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「池主に水鵜を贈る家持は共に贈れる歌と短歌を(水烏ウを越前判官大伴宿禰池主に贈れる歌一首、また、短歌)」
「二人とも田舎暮らしで通いあう任地で物思い深くなるらん(天ざかる夷としあれはそこここも同オナじ心そ家離ザカり年の経ぬればうつせみは物思モひ繁し)」
「それゆえに気休めになるあれこれをして遊びましょう親しき友よ(そこゆゑに心なぐさに霍公鳥鳴く初声を橘の玉にあへ貫きかづらきて遊ばくよしもますらをを伴なへ立ちて叔羅川シクラガハなづさひ上平瀬には小網サデさし渡し早瀬には鵜を潜けつつ月に日にしかし遊ばね愛ハしき我が背子)」
「天ざかる 夷としあれは そこここも 同オナじ心そ 家離ザカり 年の経ぬれば うつせみは 物思モひ繁し そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を 橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばくよしも ますらをを 伴なへ立ちて 叔羅川シクラガハ なづさひ上り 平瀬には 小網サデさし渡し 早瀬には 鵜を潜けつつ 月に日に しかし遊ばね 愛ハしき我が背子(#19.4189)」
「叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに(反歌二首 1/2 #19.4190)」
「叔羅川シクラカワ瀬をあちこちと尋ね行き鵜飼いしなさい気休めとして()」
「鵜川立て取らさむ鮎のしが鰭ハタは吾等アレにかき向け思ひし思モはば(反歌二首 2/2 #19.4191 右、九日、使に附けて贈れる。)」
「鵜飼いしてお取りになった鮎の鰭ヒレ吾等に送れわたしを思モはば()」
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お地蔵さん われはなぜだか 親しみを まえから持てり お姿に われの菩提寺 生蓮寺 まつる本尊 昔から 地蔵菩薩 と言い伝う われら子供は それよりも 地蔵堂ある 池に立つ ブロンズ姿の 地蔵さま 優しい眼で 子供らが 遊ぶ姿を 見守れり その子供らも 今は老い 天国地獄 召されるも 少しはいるが 最近は 医療が発達 長生きが 増えてきたれど そのうちに やがては来ると 死を思えど なかなか覚悟は できぬなり われが三途の 川にいき 六文銭を数えれば 横では 幼き男の子・女の子らが 歌いおり 賽の河原で 小石積み 『ひとつ積んでは父恋し、二つ積んでは母恋し』 そこに出てきて 石のやま 蹴散らかしては 子供追い 泣き叫べるを なぜ死んだ 父母より先に 死ぬなんて なんて悪行 したるかと 怒鳴り散らせる その時に 子供の味方の 地蔵さま 現れ子供を 懐に かくまい助ける ことをする ただこのことは これからも 未来永劫 続きたり 子供石積み 鬼がきて 石壊せれば 地蔵来る この繰り返し 続けれど 抜本的な 対策を 鬼より怖い 怪物の 教育ママは 求めれど できないものは できぬなり 鬼より強い あなたなら 地蔵の代わりに 鬼退治 できるか知れず やってみな つい言いたけれ ママゴンに 言うてはみるが 無駄ならば 捨て置く他に 道はなし そこを最近 声あらげ 無理を通すが 多くいて 変な世の中 なりにけり 正義ももっと 声だかに やれるものなら やってみろ 捨てセリフなど はきたけれ 『二度と起こさぬ』 ことなどは 人のすること いつかまた 繰り返すなり 諦めて 『二度と起こさぬ ことできぬ』 きっぱり断言 すればいい 起こさぬように するために 前段にある 行動を 少し変えたり そのことを 常に意識を するならば 避けられるかも 知れぬなり いつそれを やるのかと 聞かれりゃ 今よ今しなければ いつするの 常に起こさぬ 意識もち 習慣化して 起こる原因 排除すりゃ 意識も やがて無意識に なればめでたし 構造と して原因が 除かれた レベルに至る そのシステムは