そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

万葉集#18.4116-18.4118

2013年08月01日 |  / 万葉集

8/1
「廣縄が越で役目を終わるとき送別会を館で開く(国の掾ジョウ久米朝臣廣繩、天平二十年に、朝集使に附きて京に入り、その事畢ヲハりて、天平感宝元年閏五月ノチノサツキの二十七日、本の任ツカサに還到カヘる。仍カレ長官カミの館タチに詩酒宴ウタゲ楽飲アソべり。その時主人アロジ守大伴宿禰家持がよめる歌一首、また、短歌)」

「大王の命ずるままに役目終え都への道旅立つあなた(おほきみの任マきのまにまに取り持ちて仕ふる国の年の内の事結カタね持ち玉ほこの道に出で立ち岩根踏み山越え野行き都辺に参ゐし我が兄セを)」
「年変わり逢えず日がたち恋しいよ五月に酒宴催し慰さむ(あら玉の年ゆき返ガヘり月重ね見ぬ日さまねみ恋ふるそら安くしあらねば霍公鳥来鳴く五月のあやめ草蓬かづらき酒漬サカミツき遊びなぐれど)」
「射水川水かさ増して菅の根もこころ結ばれ嘆きつ待てる(射水川雪消ユキケ溢ハフりて行く水のいや益しにのみ鶴タヅが鳴く奈呉江の菅のねもころに思ひ結ほれ嘆きつつ吾が待つ)」
「任終り笑顔で逢って嬉しけれこれから逢おう相変わらずに(吾が待つ君が事終り帰り罷りて夏の野の早百合の花の花笑みににふぶに笑みて逢はしたる今日を始めて鏡なすかくし常見む面変りせず)」

「おほきみの 任マきのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事結カタね持ち 玉ほこの 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が兄セを あら玉の 年ゆき返ガヘり 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥 来鳴く五月の あやめ草 蓬かづらき 酒漬サカミツき 遊びなぐれど 射水川 雪消ユキケ溢ハフりて 行く水の いや益しにのみ 鶴タヅが鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ほれ 嘆きつつ 吾が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の 早百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず(#18.4116)」

「去年の秋相見しまにま今日見れば面やめづらし都方人(反歌二首 1/2 #18.4117))」
「去年秋逢ったはずだが今日見れば顔が変わった都会人にと()」

「かくしても相見るものを少なくも年月経れば恋ひしけめやも(反歌二首 2/2 #18.4118)」
「このように互いに逢うも少ないが年月経てば恋しくならん()」

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空気読めない( KY)

2013年08月01日 | 字余り

8/1
最近なんでも短縮してしまう風潮があるがこのKYも空気読めないなんてわからなかった。その空気だが、偶然古本屋にコスパの良さそうな本が並んでいたので買った。「関係の空気・場の空気(冷泉彰彦)」というもので250円だった。その本の前書きのところで山本七平さんの「空気の研究」という名著があると紹介していて、それも買った。以前本屋で目にはしていたがふざけた名前だったのでスルーした。
さてその空気だが冷泉氏のいうところは、ものが決まるのは論理でなくて空気だという。私が思うに空気はつかみどころがなく本に表しにくいから、空気を言葉との関係で分析しようとした。結実したのが「関係の空気・場の空気(冷泉彰彦)」のようだ。山本七平氏の内容はわからないが、空気そのものを深く論じているのだろう。
ジャズの中にin the moodという曲があった(ように思う)。訳すと気分的にとか雰囲気的にという風にかってに解釈している。若いとき仕事の関係で研究部門にもいたことがある。酒を飲みながらいろいろと記論をするが、理系特有の論理的で自分の信じるところを主張し、文字通り議論を戦わせるような状況である。議論は落ち着くといいのだが落ち着かない、落としどころも議論したりするがこれも難しい。こんなとき場に加わっていると意見をもとめられたりする。よくわからないので理論的にはよくわからないがいままでの話を聞いていると「雰囲気的に…」といって意見をいう。要するにこの理屈はわからないが雰囲気的にというところが「空気」ということなのだ。世の中は論拠を持たない意見が横行しているしそれが主流になる。わたしとしてはラジカルでない論拠を密かに考え準備しておきたい(説得力はないが)。

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