珠玉の音楽に囲まれて

オーディオのこと、音楽のこと、思いついたまま記していきます。
by 横浜のVienna Acousticsファン

上信越、山と音楽紀行:春日山城跡編

2017-07-01 18:27:50 | その他
上信越の山と音楽紀行、最終日はakahanamizukiさん宅訪問です。事前のやりとりで前泊が春日山になると伝えたところ、akahanamizukiさんのお宅が極めて近いことが判りました。その流れで春日山城跡を、案内していただく運びとなりました。城跡は愛犬ハナちゃんとの散歩コースだそうです。ご存じのように、春日山城は上杉謙信の居城でした。私は城マニアではありませんが、謙信は好きな戦国武将の一人です。春日山に行ったら、足を延ばして、いにしえの空気感を味わたいと思っていました。と言うわけで、サウンド交流の前にもう一編、春日山城跡編を挟みます。

akahanamizukiさんとの待ち合わせの前、少し時間があったので春日山駅近くまで散歩しました。手前の大毛無山の両サイドにちょこん出ているのが妙高山(左)と火内山(右)です。どちらも百名山です。こうして見比べると火打山の雪の多さが分かります。


akahanamizukiさんご夫妻に車でホテルまで迎えに来ていただき、そのまま春日山城跡へ送っていただきました。akahanmizukiさんのガイドで城跡の観光スタートです。この日は地元の方々がボランティアで草刈りをされていました。ご苦労様です。


初っ端の急な階段を上ると、まず春日山神社が現れました。城跡の麓には、別の春日神社があります。地味ながら歴史は春日神社の方が長く、謙信とのゆかりもあるようです。後日調べたところ、春日山神社は明治時代に作られたようです。


毘沙門堂です。ここは嘗て謙信が読経した場所とされています。近くには戦勝を祈祷した護摩堂の跡もありました。ここまで来ると天守台はもうすぐです。それにしてもバックの青空が眩しい!天守台では見事なパノラマが待っていました。


まずは頸城三山です。妙高山は春日山駅より更に見えづらくなりました。中央右が火打山、さらにその右には現在登山が禁止されている焼山です。サプライズは、妙高山のすぐ右に見えている高妻山です。これは地元の方が同定されていました。後で地図で確認しましたが間違いありません。


焼山からさらに目を右に向けると雨飾山です。2日前のモヤモヤは大分薄れはしましたが、目の前で見てしまうとリベンジ願望が湧き出ます。焼山と雨飾山の中間部に、白い頂が見えます。これは北アルプスの白馬岳の北方、雪倉岳あたりと思われます。


今度は南東へ目を転じます。謙信が小田原攻めに向かった方角です。山容と方向からして、中央左の平らな頂の山は、苗場山と推測しましたが、どうでしょうか。足元に広がるのは頸城平野で、ここを右方向に進むと新幹線の上越妙高駅、さらには妙高高原へ至ります。


春日山は日本海が目の前です。直江津港方面を見下ろします。高台から見る海はやはり格別ですね。本来は遠く、佐渡島まで見渡せるはずですが、霞んでいて目視では確認できませんでした。新潟はここからまだ遥かだそうです。


天守台の展望を満喫した後は、謙信の後継者である景勝や、家臣の柿崎氏の屋敷を回りました。春日山神社へ戻る途中で、有名な謙信公の銅像です。バックの青空を入れるのがポイントと、akahanamizukiさんからアドバイスいただきました。


城跡のすぐ隣に、謙信が幼少期に学問を学んだ、林泉寺があります。上杉氏の菩提寺です。立派な山門です。茅葺の惣門は別の場所にあるようです。林泉寺の内部にある宝物館で、「第一義」と記された謙信直筆の額や、甲冑などを見学しました。


林泉寺は謙信のお墓もあります。棺自体は会津、米沢と転々としたようです。米沢には仕事で何度も行ったことがありますが、謙信は祀り上げられた存在です。こちらには眠っていないようですが、手を合わせて、林泉寺を後にしました。


林泉寺を出てから、春日神社の前を通り、akahanamizuki邸へ向かいました。梅雨入り前とは言え、このような青空はなかなか無いとのことでした。実に素晴らしい散歩コースですね。アップダウンもあって健康的です。訪問先の皆さんの日常に触れる時間は、貴重です。ありがとうございました。


上信越、山と音楽紀行、つづいてakahanamizukiさんとのサウンド交流となります。
コメント (2)
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