横浜・港南中央で学習や発達に特徴がある子どもを支援する塾 びすぽうく

”教室の”困った”を”わかった!”へ。子ども・保護者・学校の先生、みんなが元気になるために実践経験をもとにしたつぶやき

「〇〇ちゃんのせいで負けた・・・」

2021-06-23 12:16:26 | 発達や学習が心配
今日の横浜は、曇り空。

夏至も過ぎ、日が短くなっていくなんて信じられません!

オリンピックまであと1か月あまり。

今日は、子どもにとっての「スポーツ行事」について考えてみようと思います。

オリンピックとパラリンピックは、別の期間に開催され、

参加資格も違います。

学校のスポーツ行事、運動会、縄跳び大会、リレー大会、オリエンテーリングなどは、

ほぼ「全員参加」。

一般のクラスでも支援級でも運動系・大勢が参加する行事系に苦手感がある子どもがいます。

運動会の「団体競技」。

大綱引きなどは目立たないのですが、

リレー形式で行う「台風の目」などは、一人の子のスピードが遅いと

全体の勝敗に関係してしまうことがあります。

「縄跳び大会」。

個人別競技はとにかく、「大縄跳び」では、クラス対抗だと一人縄に入るのが遅れても

勝敗にかかわることがあります。

「クラス対抗リレー」しかり。

「オリエンテーリング」のゴールもグループ全員が一緒にゴールしなくてはいけないので

体力がきつい子がいると順位が下がることがあります。

そんなとき、ふと漏れる言葉が

「〇〇ちゃんのせいで負けた・・・。」

だれにとってもつらい瞬間です。

一般級担任だったときも支援級担任だったときも

こんな場面に「遭遇」しました。

少しネットでググってみると・・・

どちらかというと「少し運動苦手な子・行事が苦手な子」に対しての

参加前の準備について書かれたものが多いです。

(私も以前、書きました!)

参加前の「個人的努力として」

・その競技に対しての練習

・音の過敏がある子は、「耳栓」。

・行事への不安を軽減するためのシミュレーション。

(写真や動画・下見など)

・また本番での参加の仕方

(縄跳び大会だったら、カウント係とか)

もちろん、それは大事です。

支援級担任のときは、早めに「大縄跳び」練習を始めていました。

行事前に「写真」や「動画」「行程表」も用意していました。


それでも、子どもに対して「つらい一言」をもらったこともあります。



でも、

例えば「縄跳び大会」では

・いつも「練習」に誘ってくれるクラスは、

 本番でその子が跳べなくても、ふだん一緒に練習の場にいるので

 どんな結果でも全員が「納得」。

・たまに「練習」に誘ってくれるクラスは、

結果が1位でなかったときに

いろいろな思いの子がいる。

・本番だけ誘ってくれたクラスは、

結果が1位でなかったときに

「〇〇ちゃんのせいで負けた」。という思いに。

支援級の子でなくても、一般のクラスにも運動系・行事系が

苦手な子がいて、

そんな子たちも「練習」への参加具合によって大勢の子の「負けた」ときの

反応が違ってきます。

では、どうしたら?

