今日は本当にありがたかった。
師匠のゼミが毎週金曜日にあるのだが、京都の学会発表の報告をさせていただいたのだ。そして、かなりご心配をいただたいていたことを今日知った。
もしかしたら、ショックのあまり登校できなくなっているのではあるまいかと思っていらしたとのこと。師匠は某国立の超一流女子大学でずっと教授をなさっておられた。そして、教え子の中から何人も学者を出しておられる。
と~ま君が、あまりにも厳しい学者先生方のご指導の前に、たじたじとなって、寝込んでいるのではあるまいかと思われたとのことである。
女性が泣くのならまだしも、柔道マンのと~まが、ハラハラと美しい空を見上げながら悔し涙にくれるというのは、絵にならない。
それは風にそよぐ葦のような、肩幅の狭い、和服の似合いそうな女性が似合うのだと愚生は思う。
中国の大学の先生で、短期留学で本学に来ておられた先生も、心配だとメールを師匠に出されたそうである。ゼミで一緒に学んだ言わばクラスメイトである。
あああああああああああ
慨嘆した。
はれぇ。。。。。。。そんなにご心配をおかけしていたのだ、ということである。
のんきなのは本人だけ。
京都伏見の、日本酒を飲み比べて、悦に入っていたのだから。しかも、二次会まで行って、居眠りして、起こされて、ヨレヨレとホテルまで歩いて帰ってきたのだった。
あふぉ~でっせ。
世間の渡り方において、これじゃぁ疑問がある。いかに、無目的に大学院で楽しく学んでいるって言ったって、これじゃぁいかん。
ジョーシキを知らないっていうものである。
だから、学問の世界で生きることができなかったのだ。そう思う。本当にそう思う。
ハガキでも、メールでもなぜ出さなかったのだということである。話にならんな、これじゃぁ。
やっぱり出世とは縁がないわけですよ、まったく。
しょうがない奴です。
新しいお筆先を買った。
ポメラの3台目になる機械を今日買って、これを書いているのだが、やはり新しいものはいい。なんでいいか。
機能が新しくなっているから。当たり前だが。あんまり当たり前すぎておもしろくもなんともないケド。
でも新しいならばなんでもいいかというと、そうでもない。新しいということは、もしかしたら知らないうちに欠陥もまたつかまされている可能性もあるからである。
一番気に入ったのは、辞書がcomputerと共有できるということである。これはなかなかである。特に、複雑怪奇な単語が多いので、苦労するからである。これは今年一番のお得情報である。
そんなわけで、夕方、スポーツジムに行く前に今日購入したのである。年金生活者には大変な出費である。ささやかな、まことにささやかなぜーたくである。
computerに比べたら、インターネットにつながらないだけいい。なぜか。インターネットにつながるということは、テレビでも見ながら仕事しているのと一緒だからである。これは精神衛生上よくない。本学に入学してから、毎日毎日図書館で、院生室で駄文を書いては消し、消しては書いているから、駄文書き専用のポメラを愛用していたのだ。ところが、辞書に我慢できなくなってしまった。だからである。買ったのは。これ、現役の時にいろいろご指導いただいた先生が持っていらしたのを、ちょっと愚生にも見せてくだされと懇願して、見たら最後だったのである。
つまり衝動買い。得意の。
以来、今日で3台目。
ハハハである。
今日から、道徳教育の手段と理論(仮題)を書き始めている。別の大学に提出しなくてはならない。こっちは年度内。一昨日相談の結果書くことにあいなりました。
さらに京都で発表した「農民芸能と宗教」を学会誌に投稿させていただくから、しゃかりきになって書かなくちゃならない。締め切りは来年一月初旬である。採用されるかどうかわからんのだけれども。
もう一つある。郷土史の研究誌の原稿。
都合3本。時間だけはたっぷりあるから、やる気満々である。あとは、能力があるかないかだ。(タブン・・・怪しいケド)
ま、これもそれも、「お筆先様」のおかげである。これがなくちゃなんにもできないのだ。
あああああああああああああ
ありがたや、ありがたや。
合掌・・・
(^_-)-☆
なんでも真剣にやるってぇのが、いいんでしょう。まったくそうしないと、世の中も、家庭もうまくまわりません。(^-^)/
それと足下をよ~く見て生きていくとですね。ど~も、あっち見てうらやましがったり、こっち向いて悪口言ったりしているからなぁ。脚下照準でありますよん。これで行くしかないですわぃ。