ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

ヴォーリズの豊郷小学校

2007-05-14 02:15:36 | 建物(滋賀県)
伊藤忠兵衛記念館のすぐ近くにあの豊郷(とよさと)小学校がありました。
ヴォーリズの建築物を保存するか破壊するかでもめにもめて全国的に有名になったあの豊郷小学校です。
あの横暴な大野町長に危うく壊されそうになりながら、裁判所の判断が出て保存されることになり、こうして目にすることができました。(うれし涙)

豊郷小学校は、1937(昭和12)年、伊藤忠兵衛商店(現在の商社「丸紅」)の専務だった古川鉄次郎氏の寄贈により、ヴォーリズが設計、竹中工務店が施工したものです。

横から見たところ。

裏から見たところ。

通りすがりだったので残念ながら写真はこれだけ、中に入ってウサギとカメのいる階段の手すりも見たかったけれどできませんでした。

運動場をはさんで裏側に新しい校舎が建っていました。工事代金は約19億2000万円。
大野前町長(4月の滋賀県議選に立候補するために町長を辞め、県議選で落選)が強引に建てた新校舎の工事代金の業者への支払いを差し止める判決が4月13日に最高裁で出ています。
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ヴォーリズ建築、ハイド記念館と教育会館

2006-11-13 00:42:41 | 建物(滋賀県)
旧中川煉瓦製造所からバスで移動し、近江兄弟社学園のヴォーリズ建築を訪ねました。

正面がハイド記念館、左側が教育会館。共に1931(昭和6)年の建築で、国の登録有形文化財です。

「ハイド記念館」は、メンソレータムの発明者アルバート・アレキサンダー・ハイド氏夫人の援助で建てられたのを記念してこう呼ばれています。ヴォーリズ夫人満喜子さん経営の幼稚園舎として使われ、近江八幡で最初に建てられた近代的幼稚園です。

1階の遊戯室として使われていた部屋。ここで、この幼稚園で育ち、今は教諭になっているお二人の方から思い出話などを聞かせていただきました。

二階の部屋にはヴォーリズの紹介パネルやヴォーリズ建築の絵画が展示されていました。



昔使われていた椅子やお昼寝用の籐のベッドが残されていました。


こちらは教育会館。

講堂兼体育館として使われています。


後方に高い階段式の観覧席が作られています。


どちらの建物も採光や機能性に優れたもので、木のぬくもりを感じさせる建物です。

ハイド記念館は土・日・祝日の次の時間に公開されています。
5月~9月(12:00~16:00)
10月~4月(12:00~15:00)
入館料:300円
教育施設として使われているので、見学には配慮が必要です。

なお、あの看護婦さんマークでお馴染みのメンソレータムは今は他社にライセンスを譲渡していて、再建した近江兄弟社が販売しているのは「メンターム」という名前で、メンタームキッドのマークなのだということを始めて知りました。
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醒ヶ井の近代建築

2006-08-31 03:05:48 | 建物(滋賀県)
醒ヶ井宿を散策していると、思いがけずもレトロな建物に出くわしました。


何と!ヴォーリスの設計した旧醒ヶ井郵便局でした。
1915(大正4)年建築で、元は木造二階建てでしたが、後に外観をモルタル造りに改装しています。
現在は米原市醒井宿資料館として利用されていました。
残念、時間があれば入って見学したのにー。

そして、もう一軒、なんかいいなと思って近づいて見ると「登録有形文化財」の札がついていました。醒井公会堂だそうです。
説明板もなく詳細はわかりませんでしたが、調べてみると昭和11年建築で「和洋のデザインや構法を混在させた公民館建築」ということで平成14年に文化財に指定されていました。
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旧・伊庭家住宅

2006-05-22 06:41:40 | 建物(滋賀県)
ヴォーリズが設計した旧・伊庭家住宅が沙沙貴神社の近くにあります。
近くにあるというので、隣接していると勘違いした私は沙沙貴神社の周りをうろうろして探しましたが見つからず、結局神社の人に尋ねてやっとわかりました。
すると、来る途中で見かけた三角屋根の洋館がそうでした。あれじゃないかと思ったんですよね。
迷った原因は安土町の観光案内図にも出ていないし、一般には「郷土館」という名前で出ていて、駅から郷土館までは道路上に案内矢印が書いてあったのですが、沙沙貴神社からは何も誘導がなかったのです。

神社から数百メートル離れた田園地帯の中にありました。木造3階建天然石スレート葺き切妻屋根、外壁はハーフティンバーと呼ばれる赤い化粧梁が目だってきれいです。
建設は1913(大正2)年。住友家第2代総理事の伊庭貞剛が4男慎吉氏のために建てた家です。
伊庭慎吉氏は画家でしたが、沙沙貴神社の神主に就任してここに住み、後に安土町町長もされています。



建物は人出に渡り何度か改装され、荒れ果てていたそうですが、現在は安土町の所有になり、修復されて時々使われているようです。

今回は6月4日までの日曜日だけ公開されていて、ボランティアの人達が案内してくれています。見学の人も何組か来ていましたが、ボランティアの人も5人以上はいて各組について丁寧に解説してくれていました。



