十四番目は白楽天山(はくらくてんやま)。
唐の詩人、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところ。
前懸はトロイ城陥落を描いた16世紀の毛綴です。
十五番目は綾傘鉾(あやがさほこ)。
大きな傘とお稚児さん達と棒振り囃子の行列です。
お稚児さん達は余りに小さくて、大人の影に隠れていました。
この暑い中、重たい衣裳を着て歩くとはえらいものです。
棒振り囃子は壬生六斉踊からきており、赤熊(しゃぐま)をかぶって鉦、太鼓、笛に合わせて踊りながら進んでいました。
十六番目は巡行の人気者、蟷螂山(とうろうやま)。
蟷螂はかまきりのこと。かまきりが羽を広げたり閉じたり、御所車の車輪も動く仕掛けになっています。
この山は昭和56年に110年ぶりに巡行に加わりました。
前懸、胴懸、見送ともに人間国宝の羽田登喜男氏製作の友禅染です。
十七番目は月鉾(つきほこ)。
鉾頭に三日月の飾りをつけ、破風と蛙股は左甚五郎作、屋根裏の草花図は円山応挙筆、前懸は17世紀インド製の絨毯、軒や柱等の飾り金具も優れたものばかりです。
十八番目は占出山(うらでやま)。
神宮皇后が身重の身体ながら出兵し、肥前国松浦で鮎を釣り戦勝の兆しとしたという故事によって、安産の神とされています。
前懸と胴懸は日本三景を描いたものです。
十九番目は芦刈山(あしかりやま)。
故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁がやがて妻と再会するという夫婦和合の姿を表わしています。
ご神体の古衣裳は天正年間の小袖で重要文化財に指定されています(きっと会所で保存)。
胴懸は、尾形光琳の燕子花図(かきつばたず)を模した綴織りです。
二十番目は保昌山(ほうしょうやま)。
平井保昌が和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折って来る姿を表わし、これによって想いを遂げたので、縁結びの山と言われています。
この後、放下鉾とその後ろから岩戸山が辻を回って来るところです。
巡行はまだまだ続きます。