[前編]東京_青ヶ島キャンプ場|絶海の孤島!!青ヶ島で2日間ソロキャンプをした[ゲーム風キャンプ記録][モンベル クロノスドーム2型]
出版社から校正原稿が送られてきた。宅急便である。佐川の方。薄い段ボールだった。事前に連絡をいただいていたから受け取ったものの、その連絡で巻頭言を書いて欲しいと言われてしまった。これは断った。確かに書いて欲しいという理由はよくわかった。でも、ボキは、この土地では流れ者なのである。こういうことができるような名誉ある立場にない。ボキより年長者に譲るべきであろう。そう思ったから即決断。断った。
これで安心した。よそ者が、九十九里の歴史について書いているというイヤミを遮断することが可能となった。実際よそ者だしなぁ。それに居住地近くにある自称進学校を出ているわけでもないし。つまり、ボキが執筆陣に加わっていること自体おかしなことになっているからだ。くだらねぇことである。
それよりもこの歴史書、売れるかどうかという心配がある。高いからだ。ま、そっちの方は販社の営業努力しかないだろうけど。章ごとの解説はボキの文だけでも4つくらいある。結構気合いを入れて書いてみた。なにしろ現代史は難しい。戦争を書かなくてはならないからだ。立場が難しいからだ。
ま、良い記念になったですよ。これからはこんなオファーがあるわけないし。
それにしても、地元に貢献できた。お世話になっている地元である。ちゅ~~~がっこに就職できてからずっとこの地に住んでいるのだから。なにしろ住むところもなくて、ガッコの宿直室に二ヶ月いたのだから。担任した生徒達も未だに拙宅に来てくれる。彼らも還暦近い。変わったセンコーだった。なにしろガッコに住んでいて、そこから朝の学活に通い、放課後は部活動をやり、夜は宿直室で差し入れの飯を食っていたのだから。風呂はなかった。ガッコのプールのシャワーだけ(^_^)。
ありがたいもんである。ボキは、出来が悪かったから、ストレート採用にならなかった。つまり、年度途中の四月一六日採用。前の採用者が千葉県への採用を断ったから、代わりにボキが採用されたのだった。ありがたいもんである。それも八年で、高校の採用試験を再受験して、義務教育とオサラバしてしまった。
妙な担任であった。申し訳なかった。なにしろガッコに住んでいるのだから。こんなこと今なら許されなかっただろう。申し訳ないという思いでいっぱいである。
さよならだけが人生さというサトウハチローの詩もあったなぁ。さよならの繰り返しで生きてきたような気もするからだ。
次にさよならするときは、死ぬときか。
わははっははっはははっはははっははっははっはははっははっはは。