今日の横浜は、曇り空。
夏至も過ぎ、日が短くなっていくなんて信じられません!
オリンピックまであと1か月あまり。
今日は、子どもにとっての「スポーツ行事」について考えてみようと思います。
オリンピックとパラリンピックは、別の期間に開催され、
参加資格も違います。
学校のスポーツ行事、運動会、縄跳び大会、リレー大会、オリエンテーリングなどは、
ほぼ「全員参加」。
一般のクラスでも支援級でも運動系・大勢が参加する行事系に苦手感がある子どもがいます。
運動会の「団体競技」。
大綱引きなどは目立たないのですが、
リレー形式で行う「台風の目」などは、一人の子のスピードが遅いと
全体の勝敗に関係してしまうことがあります。
「縄跳び大会」。
個人別競技はとにかく、「大縄跳び」では、クラス対抗だと一人縄に入るのが遅れても
勝敗にかかわることがあります。
「クラス対抗リレー」しかり。
「オリエンテーリング」のゴールもグループ全員が一緒にゴールしなくてはいけないので
体力がきつい子がいると順位が下がることがあります。
そんなとき、ふと漏れる言葉が
「〇〇ちゃんのせいで負けた・・・。」
だれにとってもつらい瞬間です。
一般級担任だったときも支援級担任だったときも
こんな場面に「遭遇」しました。
少しネットでググってみると・・・
どちらかというと「少し運動苦手な子・行事が苦手な子」に対しての
参加前の準備について書かれたものが多いです。
(私も以前、書きました!)
参加前の「個人的努力として」
・その競技に対しての練習
・音の過敏がある子は、「耳栓」。
・行事への不安を軽減するためのシミュレーション。
(写真や動画・下見など)
・また本番での参加の仕方
(縄跳び大会だったら、カウント係とか)
もちろん、それは大事です。
支援級担任のときは、早めに「大縄跳び」練習を始めていました。
行事前に「写真」や「動画」「行程表」も用意していました。
それでも、子どもに対して「つらい一言」をもらったこともあります。
でも、
例えば「縄跳び大会」では
・いつも「練習」に誘ってくれるクラスは、
本番でその子が跳べなくても、ふだん一緒に練習の場にいるので
どんな結果でも全員が「納得」。
・たまに「練習」に誘ってくれるクラスは、
結果が1位でなかったときに
いろいろな思いの子がいる。
・本番だけ誘ってくれたクラスは、
結果が1位でなかったときに
「〇〇ちゃんのせいで負けた」。という思いに。
支援級の子でなくても、一般のクラスにも運動系・行事系が
苦手な子がいて、
そんな子たちも「練習」への参加具合によって大勢の子の「負けた」ときの
反応が違ってきます。
では、どうしたら?
心から応援してもらうには
本人ががんばっていることが他の子に伝わるように
少し「アピール」が必要なのでは、と思います。
いつもより練習しているんだよ。
まだ参加する勇気はでないけど、参加したい気持ちはあるんだよ。
上手ではないけど、前よりはがんばっているんだよ。
参加するまで気持ちは高まっていないけど、みんなのことは本当に応援しているんだよ。
まだ見学だけど、本当はみんなと跳んでみたいんだ。
どんな気持ちでいるか、また実際にどんなことをしているのか。
これが全員に伝わることでずいぶん状況が変わってくると思います。
クラスみんなで本人の気持ちもききつつ、練習方法や目標を考える。
どうなったら、「成功」なのか。明文化する。
でも、正直「1位になりたい」。
たとえ、みんなで話し合った「目標」が大切だとわかってはいても。
・・・・「本音」と「1位が目標ではないかもしれない」という意識の切り替えは、
高学年ほど難しいように思います。
学校現場にいたときに、常に「クラス対抗」の大会が必要なのか
常に「クラス順位」が必要なのか
クラスによっていろいろな状況が違うのにどうなんだろう?と思ったことがありました。
スポーツに限らず、「クラス対抗合唱コンクール」などもそうかな・・・・。
確かに「がんばる目標」「学校生活のメリハリ」「いろいろな子の活躍の場」であることには
違いないですが。
「国語」や「算数」に比べてスポーツ的な行事は「準備期間」が長く、
「勝敗が明らか」で「全員で臨む」ものだけに
子どもにとって「大きなもの」。
行事が終わったあとの「成功」をどうとらえるかで
あとあとが変わってくるな~と思います。
もちろん、支援・指導する「大人のスタンス」が子どもに直に「伝わる」な~と感じます。
「みんなが参加してよかった!」と思える経験が
翌年からの行事への参加の気持ちを高める、と本当に思います。
ポカポンゲーム
これは、勝敗は、「明らか」ですが、
ぜんぜん「後に残らない」です!(笑)
個別学習塾びすぽうくのホームページへ
夏至も過ぎ、日が短くなっていくなんて信じられません!
