イギリスのジョン・クレアという詩人が、「もし生涯の第二版があるなら、私は校正をしたい」と言ったそうである。
今の長寿社会なら可能である。昔はできなかっただろうから、クレアさんはこう言ったのである。現代は可能である。愚生も、これまで過ごしてきた仕事人生を振り返ってみて、生涯という原稿を書き直したいという部分はいくらでもある。もうできないけどね。
現役を夢中で過ごしている時は気がつかないのだが、自分の長所も欠点もわからないまま、突っ走ってきてしまった。今は、よくわかるようになってきた。自己分析をする余裕が出てきたからである。それに生きる智慧もちょっとはついてきたらしいから。
退職は、自分に染みついた垢を落とすのにも実にいい転機である。現役の時は自分が退職して、この世界からいなくなってしまうということに考えが及ばない。「死」と一緒である。誰でも100%死ぬのに、まだ死なないと思っているというのと一緒である。
退職をきっかけに、これまでの生き方の総括をしてみるべきである。そんなことを聞いたし、確かに自分でもやってみた。
どこがよかったか?
逆にまずかったか?
自分はどういう程度の人間なのか?
つまり修理をするのである。車検をとるようなものだ。もっともそれで車検がとれなかったという可能性もある。ははははである。愚生がそうだからである。還暦だからもう完成したのではないかと、密かに思っていた。
そしたらとんでもないことで、修理をしていない部分がたくさんあったからである。部品の在庫が無くて、修理不可能なんだって・・・。こりゃぁ(*_*) マイッタ
校正ならできる。部品が無くても。訂正をしていけばいいからである。しかし、それ専用の筆記用具がないなぁと思う。残念だがそうだ。売っていないから。
訂正ではなくて、部品交換ではなくて、劣化した部分は捨てるしかないのかもしれない。まだまだ使える部品は大切に使っていきながら。
総括という言葉はあまり好きではなかったが、こういうときにはやってみてもいいことなのかもしれないと今日は考えた。
そんな程度のしょうもない話ではあるが。
さ、これからジムに行こうっと。
劣化したと~ま君の部品を磨きに。
(^0^)/ウフフ