と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

孤舟族

2012年12月05日 16時02分33秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

最近、老年学とか勝手にこのブログにカテゴリを作って、言いたい放題、書きたい放題をつらぬいているのに気がつかれただろうか。

これは、修士の時の必修科目であったのだが、なんとも難しい科目で、能力のない愚生はついていくのがやっとであった。されど、非常に面白い学問でもあったのである。あまりあちこちの大学にも、どこにでも設置してあるというような科目ではないから、インターネットでも捜すのに苦労する。しかし、これは定年退職後の必須科目であると、今になって感謝している。その科目から得たものを、自分なりに考えて勝手に書いている。老年学とは似ても似つかぬ駄文のオンパレードであるが。

孤舟族という言葉がある。作家の渡辺淳一せんせの作品で(「孤舟」)出てくる。なかなか面白い。ちなみに、せんせの作品は、あまりにも現代風で、不倫とかなんとかとか、愚生にはまるっきり関係のない風潮を描いているから、どうも好きになれないのだが。

この孤舟は珍しくいいと思った。

大手広告代理店の執行役員にまでなった主人公の話である。彼は、60歳の定年後に子会社への出向を蹴って、自宅でなにもすることがないまま日々を過ごしていく。妻の方は、やれ趣味の会だ、友人とランチだ、芝居見物だと出かけていく。そして、やがて出かけていく妻に非常にうるさい小言を言うようになる。何時に帰ってくるのか?誰と行くのか?どこへ行くのか?・・・のオンパレード。外に出ていっても、偉そうにクチをきくものだから、誰も相手にしない。

やがて妻は娘のところに出て行ってしまう。ま、ありきたりな筋である。

彼は仕方なく、家事や犬の散歩を自分でやるようになる。やがて、彼にデートクラブで知り合った若い女性ができる。・・・渡辺淳一らしい展開がこのあたりから始まるが、愚生はこれでこの本は不要となったので、ゴミ箱へ。いいのは前半部分のみ。

 

情け無いなぁと思う。いつまでエライと思っているんだと罵倒したくなる。くだらない。実にくだらない。オレは外で稼いでくるから、妻は家を守れっていうのは、遅れている。勘違いも甚だしい。

偉かったヒトは、退職したらなによりも夫婦のあり方を見直すべきであろう。偉くなかった愚生にはそんな必要はないが。どうもそういうところを勘違いしていてはならんのではないかと思う。

退職したら、区分が無くなってしまうのである。あなた働くヒト、ワタシ家事をするヒトっていうのは、早く訂正をすべきである。

感謝することである。

こころからである。そして、必ずどっちか一人になる。相手がいなくなってしまうのである。家事も、掃除も、税金も全部一人でやらなければならないのである。

あ、・・・・・・・・・・これって、愚生の方が長生きするっていふ前提で書いているな。

こりゃいかん。

 

わははははは。

(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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京都なんか行って、なんになるんだい?

2012年12月05日 09時15分01秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

京都なんか行って、そんなことをして(学術発表)なんになるんだい?

そんなことを言われたし、言わなくてもそう思っている方はおられる。

(^_^)3 フムフム。

若い人なら、学者になりたい、研究者になりたい、大学の先生になりたいとかいろいろあるんだろうな。可能性があるから。年代的に。

じゃ、オレはなんなんだということになる。無目的なんだ。それは間違いない。趣味だと言った方がいいかもしれない。無駄な浪費家だということなのか。

そうであってもいい。

要するにおっさん的な興味関心から勉強しとるという感じである。宗教学で言えば、のめり込まないタイプ。例えば、浄土真宗でもそうだ。教義にのめり込んで、実践を主体に、あるいは哲学としての宗教学とかはまり込んでいくのとはちょと違うような気がする。愚生の場合は。

だから専門家には永久になれない。

そういうことである。そういうこと。

 

ただし、留意点がある。それは、独善に陥らないということである。だから、生涯学習のシステムは重要である。そのシステムのもとで学習しないと間違いがおきる。経済学者で日本の古典にも手を出されて、いろいろと書いている方もおられる。優秀なんだろうが、あまりに広範囲にやられるとそれなりのヒンシュクも買う。それでもめげずにやる方もおられる。

たいしたものである。

愚生にはできない。たった一本の駄文を書くのに四苦八苦である。それも、根拠文献が適切だろうかとか、いろいろと悩んで書いているだけである。

情け無いが、その程度なのだ。

 

この辺りが、若い時と老年になってからの差である。ナニカになろうとしていないからである。これでは、冒頭に書いたようなことを言われるわけである。

ひたすら黙って隠れていればいいのだろうか。

すっこんでおれということなのだろうなぁ。

 

出しゃばりのオレにはできない相談だけどね。

 

(^_-)-☆

 

 

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12月4日(火)のつぶやき

2012年12月05日 04時20分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日は、8日の資料作成で終始した。現役時代は、いろいろとあちこちでしゃべってきたが、また違うこころもちである。ふむ、、、、楽しみでしゃべるということは、これまたいいのですね。まったく。まったく。


資料はA3で都合6枚である。量的にはこれでいいでしょう。。。。。あんまり多いといかんです。思いやりがないと。


いてててててえ・・・・・柔道のお稽古会でした。痛いなぁ、今日の稽古は熱が入ってしまったです。右足をおもいきり蹴飛ばされてしまったです。


柔軟性がないからです。身体能力は次第に衰えてくるのだから、少なくとも柔軟に対応していないと、自滅です。(^-^)/


と、書いていて、社会人の青年とも稽古したんですが、彼の方がもっと固い。柔軟性がない。しかも腕力もある。ううううううむ。論理的に破綻している。それでも愚生の技がきくので。不思議な武道です。柔道って。


さ、これから読書タイムです。書庫のストーブがフル回転して、やっと柔道で冷えた体があったまり・・・じゃぁなかった。今日も稽古の後は、サウナに行ってきましたから。現在、実に快適であります。じゃぁ、また明日!


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/