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「明日になりゃ夏が来るとて夕暮れに霍公鳥鳴く声を思いぬ(二十四日、立夏四月節に応アタれり。此に因りて二十三日の暮ユフヘ、忽ち霍公鳥の暁アカトキに喧かむ声を思シヌひてよめる歌二首)」
「常人も起きつつ聞くそ霍公鳥この暁アカトキに来鳴く初声(歌二首 1/2 #19.4171)」
「常人も起きて聞くらし霍公鳥この暁アカツキに来鳴く初声()」
「ほととぎす来鳴き響まば草取らむ花橘を屋戸には植ゑずて(歌二首 2/2 #19.4172)」
「ほととぎす来て鳴きたれば草刈ろう花橘を家に植えずに()」
「妹を見ず越の国辺に年経フれば吾アが心神ココロドの慰ナぐる日も無し(京ミヤコの丹比タヂヒが家に贈れる歌一首 #19.4173)」
「妻を見ず越の国辺で年経てばわたしの心休める日も無い()」
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気にしてた森博達さんの消息を中公新書で日本書紀成立過程を推理して執筆者なども大胆に主張をしたる論考はあまりに緻密で納得をさせられたるもこのような成果あげるとあとがない次はどうでる気になれる緻密なわりに世間ではさほど評判上がらずも学術的な領域でしょうがないとは思えども次はなに言うその成果期待をするも次はなしあまり消息聞こえずもわれは待ちたり次の声とうとう出ましたその声が続編のような本がありたまたま図書館いったときこの本見つけ粗く読む結論いえば日本書紀実質的な執筆は持統時代の音博士続守言・薩弘恪とかれらが書いた文章に書き換えのあとあるという『皇極紀』とか『孝徳紀』これは何を意味するかつまり世に言う蘇我入鹿誅殺したる変の時深慮働き書き換えを行いたると断定すただ書き換えは完成の形を見ずに傷口を開けたままで残れると著者はいいたりその時代律令・史書は車なら両輪のごとはたらくも史書の編纂遅れたりかくなるときにリーダーの藤原不比等倒れたり書き換え急げど間に合わず時間切れにて決定稿死と同年に取りまとめ不比等の遺志は引き継がれ死の翌年に輪講があり