心から応援してもらうには

本人ががんばっていることが他の子に伝わるように

少し「アピール」が必要なのでは、と思います。

いつもより練習しているんだよ。

まだ参加する勇気はでないけど、参加したい気持ちはあるんだよ。

上手ではないけど、前よりはがんばっているんだよ。

参加するまで気持ちは高まっていないけど、みんなのことは本当に応援しているんだよ。

まだ見学だけど、本当はみんなと跳んでみたいんだ。

どんな気持ちでいるか、また実際にどんなことをしているのか。

これが全員に伝わることでずいぶん状況が変わってくると思います。

クラスみんなで本人の気持ちもききつつ、練習方法や目標を考える。

どうなったら、「成功」なのか。明文化する。

でも、正直「1位になりたい」

      たとえ、みんなで話し合った「目標」が大切だとわかってはいても。

・・・・「本音」と「1位が目標ではないかもしれない」という意識の切り替えは、

    高学年ほど難しいように思います。

学校現場にいたときに、常に「クラス対抗」の大会が必要なのか

           常に「クラス順位」が必要なのか

クラスによっていろいろな状況が違うのにどうなんだろう?と思ったことがありました。

スポーツに限らず、「クラス対抗合唱コンクール」などもそうかな・・・・。

確かに「がんばる目標」「学校生活のメリハリ」「いろいろな子の活躍の場」であることには

違いないですが。


「国語」や「算数」に比べてスポーツ的な行事は「準備期間」が長く、

「勝敗が明らか」で「全員で臨む」ものだけに

子どもにとって「大きなもの」。

行事が終わったあとの「成功」をどうとらえるかで

あとあとが変わってくるな~と思います。

もちろん、支援・指導する「大人のスタンス」が子どもに直に「伝わる」な~と感じます。

「みんなが参加してよかった!」と思える経験が

翌年からの行事への参加の気持ちを高める、と本当に思います。


ポカポンゲーム

これは、勝敗は、「明らか」ですが、

ぜんぜん「後に残らない」です!(笑)


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「その子にとって役に立つ」教材?

2021-06-14 14:29:59 | 発達や学習が心配
6月半ばになりました!

みなさんのブログを拝見すると紫陽花がきれいです!

紫陽花も白・薄緑・ピンク・紫・・・といろいろあるのですね。



私は、塾をしているので、子どもに使う「教材」は常に「頭から離れず」。

あの子にどんな教材を選んで(作って)どんなふうに使おうか、と

1日の大半をつぎ込んでます

教材は、がんばって自作したり選んだりしたとして

渡すだけでは ×

見せるだけでも ×

使い方を教えるのは △

支援者が子どもと一緒に使ってみるのは、

でも、一番いいのは、

何度も一緒に使う 

だと感じています。

学校の授業だと大勢のお子さんがいるのでなかなか難しいです。

「進度」も隣のクラスと合わせないといけません。

小学校で一人担任だとなおさらです。

幸いにして今は「個別指導」なので、お子さんのタイプに合わせて

教材や支援方法を考えたあと、「一緒に」使うことができます。

(この「タイプ」昨日の「ドラゴン桜」でもでていましたね・・・。

小学生だともっとかみ砕いた説明がいりそうです・・・)

筆算ひとつとっても、

48×135のやり方は、



教科書では、(B)タイプのように上にけたの多いものを持ってくる方法が紹介されています。

これは、「繰り上がり」をいったん覚えることが常にできるお子さんには

よいかと思います。

ところが、なかには、(A)タイプを6年生でも使う子があります。

これだと「繰り上がりをあまり頭の中でしなくてもよい」のです。

はじめは、書く行が多くなって大変かな~と思ったのですが、

「手先のことに課題がなく、繰り上がりにちょっと自信がない子」にはピッタリ!

ただ、
下に長くなってしまうので「空間認知(書く場所)」に苦手感があり、どんどん桁がずれていってしまう子は、

マスがあるノートを使って計算する必要があります。

(算数用に別冊の計算用マスノートを使った子もいました。

また、普通のノートの右ページにマスノートを切って貼り付け、

計算スペースにしてしまうのもよいと思います)

そして、「繰り上がりを頭の中で計算する」のと「空間認知」両方に自信がないときは、



こんな風に小さな「マス」を自分で描いてしまうのも「手」です。

足すのは、九九を唱えて、書いてから「落ち着いて」できます!



算数で「暗記する内容」を書いた「算数事典」。

クリアファイルなので、終わりの方は、「お子さんからのリクエスト」で

「その子が必要な」内容を入れるようにしています。

この事典も「渡すだけ」でなく、分からないところを「一緒に参照」するようにしています。



「どうしたらうまくいくかな~?」子どもと一緒に悩んで

その子に「似合う」方法を一緒に考えて積み重ねた「技」って

きっと他のだれかにも「役に立つ」

毎日お子さんたちから「財産」をいただいている私です。


ベイスターズの🐻ちゃん、1年待ってやっと手にいれました!


