ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

祇園祭2010 付け足し

2010-07-18 02:00:19 | ぶらり都めぐり
今年の祇園祭の写真はこれでお終いかと思ったら、おおっと、まだ残っていました。

16日の宵山にも四条烏丸近辺をうろうろしていたのです。
しかし、あまりの混雑で、狭い通りは前にも後ろにも全然進めないような所も多くて、ゆっくり屏風祭を鑑賞するどころではありませんでした。


屏風ではこれだけ。
四条通り新町西入ル南側の平岡旗章店です。



この前の大火事(幕末蛤御門の変)で焼けてから150年間休み鉾になっている大船鉾(おおふねほこ)の会所飾りです。
右に見える赤い板みたいなのが、船体の後ろにつく大舵です。

最近、お囃子を復活させたり、くじ取り式にオブザーバーで参加したりと、復活の兆しも見えてきています。
船鉾より更に大きかったという大船鉾が復活されて巡行したらさぞ見応えがあることでしょう。




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山鉾巡行2010(5)

2010-07-18 01:58:55 | ぶらり都めぐり
大幅にはしょって、後の祭を一挙に並べておきます。

巡行は元は7月17日の前の祭と、24日の後の祭に分かれて二度行われていましたが、昭和41年から17日にまとめて行われることになったのです。
北観音山は後の祭の最初、南観音山は最後に巡行すると決まっています。

二十四番目、北観音山(きたかんのんやま)。


楊柳観音と韋駄天像を安置し、柳の枝を懸けているのが特徴です。



二十五番目、橋弁慶山(はしべんけいやま)。
かわいい牛若丸の像です。



二十六番目、役行者山(えんのぎょうじゃやま)。
修験道の祖、役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋を懸けたという伝承によっています。



二十七番目、八幡山(はちまんやま)。
山の上に八幡宮を勧請しています。


二十八番目、黒主山(くろぬしやま)。
歌人、大伴黒主が桜の花を仰ぎ見ているところ。


二十九番目、鈴鹿山(すずかやま)。
伊勢の国鈴鹿山で人々を苦しめていた悪鬼を退治した鈴鹿権現女人の姿で表わしています。



三十番目、浄妙山(じょうみょうやま)。
宇治川の合戦で、一番乗りしようとした三井寺の僧兵筒井浄妙の頭の上を一来法師が飛び越えて先陣を取る場面を表わしています。



三十一番目、鯉山(こいやま)。
中国の龍門の滝を登る鯉の姿を表わしています。



三十二番目、巡行の最後は南観音山(みなみかんのんやま)。
楊柳観音と善財童子像を祀っており、柳の枝を懸けています。



巡行が終わった後、新町通りを下っていくと、町内に帰った山や鉾が片付けられつつありました。北観音山では柳の枝が細かく分けられて、人々に配られていました。これをいただいて帰るとご利益があるとのことです。

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山鉾巡行2010(4)

2010-07-18 01:57:49 | ぶらり都めぐり

二十一番目、放下鉾(ほうかほこ)。
音頭取りの浴衣が水色で目だっています。


見返は染織作家皆川泰蔵作の「バグダッド」。フクロウが飛ぶエキゾチックな絵がとても印象的です。





二十二番目は岩戸山(いわとやま)。
天照大神が天の岩戸に隠れた故事を表わしていて、屋根の上には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の像が安置されています。

岩戸山の音頭取り。
祇園祭で一番映えるのが、辻回しの時の音頭取りのかっこよさです。

「エンヤラヤーのヤッと」、
惚れ惚れとしてしまいます。




二十三番目は先の祭巡行の最後を飾る船鉾(ふねぼこ)。
大きな船の形をした鉾で、神功皇后が妊娠中にもかかわらず、皇子が凱旋まで産まれぬように祈願して、男装で海戦して勝利し、皇子を産んだという神話によっていて、「出陣の船鉾」と言われています。






このあたり、大きな鉾や山が続いていて、巡行のクライマックスです。
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山鉾巡行2010(3)

2010-07-18 01:56:38 | ぶらり都めぐり
十四番目は白楽天山(はくらくてんやま)。
唐の詩人、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところ。
前懸はトロイ城陥落を描いた16世紀の毛綴です。


十五番目は綾傘鉾(あやがさほこ)。
大きな傘とお稚児さん達と棒振り囃子の行列です。

お稚児さん達は余りに小さくて、大人の影に隠れていました。
この暑い中、重たい衣裳を着て歩くとはえらいものです。

棒振り囃子は壬生六斉踊からきており、赤熊(しゃぐま)をかぶって鉦、太鼓、笛に合わせて踊りながら進んでいました。


十六番目は巡行の人気者、蟷螂山(とうろうやま)。
蟷螂はかまきりのこと。かまきりが羽を広げたり閉じたり、御所車の車輪も動く仕掛けになっています。
この山は昭和56年に110年ぶりに巡行に加わりました。
前懸、胴懸、見送ともに人間国宝の羽田登喜男氏製作の友禅染です。