オリンピックまであと1か月あまり。
今日は、子どもにとっての「スポーツ行事」について考えてみようと思います。
オリンピックとパラリンピックは、別の期間に開催され、
参加資格も違います。
学校のスポーツ行事、運動会、縄跳び大会、リレー大会、オリエンテーリングなどは、
ほぼ「全員参加」。
一般のクラスでも支援級でも運動系・大勢が参加する行事系に苦手感がある子どもがいます。
運動会の「団体競技」。
大綱引きなどは目立たないのですが、
リレー形式で行う「台風の目」などは、一人の子のスピードが遅いと
全体の勝敗に関係してしまうことがあります。
「縄跳び大会」。
個人別競技はとにかく、「大縄跳び」では、クラス対抗だと一人縄に入るのが遅れても
勝敗にかかわることがあります。
「クラス対抗リレー」しかり。
「オリエンテーリング」のゴールもグループ全員が一緒にゴールしなくてはいけないので
体力がきつい子がいると順位が下がることがあります。
そんなとき、ふと漏れる言葉が
「〇〇ちゃんのせいで負けた・・・。」
だれにとってもつらい瞬間です。
一般級担任だったときも支援級担任だったときも
こんな場面に「遭遇」しました。
少しネットでググってみると・・・
どちらかというと「少し運動苦手な子・行事が苦手な子」に対しての
参加前の準備について書かれたものが多いです。
(私も以前、書きました!)
参加前の「個人的努力として」
・その競技に対しての練習
・音の過敏がある子は、「耳栓」。
・行事への不安を軽減するためのシミュレーション。
(写真や動画・下見など)
・また本番での参加の仕方
(縄跳び大会だったら、カウント係とか)
もちろん、それは大事です。
支援級担任のときは、早めに「大縄跳び」練習を始めていました。
行事前に「写真」や「動画」「行程表」も用意していました。
それでも、子どもに対して「つらい一言」をもらったこともあります。
でも、
例えば「縄跳び大会」では
・いつも「練習」に誘ってくれるクラスは、
本番でその子が跳べなくても、ふだん一緒に練習の場にいるので
どんな結果でも全員が「納得」。
・たまに「練習」に誘ってくれるクラスは、
結果が1位でなかったときに
いろいろな思いの子がいる。
・本番だけ誘ってくれたクラスは、
結果が1位でなかったときに
「〇〇ちゃんのせいで負けた」。という思いに。
支援級の子でなくても、一般のクラスにも運動系・行事系が
苦手な子がいて、
そんな子たちも「練習」への参加具合によって大勢の子の「負けた」ときの
反応が違ってきます。
では、どうしたら?
心から応援してもらうには
本人ががんばっていることが他の子に伝わるように
少し「アピール」が必要なのでは、と思います。
いつもより練習しているんだよ。
まだ参加する勇気はでないけど、参加したい気持ちはあるんだよ。
上手ではないけど、前よりはがんばっているんだよ。
参加するまで気持ちは高まっていないけど、みんなのことは本当に応援しているんだよ。
まだ見学だけど、本当はみんなと跳んでみたいんだ。
どんな気持ちでいるか、また実際にどんなことをしているのか。
これが全員に伝わることでずいぶん状況が変わってくると思います。
クラスみんなで本人の気持ちもききつつ、練習方法や目標を考える。
どうなったら、「成功」なのか。明文化する。
でも、正直「1位になりたい」。
たとえ、みんなで話し合った「目標」が大切だとわかってはいても。
・・・・「本音」と「1位が目標ではないかもしれない」という意識の切り替えは、
高学年ほど難しいように思います。
学校現場にいたときに、常に「クラス対抗」の大会が必要なのか
常に「クラス順位」が必要なのか
クラスによっていろいろな状況が違うのにどうなんだろう?と思ったことがありました。
スポーツに限らず、「クラス対抗合唱コンクール」などもそうかな・・・・。
確かに「がんばる目標」「学校生活のメリハリ」「いろいろな子の活躍の場」であることには
違いないですが。
「国語」や「算数」に比べてスポーツ的な行事は「準備期間」が長く、
「勝敗が明らか」で「全員で臨む」ものだけに
子どもにとって「大きなもの」。
行事が終わったあとの「成功」をどうとらえるかで
あとあとが変わってくるな~と思います。
もちろん、支援・指導する「大人のスタンス」が子どもに直に「伝わる」な~と感じます。
「みんなが参加してよかった!」と思える経験が
翌年からの行事への参加の気持ちを高める、と本当に思います。
ポカポンゲーム
これは、勝敗は、「明らか」ですが、
ぜんぜん「後に残らない」です!(笑)
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