本書のタイトルを見ると進化生物学の教科書のように思うが、中身は一般的で網羅的な教科書とは趣が異なっている。瀬戸内地方を拠点にして哺乳類の分子進化学の研究を行っている著者自身の研究史を紹介し、それを一例として、進化生物学の研究の進め方を指南する読み物である。進化生物学の研究を志している高校生や大学生にとって、将来を思い描くための参考になるだろう。一方で、著者の研究のくわしい方法論、とくに近年の遺伝子解析法の解説が書かれているので、分子進化学の教科書的な知識を得るのにも役立つ。
私が読んで気になったところを、章ごとに下記に記録しておきたい。それらは、著者の研究に対する思いも含んでいる。
第1章ー美しい島
・レトロトランスポゾンを含めた移動因子は哺乳類の進化において重要な役割を果たしたともいわれており、たとえば、胎盤、乳腺、二次口蓋(赤ちゃんがミルクを飲みながら息をするために必要)の形成においてレトロトランスポゾンが関与していることが示唆されている。乳腺の形成に関わる遺伝子の近くにはLINEが”連れてきた”転写因子結合領域が存在し、遺伝子の発現のオンオフを調節している。
・著者の研究によって、瀬戸内海島嶼のアカネズミのミトコンドリアDNAハプロタイプは共有されておらず、遺伝的分化が示唆された。次世代シークエンサ―を用いたゲノムレベルでの一塩基多型の分析により、海のなかったときに存在した古代河川の豊予川が、瀬戸内海島嶼のアカネズミの遺伝的分化に大きな影響を与えたことが明らかになった。瀬戸内海の島々は進化の研究をおこなうにあたり、大変魅力的なフィールドである。「なぜ、進化生物学を学ぶのか?」それは、面白いからである。面白さを感じずにどうしてこんな面倒くさい研究ができようか?
第2章ー日本列島と進化
・環境の有限性は進化に大きな影響を与える。海峡に囲まれた日本列島は、様々な有限な世界を提供する世界的にも大変興味深い場所である。海外の研究者との共同研究で、世界に生息する生物を研究するのもダイナミックで興味をそそられることではあるが、日本には興味深い生物およびそれを生み出した有限の世界があふれている。
・ただ、日本の生物を題材にする研究に陥りがちなのは、自己満足になってしまうことである。そうならないように、世界に振り向いてもらえるようなテーマをうまく見つけるのがよいのであろう。世界が興味を持つ気候変動や生物多様性の問題に自分の研究を関連づけるのもひとつの手だ。
第3章ー進化の痕跡
・進化の系統は毎回2つずつに分岐していくのが通常と考えられるが、系統樹において、関係性がわからず、3つ以上の系統が同時に分岐していることをポリトミー(他分岐)と表現する。そのなかで、DNAマーカーにおける系統情報が十分ではないために生じたポリトミーをソフトポリトミーと呼ぶ。一方で、本当に3つ以上の系統が同時に分岐していた場合、ハードポリトミーと呼ぶ。
第4章ー退化の痕跡
・もし実験をするときには、必ず実験ノートを取ることになる。これはとても大切な実験結果の証拠となるのだ。しかし、実験機器が出してくるデータをただ貼り付けるだけでは、後で見返したときに、どのようなことだったのか忘れてしまうことがほとんどである(わたしの頭のスペースはきわめて限られている)。そのため、サンプルの詳細や実験の条件などこと細かに書いておくほうが自分のためになる。
第5章ーテクノロジーと進化
・テクノロジーの発展により、処理しなければならないデータ量が格段に増えた。これからは、ゲノムの海のなかから、自分が欲するデータを取り出し、分析する能力が求められる時代となる。このようなバイオインフォマティクスだけで、人生を使い切ってしまうこともできるくらいだ。しかし、今一度、なにを研究したいのかをよく考えてみてほしい。
第6章ーなぜ進化生物学を学ぶのか
・「役に立つかどうかで研究をするべきではない」。なぜならすべての研究のなかから役に立つ研究に焦点をあてると、そもそも研究の視野が狭くなってしまうのだ。また、役に立つ研究は時代とともに変化するため、少し先の未来のことであっても「役に立つかどうかなど、今の社会には分からないことが多い」。役に立たない研究が、異なる時代に役に立つこともあれば、役に立つといい続けた研究が結局、なんの役にも立っていないこともある。社会はまず、すそ野の広い科学を受け入れる度量を身につけなければならない。
おわりに
・なにかに熱中するのに人生におけるステージは関係ない。それまでなんの興味がなくても研究を始めることができる。やってみると好きになることもある。「子どものころから生きものが大好きだった」などと、自分の今を意味づける必要など全くない。大切なのは今の本気度である。
・海外の研究者との交流は、島国では得ることのできない多様な意見を得ることができる。私が得たなかで最も大きいのは、ポーランドの共同研究者であるMieczslaw Wosan教授の言葉である。それは「面倒であると感じたときには、その面倒な方向に正解がある」という指摘であった。要するに、真正面からぶつかり解決していくしかないということだ。人が嫌がることのなかに、きっと生きる道があるかもしれない。なぜなら、他の人たちはそれをしないから。