「山ねむる山のふもとの海ねむるかなしき春の国を旅ゆく
(若山牧水二十代半ばの歌)」
「牧水に歌われた国どこなのか悲しき歴史持つ国なのか()」
2007/02/24
「八重葎しげれる宿の淋しきに人こそ見えね秋は来にけり(恵慶法師)」
「雑草が生えたる住まいに人はなく寂しさの増す秋がまた来る()」
「この屋敷源融がかって住み今は絶えたか荒れ果てるなり
(河原左大臣の屋敷を見て詠める)」
2014/10/10
「八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり(#047 恵慶法師)」
「【訳】幾重にも葎が生い茂って荒れ果てているこの屋敷には人は訪ねてくることはないのだが、秋は来たのですね()」
◎-036 「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ (#036 清原深養父)」
| 「寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ (#070 良暹法師)」
070
「時移り鎮守の杜も氏子絶え 人こそ見えね秋は来にけり(付句遊戯-#047)」
「惠慶詠むこの館とは河原院源融住みし別荘()」
「播磨なる国分寺にて講師コウジせる惠慶は歌友訪ね来たれり(清原元輔#42、平兼盛#40らと交流あり)」
「この歌の評価は高く後までも惠慶の歌を代表したり()」
【参考】
「われを乗せて地球はまはり時はすぎ 人こそ見えね秋は来にけり(安野光雅#047)」
2007/02/23
「由良のとを渡る舟人かぢをたえ行方も知らぬ恋のみちかな(曽禰好忠)」
「由良の海渡る船頭梶なくしどこに行くやら恋の行く末()」
「正月に歌会があると出かけれどおよびじゃないとたたき出されり
(平兼盛、清原元輔、源重之、大中臣能宣の歌会から)」
2014/10/10
「由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな(#046 曾禰好忠)」
「【訳】由良川の流れのはやい河口を渡る舟人が梶を失ってどこへ行くのかもわからない
状態で漂っているようにわたしの恋の行方もわからないことです()」
011 「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船 (#011 参議篁)」
| 「世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも (#093 鎌倉右大臣)」
◎-長方 「紀伊国の由良のみさきに拾ふてふたまさかにだに逢ひみてしがな (権中納言長方)」
|
093
「ドンファンになりて行きたやどろどろの ゆくへも知らぬ恋のみちかな(付句遊戯-#046)」
「秀歌にて追加の歌は端っこにあってパズルに体制影響はなし()」
「好忠は丹後掾でいまならばさしずめ舞鶴市長くらいか()」
「曾禰ゆえに曾丹後・曾丹と揶揄されて小バカにされる要素のありか(大中臣能宣#49、源重之#48等と交流)」
「新しい言葉や詠み方取り入れて和歌に革新取り入れたりと(死後に評価が高まった)」
「平安の末期の歌人は多少とも影響受けし好忠の歌()」
「好忠ははじめて百首歌詠みたりと歌の実力相当なもの(自身も持っていて、招かれていない歌会に乗り込んだ)」
【参考】
「空想は流れに浮かぶ花いかだ ゆくへも知らぬ恋のみちかな(安野光雅#046)」
2007/02/22
「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな(謙徳公)」
「あわれだとなぐさめくれる人はなくあってもなくても同じ身の上()」
「この人は伊尹コレタダといい梨壷の五人の監督したる人なり()」
2014/10/10
「あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな(#045 謙徳公)」
「【訳】かわいそうに、と言って同情してくれる人が思い浮かばない。この身は空しく死んだと同じだ(#045 謙徳公)」
◎-066 「もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし(#066 前大僧正行尊)」
「わが思える人の心は依りつかず 身のいたずらになりぬべきかな(付句遊戯-#045)」
「諡の謙徳公は死後につく名前であって生前徳が()」
「梨壺の五人のボスで命じたり後撰和歌集編纂しろと(坂上望城/源順/大中臣能宣/清原元輔/紀時文)」
「女々しいか坊っちゃん育ちのコレタダは何かしたのか嘆く前には()」
「政治では摂政までもしたるらし花山天皇外祖父らしい()」
「高価なる陸奥紙で壁飾る父に似ないで浪費家らしい()」
【参考】
「憐れみをさそふしぐさはピエロにて 身のいたずらになりぬべきかな(安野光雅-#045)」