子供はかまってくれない

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映画「幸せはシャンソニア劇場から」:見事に再現された,古き佳き(かつ貧しく美しき)1936年の巴里

2009年09月27日 22時30分08秒 | 映画(新作レヴュー)
雪に覆われたパリの街の俯瞰から劇場の入り口へ,そこで交わされる主人公と物まね男との会話を挟み,劇場の中を通って舞台裏へと続く移動を,ワンカットで撮った冒頭のショット。アコーディオンを学びに行っていた「ラジオ男」の家から,新雪を踏みしめて自分の家に帰る主人公の子供を,直上から捉えたショット。そして,世相に合わせた新しいメニューを逆さ文字で窓に書き付けるレストランの主人をガラス越しに捉えた,何度も出てくるショット。
かつてマルセル・カルネの映画で見たことがあるような,まるで「古き佳き巴里」を箱庭に凝縮して切り取ったようなこれらの映像を楽しめるかどうかで,劇中で「ラジオ男」が作り上げる「シャンソニア劇場」のミュージカルそのものと言える本作品の評価は随分と違ってくるだろう。

セットや物語の筋が「作り物」であることを晒さざるを得ない一方で,監督のクリストフ・バラティエは,帰ってきた主人公を放り出すラストに象徴されるように,禁欲的と言っても良いくらい,演劇的な高揚感を避けるような演出に終始している。
そうした作りと中身のギャップが,ある意味でこの作品の魅力になっていることは間違いない。シンプルで力強い,挫折からの感動的な復活劇にしなかったことによって,主人公(ジェラール・ジュニョ)が感じたであろう澱のような無常感が,静かに観客に伝わってくる。

雪で彩られた古き佳き巴里という「虚構」と,そこに住む生身の人間が形作るドラマをキャメラで縫い合わせたのは,クリント・イーストウッドの片腕として,本作とほぼ同時代(1928年)のロサンゼルスを舞台に,見事なスリラー「チェンジリング」を撮り上げたトム・スターン。創造性と物語を語るための職人芸とを自然に同居させている名手の仕事はまるで,ロバート・ベントンの監督作「プレイス・イン・ザ・ハート」に招かれたトリュフォーのパートナー,ネストール・アルメンドロスの渡米に対する,ハリウッドからの四半世紀越しの恩返しのようだ。

バラティエ監督のデビュー作「コーラス(未見)」にも出演していたというジェラール・ジュニョのちょっととぼけた表情と粋な所作は,正に「巴里の住人」を体現して見事だ。途中から物語を引っ張るノラ・アルネゼデールの背筋の伸びた凛とした美しさには,「新星」という賛辞が相応しい。
ただ,ひねりがないだけでなく,内容を正確に伝えてもいない邦題は,何とかならなかったものか。レベル的には,物まね男のカエルの芸とどっこいだ。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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