昨日の塾の帰り、時間もなかったからスポーツジムはサウナだけにして、それこそひと汗かいて、あ、そうだ行くところがあったんだと思い出した。一度帰りかけて、引き返した。
マンガの「エースをねらえ」というのを、古本チェーンで105円で買った。そして、読んだ。3冊も買った。315円だった。非常に珍しいことをしたもんだ。地蔵菩薩の研究書を県立図書館から借りてきて、部分コピーをしながら眺めていた。単純な作業にはうってつけであるから。
なんで買ったのか。それは、このマンガ決してバカにできないということを知ったからである。武道人の必須マンガだと言われる方もいたので。稽古の美学がちりばめられているとのことだった。
最初ついていけなかった。あれである。あれ。つまり、少女漫画チックなのである。お目々がキラキラしている。脚も長いし。見れば見るほど腹が立つ。登場人物が全部、美男美女だ。これはある意味源氏物語と通じる。いやな絵である。本能的に感じてしまうのである。そういふ世界が嫌いなのだ。オレは。オレとは違いすぎる。オレの世界は、くせぇー柔道着と、太宰治にすらバカにされるようなダサイ武道だから。すくなくとも、エースをねらえのテニスのような上品な世界ではない。
されど、このマンガは、稽古の美学に徹底している。宗方コーチというのが、まさに稽古の権化である。ただし、これまたあまりにもいい男過ぎて、憎たらしい。
やはり異次元の絵である。ムムムである。それにモテ過ぎる。アホじゃんかと思いつつ、見ていた。おそらく、3冊目になったら、えぃ!っとばかりこのマンガをゴミ箱に捨てるだろうと思っていた。いまか、いまかと思いながら。
ところがだ。
はまってしまった。
面白くなっちまった。
おもろいと思うオレにハラが立ってきたのだ。
勝手なもんだ。
なんでか?
それは「短期間で、みるみる成長する」という若者の奇跡に酔いしれたからでである。主人公の少女岡ひろみは、ただの普通の女子高生で体格も、センスも、やる気も普通の高校テニス部の生徒である。それが、テニス協会の世界戦略のもと、宗方コーチから過剰に期待されてしまう。
部内の人間関係や、ひいきされているというやっかみ、ジェラシーに苦しみながら、主人公は成長していく。それが非常に短期間なのである。
日本人は、短期間にあっという間に成長していく「物語」に弱い。一種の精神論である。やる気さえあれば、成果は残るというやつである。そういう「物語」が日本人は好きなのである。しかも、日々練習を気絶するまでやって、成果を残すというものがである。
ある意味国民性と言うべきであろう。
短気なのだ。・・・・・もっともオレもヒトのことをどうのこうのと言えない。
女子高校生がスポーツで一流になるのには、恋愛もどうあるべきかという課題もつきつけている。藤堂というテニス部の男子生徒に宗方コーチが言う台詞は格好がいい。
男なら
女の成長をさまたげるような
愛し方はするな
それだけだ
(第2巻 p.177)
良い言葉なり。
実に格好がいい。ただし、これは宗方コーチが言うから絵になる。臭い柔道着を着たと~ま君コーチが、言ってもこりゃダメだわな。
ははははっははは。
もっとも現代風なテニスをやる可能性は500%無いケドねぇ。
今日はこれから千葉市に行く。能を見に行く。チケットは予約してあったので楽しみにしている。「殺生石」である。こちらはある意味、道楽であるし、これでもって駄文を書き散らしているし、さらに芸能と宗教なんて柄でもないことを始めているし・・・とご多忙なんである。京都まで行って、学術発表をさせていただいたのもこれの延長上にあるからおろそかにはできない。
で、思ったのである。
会場で能楽の本もちょっと買ってくるけど、千葉市の古本チェーンは大きい。大きいということは、たくさん本がある。・・もうバレバレですね。
エースをねらえの4巻からを買うつもりなのである。
じじぃの独り言でございますよん。
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