老人になれば誰も単純で気短になる
「老人になれば誰も単純で気短になる。」吉川英治の言葉である。愚生は、これを戒めとしている。毎日毎日腹を立てないで、生きていこうと思っている。波穏やかに、日々平安に過ごしたい...
老人になれば誰も単純で気短になる
「老人になれば誰も単純で気短になる。」吉川英治の言葉である。愚生は、これを戒めとしている。毎日毎日腹を立てないで、生きていこうと思っている。波穏やかに、日々平安に過ごしたい...
一服の茶をいただくこと
一服の茶をいただくことは、なかなかいいものである。
朝、静寂なときに、ひとり静かに書庫でお茶を飲みながら過ごす。これが体調管理にはなかなかいい。しかし、オレの記憶じゃ、かの安岡正篤先生も朝の茶を大事にしておられたが、胃を悪くされた。もっとも安岡正篤先生は、御酒を愛飲された。だから胃を悪くされたのだった。
オレも気をつけないといかん。
どうも退職してから、体質が変わった。
それこそ御酒が呑めなくなった。否。もともと呑めないのに無理して呑んでいたのだった。社会通念上。つまりおつきあいってやつである。そんなに無理して呑んでいたって、おつきあいなんて無意味であった。職業についているからつきあうっていうだけで、意味なんかそもそも無い。意味のある行動なんて、そもそもあるわけもない。すべてはそういう無明の世界に行き着くのだ。
寂しいけれども、しょうが無いのだ。
それが真実であるから。
所詮、人間はひとりで生まれて、ひとりで死んでいくだけだ。
だから、facebookの友達というのが、絶対的な価値があるというようには思わないことだ。オレはそれで、一昨日全部リセットして、facebookを新規に立ち上げた。また自由自在に発言できるようになった。メモでしかないということも分かってはいるが。時々こういう大工事をしないと、いつまでも過去のしがらみに囚われてしまうからである。
そろそろ現在の在籍校を中退した後、どうするのかということも切実な問題として迫っているし。郷土史愛好家としての余生もある。かえって余生を郷土史愛好家として生きていきたいという希望の方が大きいのだけれども。実力がないから、勉強しなくちゃならんけど。
古文書もまったくの初心者だし。
やること、やらねばならんことはたくさんある。
じじいだけれども、年をとっている暇がねぇのだ。わはははっはである。
まったく物理的には、じじいだけどね。
午前中は、これからポメラという機械で、本のノート作りをする。
1000字くらいにまとめるつもりだ。これがいい知的体験になる。本の内容のどこを捨てるか、どこを活かすかということが、実にいい勉強になる。速読のいい特訓にもなる。しかも、ポメラからWordあたりにコピーしてそれをskydriveあたりにしまっておくとこれまたどこでも見られて、実にいい。拙ブログの原稿も、skydriveにしまってある。
そんなことをやってひなたぼっこをしながら、ネコのように生きておりまする。
わはははははは。
老後の生き方という検索語で、アタクシのブログを探してヒットする方がおられた。昨日である。
ありがたいものである。こんなつまらないブログでも、なんらかのお役にたつのではないかと、思うとうれしい... goo.gl/lbnPvf
今日の中国語講座はなかなかであった。早口言葉を教えていただいたのだ。しかし、出来が悪いなぁ。クラスメイトが教えてくださっているのだが、あああああああああああああ、もう無理だ。三歩歩いたら忘れるのだよん。そもそも、語学の才能がねぇ... fb.me/2GEH3D3TV
中国語の電子辞書の使い方も教えていただいたのだ。どうやって使うのかも知らなかったのだよ。ホントにオレはカネの無駄使いをしているぜよ。それも受講生のどっかのおじーちゃまに教えていただいたのだ。
社会人講座で西行を教えていただいている。そう、師匠にである。そうなのだ、オレは師匠の全部を知りたくてなんでも食いついているのだ。そして、受講生のおばーちゃまとおじーちゃまと話をしていたのだ。今日のゼミの後。人生智の宝庫ですなぁ。... fb.me/1EyJb4bP2
さ、これからスポーツジムに行く。温泉とサウナも入ってくる。
心配なことがある。
それは、さっき習った中国語講座のことを全部ワスレテしまうのではないかと。
可能性が大きい。
あ、もう紙コップってなんというのか、ワスレテしまったよん。(>_<)ゞ
今、迷っていることがある。来月研究発表をする五大院安然の原稿を雑誌に投稿しようかと。郷土史愛好家として余生を送るのだから、なにも遠慮することはないのか。もう書き上がっているし。いろいろ印刷媒体で世に出ることの方が、オレには喜びだ... fb.me/39xnNUnwi
だからまだ拘っているのだなぁと思うのだ。他人の目を気にしているのだよん。場家だよ、オレは。やっぱり。学会とか大学とか、相手にされなくてもいいじゃんかねぇ。もっとも、オレ、大学は今の在籍校だけではなくって、5つほど行っているから、どこの大学とかそういうことではないけどねぇ。
今日は師匠に和歌文学の本質についておおいなる示唆をいただいた。「寂しさ」が和歌文学の本質なのだということであった。川端康成もそうだと云われていた。国語教師を37年やらしていただいて、オレは、なにを勉強してきたのだろう。まったくこ... fb.me/2CG1kN2FD
それにしてもfacebookの友達が少ないと実に気楽に書けますねぇ。まったくオレのメモだ、これじゃぁ。それも友達は5人しかいない。直接会ったことのある方ばかりである。FBをメインにして、Twitterを従にすることで、なんだか新... fb.me/6pFL70O7u
去年の記事 第二の人生 blog.goo.ne.jp/tym943/e/4ee5a…
明日は、居住地の大図書館で、講演会がある。県立中央博物館の研究科長である内田龍哉先生の「水郷を旅した人々 文人・文豪の水郷遊歴と利根川水運」だ。楽しみ、楽しみ。
それにしても今日は随分書かせていただいた。FBに。こうやってみるとオレの覚え書きみたいなものだなぁ。手帳と同じだな。便利なもんだよ。なるほどなるほど。