子供はかまってくれない

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映画「おとうと」:「たまには花を持たせてあげよう」という心情

2010年02月28日 00時05分34秒 | 映画(新作レヴュー)
市川崑監督の1960年作品の「おとうと」は,心温まる姉弟愛を主題に据えながらも,後にスピルバーグにも影響を与えた「銀残し」という斬新な現像技法と,突然訪れる観客を突き放すようなラストシーンが印象的な,実に革新的な作品だった。
その市川作品に捧げられた山田洋次の久しぶりの現代劇は,人情劇の裏側に今の日本が抱える様々な問題をさりげなく塗した,21世紀版の寅さんとさくらとも言える姉弟の物語になっていた。その視点は鋭く深いが,しみじみ泣ける。あっぱれ。

夫に先立たれた後,一人で薬局を切り盛りしながら一人娘を育て上げた姉=吟子(吉永小百合)と,売れない役者を続けながら女に借金し,酒に飲まれる弟=鉄郎(笑福亭鶴瓶)の関係が,吟子の娘(蒼井優)の結婚生活と,現代における「終の棲家」の問題を巧みに織り込みながら,優しく静かに,しかし力強い筆致で描かれる。
そこかしこに「松竹大船調のホームドラマ」を感じさせ,結婚式のシークエンスにおける幾つかのショットは,まるで小津安二郎へのオマージュのようだ(夫を亡くした後,共に再婚しなかったという点でも,「東京物語」の原節子と本作の吉永小百合は共通しており,そのことを指摘された後の台詞も瓜二つ)。

しかしここにあるのは,昔ながらの「古き佳き家族」が崩壊した後の,それでも消えない血縁や,地縁を含む偶然の出会いで繋がった人間関係をも包含する「新しい家族」の姿だ。
伯父(鶴瓶)のことを,「小春」という「古くさい」名を付けられただけでなく,その存在が自らの結婚生活が破綻するきっかけとなったと考えていた姪(蒼井)が,新しい恋人(加瀬亮)を伴って大阪のホスピスに向かい,ホスピスの入居者や職員と共に,憎んでいたはずの伯父の最期を看取るシーンに満ちている,悲しいけれどもどこか柔らかな空気が,正にこの「家族」を象徴している。
吟子の亡くなった夫が鉄郎に対して言った「たまには彼に花を持たせてあげよう」という言葉が,認知症の気配を感じさせる姑(加藤治子)や,吟子に近付くことを狙いつつ,嬉々として小春の結婚祝いを届けに来る商店街の仲間(笹野高史と森本レオ)をも,大きな「家族」として包み込むマントのような役割を果たしている。

小春の元夫の性格上の問題を「問題を箇条書きにしてくれないと分かりません」という台詞一発で表現してしまう山田監督の人間観察の切れ味に衰えは見られない。クスリと笑わせる絶妙の間と,芸達者を揃えた俳優陣の上手さを敢えて前面に出過ぎないようにコントロールした演出も含めて,名人芸に脱帽する。吉永小百合にとっても,後期の代表作と呼ばれる作品となることは間違いないだろう。
何処を取っても,日本映画の良心と呼ぶに相応しい作品ではあるが,もうすぐ「65歳」になるという吉永小百合の年齢だけは,「ディア・ドクター」の時の鶴瓶以上に胡散臭い。まるで日本の「ゴールディー・ホーン」か?と思ったら,二人は同じ1945年生まれだった。終戦の年生まれ,恐るべし。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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