子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「家族を想うとき」:ケン・ローチ,むきだしの怒りにたじろぐ

2020年01月13日 10時16分35秒 | 映画(新作レヴュー)
前作の「わたしは,ダニエル・ブレイク」で,グローバルに拡がる格差問題を力強く描いてカンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた名匠ケン・ローチの新作が届いた。前作を最後に引退するのでは,という報道も流れていただけに,映画ファンにとっては実に嬉しいお年玉だ。
取り上げたのは前作に続いて,経済のグロ−バル化に伴う歪みの荒波を受ける家族の姿。引退の意志を撤回してまで新作に取り組んだ齢83歳になるケン・ローチの怒りは凄まじいばかりだ。

主人公のリッキー(クリス・ヒッチェン)はフランチャイズの宅配ドライヴァーとして独立を果たす。マイホーム購入の夢を叶えるため,妻も介護福祉士として家計を支えながら,二人の子供を育てつつ身を粉にして働く日々。そんな日常にいつの間にか入ったひびは,日を追うにつれ大きくなっていき,ついには家族の紐帯までもがほどけていく。
毎日を懸命に生きる人々を襲う矛盾に満ちた試練を描くローチの筆致は,文字通り叩きつけるばかりに荒々しい。

だがあまりにその怒りの気化熱が大きすぎたためか、私はそれをしっかりと受け取る前に疲弊してしまったというのが、正直な感想だ。怒りを有効に伝達するために必要な経路が、その怒りのあまりの強さ故なのか、途中で端折られてしまったという印象を受けるのだ。
具体的にはポール・ラヴァティによるシナリオの練り方が明らかに足りない。父親が家族のために身体を削っている姿を目にしながら、兄は路上の落書きや万引きを繰り返し、妹は父親の身体を心配するあまり,仕事に行けなくするために車の鍵を隠してしまう、という子供たちの行動は説得力に欠ける。これが世の中の負け組となってしまったように見える親への反発からやがて家族の解体へ、という筋書きを取るならば、それはそれで別の話になるはずだが、ラストで子供たちは父親の身体を心配して、文字通り身体を張って父親を守ろうとする。このキャラクターのねじれは、物語として明らかな弱点となっている。
物語を膨らませる可能性を感じさせた宅配を差配する親方(現役の警官!)も薄っぺらい悪役に終始し,冒頭で商売道具としてリッキーが購入させられる高価な器具も型通りの使われ方に留まる。

いつものローチ作品同様に,素人および無名の俳優ばかりを集めたキャストの演技は見応えがあるだけに,深みを欠いた脚本が悔やまれる。だがこのローチの熱量こそ,ブレグジットに揺れる今のイギリスに必要なはず。周到な本を得て,再び戻ってくることを期待したい。
★★☆
(★★★★★が最高)


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