・昨日の記事で「憶測でものを言うこと」なる駄文を書きました。これは真逆の関係で、他人をどう評価するかという課題とも密接に関連いたします。
・たとえば愚生。
・お寺のお坊さんではないのかという評価。まったく違います。宗教のことは書いてはなりませんので書きませんが、本当のことを明かしたら呆れられるでしょうなぁ。もっとも、このヘアスタイルではそう見られても仕方無しでしょうか。。。。。。
・だから他人を憶測で、推測でいいかげんに評価してはならんのです。愚生のことを知っている方は殆どいないと思っています。私人としてのプライベートなことは、これだけブログを書いていてもまったく明らかにしておりません。
・「人を知る」ということは、本当に困難なものであります。評価するというのも、また非常に困難なものであります。ただし、成績は別。数値化されているのですから、これはまた在校生諸君は素直に受け入れて、頑張るしかない。
・最近経験したことは、他人の一生をキーワードだけで判断して、あっそうか・・・と早合点してしまうお方とお会いして苦笑させていただいたことであります。
・ドストエフスキーの作品群をキーワードだけで、瞬時に理解できると豪語しているのに等しいのであります。30秒で全部ドストエフスキーを理解できたという方は、ほんとうの天才でありまする。愚生から見たらです。
・こういう方は実に多い。キーワードはキーワードであって、中身が無い。それでもって人のこれまでの生涯を瞬時に理解できるほどアタマの良いひとはそんなにいるものではないのであります。
・そういうことをお聞きしている時の愚生の顔は、たぶん慈悲心に満ちた笑いでいっぱいでありましょう。迷いの世界を生きているとしか思えないからであります。
・他人を知るということは、実に困難なのであります。そのことをふまえていないと、本当は何を考えているのか、どういう行動をとっているのか、あるいは他人を自分だけの物差しで測っていないかということがあり得るのであります。
・高校時代に人間関係で悩んでいるのなら、上記で書いたようなことも考えてみるべきでありましょう。
・人間を理解するということは本当は難しいことであるということをです。少しも焦る必要は無い。他人が理解できないからと言って悩む必要はないのです。他人が理解できないと同じほど、自分をも理解できていないのが人間でありますから。
また明日!