双極性障害の気分の波の乗り越え方【精神科医・樺沢紫苑】
通学制の大学がコロナで通学不可能になっている。かわいそうに。ボキも大学院に在籍しているが、ボキの場合は通信制である。したがって、通学制の学生さんがかわいそうでならない。
もっともあれだ。ボキは通学制学生のときも大学には行けなかった。学生運動が極端に盛んであったから、各大学は封鎖されていたのだ。特に、有名大学は全部と言ってよいほどもぬけの殻。神田あたりの大学は軒並み封鎖。明治も、中央も、法政も、日大も全部ダメ。東京教育大も東大もダメだったよん。総天然色のバリケードで虚飾の大学サーカス・ストリートになっていたからだ。神田の古書店店主が嘆いていたっけ。全部バカだって。親は知っているのか?って。ついでに、オメェも明治か?って古書店で聞かれたときは顔を赤らめてそんな優秀な大学行けるわけもないでしゅよと申し上げた記憶があるが。今、あのときヘルメットをかぶっていた大学生達はなにをやっているのだろうかねぇ。死んじゃっていないのかもしれないが。
あれから数十年。コロナでこんなことになろうとは、実にかわいそうだ。
だからと言って退学までは考えない方がいいと思うですなぁ。レポートを出せと言うのなら、素直に出していればいいのだ。そのうちなんとかなる。単位だけもとっていったほうがいい。下手に騒ぐとろくなことはないからだ。
ボキは、苦学していたからとりあえず新聞店にいた。喰うためにである。そして新聞だけ配っていれば、飯も出たし、学費は新聞社が出してくれたから安心していた。むしろ、こういうのがルンペンプロレタリアートとしてのボキの生き方だと思っていた。それが正解だった。いじけて、どっか別の世界に行ってしまうよりはこれでよかったのだ。実は、誘われたからだ。水商売に。行かなくてよかった。
おかげで今がある。年金もらいながら、やっと生きている。それでよし、それでよかったのだ。
昨日も、一昨日もレポートをやっている。評価は低い。それでもよい。やったことのない分野でもって、専門家の指導を受けられる。これがなによりである。ただし、学費が続くかどうかはわからない。通信制と言ってもそんなに安くはないからだ。通学制のように福沢諭吉が何人いても不足だとはならないが。
今日もレポート書きをやる。最近、楽しみになってきちゃったですよん。やることないからである。
BYE-BYE!