「看護師に戻りし曾我さん、注射され泣く子の腕をもりもりと揉む(栗木京子)」
「曾我さんの今の様子を伝えたる歌の『もりもり』はたと感心()」
「看護師に戻りし曾我さん注射され泣く子の腕をも揉みて慰さむ
(私なら多分こうなる)」
2007/02/22
「あふことのたえてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし
(藤原朝忠)」
「会うことをやめてしまえばこれほどに人や自分を責めることなし()」
「朝忠は和漢の学に秀でたり、また笙の名手なりしか()」
【訳】未練を捨てて会わなければあなたのこともわたしの身の上も恨むことはないでしょうに、会わずにばいられないわが身が情けない
【注】和漢の学問にすぐれており、笙の名手でもあった。36歌仙の一人。
2014/10/10
「逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし(#044 中納言朝忠)」
「【訳】もし逢ふことがなかったらつれないあなたやわが身の辛さをあれこれと恨まなかったのに()」
◎-019 「難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや (#019 伊勢 )」
| 「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む (#003 柿本人麻呂 )」
003
「未練なく諦めきれる人ならば 人をも身をも恨みざらまし(付句遊戯-#044)」
「朝忠は定方の子で歌うまく笙の名手でもて男らし(36歌仙で中納言にもなった)」
「朝忠がこの歌詠むは51歳まだ現役で浮き名流せり(老いらくの恋か)」
「歌合わせ六番出して五番勝つなかなか見事な歌詠みらしき(天徳内裏歌合わせにて)」
「平安の恋はなかなか変化あり庶民は如何な恋をしたのか()」
【参考】
「忘れむと誓いし恋は歌にせず 人をも身をも恨みざらまし(安野光雅-#044)」
2007/02/21
「あひみての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり(藤原敦忠)」
「会った後の気持ちにくらべ会ふ前の気持ちはないも同じことかな()」
「時平は伯父から妻を奪いたり敦忠の父国経という(時平の伯父)」
「この男右近と誓い裏切りて捨て台詞など怨みをかいし
(右近の恨みか、38才の若さで死んだらしい)」
2014/08/01
「逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり(#043 権中納言藤原敦忠)」
「【訳】逢って一夜をすごした後のこころに比べたら、寝る前は薄っぺらで何も考えていなかったと思はざるをえない()」
080 「ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ (#080 待賢門院堀河)」
| 「今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな (#063 左京大夫道雅)」
◎
|
063
「憧れの彼女を知れば知るほどに 昔はものを思はざりけり(付句遊戯-#043)」
「敦忠は時平の子で道真のたたり怖れて若死にをした(38才で病死)」
「敦忠は36歌仙の一人にて管弦特に琵琶の名手と(琵琶の中納言と呼ばれていた)」
「中納言昇進をして翌年に病に倒れなくなれり(生没年906-943年)」
【参考】
「天の下生まれて遊び戯れし 昔はものを思はざりけり(安野光雅)」
2007/02/21
「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは(清原元輔)」
「お互いに袖を濡らして誓いたりゆく末までも心変えじと()」
「この人は清少納言の父なりきカエルの親に威厳のありや()」
2014/10/04
「契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは(#042 清原元輔)」
「【訳】固く契りましたよね。涙を流して、袖を濡らすまで泣きましたよね。末の松山を波は越さないとは言うものの、
心変わりすると言うむごい仕打ちをするのですか()」
065-◎-072 「恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ (#065 相模)」
「音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ (#072 祐子内親王家紀伊)」
「屋根の上船が乗りあぐ大津波 末の松山波越さじとは(付句遊戯-#042)」
「松山は多賀城辺りの海岸に位置するらしい歌枕とて()」
「ルポライター浅見光彦謎を解く波が松山を越す場所がある(見る位置で逆現象が起こるらし)」
「最奥といえど津波は無情なり歌枕とて配慮はしない(元、中、末とあるらしいどうなったかは調べていない。)」
「元輔は清少納言の親父らしハゲでひょうきん愛すべき人()」
【参考】
「われこそはゆびきりげんまん名を惜しむ 末の松山波越さじとは(安野光雅 #042 )」