個別学習塾びすぽうくのホームページへ🐻(色のついているところをクリックしてください)🐻









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技能教科は「目立つ」。楽しめている?

2021-06-03 17:44:44 | 発達や学習が心配
6月になりました!

新学期からはや2か月。

6月2日は「横浜の開港記念日」で横浜市立の学校は、休校。

塾もお休みにして、久しぶりにのんびり。



ちょっと疲れて座ってしまったので手すりが微妙な位置です・・・。

やっぱり「海」のそばに行ってしまいます。



今日は「技能教科」について考えてみようと思います。

教室に入ると(中学校でも)壁に作品が掲示されています。

名前順だったり、ランダムだったり。

私が教員のときは、同じ子が特定の場所にならないように、できるだけランダムに貼るように

しました。(特に図工の作品は)

並べて掲示されると、すぐ「視線」が行ってしまう作品があります。

目を引く作品。

特別支援教育について勉強し始めてからは、

気持ちや力がだしきれていないのかな、と思う作品。

子どもたちにとって、作品はたいてい背中(黒板と逆方向)に掲示されるので、

じっくり見るのは、休み時間や、給食の時間(今は前向きなのでないかな・・・)。

学年が小さいときは、自分の作品を見て、「そこにあることに満足。」

学年が上がってくるとなんとなく「友達との差」を感じることも。

私は子どものころ図工が大好きだったので、毎回授業を楽しみにしていたのですが、

あるとき、廊下に貼られたとなりの組の作品を見てショック!

「負けた~!!」

本当にダイナミックで上手な「🍉の絵」でした。


音楽では歌や演奏、体育では鉄棒や跳び箱、

家庭科では裁縫や包丁さばき。

理科では観察記録。

「一瞬」のパフォーマンスもあるけれど、

掲示されたものはしばらく「人目にさらされ」ます。

もちろん、演奏や演技だって、

高学年になると「差」が歴然。

声に出していわれはしないけれど、

気持ちがへこむこともあります。

先生のコメントで救われないとつらいこともあるかもしれないです。

(みんな得意、不得意があるのですが、

ここのがんばりがいいね、と言われれば、次もがんばろうになります!)

本来「技能教科」は「人生を楽しむ・豊かにする」ためのものであって、

「評価される」ことが主ではないのでは・・・という気もします。

漢字が苦手でも、計算が苦手でもあまり目立ちませんが、

この4教科はけっこう目立ちますものね。

子どもにとって自分なりの「満足」が得られる時間になるとよいな~と思います。

また、技能教科や理科の実験などでは、

グループ学習をすることがよくあります。

グループ活動をよく見ていると、

「片づけ」専門になっている子や、「いつも発表する」子、

いつも「掲示物をもつ」子がいるときが結構あるような気がします。

調理実習や理科の実験では、「分担」しているようで、

実際あまり包丁にさわっていない、コンロの前に立たない子がいないか、

実験器具にさわるのは、準備と片づけだけになっていないか

合奏ではいつも「リコーダー・カスタネット担当」になっていないか

サッカーではいつも「バック」担当になっていないか

「技能」がみにつく機会が子どもによって「差」がないか

ちょっと気になります。

子どもどうしの微妙な力関係が働いていないか・・・。

自分は上手ではない、という自信のなさや

グループの中の力関係でその分担が、

「暗黙の了解」になっていないか。

一見「うまくいっているグループ」の中でも

一人ひとりの子どもの中にいろんな気持ちがあるのだと思います。

幼いころから、「みんなが楽しんでいるのかな」と気遣う練習を意図的に

していくことも大切なことなのでは、と思うこのごろです。


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