ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

旧湯本家住宅(京の夏の旅2019)

2019-09-23 23:05:44 | 建物(京大以外の京都府の)
もう一つの「京の夏の旅」、「旧湯本家住宅」も訪ねました。
京都市上京区相国寺門前町にある明治時代に建てられた住居です。

今出川通りの京都御苑今出川御門、同志社前バス亭辺りから北に上がると、右側にヴォーリス設計の同志社大学アーモスト寮があります。



道の突き当りには臨済宗大本山相国寺の総門があります。
門の手前を右に曲がったところに旧湯本家住宅があります。



家の中は撮影不可だったので、外観だけのアップです。

歴史家、湯本文彦(1843~1921年)が60才の時に終の住み家として1903(明治36)年に建てた家です。湯本文彦は鳥取県出身ですが、第3代京都府知事の北垣国道に見出され、京都府に勤務しました。平安京の位置を考察したり、「平安通志」を編纂、大極殿碑など多くの碑を建立、平安神宮建立の根拠となる朝堂院平面図を作成しました。
家は約80坪の木造平屋造り、市の「京都を彩る建物や庭園」に認定されています。茶室「玄古庵」は大徳寺塔頭真珠庵の庭玉軒を模したと言われる二畳代目のこじんまりとしたもの。その隣には「墨囚窟」と名付けた四畳半の書斎があり、その床柱は浄瑠璃寺の古材といわれる大きな丸柱が使われています。自ら作った茶碗や使用した書道用具などが展示されていました。

公開は9月30日まで。料金600円です。



帰り道に今出川通りを東に行くと、同志社女子高校・中学校がありました。
この建物は武田五一さんの設計になります。

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富家宏泰回顧展

2019-09-23 01:02:17 | 建物(京大以外の京都府の)
2019年9月22日、京都府立京都学・歴彩館に「戦後京都を設計した男 建築家・富家宏泰生誕 100年記念回顧展」を観に行きました。

    
2019年9月7日~9月30日まで。9時〜 18時、土日と最終日は 17時まで。無料。
ポスターの写真は京都市立体育館(1963)です。


富家宏泰(とみいえ ひろやす)は1919年〜2007年、香川県生まれ。三高、戦争から生還後、京都大学工学部建築学科卒業後、講師を経て、1952年に富家建築事務所を設立、京都府と京都市の公共建築をはじめ、大学、図書館、ホテル、オフィスビルなどの戦後京都における建築物のほとんどを手掛け、やがて三重県、石川県、千葉県を中心に全国の美術館やスタジアムなどをデザイン、その数2000点以上になります。

そのうち、京都の建築物のパネル写真が約 100点展示されています。大学関係では、京大附属図書館(1981)や立命館大学恒心館(1962)・以学館(1965)、同志社大学、大谷大学の建物、京都第二赤十字病院(1959)など、

  
↑最近壊された 京都商工会議所(1963)、 



↑閉館中の京都府立総合資料館(1961)、

府立体育館(1970)、府立文化芸術会館(1969)、京都新聞社本社ビル(1959)、藤井大丸(1969)、からすま京都ホテル(1980)、カトリック河原町教会(1967)などなど・・・、見覚えのある建物が溢れています。

戦後京都の高度経済成長期の景観を形作ってきた建築の数々、今も残るものもたくさんありますが、ホテル建設ラッシュなどで次々と姿を消していくものもあります。
富家宏泰が多くの建物を建てながら、知名度が低いのは、先鋭的なデザインが少なく、建築家の主張を出さないおとなしいデザインが多いことがあるかもしれません。しかし、京都市民にとってはなじみの深い景観を作ってきた建築家でした。

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