしながら、辿り来て未だ山の麓かな、でありました。35年も教員をさせていただいて、まったく完成の域にはほど遠いということを思い知らされました。しかもあとうまくいったとして2年で去らねばなりません。わたくしの半生はなんだったのだろうかという思いと、今まで酔生夢死のような無駄の積み重ねではなかったのか、人に誇るべき何ものもないという慚愧の思いであります。もっとも人に誇るために仕事をしてきたつもりもまったくありませんが。
たかだか58歳くらいで、完成したなどというのは思い上がりも甚だしいと気づかせていただきました。
ありがたいかぎりであります。
周囲の人皆我が師。
これであります。
全て善人ばかりでもありません。なかなかの方もおられる。しかし、わたくしは全てのかたがたに学ぶのです。極端に言えば、サターンにも学びます。自己の未完成を知らない手本という意味で。
人のフリ見てわがフリ直せというわけです。
この日曜日に、わたくしはある講演を聴いておりました。
先生のお言葉にいちいち納得しておりました。
それは、他人の言動に左右されていないか、他人の悪口を言っていないかということに凝縮されるような講演でありました。
あるいはつまらんことで、小さいハラを立てていないか、それで命を縮めていないかというようなことでした。人間の器量の問題でもあります。
思い当たることはたくさんあります。
まだまだ
まだまだ
わたくしは修業不足のようです。
明治維新の前後に、山岡鉄舟という剣士がおりました。
実は、非常に尊敬しているのです。西郷南州にも直接掛け合って江戸の無血開城の発端を作った方です。
東京は谷中にある鉄舟先生のお墓にも詣でました。
詳しくはここに書きませんが、修行中、勉強中の青少年時代にある方々に紹介をしたい偉人であります。
亡くなる時は、座禅の姿のままであったそうです。
剣士というのはほんとうに自己のこころを安定させないと、危ない。祖父によく真剣をふらされましたが、あんな重くて恐ろしいものはありません。間違ったら自分の足を切ってしまいます。それでも祖父は、論語の素読をはじめ、わたくしに厳しく教えてくれました。剣道も、他の武道と一緒でまったくものになりませんでしたが。
ま、それはともかく、世の中には追求すべき偉人は多いということであります。
やることがまだまだわたくしには有りすぎて、当分退屈することなぞ考えられませぬ。
在校生諸君も、やること、やらねばならぬことは、たくさんあります。
インフルエンザで学級閉鎖になって、カラオケに行っているような生徒はまったくいないと信じてこの記事を終わります。
また明日。
県銚の先生方は、本当にこころから感謝しているのですが、まさにイノベーションのかたまりのような情熱家が多いのです。明日の県銚をいかにするかということを真剣に考えておられる。これは心底頭の下がる思いです。誰だって、過去の繰り返しをしていれば安逸であります。しかし、そこには発展はない。むしろ堕落しかない。これだけは真実です。つまらん自己満足で生涯を過ごしてはならんのです。
県銚にはいませんが、授業で一冊の古ぼけたノートを読み上げるだけでは最低です。
工夫と、技術がそこになければとても教育とは言えません。
不断の自己教育があってこそ、教えることができるわけです。
絶えざる自己研鑽と、向上を図っていってこそ教員であります。
それほど厳しい道であります。
7月下旬からわたくしはヘアスタイルを一新いたしました。もっともずっと以前から素質的にあまり変わらないものではありましたが。友人たちは、変えたこと自体に気が付きませんでしたから。3ヶ月もたってから、「あれ?なんだその頭」と言われました。笑い話のようです。それだけ存在感が薄いのでしょうね。(髪の毛も)
いろいろ理由はあるのですが、それについては書きません。しかしながら、辿り来て未だ山の麓かな、でありました。35年も教員をさせていただいて、まったく完成の域にはほど遠いということを思い知らされました。しかもあとうまくいったとして2年で去らねばなりません。わたくしの半生はなんだったのだろうかという思いと、今まで酔生夢死のような無駄の積み重ねではなかったのか、人に誇るべき何ものもないという慚愧の思いであります。もっとも人に誇るために仕事をしてきたつもりもまったくありませんが。
たかだか58歳くらいで、完成したなどというのは思い上がりも甚だしいと気づかせていただきました。
ありがたいかぎりであります。
周囲の人皆我が師。
これであります。
全て善人ばかりでもありません。なかなかの方もおられる。しかし、わたくしは全てのかたがたに学ぶのです。極端に言えば、サターンにも学びます。自己の未完成を知らない手本という意味で。
人のフリ見てわがフリ直せというわけです。
この日曜日に、わたくしはある講演を聴いておりました。
先生のお言葉にいちいち納得しておりました。
それは、他人の言動に左右されていないか、他人の悪口を言っていないかということに凝縮されるような講演でありました。
あるいはつまらんことで、小さいハラを立てていないか、それで命を縮めていないかというようなことでした。人間の器量の問題でもあります。
思い当たることはたくさんあります。
まだまだ
まだまだ
わたくしは修業不足のようです。
明治維新の前後に、山岡鉄舟という剣士がおりました。
実は、非常に尊敬しているのです。西郷南州にも直接掛け合って江戸の無血開城の発端を作った方です。
東京は谷中にある鉄舟先生のお墓にも詣でました。
詳しくはここに書きませんが、修行中、勉強中の青少年時代にある方々に紹介をしたい偉人であります。
亡くなる時は、座禅の姿のままであったそうです。
剣士というのはほんとうに自己のこころを安定させないと、危ない。祖父によく真剣をふらされましたが、あんな重くて恐ろしいものはありません。間違ったら自分の足を切ってしまいます。それでも祖父は、論語の素読をはじめ、わたくしに厳しく教えてくれました。剣道も、他の武道と一緒でまったくものになりませんでしたが。
ま、それはともかく、世の中には追求すべき偉人は多いということであります。
やることがまだまだわたくしには有りすぎて、当分退屈することなぞ考えられませぬ。
在校生諸君も、やること、やらねばならぬことは、たくさんあります。
インフルエンザで学級閉鎖になって、カラオケに行っているような生徒はまったくいないと信じてこの記事を終わります。
また明日。