十七番目は月鉾(つきほこ)。
鉾頭に三日月の飾りをつけ、破風と蛙股は左甚五郎作、屋根裏の草花図は円山応挙筆、前懸は17世紀インド製の絨毯、軒や柱等の飾り金具も優れたものばかりです。





十八番目は占出山(うらでやま)。
神宮皇后が身重の身体ながら出兵し、肥前国松浦で鮎を釣り戦勝の兆しとしたという故事によって、安産の神とされています。
前懸と胴懸は日本三景を描いたものです。


十九番目は芦刈山(あしかりやま)。
故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁がやがて妻と再会するという夫婦和合の姿を表わしています。
ご神体の古衣裳は天正年間の小袖で重要文化財に指定されています(きっと会所で保存)。
胴懸は、尾形光琳の燕子花図(かきつばたず)を模した綴織りです。


二十番目は保昌山(ほうしょうやま)。
平井保昌が和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折って来る姿を表わし、これによって想いを遂げたので、縁結びの山と言われています。



この後、放下鉾とその後ろから岩戸山が辻を回って来るところです。


巡行はまだまだ続きます。
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山鉾巡行2010(2)

2010-07-18 01:51:36 | ぶらり都めぐり
六番目は霰天神山(あられてんじんやま)。
永正年間、京都に大火があった時、霰が降り猛火が消えた時、一寸二分の天神像が降ってきたので、それを祀ったということで、火除けのお守りが授与されます。
今年、前懸と後懸を約200年ぶりに復元新調しました。


七番目は四条傘鉾。


子供達が踊りながら歩いていきます。


八番目は太子山(たいしやま)。
聖徳太子が四天王寺を建てるために自ら山に入って良材を求めた故事によっていて、智恵のお守りが授与されます。



九番目は菊水鉾(きくすいほこ)。
町内にあった菊水井戸にちなんで名付けられ、昭和27年に88年ぶりに再興された鉾です。


青い矢印の交通標識の下あたりに見えるのが移動式お茶道具入れ、荷茶屋(にないちゃや)です。


十番目は伯牙山(はくがやま)。
中国の周時代、琴の名手の伯牙が友人の死を聞いて琴の弦を断ったという故事を表わしています。



十一番目は山伏山(やまぶしやま)。
昔、八坂の塔が傾いた時に法力によってなおしたという山伏の姿を表わしています。


十二番目は郭巨山(かっきょやま)。
貧しい郭巨が黄金の釜を掘り当てて母に孝行を尽くしたという中国の故事によっています。
最近新調された胴懸は上村松篁さんの花鳥画です。


十三番目、鶏鉾(にわとりほこ)。
中国尭の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓も用がなく鶏が巣を作ったという故事によります。

見送はトロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀の毛綴です。


(次回に続く)
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山鉾巡行2010(1)

2010-07-18 01:50:09 | ぶらり都めぐり
今年は市役所前招待席で山鉾巡行を見ることができました。
初めて椅子に座って巡行の最初から最後まで全部を見ることができて、よかったー。

前日までの大雨もからりと晴れ、御池通りの北側なので、強い陽射しをまともに受けてしまいました。時々雲がかかって日が陰る時がわずかの救いです。
帽子に長袖服に手袋、タオルにお茶とうちわを持ち、完全武装で出かけましたが、ソ~ト~に暑かったです。

芸がありませんが、全部見た山や鉾を順番に並べておきます。


10時30分頃、河原町御池の交差点を曲がって先頭の長刀鉾(なぎなたぼこ)がやって来ました。


長刀鉾は順番を決める籤を取らず、毎年必ず先頭を行き、生き稚児を乗せています。
鉾の先端の長刀は疫病邪悪を祓うもので、御所と八坂神社にその先を向けないように常に南側を向けて進みます。

稚児が舞いながら進んでいました。



二番目は孟宗山(もうそうやま)。筍山ともいい、病身の母親が欲した筍を孟宗が奇跡的に雪の中で掘り当てた姿を現しています。左右の胴掛け「砂漠らくだ行(日)(月)」は平山郁夫さんの原画になる織物で今年新調されたもので、鮮やかな色です。



三番目は木賊山(とくさやま)。
世阿弥の謡曲「木賊」にちなんだもので、わが子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁を表わしています。



四番目は油天神山(あぶらてんじんやま)。
油小路通りにあり、菅原道真を祀っています。


五番目は函谷鉾(かんこほこ)。
中国戦国時代斉の孟嘗君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせ脱出できたという故事にちなんでいます。前懸は旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀の毛綴織で、元のものは重要文化財になっていますが、これは平成18年に新調されたものです。
稚児の人形が、(後ろの人に操られて)舞いを舞っていました。



(続く)
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