ぼーっと、店の灯りがともっている。陸橋の交差点を渡ると、その店に到着する。向こうから、右折のクルマが急ハンドルを切りながら、キキーとか言いながら渡っていく。アブねぇなぁとか言いながら渡る。こんなところで死んでたまるかと思いながら。
もう少しで忘年会のお店に到着である。
その前に郵便局で年賀状を出してきた。例年の1/5である。70枚。おっと、去年は350枚もだったのか。郵便局の若い職員が改めて挨拶をしたいと拙宅にこられたわけである。去年は。
今年は違う。もうそんなこともないだろう。退職したら、年賀状が激減したということで、鬱になる方もおられると聞いたから、かえって安心である。
メンバーとは、久しぶりにお会いした。年に2回くらいしかお会いできない。23歳からのおつきあいである。嬉しかった。ランランランである。80代がお二人、70代がお一人、67歳の方がお一人。全員、23歳の時の同僚である。
忘年会というのもあったが、愚生の退職を祝ってあげるという意図であったのだ。全員かくしゃくたるもので、いろいろな社会貢献をなさっているし、どこも具合が悪くない。さらに、酒も、昔ほどは呑まれなくなったが、嗜まれる。全員青年である。目も耳もまったく問題なし。70代の方は、ご自分で片道500キロの温泉旅行もやっておられる。
蘭の花をいただいた。こころのこもった、大人(おとな)からの贈り物である。良い香りであった。しばし、うっとりとした。打算もつまらない計算もない。感謝、感謝、ただひたすら感謝である。
本人から挨拶をせよということで、近況報告をさせていただいた。二つの大学で、教えたり、教わったりしていること。塾のことや、柔道教室のこと、配偶者と温泉三昧であることなどを報告させていただいた。さらに、12月の龍谷大学で鬼来迎の学術発表をさせていただいたことなどをも報告させていただいた。
その後が質問タイム。。。。。。。(^0^)
参りました。塾で、国語ならわかるが、英語と数学も、たまには理科もやるって?できるのかね?っていう質問には、全員でわはははははである。むろん愚生が一番笑ったんである。
日本料理のおいしい店である。料理を堪能して、二人の大先輩をタクシーでお送りして、来年の6月はと~まの幹事で会を設定せよとのことであった。快諾した。
今日は珍しく呑んでいなかったから、本当にしみじみとこのような交際をさせていただいたことを感謝していた。義理で、あるいは仕方なしにつきあっていたら、40年近くももたなかったであろう。夫婦だって、なかなか40年は厳しいものがある。愚生だって、まだ32年しかたっていない。
これまでも打算なしに交際させていただいたし、これからもそうさせていただきたいものである。義理だの世間体だの、クチとホンネがまったく違う世界で生きてきたから、余計そう思うのだろう。大先輩たちは、居住地では知らない人はいないくらいに有名な方々である。おそらく、愚生なんかには想像もできないほど過酷な、そして厳しい世間のしがらみを生きてこられたであろうに。それでもなおかつこころから愚生のようなものを祝ってくださるのだ。なかなかできないことである。メリットはないという畜生道のような台詞を吐けば、別に愚生ごときと一緒に酒を呑んだり、祝いごとをしなくたっていいのだから。
さすがに義務教育の方々は違う。関係性を大切になさる。地域を共に生きている。
こうありたいものである。愚生も。