1階には和室が4つ。外観の洋館からは想像できない書院風の立派な和室です。



奥様の部屋には階段下に本棚のような収納部分も作りつけられていました。



1階の洋室食堂。



洋室の暖炉のタイルがきれいです。



洋室の前にはサンルーム風の部屋があって、後で増築された部分かもしれないと言われましたが、こういうサンルーム好きです。



階段下のホールには和風の流しが作られていて汲み置き水でちょっとした手洗い等できるようになっています。



和室廊下の天井は網代張りでした。



階段をあがって、



2階には、アトリエと寝室、使用人の部屋があります。



アトリエの暖炉。



さらに3階への階段があります。ベランダに出られるようになっているそうですが、3階には上がれませんでした。

外観は洋風なのに、中には巧みに和風が取り入れられていて、違和感なく溶け込んでいて、とても住み易そうなお家です。
フランスに留学して絵を学んだ画家でありながら、神社の神主でもあった住む人の生活をよく理解して建てられていると思いました。
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日野町の近代建築

2006-05-04 01:32:04 | 建物(滋賀県)
日野町にもなつかしい近代建築がそこここに残っていました。

素敵な歯医者さんのおうち



玄関にはちゃんと祭礼のお灯明も掛けられていました。



慈眼院の近くにあった元タバコ屋さん。一瞬、コバタさんかと思いました。



大窪町札の辻にある元野口写真館



軒先には今もきれいなモデルさんの写真が飾られています。



店内にはこんな昔のトランクも。



毎年日野祭の時にはカフェを開いたはります。寄ってあげてください。
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旧・八幡郵便局

2006-05-03 02:44:49 | 建物(滋賀県)
ヴォーリズが建てた旧・近江八幡郵便局を見に行きました。近江八幡市仲屋町にあり、1921(大正10)年の建築。







一階では骨董品やヴォーリズ建築の絵葉書などを販売しています。



二階は講演会なども開催できるような部屋になっています。



ここを拠点にして、NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会が活動をしています。

「近江八幡には数々のヴォーリズ建築が残されていますが、老朽化が進み次々と取り壊されています。ヴォーリズ建築の一つ『旧八幡郵便局』は心ある持ち主に恵めれ、空家にはなっていたもののその佇まいはしっかり残されていました。平成9年(1997)10月、ヴォーリズに思いを寄せる有志6名が、この旧八幡郵便局舎の清掃活動からはじめました。この頃の活動が『一粒の会』発足のきっかけとなり、平成10年には任意団体「旧八幡郵便局舎保存再生運動一粒の会」として始動しはじめ、今に至ります。」(一粒の会のコンセプトより)
手作りで改修工事に取り組み、この建物を生き返らせて、公開できるまでにしてこられています。見せていただいた時も中庭や二階にはまだまだ手を加えないといけないような所がいろいろありました。近くだったら何かお手伝いしたいところです。
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ヴォーリズの池田町洋館

2006-05-03 02:42:23 | 建物(滋賀県)
日野祭を見に行く途中に近江八幡市に寄り、短時間ですが、町を見てまわりました。

池田町にレンガ塀に囲まれてウィリアム・メレル・ヴォーリズの住宅が何軒か建っている一画があります。


1912(明治45)年、ヴォーリズが設立した近江ミッション(キリスト教伝道団)がこの一画を買い取って、次々と洋館を建てて近江ミッション関係者の住宅としました。どれもアメリカ開拓時代の伝統をくむコロニアル・スタイルの建物で、今のモデル住宅地のようなものだったのでしょうか。



ウォーターハウス邸。1913(大正2)年建築。



吉田悦蔵邸。1913(大正2)年建築。



ダブルハウス、つまり二世帯住宅。1920(大正9)年建築。最初にはヴォーリズの両親も住んでいました。


ダブルハウスの裏側。


どちらのお家も今も住んでおられる方があるので、そっと外から眺めさせていただくだけにしました。
できた頃は「アメリカ町」と呼ばれ、かなり目立った一帯だったのでしょうが、今ではしっとりとあたりの雰囲気に溶け込んで、落ち着いた町並みを作っていました。
前から見たいと思っていた念願が果たせました。

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住友活機園

2005-11-20 04:41:46 | 建物(滋賀県)
京阪石山寺駅から徒歩5分、小高い丘の上に住友活機園のお屋敷があります。1904(明治37)年、住友第二代総理事の伊庭貞剛氏が引退するときに、人里離れた地に屋敷を建て、以後亡くなるまで住んでいたお家で、国指定重要文化財になっています。


門からお屋敷まで自然を生かした道が続いていて、歩いているうちに俗世間から遠ざかり、心が洗われていくようです。



門を入ってすぐの通路から見上げると、洋館の屋根の部分が見えて期待が高まります。



洋館の設計は住友のおかかえ技師だった野口孫市。大阪中ノ島の図書館など住友関係の建物をたくさん設計しています。






玄関をはさんで反対側の和館は近代数奇屋の第一人者、八木甚兵衛の設計。



茶室の前に大株のツワブキがありました。

造られた当時は人里離れた土地に広々とした敷地だったそうですが、新幹線、名神に土地のほとんどを買収され、新幹線が通るたびにすごい轟音があたりを揺るがし、情緒も何も吹き飛んでしまうのがとても残念です。

伊庭貞剛は「事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」と言って58才で引退し、静かな余生を送ったそうで、いつまでも政界にしがみつき、跋扈している長老政治家達に聞かせてやりたい言葉です。



歩いて15分くらいのところに石山寺があります。



石山寺門前お食事処の名物は「しじみめし」。いも棒とのセットでおいしかったです。石山寺公園一帯は縄文時代にしじみを食べたことを示す貝塚の跡だそうです。



おみやげは和菓子と甘味喫茶「茶丈藤村」の「たばしる」と「石山の秋月」でした。

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